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【断罪】沈黙の強制

「……痛ッ……! くそっ……」


 カーバンクルがショウに体を返した瞬間、痛みが一斉に戻ってきた。


 ショウは膝をつきかけ、それでも踏みとどまった。

 左腕はもう肩から下がったままで、右の指先が細かく痙攣している。


 彼は一度だけ深く息を吸い、それから床を這う男を見下ろした。


「……ありがとよ、カーバンクル」

『どういたしまして。座った方がいいと思う』

「後でな」


 彼は歩いた。ゆっくりと、痛みを隠さずに。

 父親の目の前に立ち、汚れた靴の爪先を男の顔の前へ静かに置いた。


「――舐めろ」


 父親の動きが止まった。


「……なん……だと?」

「聞こえなかったか? 靴を舐めろって言ったんだよ、カス野郎!」


 ショウの声は怒鳴りはしなかった。

 ただ冷たく、楽しげに唇を歪める。


「俺があんたを評価してやる。テストの項目は一つだ」


 彼は自分の胸を、生きている方の指で叩いた。


「――あんたのクソッタレなプライドと、そのちっぽけな命。どっちが重いかだ。意味はわかるよな?」

「……ッ。やらないと、殺す……という、ことか……」


 父親は動かなかった。両足の感覚は膝から下だけ消えている。

 腕は動く。逃げられない。呼べる相手はもういない。


(ふざけるな……ふざけるなよ……! こんな出来損ないにこの私が!?)


 彼は五十六年間積み上げてきたエリートとしての人生を、一秒ずつ切り崩していった。


(だ、が……命……命には……替えられない……クソッ……!)


 やがて彼は震える肘で上体を支え、首を伸ばした。

 乾いた唇が、汚れた革に触れた。


「おいおい、キスしろとは言ってねぇよ。さっさと舐めやがれ」

「く、グウゥッ……! ぬううぅ……!」

「ハイ、もういいぜ。よくできましたって頭撫でてやろうか?」


 ショウは嘲笑し、足を引いた。


「靴を舐められるのは初めてだが、これアレだな。感触が気持ち悪い。もうやるなよハゲ」

「貴っ……様ぁ……!」


 彼は父親をそこに残し、廊下の突き当たりへ歩いた。


 第三演算施設の扉は、掌紋と虹彩の二重認証だった。

 だがショウは倒れた警備主任の方を振り返りもせず、義手のプローブを認証端末の保守ポートに差し込んだ。


「カーバンクル、三つ目のドッグ経由で認証ログの巻き戻しを頼む」

『オッケー。あと九秒』

「早えな」

『ログの構造が古い。ここだけ十五年前の設計のままみたい』


 電子音がして扉が開く。中は寒かった。


 天井まで届く演算ラックが十六列。

 青い状態表示灯が、暗い室内で規則的に明滅している。

 床下から吹き上がる冷却風が、ショウのコートの裾を持ち上げた。


 彼は床に膝をつき、施設中央の保守コンソールに義手を接続した。

 父親からは彼の背中が絶えず見えている。ショウは意図してその位置を選んでいた。


「――で、混ぜるぞ」


 彼の指が、コンソールの上を走った。


『低優先度キュー、二百七件。全部見えてる』

「その中で、直近九十日、誰も結果を参照してねえやつを出してくれ」

『十四件』

「更に、割り当てメモリが一番でかいやつ」

『三番目かな。名義は環境解析部、材料疲労シミュレーション。三年前から自動で回り続けてる』

「誰も見てねえのに三年か。最高の会社だな」


 ショウは笑い、コードを流し込んだ。


 ジョブの外殻はそのまま。名義も、割り当て枠も、実行スケジュールも変えない。

 中身だけを、ドーム間通信の暗号処理と誤り訂正に置き換える。


「続けて四つ目のドッグを挿す。中継の出口だ」


 彼はラックの裏側、光ケーブルの分岐点に黒い粒を貼り付けた。


『繋がった』


 カーバンクルの声が、ほんのわずかに変わった。


『……帯域、十七倍。遅延、0.7ミリ秒』

「どうだ」

『これならショウも、ドーム間ハッキングができそう』


 ショウは頷くとコンソールを閉じ、立ち上がった。

 彼は父親の方へまた歩いて戻った。


「終わったぜ、親父。あんた好みの完璧な【プロジェクト】が完了した」


 ショウは男の前にしゃがみ込み、ニヤリと笑った。


「あんたが大切にしてる会社のインフラを、この俺が間借りしてやる」

「……!」


 父親は床に転がったまま、息子を睨んだ。


「……報告するぞ」


 声は掠れていたが、意志はまだそこにあった。


「今夜のうちに。私が貴様の行動を黙っていると思うか!」

「思わねえよ。あんたはシステムのエラーを見つけたら、即座に報告して修正する……優秀な管理者だ」


 ショウは大袈裟に頷いてみせた。


「だから、対策はしてある」


 彼は義手の指を一本立てた。


「さっき混ぜたジョブにな、開発者署名を入れといた。誰が書いたコードか、一発でわかるようにな」

「……署名だと」


 男の表情が、わずかに変わった。


「あんたは俺の出生記録を消した。俺を不良品として廃棄したつもりだったんだろうが……この署名を見られたら一発でわかるぜ。(犯人)がお前の息子だってな」


 ショウは指をもう一本立てた。


「それに、あんたが今夜の勤務シフトを手動で追加し、本部に上げずに先行したこと。全部、そのジョブの中に畳んで入れてある」

「っ!?」


 彼は指を下ろした。


「あんたがこの件を誰かに報告した瞬間、監査はあのジョブを開く。そして気づくんだ。一つ。犯人が血縁者であること。そして――」


 ショウは顔を近づけ、囁くように言った。


「優秀なはずの警備主任が、その侵入を検知しておきながら、本部に報告せず独断で揉み消そうとした事実だ」

「な……っ!」


 父親の顔から、さっと血の気が引いていった。


「あんたが正直に『全部息子がやった』と泣きついても、会社はこう判断する。『エリート主任は、犯罪者の息子と協力してた』ってな」

「バカな! そんなことになるわけ――」

「だが実際、あんたは犯罪者の俺を秘密にしようとした。客観的にはどう見えるだろうな?」

「ぐ、ぬうぅ……!」


 ショウは静かに、だが執拗に言葉を突き刺していく。


「妹の話も出るな。完璧なはずの妹のポートフォリオに、『兄はサイバーテロリスト、父は隠蔽犯』って書き込まれる。あんたのキャリアも、人生の設計図も、全部紙くずになる」


 父親は何も言わなかった。

 彼は五十六年かけて、失敗を訂正できるように準備してきた人間だ。


 だから理解が早かった。

 この構造には、訂正の余地が一つも無い。


「……なあに。黙ってりゃ何も起きねえ」


 ショウは立ち上がった。


「ジョブは三年前から回ってることになってる。誰も見ねえ。あんたは明日からも『優秀な主任』のままで、妹の経歴もピカピカだ。……全部、あんたが望んだ通り、完璧な箱庭が続くさ」


 彼はコートの襟を立てた。


「一つだけ、あんたの思い通りにならねえのは」


 振り返らずに、彼は最後に嘲笑を落とした。


「あんたは捨てた息子にボコられ、負けたことを死ぬまで抱え……そして犯罪の片棒を担ぐんだ」

「よ、よくも……貴様、よくもこんなことを……!」

「あばよ、親父。それじゃあ元気でな」


 白いタイルの上に、二本の赤い線が伸びている。

 その線の終点で、男は動かないまま天井の照明を見上げていた。


 ショウは廊下を歩いた。

 左腕は下がったままで、脇腹は焼け、右の指はまだ痙攣していた。


『ショウ』


 耳の奥で声がした。


「なんだ」

『医務室、十四階。今なら誰もいない。経路出すよ』

「……今度は素直に行くわ」

『そうして』


 非常階段の扉が、背後で静かに閉まった。

何はともあれ、中継点をゲットだ!

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