【断罪】迫りくる影
「はぁっ……はぁっ……!」
最後の光点が消えたのは午後二時十一分だった。
メイは、ホロの前で膝から崩れた。
分散させた自分の複製がすべて、二分四十七秒で焼かれた。
残っているのは、この部屋にある一つの肉体だけだった。
汗ばんだ手のひら、乱れた呼吸、崩れかけた化粧。
そして、ホロが勝手に切り替わった。
「……っ! こ、今度は何……!?」
無音のまま、映像が立ち上がる。地下六階、白い円筒の森。
血に汚れた小柄な少女が、コンソールの前からこちらを見ていた。
『あー、あー……聞こえてる?』
「お、前は……っ!」
『あなたの体が今どこにあるか分かってる。ノア・コミュニケーションズ社、展望ラウンジ。東側の窓際だね?』
「……ッ!」
カーバンクルは淡々と続けた。
『バックアップは全部消した。だから次に死んだら、あなたは戻らない。普通の人と同じようにね』
「……ふざけないで」
メイの声は掠れていた。
「私はEDENの最高機関——」
『うん。でも今は、体が一つしかない人間だよね』
その言葉が彼女の喉を塞いだ。
『一つ提案がある。残りの一つを消されたくなかったら、私に従って』
「し、従うって……何を」
『まずはニードル……ヴェロニカへの依頼を取り下げてもらう。契約を途中で切ってね』
「……チッ」
『それから、都市の情報を握ってるのはあなたでしょ。何を報道して、何を報道しないか決められる。……しばらく、私の指示に従ってもらう』
メイは床についた手をゆっくりと握った。
そして、顔を上げた。表情が切り替わっていた。
震えも汗も残したまま、それでも彼女は微笑んだ。
カメラにどう映るかを理解した表情だった。
「……分かったわよ。私の負け……あなたに従うわ」
■
それから七日が経った。
表向き、都市は静かだった。
ヘリオス・エナジー社の事件は「大規模設備事故」として処理された。
死者四十七名は「不慮の被災者」となり、ノーベンバーとフェブラリーの名は訃報欄に二行だけ載った。
核融合炉の異常過熱は一切報道されなかった。
全てメイの采配だった。
彼女は従順だった。カーバンクルが要求した通りに情報を殺し、要求されない部分では何一つ余計なことをしなかった。
(……なんて。この私を掌握したつもりなんでしょうけど)
その裏で、彼女は編集室に籠っていた。
この数週間、ニュー・エデンで起きた異常事態の映像を集め続けていたのだ。
——クローネクス社の警備隊全滅。
——治安維持部隊のパワードスーツが紙くずのように解体されていく惨状。
——ヘリオス・エナジー社ロビー。血の海の中に立つ、黒髪の少女。
それはすべて、ペルソナが引き起こした殺戮だった。
だが、メイは指を動かした。映像処理ソフトを走らせ、犯人の特徴を上書きしていく。
黒髪を水色に。
赤いジャケットを白いパーカーに。
「同一人物ってことにすればいいのよ。所詮は人間、顔の見分けなんかつきやしないんだから」
編集された映像は、四分十二秒になった。
音楽は付けない。ナレーションも最小限にする。
事実だけを、順番に、感情を煽る順序で並べる。
彼女はそのやり方を続けて人間を意のままに操ってきた。
タイトルは決めてあった。『都市に潜む殺人鬼』。
「これを全チャンネル同時に流すの。ブロンズ層の連中は必ず飛びつくわ。あの子たち、貧しさの理由を押し付け、憎む相手を常に探してるんだもの」
彼女はホロに向かって、独り言のように喋った。
「上を憎ませたら私たちが困る。でも、街に紛れた殺人鬼を憎ませるのは安全よ。
……三時間で暴動が組める。テラ全域の人間が、水色の髪を探して走り回る。文字通り、街の全員が敵になるわよ」
配信予約の画面を開いた。
全チャンネル同時、緊急割り込み。承認者、メイ本人。所要権限はすべて彼女の手の中にあった。
「体が一つしかないのはね」
彼女は口紅を引き直した。
「私だけじゃないのよ、お嬢さん」
指が、実行ボタンへ伸びた。
——十九秒前。
その表示を、彼女は見ていた。ちゃんと見ていた。
だから、部屋の照明が落ちた瞬間――それが自分の操作ではないと即座に理解した。
「……え」
編集室は窓のない部屋だった。非常灯すら点かない。
完全な暗闇の中で、ホロのカウントダウンだけが青く浮かんでいる。
——十四秒前。
その光の縁に、赤い点が二つ映り込んだ。
暗闇の中で、微かに発光する義眼。
「ヒッ!!」
メイは息を吸った。吸ったまま、吐けなくなった。
「三時間で暴動が組める、って言ってたね」
声は、彼女のすぐ後ろにあった。
メイの体がカタカタと震え始める。
「面白い数字だなと思って。私、そういう計算できないから」
——九秒前。
メイの手が、実行ボタンへ跳んだ。
指が触れるより先にカウントダウンが消えた。
青い光が失せ、部屋から最後の明かりが無くなる。
「ショウ」
『切ったぜ』
回線から短い返事があった。
暗闇の中で、メイの喉が引きつった音を立てた。
「……ど、どこから……いつから、私の計画に気づいて……!?」
「七日前から」
「な……!?」
カーバンクルの声は、いつもと同じ平坦さだった。
「あなたが私に従うって言った時の顔、あれ、嘘つく人の顔だったから。だからショウに、この部屋の回線だけ見ててもらったんだ」
暗闇の中で椅子が軋んだ。
「三日目に、素材を集め始めたよね。四日目にペルソナの映像を繋ぎ合わせて。……よく集めたね、あんな量」
メイは動けなかった。
背後の気配は動いていない。ただそこにいるだけだった。それが一番、怖かった。
赤い点が、少しだけ近づいた。
「私を殺人鬼にするのはいいよ。実際、今まで何人も殺してきたから」
——ほんの少し、声の温度が下がった。
「でも、あの映像、全部あの子がやったことだよね。あの子の殺戮を、私がやったことに塗り替えた」
メイの背中を、冷たいものが伝った。
「それはよくないよね。他人の罪を私が被る趣味はないからさ……」
暗闇の中で、カーバンクルの指が編集卓の縁に触れた。
「あ……ゆ、許し……」
「約束を破った人には、お仕置きが必要だよね?」
先生に言っちゃおう!




