【404】怪物討伐
『――押さえた!』
ショウの声が回線に乗った瞬間、ヘリオス・エナジー社本社ビルの外壁照明が上から順に落ちていった。
『B6の隔壁、全閉鎖。エレベーター停止。非常階段の防火扉もロックした。地下のシャッターはモーターに過電流通して焼き付けたから、もう物理的に開かねえ』
「あら……完璧な封鎖ですね」
『ペルソナは今、二十三階と六十階の間のどこかにいる。上にも下にも逃げられねえ。あとはあんたらがその袋の中に入って、叩き潰すだけだ』
タクシーの後部座席で、カーバンクルはパーカーのフードを握った。
隣ではニードルが眼鏡を外し、ケースに丁寧に収めている。
ニードルはジャケットを脱ぎ、シートの上でシワにならないよう畳んだ。
ブラウスの下から、黒い装甲繊維の質感が覗く。
「素晴らしい段取りでございます。ショウ様、一つよろしいですか」
『なんだ?』
「彼女の現在位置を、常時共有していただけますか。私が初撃で仕留めますので」
『当然だ。ビル内には相当のカメラが――』
ショウの言葉が、そこで途切れた。
『……おい』
数秒の沈黙。回線の向こうで、キーを叩く音が異常な速さになる。
『消えたぞ、ペルソナが……!』
「どういうこと?」
『四十一階の廊下カメラで映像から抜けて、以降どこにも出てこねえ。三十秒経っても……五十秒経ってもだ』
ニードルが顔を上げた。
「空調用の配管シャフト……ですわね」
『大した勘だな。そう、あのビルには旧式のシャフトが縦に十二本通ってる。カメラの完全な死角だ。……クソ、フロアマップだと分岐が三百以上あるぞ』
カーバンクルは窓の外を見た。
灯りの落ちた白いビルが、雲の下でただの四角い影になっている。
「ショウ。目は諦めて」
『はあ? じゃあどうやってヤツを探すんだよ?』
「私たちが中に入れば、あっちも動く。動けば空気も揺れる」
彼女は移動していく街の景色を窓から眺める。
「耳をちょうだい。空調の気圧変化と、隔壁の振動。それだけで追って」
■
四十階、役員向けの応接フロア。
分厚い絨毯が足音を吸い、非常灯だけが赤く点いている。
壁一面のガラスの向こうでは、天候シミュレーションの雲が流れ続けていた。
先のペルソナの襲撃により、社員も警備員も全員避難が完了している。
今回はエデンAIメイの協力もあり、このビルは完全なる決戦の場と化していた。
カーバンクルは中央を歩き、ニードルはその四メートル後方を斜めに追った。
『三十九階、気圧正常。四十一、正常。……四十二階、気圧が0.3パーセント落ちた』
「つまり、近くにいる?」
『ああ。だが、天井のどのダクト口から来るかまではわからねえ』
ニードルの装甲が、微かな金属音を立てた。
全身に仕込まれた四百二十六本の針が、皮膜の下で一斉に半分だけ起き上がる。
「カーバンクル様。前に出てもよろしいですか」
「まだ待って」
「かしこまりました――」
――天井の格子が、三枚同時に鳴った。
「ッ!」
音は前方から来た。
ニードルの視線がそちらへ向いた、その半拍前に――背後の一枚が、内側から蹴り抜かれた。
「ニードル!」
黒い影が音もなく落ちてくる。
落下しながら、既に鋭い肘が畳まれていた。
狙いはニードルの後頭部と首の継ぎ目。装甲の展開が最も遅れる急所。
「な――」
ニードルは反応していたが、間に合う軌道ではなかった。
その間に、白いパーカーが割り込んだ。
「っ……!」
カーバンクルはまともに受け止めなかった。
落下する肘の外側に掌を添え、下向きの威力をそのまま横へ流す。
ペルソナの身体が絨毯の上を滑り、二人の間を通り抜けて着地した。
だが衝撃を受け流しただけのカーバンクル腕が、痺れて震えていた。
「…………」
「ほう」
ペルソナは片膝をついた姿勢のまま、顔を上げた。
暗い赤の瞳が、赤い非常灯の下で鈍く光る。
「お前とは最後に戦うものかと思っていたが……存外拙速だな」
彼女はゆっくりと立ち上がり、首を鳴らした。
「三日と経っていないだろう。お前の肋骨も肩も、まだ治っていまい」
「治ってないよ」
「正直だな。嫌いではない」
ペルソナはふと視線をずらし、カーバンクルの背後に立つ女を見た。
「……お前は、なぜそちらに付いている。そんなエセ人道主義者より、破壊と殺戮をもたらす私のほうがお前の飼い主には相応しいと思うがな」
ニードルは装甲の針を半分寝かせたまま、優雅に一礼した。
「ごきげんよう。しかし残念ながら、あなた様には魅力を感じません」
「何?」
「確かに、あなた様の暴力は圧倒的です。一見すると、私のような人間にとって究極の『ご主人様』に相応しいように見えます。……ですが、少々『雑』なのです」
ペルソナの目が、微かに細められた。
「あなた様の殺戮は、ただ目の前の障害物を機械的に壊しているだけ。そこに執着も、制裁の美学もありません。言わばただの作業です。私にとっては退屈極まりない」
ニードルはうっとりとした吐息を漏らし、カーバンクルの方を見た。
「それに比べ、カーバンクル様はどうでしょう! 一人ひとりの罪を冷徹に量り、確かな意志をもって制裁を下す。
そして何より、私に向けられる、心底汚いものを見るような氷点下の眼差し……! ああ、あれこそが私を震わせる真の暴力でございます」
ペルソナは、ほんの少しだけ顔をしかめた。
「……本物の狂人か。理解に苦しむ」
『ほら見ろ! あいつですら引いてんじゃねえか! やっぱコイツ頭おかしいぞ!』
ペルソナとショウの意見が奇跡的に一致する。
カーバンクルだけは表情を変えず、痺れの残る腕をだらりと下げたまま言った。
「ニードル」
「はいっ」
「前は任せる」
ニードルの背筋が、歓喜の電流でも通ったように伸びた。
「――お任せくださいませッ!」
装甲の皮膜が弾け、全身の針が起立する。
黒い外骨格が瞬時に展開し、女の輪郭が凶悪な針山に変わった。
彼女は四つ足のような低い獣の姿勢から、絨毯を破って加速する。
ペルソナはそれを鼻で嗤った。
「針か。前より数が増えたな」
初撃は肩口だった。
ニードルの戦法は打撃ではない。ただ「触れる」だけでいい。
掠っただけで数十本の針が皮膚を破り、内側に致死量の毒を流し込む。
だがペルソナは針と針の間の、わずか数ミリの隙間。
そこへ正確に指先を滑り込ませ、ニードルの肩の筋肉を直接『押した』。
「あ――!?」
軌道がずれる。
突進の力が逸らされ、ニードルの身体が壁際へ流れた。
「クッ……!」
「この戦いは二度目だぞ」
「存じておりますとも!」
ニードルは壁を蹴り、天井近くまで跳ねた。
上から降る。逆さのまま両腕を広げ、自分の全身を「刺の面」として落とす。
回避すれば背後を取られ、受ければ全身を貫かれる不可避の攻撃。
対するペルソナは、真下から拳を突き上げた。
(な……!? そんなことをすれば、ただ貫かれるだけ――)
(とでも思っているのだろう? そう単純ではないのだ。武の世界は!)
面積の広い攻撃に対し、最も装甲が薄い「中心」――ニードルの胸骨の一点を真っ直ぐに打ち抜くペルソナ。
本来ならば拳を貫かれるはず。だが彼女の拳は傷一つ負わず、逆に装甲の内側で衝撃が反響し、ニードルの呼吸が完全に止まった。
「がっ……!?」
「フッ、ハハハハ!」
落ちてきたニードルの襟首を掴み、ペルソナは容赦なく絨毯へ叩きつけた。そのまま馬乗りになる。
「な、ぜ……針が、刺さらないの……」
「硬気功、というやつだ。呼吸の操作により、一時的に皮膚の硬度を鋼鉄のように高める。
それでも拳を振り抜けば針に貫かれかねない……そのため私は、『衝撃だけを伝えて手を戻した』。ボクシングのジャブの究極系だ」
「そん……な、馬鹿な……」
ペルソナは馬乗りのまま、ニードルの装甲の首元にある通信ポートの防護カバーをこじ開ける。
「知っているぞ。この手の全身装甲は、必ず内側に管理回線を持っている」
指がポートに触れた。
「中から神経を直接焼いてやる。せいぜい悶え狂うがいい!」
侵入コードが走った。
——直後、激しく弾かれた。
「ぬっ!?」
ペルソナの指先が火傷したように跳ねる。
ポートの周囲で青い光が三度明滅し、そのまま沈黙した。
「なんだと……私のハックを弾いた……!?」
キーン、という音の後、施設内の放送設備からショウの声が楽しげに流れる。
『残念だったな。その変態装甲のセキュリティは、行きのタクシーの中で俺が強化しておいた』
彼はニードルにドン引きしながらも、わずか十数分の移動時間で彼女の装甲のファイアウォールを丸ごと張り替えていた。
『お前が今触ったのは、俺の家のドアだ。いくらお前がカーバンクルと同じ性能でも――ハッキングだけなら、そうそう負けるつもりはないぜ』
ペルソナのバトルは人外に両足突っ込んでいます




