【404】二月の攻略
「……フン」
映像の中で、黒髪の少女は地下搬入口に背を向けた。
シャッターの継ぎ目、警備の薄い死角、監視カメラの死角に落ちる三十センチの帯。
侵入者にとって都合のいい条件が揃った場所を、彼女は一瞥しただけで捨てた。
そのまま壁沿いに歩き、建物を半周していく。
「……おい。あいつ、どこ行くんだ」
「正面。みたいだね」
「はあ? 馬鹿かあいつ」
カーバンクルは画面から目を離さない。ダリオが煙草を口から外した。
「……そっちの方が楽しいから、だな」
■
ヘリオス・エナジー社本社ビルのロビー。
天井高二十メートルの吹き抜けになっている。
中央には核融合炉心を模した巨大なオブジェが吊られている。
同心円状の金属環がゆっくりと回転し、その中心で白い光球が脈打っていた。
人工太陽の光がガラス天井から差し込み、磨き上げられた白大理石の床に幾何学の影を落とす。
壁面には社是が刻まれていた。【光は等しく降りそそぐ】。
正午前の人流は多い。社員たちが端末を見ながら行き交い、来客用ソファでは商談の続きが交わされている。
その調和の中に、黒い染みが一つ入ってきた。
「ほう。ずいぶん平和だな」
回転扉を抜けてきたのは、小柄な少女だった。
黒髪、赤いジャケット、袖には乾いた血の跡が幾筋も残っている。
歩幅は狭いのに歩みは速く、ブーツの音が硬く響いた。
認証ゲートが赤く点滅する。タグ未検出。
だが少女は減速せずにゲートの脇へ滑り込み、支柱と支柱の隙間を身体を斜めにして通り抜けた。
センサーが遅れて警告音を鳴らす。警備ドローンが二機、天井から降下して旋回を始めた。
そのままドローンを引き連れて受付カウンターの前まで来ると、彼女は肘をついて身を乗り出した。
制服の女が硬直したまま彼女を見上げる。
「取り次いでもらおうか」
「……いらっしゃいませ、お客様」
「この会社の会長、フェブラリーを始末しに来た。上に伝えろ」
回転していた金属環が止まった。
人工太陽の光量が絞られ、ロビーの色温度が一段下がる。
「……ん?」
受付の女は、訓練された通りの角度で微笑んだ。
「――お待ちしておりました」
床のパネルが四方から音もなく開いた。
昇降機構に載せられて、装甲が競り上がってくる。
灰色の外骨格、面のない兜、中身はメリディアン・ディフェンス社製の戦闘用クローン。
二十四体。加えて上部回廊にも人影が並び、銃口が手すりの隙間から一斉に下を向いた。
ロビーにはまだ数十人の社員が残っている。
誰一人、退避の指示を受けていない。
「な、なんだこれ……」
「ちょっと、押さないで!」
「出口は? 出口どこ!」
回転扉の前で人が団子になった。
ドローンが自動で扉をロックし、外の光が遠ざかる。
「対象確認。制圧射撃、開始!」
「……ククッ!」
隊長の声が響いた瞬間、ペルソナは笑った。
弾幕が来る前に、彼女は最も近くにいた男の襟首を掴んでいた。
営業用のスーツを着た中年の男が、悲鳴を上げる間もなく引き寄せられる。
「えっ――!?」
数十丁の銃口が同時に火を噴いた。
「やめ――」
肉が弾ける音は、銃声にほとんど掻き消された。
男の身体は数秒で原形を失い、ペルソナはその背後で身を低くしたまま前へ進んだ。
白大理石に赤黒い軌跡が引かれていく。
射線上にいた社員たちが、避ける動作すら間に合わずに倒れた。
逃げ惑う背中に、味方の弾が容赦なく吸い込まれる。
「ヒイイイィ! う、撃つな! 社員がいる! いるんだって!」
「構うな、射撃継続!」
上と下から悲鳴が重なった。
「いやああああ!」
「助け……助けて、誰か!」
ペルソナは残骸を放り捨てた。
「ハハハッ! 見ろ、家畜が家畜を撃っている!」
血で濡れた床を蹴り、三メートルを一歩で詰める。
最前列のクローンが銃口を下げるより速く、彼女は懐に入っていた。
銃身を横から押さえ、手首の関節を極める。
装甲の内側でクローン自身の腱が悲鳴を上げ、指がトリガーを引いたまま固まった。
「なっ……!」
ペルソナは、その腕ごと銃口の向きを変えた。
弾の帯が隣の三体を薙ぐ。
関節部の可動域を狙って弾が食い込み、装甲が内側から破裂した。
「ぐおおおぉっ……!」
倒れた個体の腰から短刀を抜き取り、彼女は自分が押さえていたクローンの兜と首当ての境目に刃を滑り込ませる。血が噴いた。
「ガボッ……!?」
「憐れだな。実にスカスカの鎧だ」
崩れ落ちる身体を踏み台にして、彼女は跳んだ。
「第二班、間合いを取れ! 接近を許すな!」
隊長の指示が飛ぶ。クローンたちが後退し、扇形に展開した。
訓練通りの動きだった。相手が普通の侵入者であれば、それで詰んでいた。
そう。普通の侵入者であれば。
だがペルソナは扇の外側へ回り込まず、中心へ突っ込んだ。
「素人め。射線が絡んでいるぞ!」
扇状の展開を行うことの利点は、言わずもがな相手の逃げ道を潰せるところにある。
だが同時に、相手が扇の内部に入ってしまえば、外周側の兵士は互いに射線が噛み合ってしまい撃てなくなるのだ。
そうなれば、対処すべきは中央の兵だけとなる。
ペルソナは一体の膝を蹴り抜き、崩れた個体の背に足をかけて跳ぶ。
空中で身を捻り、二体目の兜の隙間に短刀を突き立てた。
「があぁっ……!」
落下の勢いだけで刃が根本まで入る。
三体目が銃を向けた瞬間には、彼女はもう四体目の背後にいた。
「隊長、対象が――速い、追いつけません!」
「回廊、撃て! 上から抜け!」
上部回廊の射手たちが身を乗り出した。
ペルソナは倒れたクローンの死体を片手で引き起こし、装甲板を頭上に掲げた。
跳弾が大理石を削り、砕けた破片が逃げ惑う社員の脚を裂く。
転倒した若い女が床の血に手をつき、そのまま滑って動けなくなった。
「ああぁぁぁっ……!!」
「立て。そこにいると死ぬぞ?」
女は顔を上げた。ペルソナは既に彼女を見ていなかった。
「……えっ」
「あぁ、もう遅い」
回廊からの一斉射撃が、その一帯を丸ごと薙いだ。
「ぎゃ……ボッ」
ペルソナは死体の盾を捨て、床を滑るように移動する。
柱の陰、倒れた植栽、ソファの残骸。
遮蔽を繋いで前へ出るたびに、彼女は必ず誰かの死角に入っていた。
追う銃口が空を切り、そのたびに味方が減っていく。
残りは九体。回廊の射手は十一名。
「どうした? 弾幕が薄くなってきたな」
ペルソナが立ち止まった。オブジェの真下、ロビーの中心だった。
「か……囲め! 接近しろ!」
九体が一斉に距離を詰める。彼女は避けなかった。
最初の一体の突きを首の傾きだけでかわし、伸びきった腕を掴んで引き込む。
二体目の突進と正面衝突させ、絡んだ二体の隙間に短刀を三回、正確に落とした。
「隊長、指示を! 指示をください!」
「……ッ、下がれ、下がれ!」
「おや。下がっていいのか?」
いつの間にか、ペルソナは隊長の背後に立っていた。
「!?」
彼女は男の顎に掌を当て、後頭部に反対の手を添えた。
角度と体重の乗せ方だけで、頸椎の一点に全てを集める。男の足が床の血を掻いた。
「ひ、ヒッ……助け……!」
「この場にいる全員、お前が殺した。私じゃない」
バキリ。頚椎がへし折れる音は、乾いていた。
残り四体が陣形を組み直そうとして、そのまま停止する。
指揮系統が切れたのだ。回廊の射手たちが引き金にかけた指を迷わせ、一人が武器を落とした。
「もういい、もう……撃つな! 降参だ、降参します!」
「フ……つまらんな」
ペルソナは短刀を投げ捨て、首を左右に倒して鳴らした。
返り血が顎の線を伝い、鎖骨の窪みに溜まっている。
暗い赤の瞳が、絞られた人工太陽の光の下で鈍く発光していた。
彼女は倒れた社員の一人を爪先で転がし、まだ動いているのを見ると、興味をなくしたように視線を上げる。
「フェブラリーに伝えろ。玩具を出す順番が下手すぎる」
吹き抜けの中央で、止まっていた金属環がゆっくりと回り始めた。
光球の白い光が、床一面に張った血の膜に反射する。
ロビー全体が赤く染まり、天井まで届く赤い光の中で、少女だけが影のように立っていた。
戦力の逐次投入はやめろって!




