【404】人に戻る
「時間の話をするとしよう」
ペルソナはコンソールから一歩離れた。
裂けた左腕を無造作に振り、血を白い床に散らす。
頭上のパネルではカウントダウンされる四つのデジタル数字が色を深めていた。
「仮にだ。お前が私をここで潰し、あのハッカーが炉を冷まし、めでたく街が救われたとする。……その翌朝、何が起きると思う」
「……」
「EDENが動く。次はお前を消しにな」
彼女は円筒の森を指差した。
「考えてみろ。都市の管理AIから見て、私とお前の違いはどこにある。どちらも登録のない存在だ。どちらも記録に残らず人を殺す。どちらも予測モデルの外側に落ちるバグだ」
一歩、前へ。
「私は暴走したエラー。お前は放置されているエラー。処理の優先順位が違うだけで、分類は同じゴミ箱だろう?」
カーバンクルは動かなかった。
「私が消えれば、次に優先順位が上がるのはお前だ。EDENは既にお前の首の場所を計算している。……そして、私とお前が潰し合って両方削れるなら、あいつらは指一本動かさずに済む」
ペルソナは笑った。
「この状況で一番得をしているのは誰だ。答えてみろ、オリジナル」
答えは出せなかった。カーバンクルの頭の中でも、それは既に何度も計算されたことだ。
「否定できないね」
彼女は正直に言った。
「たぶん、あなたの言う通りだと思う」
「ならば」
「でも、それはあなたをここに置いておく理由にはならないよ」
カーバンクルの水色の髪が非常灯の赤を吸って、鈍い色になる。
赤い義眼の瞳孔が、幾何学の模様を描いて開いた。
「四十七分後に死ぬ人たちと、明日死ぬかもしれない私を、天秤にかける気はない」
ペルソナの笑みが深くなり……そして、無表情に戻った。
「本当に、お前はつまらんな」
■
床を蹴る音が、二つ同時に鳴った。
初手は、両者とも全く同じ技だった。半歩の踏み込みから掌底を顎の下へ。
同じ脳、同じ戦闘データ、同じ身体。当然の衝突だった。
掌と掌が正面から噛み合い、衝撃が二人の肩を同時に抜けた。
「くっ……!」
「フン!」
そこから先は目で追える速度ではなくなった。
肘、膝、足刀、指。百人分の戦闘データが、互いの選択肢を先に潰し合う。
ペルソナが選ぼうとした軌道をカーバンクルが塞ぎ、カーバンクルが開こうとした角度をペルソナが先に埋める。
技が成立する前に次の技へ乗り換える、その乗り換えの速度だけが勝負になっていた。
白い円筒にペルソナの拳がめり込み、冷却管が裂けて白い霧を噴き出す。
霧の中で、二つの影が交錯し続けた。
「――ッ、く」
先に膝をついたのは、カーバンクルだった。
肩の古傷が、動作の途中で引っかかる。ほんの数ミリの遅れ。
それをペルソナの膝が突き上げ、カーバンクルの身体が宙に浮いた。
床を三度跳ねて、円筒に背中から激突する。
「がっ……!」
「ハッ、無様だな! 何が変わったわけでもない、そして負傷も加わっているというのに! なぜこの私の前に立とうと思うのだ!?」
「……っ」
冷却霧の外縁で、ニードルは針を起立させたまま停止していた。
「入れ……ません」
彼女の声は、初めて笑っていなかった。
(私の動体視力が追いついていない……! 二人の動きが速すぎて……!)
『ニードル、どうした!? 援護は!?』
「カーバンクル様は、隙を見て援護しろとおっしゃいました。しかしその隙が、生まれません……!」
彼女は歯を噛んだ。
「あの二人、互いの隙を潰すのが速すぎる。私が入る余地が存在しない……!」
『チッ……! だが、それじゃまた負ける……! ちょっと待て、なにか考える!』
カーバンクルは円筒に背を預けたまま立ち上がった。
口の端から血が垂れている。彼女はそれを袖で拭わず、そのまま構え直した。
「ペルソナ……」
「ほう。まだ喋る余裕があるのか」
「考えてたんだ。あなたが前に言ったこと」
ペルソナの動きが、わずかに止まった。
——お前はもう人間ではない。
二週間前、彼女がカーバンクルを地に伏せさせた時に投げた言葉だった。
「言われた時、否定できなかった。依頼が来て、条件を照合して、対象を処理して、次に移る。街の向こうにデータとクローンを飛ばして、何件も同時に処理して……。たしかに私は、システムになりかけてたよ」
彼女は一歩前へ出た。
「でも。そのシステムが失敗した結果があなたなんだよね」
ペルソナの眉が苛立たしげに動いた。
「私が人間をやめかけたから、あなたが生まれた。あなたが生まれたから、街が四十七分後に壊される」
そして、もう一歩。
「だから決めた。私は――人間に戻る」
「戻る、だと?」
ペルソナの声が、初めて硬くなった。
「馬鹿なことを。それで何の役に立つ? 人間に戻った気分になったからなんだ?」
「役に立たなくていいんだよ」
カーバンクルは少しだけ笑った。
本当に少しだけだった。口の端が二ミリ上がった程度の、ほとんど誰にも見えない変化。
「ダリオが言ってた。人間一人でやれることには限度があるって」
「その結果が、その役立たずの棒立ち女と、指を咥えて眺める外国のハッカーか」
「そう。あなたが必要としなかった――もしくは、求めても得られなかったもの」
ペルソナの呼吸が一拍止まった。
それは動揺とも違う。もっと単純な、聞き入るという動作に過ぎなかったのだろう。
たしかにペルソナは、最初は仲間を求めていた。
一人で秩序を破壊するのを面倒がったというだけだが、テンパードというギャングを乗っ取り、クローンの餌でアウトローたちをまとめ上げていた。
だがそれは失われた。
同時に、人間に期待するのをやめて、そして余命を知った。
「私が――貴様が何を」
その一拍。
『今だ!』
ショウの声が回線を裂いた。
天井の消火系統が一斉に開いた。
彼が三十秒前から権限を掘り返していた、旧式の粉末消火装置。
白い粉が滝のように降り注ぎ、ペルソナの視界を面で潰す。
「なにッ!?」
そして、粉の壁の中を——ニードルは呼吸を止めて突っ込んだ。
視界は捨てた。代わりにショウが彼女の装甲に直接、座標を打ち込んでいる。
目ではなく、背骨に直接届く信号として。
『右、二歩、下、四十五度!』
四百二十六本の針が、粉の中で一斉に起立した。
視界ゼロの空間で、ニードルは一切の躊躇なく突進する。
「——ここです!」
「……!」
ペルソナが振り向いた時、既にニードルの針山は眼前にあった。
果たして決着は……




