【404】制限時間
指先の火傷を、ペルソナが反射的に振った。
一瞬。ほんの一瞬、彼女の体重が前から後ろへ移った。
「――!」
その隙間に、白い影が飛び込んだ。
カーバンクルは助走をつけなかった。三歩で間合いを潰し、腰の回転だけを乗せた蹴りをペルソナの脇腹へ叩き込む。
「かはっ――」
黒い身体が絨毯の上を三回転し、応接テーブルを砕いて止まった。
カーバンクルは倒れたニードルの傍へ膝をついた。
「ニードル。腕の針、切って」
「……は?」
「肩から下、手首まで。全部寝かせて」
「あの、私、まだ戦え――」
「いいから!」
ニードルの装甲が命令通りに動いた。
両腕の針だけが皮膜の下へ沈み、滑らかな黒い棒になる。
カーバンクルはその両手首を掴み、彼女を引き起こした。
そして――そのまま持ち上げた。
「え」
「歯、食いしばって」
「あの、カーバンクル様、それはどういう――!?」
答えはなかった。
カーバンクルは腰を落とし、掴んだ両腕を軸に、ニードルの全身を床すれすれで振り回した。
「なああっ!?」
四十五キロの装甲が、遠心力で唸りを上げる。
全身の針が起立したまま高速で回転し、絨毯を、テーブルの残骸を、非常灯の柱を削り取っていく。
「ぎゃああああああああ!」
「うるさい」
「これ、はっ、あの、想定して、おりませんっ……ああっ!」
立ち上がりかけたペルソナが、その巨大な質量を持った回転刃を見た。
「…………」
彼女は初めて、明確に判断を迷った。
避けるべき軌道が読めない。振り回されている当人が全く制御していないからだ。
人体の関節の遊びと、装甲の重量分布と、カーバンクルの腕力が噛み合った結果、軌道は不規則に膨らんだり縮んだりする。理屈で読める代物ではなかった。
「ふざけているのか、それは」
「そうでもない」
回転が一段速くなった。
「ちゃんと痛いよ」
「チッ……!」
ペルソナは後ろへ跳んだ。跳んだ先へ、膨らんだ軌道が追ってきた。
回避のために上げた左腕を、針が掠めた。
「ぐ、あッ――!」
肘から手首までの外側が、一瞬で赤黒く裂けた。血が壁のガラスに扇形の模様を描く。
ペルソナは着地と同時に片膝をつき、裂けた腕を胸に抱え込んだ。
呼吸が乱れている。彼女がこの三週間で、初めて見せた乱れだった。
それは今の一撃によるものではない。
ここまでの連戦は、スタミナに優れたわけではないペルソナの肉体に、確かにダメージを刻んでいたのだ。
「……あの女は、盾にする方が正しいと思っていたが」
「振った方が強いよ」
カーバンクルは回転を止めず、体ごと前へ出た。
「た、たすけ、目が、視界が回っ、ひぃっ!」
「もうちょっと我慢して」
「ありがとうございますっ、ああああ!」
「面倒だな」
ペルソナは横へ跳び、壁面のエレベーターホールへ転がり込んだ。
停止したエレベーターの扉に指をかけ、裂けた腕で無理やりこじ開ける。
防火ロックの金具が悲鳴を上げ、隙間が三十センチ開いた。
彼女はその隙間へ、身体をねじ込む。
「ここは一つ、逃げるとしよう」
『追え! ――って、いや、無駄だ』
ショウの声は一瞬焦りに震え、そして平静を取り戻した。
『あのエレベーターは四十階で停めてある。俺のロックで、中に入っても動かねえぞ。何する気――』
エレベーターの内部で、ペルソナは籠の中央に立った。
裂けた左腕を垂らしたまま、右足を高く上げる。
そして、床の一点へ真下に踏み下ろした。
「!?」
ドオン、と常識外れの轟音が響く。震脚だった。
金属の箱に、共振する周波数の縦波を叩き込む中国の武術。
籠の底板が撓み、ワイヤーの張力が一瞬だけ抜けた。抜けた瞬間に次の一撃が入る。
三度目で、非常止めの爪が弾け飛んだ。
「では、失礼!」
『落ちたぞ!?』
ショウが叫んだ。
『四十階から落下、加速中! 三十、二十五、二十――くそ、どこで止まる気だ、階数拾え、階数――』
カーバンクルはニードルを床に降ろした。
女はそのまま四つん這いで嘔吐しかけ、辛うじて堪えた。
「……申し訳、ございません、少々、平衡感覚が」
「よくやったね」
「はっ、はい……はい!」
『B6! 地下六階で止まった!
衝撃吸収層に引っかかりやがった!』
ショウの声が跳ねる。
『東側の第三エレベーターが生きてる。今から権限戻す。乗れ!』
■
下降に五十一秒かかった。
扉が開いた瞬間、空気が変わった。
地下六階は、巨大な冷却庫だった。天井から床まで、白い円筒が整然と並んでいる。
第二演算施設。市内で三本の指に入る量子演算機の本体は、絶対零度に近い液体ヘリウムの海の中にあった。
床には赤い足跡が続いていた。それを辿ると、彼女はすでにいた。
「一足遅かったな」
施設中央の管制卓の前に、ペルソナが立っていた。
裂けた左腕から滴る血が、白い床に落ちている。
彼女は右手だけでコンソールを操作していた。振り返りもしない。
頭上の大型パネルに、都市の断面図が浮かび上がった。
『あ、待て、待て待て待て!』
ショウの声が裏返った。
『そこ、演算機の外部接続だ! あいつ、ここの演算機を使って別のシステム叩いてる!』
「つまり、どこ?」
『セレスト層――第一発電区! 旧NORAD系の原子炉、四基だ! 冷却系の制御権に演算資源を全部ぶち込んでやがる!』
パネルの中で、四つの円形の指標が青から黄へ変わり始めた。
ペルソナが、ようやく振り返った。
血の気の失せた顔で、しかし満足そうに笑っている。
「フェブラリーが言っていたぞ。手に取れる手段を使わないのは不合理だと」
彼女はコンソールを軽く叩いた。
「もっともな話だ。だから使わせてもらった。EDENの署名などなくとも、圧倒的な演算力で強引に鍵を壊せば、冷却ポンプの制御は奪える」
「……やめて」
「頭の上の楽園から順に沸かせてやる。あいつらの完璧な青空が、内側から蒸されるところを見たいと思わないか」
黄色の指標が、じりじりと橙に近づいていく。
「ショウ、止めて」
『やってる! やってるがあっちとこっちじゃ通信ラグがある、正面からじゃ押し負ける!』
キーを叩く音が、回線の向こうで嵐のようになった。
『冷却ポンプの温度上限まで、四十七分! それ超えたら炉心が自動でメルトダウンする! ……四十七分だ、カーバンクル! それまでにそいつを卓から引き剥がして、冷却コードを叩け!』
白い円筒の森の中で、ペルソナが両手を広げた。
「四十七分か。ちょうどいい」
彼女の暗い赤の瞳が、光量を上げた。
「私の残り時間よりは、ずっと短い」
時間制限バトルっていいよね




