【404】架空の国へ
調査には四日かかった。
ショウはネオ・アルカディアにある第三演算施設に寄生した帯域をすべてつぎ込み、旧世界の通信規約から順に遡っていった。
それでも『フィクティオ』という単語が現れる文書は、世界中のネットワークの底に七件しか残っていなかった。
五日目の朝。
ニュー・エデンのホテルで、ホロの緑の点滅が呼んだ。
『情報、揃ったぜ。まずは場所からだ』
ホロに地図が出た。
旧スカンジナビア半島の北端、フィヨルドの奥に刻まれた小さな座標。
『旧世界の軍事用地下施設だ。冷戦期に掘られた岩盤シェルターを、二〇四三年に民間が買い取ってる。買い手はフィクティオ財団。……当時の資料じゃ、ただの保険会社だ』
「保険会社がドーム都市を作ったのか?」
ダリオが眉を寄せた。
『いや、正式には作ってねえ。ここが妙な話だ』
ショウは図面を切り替えた。
断面図が出る。地下三百メートルから始まって、岩盤の中を九層まで掘り下げた構造。
だがそこには、居住区も、商業区も、工場もなかった。
代わりに3mほどの低い天井の円環状の通路が多層に連なっている。
「なんだ、これは? こんな環境で人間が生きていけるわけがないぞ」
『こりゃあ、言っちまえば……棚だ。見えるか? この通路にびっしりと何か並んでるだろ』
「これはなんだ? ……まさか」
『コールドスリープ兼、フルダイブ用ポッドさ』
ダリオの手から、煙草の灰が落ちた。
『一層あたり三十四万基、九層で約三百六万基。……全部、みっちり埋まってる』
カーバンクルは断面図を見つめた。
「これ、人が入ってるの?」
『ああ、生体反応が全ポッドから出てる。心拍は毎分四回。体温は摂氏十四度。四十年近く、その状態のままだ』
部屋が静かになった。
『他の多くの国は、外に住めないから巨大なドームの中に街を作った。フィクティオは違う。……連中は、現実世界に住むのをやめたんだ』
ショウは図面の下部を指した。
そこには、ポッドの海の底に沈む巨大な塊が描かれていた。
『代わりにこれを作った。第八層下部、演算コア。旧世界の量子コンピュータを七十二台束ねて、独自の冷却系で回してる。
ニュー・エデンのあの演算施設が、桁違いの量入ってると思ってくれ』
「その中に何があるんだ」
『――世界だ』
彼は端的に答えた。
『三百万人が、そこで暮らしてる。生まれてから死ぬまで、意識だけをアップロードして、全部その中だ。……で、ここからが今日の本題な』
下層の装置にカメラがズームインする。
『発信元の解析、七段の中継を全部剥がしてみた』
ショウの声が硬くなった。
『この間届いたアレ、どうやら演算コアの内側から送られてるっぽいぜ』
「……どういう意味?」
『仮想世界の中にいる誰かが、仮想世界の外へ向けて投げてるってことだ。設計上、できねえはずのことだよ。……できねえはずなんだが、通ってる』
彼はデータの束を展開した。
『で、通信の生データを解析した。文面の下に、プロトコル情報が乗ってる。読める形に直したのがこれだ』
宙に、断片的な文字列が並んだ。
[SEQ:0071] 座標:ラハト町 東部辺境/推奨レベル帯 12-18
[SEQ:0071] 発信者ステータス:生存/所属ギルド:なし/討伐対象登録:有
[SEQ:0071] 装備欄:空
[SEQ:0071] 所持金:0ゴールド
ダリオが額を押さえた。
「……なんだこりゃ?」
『街の内部システムが、住人に付けてる管理データだ。……問題はその中身だな』
ショウは一つずつ指した。
『レベル帯。所属ギルド。装備欄。所持金。討伐対象。……行政システムがこんな項目立てるか? 普通は職業、住所、納税額、犯罪歴だ』
「じゃあこれは何なんだ」
『ま、頭の硬いお前らには縁遠いからわからんだろうが……』
彼は一拍置いた。
『要するにフィクティオって国の中身は、ゲームの世界なんだ』
「……?」
「……???」
『だよな……お前らゲームとかしなそうだもんな……』
ショウが通信の先で頭を抱える。
説明には時間がかかった。
『二〇四〇年代、フィクティオ財団の連中はこう考えた。人間が汚染された外を生き延びるのに一番安いのは、身体を動かさないことだ、と。
食わない、着ない、住まない。冷やして眠らせておけば、一人あたりの維持コストは他のドームの千分の一で済む』
「だがそりゃ、生きてると言えるのか」
『そこで意識だけ起こしておくんだよ。仮想現実の演算コアの中で』
ショウは言い淀むことなく続けた。
『ただ、意識だけ三百万人ぶち込んで、何もない空間に置いたら全員発狂する。だから中身が要る。……で、当時いちばん完成度が高かった長期滞在型の仮想空間ってのが、あれだ』
「あれって……?」
『MMORPGだよ。大規模多人数参加型のオンラインゲーム』
ダリオが顔をしかめた。
「若いのがやってた、あの遊びか。一応ニュー・エデンにもあるぞ」
『そう。だが規模はまるで違うぞ』
「しかし、いくらなんでも荒唐無稽だろう! 巨大なゲーム空間に、何百万という人間を閉じ込めるなんて……」
『理屈は通ってるぜ。MMOってのは規模がでかけりゃ、何万人が同時に入っても崩れない設計になってる。
目的があって、序列があって、労働があって、報酬がある。……人間を四十年退屈させずに管理する仕組みとしちゃ、当時いちばん完成されてただろう』
彼はデータを叩いた。
『移植したのは『ユグドラシル・オンライン』ってタイトルだ。二〇三八年稼働、剣と魔法のファンタジー世界。九つの大陸、職業四十八種、ギルド制度あり』
「……ギルド」
カーバンクルが呟いた。
『そういうことだ。あのメッセージは、そのギルドのことを指してるんだろ』
ショウはかつてのユグドラシル・オンラインのPVを掘り起こしてみせた。
3DCG、音響、その他すべてが現代のものとまるで違うクオリティの低さだ。
『切り離されたゲーム世界。だが財団がアプデしまくったみたいで、四十年で中身は変質してる』
ショウは新しい図を出した。
フィクティオ内部の勢力図らしきものだった。
『元は遊びだが、遊びを四十年やらされて外に出る予定もねえとなると、それは遊びじゃなくなる。中の連中にとって、あれはもう【現実】だ』
「で、どうなってるんだ?」
『三百万人が、九つの大陸に分かれて住んでる。ゲームだった頃のルールは全部残ってる。レベル、装備、経験値、金貨。……で、ルールが残ったまま人生になると、何が起きると思う』
彼は自分で答えた。
『格差が完全に固定される。レベルの高い連中が上位に居座って、四十年ぶん経験値を積んでる。新しく生まれた——つまり途中でポッドに入れられた子供の世代は、永久に追いつけねえ』
ダリオが低く唸った。
「どこの街も同じだな」
『同じだ。ただしこっちは、上位者が物理的に強い。レベル差がそのまま暴力の差になる。ニュー・エデンの特権階級なんか可愛いもんだ。向こうは、魔法やスキルで殴られたら本当に負ける』
「殴られたら、どうなるの?」
カーバンクルが聞いた。
ショウは少し黙った。
『本来の設計だと、死んでも復活する。ゲームだからな。街に戻って、経験値が少し減るだけだ。……ただ、これも解析した。ポッドの生体ログと突き合わせた』
新しいグラフが出た。
四十年分の、細い下降線。
『三百六万基のうち、稼働してるのは二百八十七万基だ。差は十九万』
「……死んでるのか」
『生体反応が消えてる。何十年もかけて、少しずつな。理由は分からん。ポッドの経年劣化かもしれねえし、中で何かが起きてるのかもしれねえ』
彼は言葉を切った。
『ただ一つ言えるのは、あのゲームの中の【死】は、本物にもなりうるってことだ』
■
長い沈黙のあと、カーバンクルが口を開いた。
「ショウ。その世界に入る方法は?」
『二つあるぜ』
彼は待っていたように答えた。
『一つ目。あんただ』
ホロの中で、緑の点がカーバンクルを指した。
『あんたは元々電脳体だ。肉体がなくても存在できる。ヴァイスの秘密接続路を辿ってこっちに来たのと同じ理屈で、フィクティオの演算コアにも入れる。……向こうの住人と同じ形式でな』
「同じ形式って……」
『あの街の中で身体を持つってことだ。あっちの規格の身体を。名前も、レベルも、装備欄も付くぜ』
ダリオが顔を上げた。
「待て。じゃあ嬢ちゃんは、向こうじゃレベル1の新入りってことか?」
『そうなるな』
ショウは今度こそ笑った。
『百人分の戦闘データ持ってようが、向こうのルールじゃ数字が全部だ。……あんたでもなかなか苦戦するんじゃないか?』
カーバンクルは表情を変えなかった。
「二つ目は」
『俺だ』
緑の点が、自分を指した。
『俺は電脳体じゃねえ。生身が残ってる。だが……フルダイブ型のVR機器を噛ませて、その先に親父の会社の第三演算施設を挟めば、意識を丸ごと送り込める』
「危なくねえのか」
ダリオが聞いた。
『未知数の世界だからな。危ねえよ』
ショウはあっさり答えた。
「じゃあやめとけ」
『何言ってやがる、やめねぇよ』
彼の声は、迷いがなかった。
『そもそもカーバンクル。あんたゲーム経験なんかないだろ?』
「……まぁ、うん。ただ百人のデータの中に一応記憶は……」
『暗殺者とか軍人がゲームやってるとは思えねぇよ……』
ショウは軽く咳払いをする。
『そこで俺ってわけだ。あっちでの活動をサポートしてやる』
「……ありがとう」
カーバンクルは、それからしばらく黙っていた。
窓の外に目をやった。人工太陽が雲の演出を白く縁取っている。
「ダリオ」
「なんだ」
「そういうことだから、私はまたしばらく寝るね」
ダリオは煙草を灰皿に押しつけ、長く息を吐いた。
「……前も同じこと言われたな」
「うん」
「まったく。だがたまにはこっちに戻ってこい。どうせこの国もまだ混乱状態だ。依頼は来るぞ」
「うん」
カーバンクルはフードに手をかけた。
「それじゃ……剣と魔法の世界に行ってくるよ」
でもカーバンクルさんだってテトリスは得意らしいですよ




