【依頼人】完璧な息子
ウエスト区三番街から、セントラル区の外縁までは徒歩で四十分。
ショウはあえてリニアを使わなかった。改札は生体認証で、記録が残る。
彼のような人間が22時過ぎにセントラル区へ向かった記録は、それ自体が妙な勘ぐりを引き起こしかねない。
結露した配管の下を抜け、廃棄された工業用エレベーターのシャフトを登り、彼は地上に出た。
ウエスト区の夜は常に虹色に輝いている。毒々しいネオンが空中を飛び回り、街角のホロ看板は三年前から同じ広告を流していて、映像の左下だけがノイズで欠けたままだった。
ショウの右目の視界の隅で、粗い光の粒子が並走している。
「…………」
カーバンクルのホログラムは、投影される足場を持たない。
そのため実際には地面から数センチ浮いたまま、滑るように移動していた。
歩幅も足音もない。
ただ、彼女は歩く仕草だけを再現していた。誰に見せるでもなく。
「それ、意味あんのか?」
「なんていうか……人間性のリハビリ、ってやつかな」
「なんだそりゃ……?」
ショウは鼻を鳴らして、コートの襟を立てた。
境界ゲートを避けて、旧貨物用の連絡通路に入る。
壁のコンクリートには古い落書きが層になって重なり、一番下の層には誰も読めない言語が刻まれている。
通路を抜けると、空気が変わった。
湿気が消え、匂いが消え、温度が一定になる。
セントラル区の外縁だ。舗装の継ぎ目にすら塵がない。
頭上では、GAIAが管理していた人工の星が、本物より規則正しく瞬いていた。
ショウはその空を見上げ、しばらく黙って歩いた。
「なあ」
やがて彼は言った。声の調子が、いつもより低い。
「あんた、俺の親のこと聞いたことあったか」
「多分……ない」
「だろうな。言ってねえからな」
彼は義手をコートのポケットに突っ込んだ。
合金の指が、内側の裏地を軽く引っ掻く音がする。
「うちの親父はネオ・テック社の中堅技術者で、お袋はアルカディア・メディカルの研究員だ。どっちもセントラル区生まれのセントラル区育ち。エリート中のエリートってやつだよ」
「……そうなんだ」
ショウは前だけを見て歩いていた。
ホログラムの少女は、彼の半歩後ろを音もなく滑っている。
「あの二人は、俺を作る前に徹底的な遺伝子適性検査を通してる。着床前診断ってやつだ。」
「……あぁ。あったね、そんなサービス」
「知能の期待値、運動能力の期待値、疾患リスク、寿命の予測値……。俺の数値はこの区の上位0.3パーセントの優良株だった」
彼は一度、口の端を歪めた。笑ったつもりだったのかもしれない。
「つまり俺は、生まれる前から『優秀であることが確定してた』んだ。産まれてきたっていうか、仕様通りに納品されたみたいな気分だよ」
カーバンクルは何も言わなかった。
彼女は相槌というものを打たない。ショウはそれを知っていたから、そのまま続けた。
「学校の勉強なんざ、全部退屈だった。教科書は初日に読み終わる。テストは初心者向けのパズルだ。
運動もそうだよ。走り方も、投げ方も、力学として理解できてりゃ、あとは体をそう動かすだけだ。誰も俺に勝てなかった」
通路の照明が、一定の間隔で彼の顔を照らしては影に戻す。
「クソ退屈だったけど、俺はやめなかった。全部やった。満点を取り続けたし、大会にも出た。……なんでだと思う?」
「ザコを見下すのが気持ちよかった」
「それは……今の俺なら満点だな! でも当時の俺だぜ。もうちょいつまんねー答えだよ」
「……両親が喜ぶ、から?」
「……ああ。正解」
ショウは小さく息を吐いた。
「あの二人は、俺が結果を持って帰ると、本当に嬉しそうな顔をするんだ。お袋は俺の頭を撫でて、親父は同僚を家に呼んで、俺の成績データを自慢して酒を飲んだ。
俺はそれが見たかった。子供ながらに、その薄っぺらい『褒め言葉』に飢えてたんだろうな。退屈な作業でも、あの顔が見られるならやる価値があると思ってた」
彼はそこで足を止めた。
連絡通路の出口。目の前に、セントラル区の外縁ブロックが広がっている。
清潔な白い壁面。等間隔に植えられた本物の街路樹。
夜でも消えない、柔らかい間接照明。
ショウはそこに一歩踏み出さずに、少しの間立っていた。
「……九つの時だ。親父が同僚を家に呼んで、俺の成績表を見せた。俺は自分の部屋にいたんだが、扉が半分開いてた」
彼の義眼が、視界の記録領域を無意識に走査している。
九歳の音声データは、脳内には当然もう残っていない。それでも彼は再生できた。
「親父はこう言ったんだよ。『完璧な遺伝子に、最適な教育をかけたお陰だ』。お袋も『私達の子どもだもの。ああでなくちゃ』」
カーバンクルのホログラムが、わずかに揺らいだ。回線の問題かもしれなかった。
「わかるか。あの二人は、俺の成績を喜んでたんじゃねえ。優秀な玩具を組み上げた自分たちを誇ってたんだ」
「…………」
「俺という『製品』を通して、自分たちの有能さを確認してただけだ。俺の努力は、全部あいつらの育成ゲームのスコアだった。俺はプレイヤーですらなかった」
やがて彼は歩き出した。今度は少し速い足取りで。
「で、俺は腹を立てた。九歳のガキの腹の立て方でな」
声の調子が、また変わっていた。今度は明らかに楽しげだった。
「その頃には、俺はもうネットワークの構造を理解してた。企業の認証系の穴も、どこを突けば通るかも大体わかってた。だから……やった」
「何を?」
「イースト区の、しょぼい会社のホームページをハックしたんだよ」
カーバンクルの首が、ほんのわずかに傾いだ。
「配管工事の請負屋でな。トップページのバナー画像を差し替えて、社長の顔写真を、なんだったかな……当時流行ってた動物のキャラに置き換えたんだ。あとは会社概要の文章を全部、逆さから読むように並べ替えた」
彼は義手で自分の後頭部を掻いた。
「今考えりゃ、ただのイタズラだ。犯罪ですらねえ。誰も損してねえし、次の日には元に戻ってた。技術的にも大したことしてねえよ」
「イタズラね……。なんでそんなこと?」
「わかんねえか?」
ショウは前を向いたまま答えた。
「翌日、警察から親父の会社に照会が行った。IPの経路を辿ったら、うちの回線を経由してたからな。俺はわざと二段しか踏まなかったんだ。辿れるようにしてやった」
彼はくつくつと喉の奥で笑った。
「あの夜の親父の顔は今でも覚えてる。赤くなって、青くなって、また赤くなった。親父は俺を叱ったよ。『お前は俺の息子だぞ! どうして勝手なことをする!?』ってな。
お袋はヒステリーを起こして泣き喚いた。『わたしたちの完璧なキャリアに傷がつくじゃない!』」
ショウは足を止めずに、小馬鹿にした裏声で両親の声を再現してみせる。
彼の義眼の光度が一段落ちた。
「『あなたはそんな子じゃないでしょう?』……とか、笑えること言ってたな。あいつらの脳内にある俺と、現実の俺は違うってことを、ロクに理解していなかったんだ」
彼は白い舗装の上で、一度だけ深く息を吸った。清潔すぎる、匂いのない空気だった。
「――あれが、最高に愉快だった。生まれて初めて、俺は俺の意思で、あいつらの完璧な人生にバグを起こしてやったんだからな」
「……それで、両親とはどうなったの?」
「へッ。ここからが笑える話だぜ」
セントラル区、ネオ・テック社まで約20分。
ショウは言葉とは裏腹に、どこか悲しげな顔を見せた。
同じような遺伝子野郎が前にもいましたね




