【404】決着の後処理
針が肉体に入った音は、粉塵の中では聞こえなかった。
ただ、ペルソナの息が一度だけ深く抜けた音がする。
「――」
ニードルの右腕が、彼女の脇下から肋の内側へ深く滑り込んでいた。
装甲の針は打撃ではなく穿刺だ。数十本の針が同時に肉へ潜り、その先から即効性の神経遮断剤が配られていく。
ペルソナはそれでもニードルの首を掴み、投げ飛ばした。
「——ッ!」
「チッ……」
それから彼女は自分の指を見た。
中指と薬指が、脳の命令を無視して力なく開いている。
「……ああ」
粉が降り止み、白い床の上に三人の影が残った。
ペルソナは膝をつかなかった。
壁になった円筒に背を預け、裂けた左腕と痺れた右腕を垂らしたまま、ゆっくりと息を整えていく。
その目が動いた。カーバンクルの残存出力、ニードルの毒の展開速度、頭上のカウンターを見ている。
三つの数字を並べ、彼女の脳内の百人分のデータが答えを出すのに、二秒とかからなかった。
「——終わりだな」
彼女は笑った。
負け惜しみの笑いではなく、答え合わせが済んだ人間の顔。
「勝てる筋はもう無い。三手先まで数えたが、どう転んでも……お前が私を取るだろう」
カーバンクルは構えを解かなかった。
「まだ動けるでしょ」
「動ける。だが動いても負ける。そういう悪足掻きをする趣味はない」
ペルソナは壁から背を離した。
「だが私は、お前に殺されるのが心底気に入らない」
そして、まだ動く右手を胸に当てる。
「私の終わり方くらい、私が決める」
カーバンクルが踏み込むより速く、彼女は自分の胸骨の左下へ掌底を打ち込んだ。
角度も深さも完璧だった。心膜を潰し、洞結節への伝導を完全に断つ。
ペルソナの膝が、初めて折れた。
「……あ」
ニードルが小さく声を漏らした。
黒い身体が白い床に沈んでいく。カーバンクルは駆け寄りはせず、ただその場に立ったまま見ていた。
倒れた顔がこちらを向いた。
まだ、瞳に光が残っていた。
「人間に……戻ると言ったな」
「……うん」
「私は最後まで、そんなものになりたいと思わなかった」
血が唇の端から零れた。
「……せいぜい、つまらん満足を追い求めるがいい。人間、として――」
光が消えた。
■
『よし、炉は落ちた!』
ショウの叫びが、静寂を破った。
『冷却ポンプの制御、こっちに戻った! ……四基とも降下中、黄色から青に戻ってる! 間に合った、間に合ったぞ!』
頭上のパネルで、橙に近づいていた四つの指標がゆっくりと色を失っていく。
カウンターが十四分を残して停止した。
「……はぁ」
カーバンクルは息を吐いた。
膝の力を抜き、床に片手をつく。肩の古傷が、ようやく激しい痛みを主張し始めた。
「……終わった」
『ああ。終わったな。お疲れ――』
――背後で、金属の擦れる音がした。
カーバンクルは振り返らなかった。
振り返らないまま、そこに何が向けられているかを理解した。
「ニードル」
「……申し訳、ございません」
鋭い針を伸ばしたニードルの右腕が、彼女の後頭部から三十センチの距離で止まっていた。
だがその先端は、微かに震えていた。
「メイ様からの依頼内容は、二件でした。ペルソナの討伐と……成功後、カーバンクル様の処理です」
回線の向こうで、ショウが息を呑む音がした。
『てめえ——』
「ショウ様。動かないでください。彼女の首は、私の指の先です」
ニードルの声は、いつもの丁重さを保っていた。
保とうとして、失敗していた。語尾が震えている。
「ペルソナ様のおっしゃったことは、正しゅうございます。EDENにとって、あなたも同じ棚のエラーです。今日ここであなたに消えていただくのが、最も効率が良い」
「うん」
「……効率が、良いのです」
震えが大きくなった。
「私は……嫌でございます。あなたをここで殺すのは、私の人生の意味を殺すことです」
彼女は歯を食いしばった。
「ですが、私はノア・コミュニケーションズに雇われた身です。契約を破れば、私はただの——」
「ねえ、ニードル」
カーバンクルはゆっくりと振り返った。
血に汚れた顔で赤い義眼を光らせて。
そして、笑った。
不敵に、はっきりと口の端を上げて。
「依頼人が先に死んだら、その依頼って取り下げになる?」
ニードルの動きが、完全に止まった。
「……は」
「契約の話でしょ。依頼人がいなくなったら契約は消滅する。違う?」
「そ、それは、その、法的には、そうですが……」
「じゃあ問題ないね」
カーバンクルは立ち上がり、ペルソナが最後に立っていた管制卓へ歩いていった。
まだ生きている。市内三本の指に入る量子演算機。
ペルソナが起動させ、そのまま解放されたばかりの莫大な演算資源がそこにあった。
彼女はコンソールに手を置いた。
「ショウ」
『……おい待て、まさか』
「ネオ・アルカディアのやつも合わせて、二台使おう」
彼女は振り返らずに言った。
「ドームの内と外、両側から同時に叩く。メイのバックアップサーバーを探して」
回線の向こうで長い沈黙があった。
それから、ショウが笑った。今日一番、本当に楽しそうな声だった。
『……ケッサクだな』
キーを叩く音が、雨のように加速した。
『エデンAIの擬似人格、メイ。噂とメディアを司るAI。なになに……あいつは自分の複製を街中に分散して持ってるらしいな。本体を殺してもバックアップから戻る。
……バックアップを先に全損させれば、肉体はただの逃げ場のないデータになる』
演算機の唸りが地下六階を満たした。
『二台同時攻撃、開始! ニュー・エデン側から表を叩け、俺はネオ・アルカディアの裏から回る。……三分だ、カーバンクル。三分であいつの首の場所を割るぞ!』
「オーケー」
「な……」
ニードルは、針を下げた。
下げてから、自分がそうしたことに気づいたように両手をだらりと垂らす。
「……あの」
「なに」
「それだと私、報酬をいただけないのでは」
カーバンクルは振り返らずに答えた。
「あとで404号室に来て。ダリオが払うから」
「あの方、ご自分の依頼料も未払いでは」
「大丈夫でしょ。ギャングの元ボスだし」
「は、はぁ……」
■
同じ頃。
セレスト層、ノア・コミュニケーションズ社の展望ラウンジ。
「ウフフ……何もかもうまくいったわね」
メイはシャンパンのグラスを傾けていた。
二十代半ばに見える女だった。淡い金髪を巻き、露出の多いドレスを着て、頬にはこの都市では珍しいほど濃い化粧をしている。
十二人の擬似人格の中で、彼女だけが「見られること」を仕事にしていた。
壁一面のホロには、報道原稿の下書きが並んでいる。
——ヘリオス・エナジー社襲撃事件、犯人死亡を確認。
——治安維持部隊の迅速な対応により、市民の安全は確保されました。
——なお、事件の背後には未登録の武装勢力の関与が……。
「うん、うん。この線でいきましょ」
彼女はグラスを揺らした。
「ノーベンバーとフェブラリーは、殉職した英雄。ペルソナは下層から湧いた狂犬。……あとは、あの水色の子ね。ヴェロニカが片付けてくれたら、その死体を犯人に仕立てて」
彼女は指先で原稿を撫でた。
「そしたら、私が全部片付けたことになるわね。ジャニュアリーの顔が見ものだわ」
——警告。
軽い電子音が鳴った。
メイは眉を上げた。ラウンジの空調が、静かに唸っている。
『——警告。第七バックアップ領域、外部アクセスを検知』
「は? ……なに、それ」
『——第四領域、応答なし。第九領域、応答なし』
グラスが指から滑った。
床で砕ける音は彼女の耳には入らなかった。
ホロの中で、自分のバックアップサーバーが置かれた場所を示す光点が、端から順に、一つずつ消えていく。
「待って。ちょっと待ちなさいよ!」
彼女は立ち上がった。
「なんで! 誰が!? あそこの座標は私しか——」
——第二領域、消失。
化粧の下の顔から、色が引いた。
「ヴェロニカ! ヴェロニカ、応答しなさい! あの子は!? あの子はどうなったのよ!?」
応答はなかった。
窓の外、完璧な人工の青空がいつも通りに晴れ渡っていた。
久々の断罪パートかも




