【断罪】針千本と謎のメッセージ
編集室の照明が、一段だけ戻った。
非常灯の赤ではない。作業用のデスクライトが一つ、卓の上で点いた。
その円い光の中に、メイの手と、細い金属の筒が置かれていた。
「な、なによ……それ!?」
「なにって……ニードルの装甲にくっつけるための、予備の針。借りてきたんだ」
「……!?」
「昔ね、こういう約束の歌があったんだって」
カーバンクルは筒の蓋を外した。
そこにはびっしりと鋭い針が入っている。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本の〜ます。……子供同士の約束で使う言葉だったらしいよ。指を絡めて、歌にしてね」
彼女は筒を傾けた。
細い針が、光の中にばらばらと零れ落ちる。
長さ四センチ、太さ〇・六ミリ。
まだ毒も塗布されていない、ただの金属片だった。
「でも、残念ながら千本は入ってない」
メイは椅子から動けなかった。誰も押さえていない。それでも、彼女の身体は一ミリも動かなかった。
「……や、やめて」
「私はね。誠意の話をしてるんだよ」
カーバンクルは針を一本つまみ上げた。
「あなたは七日前に私に従うって言った。でも今日、嘘の放送を流そうとした。約束を破ったよね」
「あ、あれは、その、違うの——」
「だから罰。だよ」
「待って! 待ってちょうだい!」
メイの声が跳ねた。
化粧が涙で崩れ、頬に黒い筋を作っている。
「今度こそ従うわ! 本当よ! 私、あなたのために何でもする! 報道も、EDENへの報告も、全部あなたの言う通りに——」
「うん。それはありがたいね」
カーバンクルは頷いた。
「な、なら……」
「でもさ。それ、七日前にも聞いたよね」
メイの言葉が止まった。
「嘘つきの言葉を、どうやって信じればいいの?」
彼女は首を傾げた。眉を下げ、嗜虐的に見下す。
「体で覚えてもらうしかないよね。裏切り者がどうなるか。そうなってからなら、あなたの言葉も信じられる」
針が、メイの唇の前に来た。
「や——やだ、やだ、死ぬ、死んじゃうわよ!」
「死なないよ。たぶん」
カーバンクルは平坦に言った。
「針は四センチ。上を向いてればまっすぐ落ちる。喉と食道は運が良ければ切れないし刺さらない。胃に入ったら、そのうち出るか……もしくは出ないか」
「なによ、その曖昧さは!?」
「だって、やったことないから」
メイの歯が鳴った。
「ねえ、聞いて、聞いてちょうだい。私はこの国のすべてを司る――」
「いいから口、開けて」
「い、いや——」
小柄な手が彼女の顎を掴んだ。
抵抗はした。鍛えたことのない身体で、できる限りの抵抗をした。
それは何の役にも立たなかった。
顎の関節が、開く方向にだけ強引に動かされる。
そして、冷たい金属が舌の上に落ちた。
「飲んで」
「んっ、ぐ、ぅ——」
「飲まないと……舌を貫いてそのまま喉の奥まで押し込む」
「――ッ!!」
喉が、勝手に動いた。
細い異物が、喉の内壁を撫でながら降りていく感触。
人間が飲み込むことを想定していない硬さのものが、強制的に通っていく感触。
メイの目が、限界まで見開かれた。
「ひ——ぃ、あ、あ、あ、あ」
彼女は自分の喉を掻きむしった。
爪が首の皮膚を裂いても、内側には届かない。
カーバンクルは手を離し、筒の蓋を閉めた。
「残りは持って帰るよ」
「ォエッ……げっ、カハッ……ー」
床に転がって嘔吐いているメイを、彼女は一度だけ見下ろした。
「次に嘘ついたら、二本目。その次は四本」
答えはなかった。
ただ、喉を押さえて丸まった女が、壊れた機械のような頷きを繰り返していた。
■
三日後、メイは通常業務に復帰した。
化粧は完璧だった。カメラの前での微笑みも、以前と一ミリも変わらなかった。
ノア・コミュニケーションズ社の社員たちは、彼女の変化に誰も気づかなかった。
(く……ぐうぅっ……!)
変わったのは、EDENへの報告書の中身だった。
「404号室」「カーバンクル」「ペルソナ」に関する記述は、その日から一行も上がらなくなった。
ヘリオス社事件の再調査は「証拠不十分」で凍結された。
市内二千台の監視網から、水色の髪の少女に該当するタグは、自動的に除外されるようになった。
『メイ。あのカーバンクルという女の件はどうなっている』
「わ、私は、わかりません……ヴェロニカに始末を依頼しましたが……あれ以来何も」
『どういうことだ。不審死はこれまで同様起き続けているぞ。なのになぜカーバンクルは見つからない』
「……そ、その不審死について、私も調べました。こちらですわ」
ジャニュアリーが不審を示すたび、メイは完璧な資料でそれを潰した。
彼女は嘘の専門家だった。三十年、それで飯を食ってきた。
『……カーバンクルは関与していない、ということか?』
「はい。間違いありません……!」
ただこれまでと違って、今は一度の失敗も許されなかった。
失敗すれば、二本目が来る。
(くそ……なんとか誤魔化せたわ。だけど、いつまで偽れるか……)
彼女は毎晩、水を飲むたびに喉が詰まる感覚に襲われた。
医師は最新のスキャンをして「何の異常もない」と言った。針はとっくに体外へ出ていた。
(でも、もし見落としだったら……!? 体の中のどこかに針があったら……それが、また増えたら……ッ!!)
メイは重篤なトラウマを与えられ、もはやカーバンクルの傀儡と化していた。
■
それから一ヶ月が過ぎた。
アルミナ層、コマース・ベルトの外れ。
中級ホテル〈ロウ・スペクトル〉の404号室は、いつの間にか常時予約済みになっていた。
予約者はダリオ。
支払いは毎月きちんと暗号通貨で処理されていた。
「やれやれ。カーバンクル、次の依頼だ……」
窓辺のテーブルに、ホロが浮かんでいる。
ネオ・アルカディアから届くショウのシグナル。
「今月の分だ。テラ層の失踪案件だな」
ダリオが端末に浮かぶ情報をめくった。
彼はもう依頼人ではなく、いつの間にかカーバンクルの事務方に収まっていた。
『あんた、別に依頼料もらってないんだよな』
「もらってるぞ。ホテル代だ。おかげで雨風は凌げてる」
『そういう話じゃねえと思うが……』
カーバンクルは窓の外を見ていた。
雲の演出の下で、テラ層の人工太陽が正午の角度に達している。
屋台の湯気が、いつも通り上がっていた。
「とりあえず、頼むぞ」
「わかった。どうにかする……午後にでも行こうかな」
『ところで、なあ、カーバンクル』
ショウの声が緑の点滅から流れた。
いつもと少し違う調子だった。彼が厄介な引っかかりを見つけた時の声だ。
『最近、変なもん拾ったんだよ』
「なに?」
『発信元不明の、ドーム間通信だ』
ホロの表示が切り替わる。
ノイズの多い波形が、ゆっくりとスクロールしていた。
『三ヶ月前から断続的に流れてる。北欧圏の方角から、指向性なしの全周波数垂れ流し。……つまり、誰でもいいから拾ってくれって形だ』
ダリオが眉を寄せた。
「救難信号か?」
『形式上はな。ただし正規のフォーマットじゃねえ。手打ちだ。素人が、届く可能性のある帯域を片っ端から試したって感じの雑さがある』
「内容は?」
『そこなんだよ』
ショウは一拍置いた。
『読むぞ。原文ママだ』
宙に、文字列が展開した。
——誰か。聞いていますか。
——ラハト町の住人です。冒険者ギルド長による搾取が限界です。逃げた者は「討伐対象」に登録されます。
——どうか、助けてください。
「…………」
しばらく、誰も口を開かなかった。
ダリオが煙草を口から離し、それを灰皿の縁で二度叩いた。
「……冒険者? ギルド?」
『な。俺も三回読み直した』
ショウの声には、明らかに困惑があった。
『ギルドってのは、旧世界の職能組合の長だ。二百年前の言葉だぞ。今どき使ってる街なんかねえ』
「討伐対象、ってのも変だ」
ダリオが指を折った。
「行政が人を消すなら、そんな言い方はしねえ。粛清とか、処分とか、そういう言葉を使う。討伐ってのは……なんだ、獣を狩るときの言い方だろ」
カーバンクルは文字列を見ていた。
赤い義眼が、一行ずつゆっくりと動いていく。
「発信元はどこなの?」
『割れない。中継が七段噛んでる。ただ、方角と遅延から逆算すると、旧スカンジナビア圏のどこかだ。……で、ここからが本題なんだが』
ショウの指がキーを叩いた。
新しい図面が浮かぶ。ドーム都市の分布図だった。
ネオ・アルカディア、ニュー・エデン、ユーロドーム、オーストラリア・ドーム。
その他既知のドーム都市を示す点が七つ。
その北。北欧に、たしかに一つ点が灯っている。
『スカンジナビア圏のドーム都市の名前は【フィクティオ】。だがどことも交流してねぇし、記録は完全に消えてる』
「つまり、潰れた……失敗した都市ってことか?」
『潰れた都市は電波を出さねえよ』
ショウは短く笑った。笑いに熱がなかった。
『三ヶ月、垂れ流し続けてる。誰も応えないから、諦めずに帯域を変えて試し続けてる。……これは生きてる人間の書き方だ』
ダリオが煙草を灰皿に押しつけた。
「だが嬢ちゃん。悪いこと言わねえ、これは触るな」
彼は珍しく、真面目な顔をしていた。
「文面が変すぎる。罠か、システムの故障か、正気を失った誰かの妄言かのどれかだ。どれにしても、こっちが面倒になるだけだ」
「うん……」
カーバンクルは頷いた。
そして、ホロの文字列に指を伸ばした。その最後の一行を指でなぞる。
——どうか、助けてください。
「ダリオ」
「なんだ」
彼女は指を下ろした。
「言葉は変だけど、内容は変じゃないよ。誰かに奪われてる。逃げたら追われる。だから助けを求める。……404号室に来る人と、全部同じ」
窓の外で、人工太陽が音もなく南へ傾き始めた。
「たぶん、フィクティオの言葉なんだと思う。私たちの言葉と、意味が少しずれてるだけで」
ショウが、回線の向こうで長く息を吐いた。
『……行く気か』
「まだ分かんない。でも、返事はしたい」
『返事って、なんて』
カーバンクルは少し考えた。
それから、いつもの平坦な声で言った。
「404号室を予約してくださいって」
ハリーポッターみたいなタイトル!!!
は置いといて、ニュー・エデン編はそろそろ終わりになります
ぶっちゃけクローン設定のせいで殺しが殺しにならなくてやりづらい国だった…(小声)




