【依頼人】リセット
「それから半年で、俺は本格的にグレた」
セントラル区外縁の遊歩道を、ショウは規則正しい歩調で歩いていた。
等間隔の街路樹が、彼の影を規則正しく分断していく。
「最初は親父に殴られたよ。ハックがバレるたびにな。あの野郎は手加減ってものを知らなかった。技術者の手ってのは硬えんだ、覚えとけ」
「覚えても使い道がない……」
「そりゃそうだ」
ショウは笑った。乾いた、短い笑い方だった。
「殴られるたびに、俺は次の標的のグレードを上げた。配管屋の次は物流会社、その次は区の交通管理サブシステム。十一の時には、中堅の証券会社の内部通信を三日間傍受してた。金は盗ってねえけどな」
街路樹の葉が、人工の微風で規則正しく揺れる。この区では風すら管理されている。
「そしたら、まず親父の会社に苦情が行った。お袋の研究所にも行った。親戚中に噂が回って、二人は謝罪行脚だ。あの頃のあいつらは、俺のことばっかり考えてたよ」
ショウはそこで、少しだけ声を落とした。
「……俺は、それが嬉しかったんだ」
カーバンクルは何も言わなかった。
ホログラムの少女は、彼の半歩後ろを音もなく滑り続けている。
「馬鹿だろ。殴られてんのに嬉しいんだ。だってあの二人が、初めて『成績表』じゃなくて『俺』を見てたからな。怒鳴られても、泣かれても、意識は俺に向いてた。玩具の性能じゃなくて、俺の意思に向いてた」
彼は自分の言葉を確かめるように、少し間を置いた。
「今なら言える。あれは、ただの承認欲求だ。ガキが、親に見てほしくて暴れてただけだよ。技術だけは一流だったから、暴れ方が派手だっただけでな」
「……そんな時期もあったんだね」
遊歩道が緩やかに曲がり、正面に高層区画の輪郭が見えてくる。
ショウは歩きながら、義手の指を一本ずつ開いては閉じた。
「それから十四の春に、お袋が妊娠した」
その言い方には、それまでの話にあった熱が一切なかった。
「第二子だ。当然、着床前診断は通してる。数値は俺より良かったらしい。親父は、『今度は教育設計を最初から見直す』とかほざいてた」
カーバンクルの赤い義眼が、ショウの横顔を捉えた。
「その一週間後に、俺は縁を切られた」
「え……」
「話し合いも、警告も、猶予もねえ。親父が書類を持ってきて、『お前はもう我々の息子ではない』。……それだけだ」
ショウは前を向いたままだった。
「セントラル区の居住権も剥奪だ。荷物をまとめる時間は四時間もらった。親切だよな」
「……」
「でもな、カーバンクル。あいつらにとって、あれは勘当なんかじゃねえ」
彼は足を止めた。
街路樹の影が、ちょうど彼の顔の上半分を隠していた。
「ただ失敗作のセーブデータを消して、新しいゲームを起動しただけだ」
カーバンクルはしばらく黙っていた。
やがて彼女は、抑揚のない声で話す。
「それ、痛かった?」
「……あんたがそういうこと聞くとはな」
ショウは息を吐いた。それは笑いに似ていたが、笑いではなかった。
「痛かったよ。殴られた時よりな」
「……そう」
そこから先を、彼は事務的に話した。
「とはいえ、サウス区に落ちても俺様のハッキング能力は健在さ。飯は企業の口座から少額ずつ抜いて食った。一件で盗む額を小さくすりゃ、監査に引っかからねえんだ」
「たくましいね……」
彼は義手を持ち上げ、街灯の光に晒した。黒いチタン合金が、鈍く光を吸う。
「で、抜いた金でこれを入れた。闇医者に五十万払って、肩から落としたんだぜ」
「インプラントだよね……痛そう」
「十二時間かかった。麻酔の質が最悪でな、途中で三回起きたぜ。あの時は流石に死ぬかと思った」
ショウは義手を下ろした。
「そんで、十六で最初の仕事を受けた。汚職警官の始末とデータ消去のセットで、十万クレジット。人間を殺すのもプログラムを消すのも同じだと思ってた。……当時はな」
彼は横目でホログラムを見た。
「そんで十七の時に、時代遅れの都市伝説に喧嘩を売って、完膚なきまでに叩き潰されたってワケ」
「覚えてる」
「覚えてなくていいんだよ、そこは」
二人はそれきり、少し黙って歩いた。
やがてショウが、ぽつりと言った。
「……この国で……つーか、この時代で。情報でもタグでもない個人と向き合うなんてのは、親子でも難しいことだ」
カーバンクルは何も返さない。
「あんたは俺を殺さなかった。まるで親みたいに、仕事の流儀を見せつけてきた。……俺は生まれて初めて、人として叱られた気分だったよ」
彼は前を向いた。
「だから来た。それだけだ」
■
そして、二人は足を止めた。
目の前にネオ・テック社セントラル区本社ビルが立っている。
高さ三百四十メートル、四十八階建て。
外壁は継ぎ目のない黒鏡面ガラスで、人工の星空を歪めて映していた。
地上部のエントランスは深夜でも煌々と明るい。
二十四時間三交代制。この会社は止まらない。
ショウは道路を挟んだ向かい側、街路樹の影の中に立ち義眼の倍率を上げた。
「見ろよ。相変わらず趣味が悪い」
カーバンクルのホログラムも、同じ方向を見上げていた。
「入口は何個?」
「正面に三、地下に貨物用が二、屋上にヘリポートが一。全部生体認証と虹彩の二重だ。ロビーには常時十二人の警備が立ってて、うち四人は軍上がりだな」
彼は視線を下へ滑らせた。
「で、俺たちが欲しいのは地下三階の第三演算施設だ。あそこは別扱いでな。ビル本体のネットワークから物理的に切り離されてる。エアギャップってやつだ。外からハッキングで侵入する経路が存在しねえ」
「じゃあ……物理的に中に入るしかない」
「そうなる。……そして、ここからが本題だ」
ショウは義手をポケットに突っ込み、ビルを睨んだ。
「あそこのスパコンは、今も動いてる。遊んでるわけじゃねえんだ。つまりスパコンを丸ごと頂くわけじゃなくて、『動いてるやつの一部を、こっそり借り続ける』必要がある」
「止めたらまずい?」
「即バレるさ。三分で保守部隊が地下に降りてくる。仮に俺が全員ぶっ殺して占拠したとしても、その状態は保たねえ。俺たちが必要なのは一晩じゃねえだろ。ドーム間の常時接続だ。数日、下手すりゃ数週間」
カーバンクルの指が、ホログラムの中で動いた。数えるような動きだった。
「なるほど。だから奪うんじゃなくて、混ぜる」
「……ああ、そうだ」
ショウの口の端が上がった。
「俺たちがやるのは強盗じゃねえ。寄生だ」
彼は街路樹に背を預け、地面に指で線を引くように説明を始めた。
「第三演算施設のジョブスケジューラは、優先度付きのキューで動いてる。決済処理が最優先、交通制御が次、その下に社内の研究用ジョブが山ほど積まれてる。
あそこには常時二百件以上の低優先度ジョブが走ってるんだ。研究員が個人で回してる解析とか、誰も結果を見てねえ古い定期処理とかな」
彼は指を一本立てた。
「そこに、俺たちのジョブを一件混ぜる」
「……気づかれない?」
「まともに登録すりゃ気づかれる。だから既にある低優先度ジョブの中身だけを、こっそり差し替える。外から見りゃ『いつもの誰かの研究ジョブが、いつも通り回ってる』だけだ」
ショウは義眼を細めた。
「ただし、これには二つ問題がある」
彼は指を二本に増やした。
「一つ。エアギャップだ。差し替え作業は、物理的にあの部屋の中でやるしかねえ。誰かが手にコネクタ握って、保守ポートに挿す必要がある」
彼はそこで、自分の胸を親指で示した。
「二つ。スパコン使って演算したデータを、ビル外の俺のリグまで常時、誰にも見つからずに流し続ける中継が要る」
カーバンクルは黒鏡面のビルを見上げたまま、短く言った。
「一人でやるなら、なかなか詰んでるね」
「そうだ。だから二人でやる」
ショウは初めて、ホログラムの少女を正面から見た。
「俺が中に入って挿す。あんたは今、こっちの街に体がねえからな」
「じゃあ私は」
「あんたは俺の目と、外の中継を全部やってもらう」
彼は義眼のポートを軽く叩いた。
「あんたはデータだ。俺の義眼と義手を経由すりゃ、あんたはこの街のネットワークの上をどこにでも走れる。ビルの監視系、警備の通信、階層ごとの認証ログ――全部、あんたが先回りして書き換える」
「……いつもやってたのと逆だね」
「そういうこった。今回は俺がスパイ。あんたが『椅子の男』だ」
カーバンクルはしばらく黙っていた。
やがて彼女は、粗い光の粒子の中でゆっくりと頷く。
「わかった。でも、一つ確認」
「なんだ?」
「あなたが中に入るってことは」
彼女の赤い瞳が、黒い鏡面のビルを映した。
「何年かぶりに、あの人たちと会う可能性がある?」
「…………」
ショウは答えなかった。
彼はコートの襟を立て、義手をポケットから引き抜き、指を一度だけ鳴らした。
「――行くぞ。夜勤の交代は二時だ」
依頼人タグってことはつまり、断罪もあるということです




