【404】副産物
ロビーを抜けた先は、専用エレベーターホールへ続く長い回廊だった。
床は磨かれた黒曜石調の合成石。
両側の壁には歴代の炉心プラントのホログラムが並び、都市の何割を賄っているかという数字が誇らしげに流れている。
ペルソナが一歩進むごとに、血に濡れたブーツが黒い床へ赤い足跡を焼き付けていった。
途中で三度、警備の増援と行き会ったがいずれも十秒と保たなかった。
壁に叩き付け、肘の可動域の外へ関節を送り、落ちた武器は使わずに置いていく。
「やれやれ。こんなものか? エデンAIを擁し、ファイブクラウンなどと浮かれておいてこの程度の警備か」
そうして回廊の突き当たり。
エレベーターホールの手前に、男が一人立っていた。
「……ほう」
灰色の立襟の長衣。両手は袖の中で組まれ、背筋は定規を当てたように真っ直ぐだった。
年の頃は五十前後、髪は短く刈られ、こめかみに白いものが混じっている。
周囲に警備の姿はない。血の匂いが充満した回廊で、その男だけが呼吸を乱していなかった。
「そこまでだ」
ペルソナは足を止めた。
男は袖から手を出し、ゆっくりと構えを取る。
半身、右手は喉の高さ、左手は肘の内側。踵は浮いていない。
「構えたな。中華系か」
「私はノーベンバー。この建物の中で、お前を止める役目を負っている」
「ほう、十一月か! お仲間を守りにわざわざ出てくるとはな」
「勘違いするな。フェブラリーを守りに来たのではない」
ノーベンバーの視線が、ペルソナの背後の血溜まりを一瞥した。感情は動かなかった。
「地下六階の演算施設。お前が欲しているのはそれだろう。あそこへ通すわけにはいかん。それだけの話だ」
「なるほど。人間の方はどうでもいいのか?」
「あれは資産だ。減れば補充する。だが演算資源は補充が利かん」
ペルソナの口角が上がった。
「気に入った。ではまず、お前という資源を一つ減らしてやる」
言い終わる前に、彼女は動いていた。
三メートルを二歩で潰し、右の掌底を顎へ。
角度も速度も申し分ない。並の人間なら、視認すらできない打撃だった。
ノーベンバーは打点に対して四十五度、身体の軸だけを傾けた。
「!」
ペルソナの腕が滑る。滑った先で彼の左手が肘の外側に触れ、伸びきった腕をそのまま前へ導いた。
自分の踏み込みの勢いが、そっくりそのまま自分を引き倒す力に変わる。
「――ッ」
床に叩きつけられる寸前、ペルソナは肩を丸めて回転を吸収した。
立ち上がりざまに低い蹴りを送る。
彼はそれを膝の側面で殺し、返す肘を彼女の鎖骨へ落とした。
「ぬっ……!」
防いだ腕ごと押し込まれ、床を滑る。ペルソナの踵が黒曜石の床を二メートル削る。
「化勁という」
ノーベンバーは構えを崩していなかった。
「力を消し、方向を変え、相手の力で相手を打つ。数千年前から変わらん技術だ」
「……くだらん講釈を垂れる男だな。その程度のこと、私が知らないとでも?」
「だがこれは知るまい」
彼は自分の首の後ろを、指で軽く叩いた。
「脊髄反射弓の増設。私の身体は、脳を経由せずに反応する。お前がどれだけ速く動こうと、私は『見てから』間に合う」
ペルソナは口の中に溜まった血を吐き捨てた。
「……なるほど。反射神経強化と、見てからのカウンターか」
「そうだ。読み合いも騙し合いも必要もない。見たものに、見たなりの返しをするだけだ」
「できるかな――!」
ペルソナの二度目の突進は、一度目より速かった。
三連の刺突。喉、肝臓、こめかみ。
一つ目は掌で払われ、二つ目は肘を落として潰され、三つ目は迎えに来た指が手首を捉えた。
捻られ、天井と床が入れ替わる。
今度は受け身を取る余裕もなく、背中から落ちた。
「ぐ……ッ!」
「四百二十七件。お前がこの三週間で消した命の数だ。数字としては優秀だな」
ノーベンバーは倒れたペルソナを見下ろした。
「だが、暴力に酔った獣が技術に勝った例を、私は知らん。人格の複製に過ぎん出来損ないなら、なおさらだ」
■
ホテルの一室で、ダリオが息を呑んだ。
「お……押されてるぞ。まさかやれるのか?」
ショウの声が返る。
ディスプレイの隅に、社内人事データが高速で流れていた。
『照合完了。ヘリオス・エナジー社顧問、名義はチェン・リーウェイ。ただしこの経歴、三十年分まるごと合成だ。実在しねえ』
「なんだそりゃ!? じゃあ、中身は」
「……エデンのAI。その疑似人格だね」
カーバンクルは画面を見つめたまま、無表情だった。
「たしかに、反射は速い方が強いよ。普通はね」
「普通は?」
「……けど、対処法はわかった。ってことは、ペルソナもわかってる。……こいつじゃ勝てないよ」
■
三度目の交錯で、ペルソナは前蹴りを放ち、それを膝で殺され、返しの掌打を胸で受けた。
「がっ……!」
肋骨が軋む音がした。
彼女は数歩よろめき、壁に手をついて姿勢を立て直す。
そして、血を吐き捨てて笑った。
「なるほどな。理解した」
ノーベンバーの眉が、わずかに動いた。
「……何をだ」
「お前、反射を選べないんだろう」
ペルソナは背筋を伸ばし、構えを取り直した。
今度は先ほどまでと違う。重心が微妙に高く、指先が意味もなく開いている。
「脳を通さないということは、判断を挟まないということだ。つまり、来た情報に対して必ず返す。返さないという選択が存在しない」
「……それがどうした」
「ククッ……すぐに教えてやる」
彼女は右肩を、二センチだけ前に出した。
「フッ……! だから無駄だと――」
ノーベンバーの左手は、その情報を受け取って迎撃の軌道に上がった。
――だが、ペルソナは肩を引っ込め、そのまま懐まで潜り込む。
「あ……っ!?」
上がった左手の下、がら空きになった脇腹へ、ペルソナの膝が入る。
「ぐっ……!」
「一つ」
ノーベンバーは後退し、防御を固め直した。
構えは崩れていない。だが呼吸の周期が乱れた。
ペルソナはその乱れを、耳ではなく肩の上下で読んでいた。
今度は視線だけを彼の足元へ落とす。同時に左足の指先で床を一度だけ叩く。
「! そうは――」
ノーベンバーの重心が反射的に後ろへ乗った。存在しない下段への対応だった。
後ろへ乗った瞬間、ペルソナは正面から入った。
「二つ」
「ぐぎっ……!?」
肘が顎の下を掠める。ノーベンバーは首を捻って躱したが、その回避動作すら次の餌になった。
捻った首が戻る軌道の途中で、ペルソナは指を彼の視界の端で走らせる。
眼球が追う。追った先に何もないと気づく前に、彼女は反対側から入っていた。
「ま、待て――」
「待つ理由がない」
フェイントが、途切れずに連なり始めた。
右肘の微動。左踵の浮き。喉の筋の一瞬の張り。呼気の途中で止められた息。
常人であれば知覚すらできない、フェイントとも呼べないような細かな初動。
ノーベンバーの身体はその全てに律儀に応答してしまう。
上げる、下げる、捌く、回す。
彼の技術は完璧だった。完璧に、何もない場所をガードし続けてしまう。
「な……なぜだ、なぜ防げない……!?」
「わからないか? 貴様が底なしの馬鹿だからだ」
ノーベンバーの一つ目の破綻は、右肩だった。
存在しない突きを化勁で流そうとして、受ける対象がないまま身体が回りきった。
伸びた腕の付け根に、ペルソナは掌を添える。
彼自身の回転の速度が、肩関節を可動域の外へ運んでいく。
湿った音とともに、右腕が折れた。
「あ、あああっ!」
「もう一本」
同じことが左腕でも起きた。
ノーベンバーの両腕が破壊される。
三つ目は膝だった。
誘われた踏み込みで支点を失った足が、ペルソナの蹴りで破壊される。
「うぐうぅっ……!」
ノーベンバーは膝から崩れ落ちた。
両腕は肩から外れ、袖の中で不自然に長く垂れている。
もはや息は完全に乱れていた。
定規のようだった背筋が、今は前へ折れ曲がって床を眺めている。
ペルソナはその前にしゃがみ込み、彼の顎を持ち上げた。
「さっき何か偉そうに言っていたな技術に勝った獣を知らない、だったか」
「……ま、待て……」
「無様に狩られた獣は貴様の方だったな」
彼女は男の首の後ろへ手を回した。指先が、皮膚の下の硬い異物を探り当てる。
「や、やめ――」
「中華の技術に、余計なものを足した報いだ。読み合いも思考も放棄した機械風情が、私に敵うものか」
ゴリリ、と重い音とともに機械がえぐり出された。
「あ――」
ノーベンバーの身体から力が抜け、床の血溜まりに顔から沈む。
灰色の長衣が、じわじわと赤を吸い上げていった。
ペルソナは立ち上がり、肋骨の位置を確かめるように脇腹を撫でた。
「実にいい。これで一気に二体片付くわけだ」
エレベーターの扉が、招くように静かに開いた。
一話退場ッ!




