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【404】人に過去あり

 ネオ・アルカディア、ウエスト区。


 地下二階、看板もない鉄扉の奥にアンダーグラウンド・ハッカーズカフェはある。


 天井の低いフロアには旧世代のサーバーラックが墓標のように並び、その隙間に客が座っている。

 冷却ファンの唸りと、剥き出しの配管を伝う結露の滴る音。

 空気は湿っていて、金属と、誰かが飲み残した合成カフェインの甘ったるい匂いがした。


 ショウは奥から二番目の席で、両肘をついていた。


「は〜、ったく。面白みのない仕事だな」


 黒いチタン合金の指が、キーボードを叩くというより弾いている。

 人間の関節では出せない速度で、コードが下から上へ流れていく。


 彼の右目の義眼が、コンソールとは別の映像を並列で処理していた。


「雑な仕事だなオイ……」


 彼は誰にともなく呟いた。

 イースト区の中堅企業から回ってきた、給与データベースの改竄痕跡を消す仕事。


 報酬は安く、難易度はもっと安い。

 三十分で終わる。始めてから十九分が経っていた。


 その時、彼の視界の左端に見慣れない警告が浮かんだ。


「ん……?」


 外部からの接続要求。発信元不明。プロトコル不整合。

 ショウの指が止まった。


「なっ、これは……」


 この店の回線は彼自身が七重に迂回させている。

 押し売りの広告どころか、企業の探査プログラムすら届かない。


 なのに要求は、拒否も応答もされないまま既に彼のローカル領域の内側にいた。


「おいおい、冗談だろ!」


 彼は義手のポートからケーブルを引き抜こうとした。

 指が動く前に、テーブルの上の空間が滲んだ。


 埃を含んだ空気の中に、光の粒子が湧く。

 粗い。輪郭が定まらない。輪郭が定まらないまま、それでも形は決まっていた。


 小柄な少女。水色の短い髪。赤い瞳。背中に「404 Not Found」。


「……こんにちは」


 ホログラムの少女が、片手を上げた。


 ショウは椅子ごと十センチほど後ろに下がった。

 周囲の客は誰も気づいていない。指向性投影だ。彼の網膜にだけ届く光。


「……カーバンクル」

「久しぶり」

「久しぶり、じゃねえよ! その登場のしかたやめろ! 心臓に悪い」


 カーバンクルは肩をすくめる仕草だけをした。

 実際にはホログラムの肩は動いていない。動いたように見えるだけの、粗い補間だった。


 ショウはその粗さに気づいて目を細めた。

 前回はもっと綺麗だった。輪郭も、声の遅延も。


「……回線、細いな。何やってんだ、あんた。今どこにいる」

「ニュー・エデン」

「知ってる。そうじゃなくて、状況の話だ」

「…………」


 カーバンクルはすぐに答えなかった。


 ホログラムの少女は、埃の舞う地下空間の真ん中に立ったまま、視線をわずかに下げた。

 ショウの知る限り、この少女がそういう間を取ったことは一度もない。


「簡単に言うと……前回もらったDNAデータで、私はクローンを作ることに成功した」

「へえ! 朗報じゃねえか。あんたも体を取り戻せたってわけか?」

「でも……それが予想外の事態を引き起こした。バグった個体が生まれた」


 彼女は言った。抑揚のない、いつもの声だった。


「バグ……!?」

「同じ体、同じ記憶、同じ戦闘者データ。なのに人格だけが反転してる。それが向こうの街のギャングを掌握して、企業本社を一人で潰した」

「……おいおい、笑える事態だな。あんたが二人か」

「そして、向こうの方が強い」


 ショウの指が、キーボードの上で止まった。


「正面からやって負けた。相手はリミッターを外しても人格を持っていかれない。私は外せない。同スペックで、向こうだけが上限を持ってない」

「……まじかよ。アンタが負けるって……」


 カーバンクルは顔を上げた。

 ホログラムの赤い瞳が、粗い粒子のままショウを捉える。


「それと、そいつが暴れまわった結果街のクローニングが全部止まっちゃってね。私の体は、今あるこれ一つだけ」

「…………」


 地下の空気が、急に重くなった気がした。冷却ファンの音がやけに大きく聞こえる。

 ショウは自分の義手を見下ろした。黒い指が、無意識に半分だけ握られていた。


「だから、一人じゃ無理だと思う」


 その一言を、ショウは二度、頭の中で再生した。


「……えっ」


 この女は、どんな状況でも決して辞めない。

 鋼のような鋭さで悪を断罪し、どんな巨大な敵も全て殺してきた。


 強いとか弱いとか、そういう言葉の外側で動いている生き物だと思っていた。


 その口から、無理、という音が出た。


「だから、ショウにも手を貸してほしい」

「……て、手を貸すって。俺に言ってんのか」

「他に誰がいるの」


 ショウは天井を仰いだ。剥き出しの配管から、結露が一滴落ちていくのが見える。

 彼は椅子に深く座り直し、ホログラムと目を合わせた。


「上等だ」


 義手の指が机の縁を掴んだ。合金が、安物の合板をわずかに軋ませる。


「俺にできることなら何でも言ってくれ」

「……そう」

「そう、じゃねえだろ! もっと感激しろ!」


 カーバンクルは何も言わなかった。

 ただ、ホログラムの粒子が一瞬だけ密度を上げて、口の端の形が変わったように見えた。投影の誤差かもしれなかった。



 ショウはすぐに顔つきを変え、コンソールに向き直った。

 指が動く。診断ログが滝のように流れていく。


「――で、手を貸すにしてもまず問題がある。でかいのが一つ」

「言って」

「今の……これだ」


 彼は空中のホログラムを顎で示した。


「あんたは電脳体だ。自分自身がデータだから、細い線でも自分を通せる。だが俺は肉と機械の塊で、こっち側にいる」

「そうだね。クローンも動かせないから、ショウにこっちに来てもらうのは難しい」

「ああ。つまり俺があんたと『同時に』動くには、この地獄みてえに細い回線で、双方向のリアルタイム通信を維持しなきゃならねえ」


 ショウは片方の眉を上げ、指を三本立てた。


「ドーム間の正規ルートは死んでる。生きてんのはヴァイスの野郎が引いた裏線だけ。帯域は俺の推定で……そうだな、この街の一世帯分もねえ。そこに暗号化と圧縮を乗せて、遅延をゼロに近づけろってことになる」

「無理?」

「無理じゃねえ。演算で殴れば通る……一応はな」


 彼はキーボードから手を離し、椅子の背にもたれた。


「ただし、俺のリグじゃ足りねえ。この店のラック全部束ねても足りねえ。必要なのは大型の量子演算機だ。ドーム全体の気象制御を回してるようなクラスのやつが要る」


 ホログラムのカーバンクルが、わずかに首を傾げた。


「この街に、何台ある?」

「四台だ。GAIAの本体……は、あんたがぶっ壊したからローカルになってる。

 セントラル大学の研究機……悪くはないが、研究用だからな。余計なデータが入りすぎてる。

 あとは旧ノース区に埋まってるやつ――これは論外だな、封鎖区画だ」


 ショウはそこで一度言葉を切った。

 彼の義眼が、コンソールの光を反射して、赤くも青くもない色に光る。


「……で、四台目。ネオ・テック社、セントラル区本社ビル、地下第三演算施設」


 彼は自分の黒い両腕を持ち上げ、掌を天井に向けた。


「俺の、縁を切った親がいる会社だよ。ケッサクだろ」

ショウくんの過去は多分初出

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