【404】ペルソナ・ⅩⅩ
最初に動いたのは、隊列のほうだった。
「対象接近! 制圧射撃、撃てっ!」
鋼鉄のマスクの奥から響いたのは、機械のような電子音ではない。
人間の感情を知る高性能クローン。忠誠心をブーストされた特別製だろう。
(ほう。ただの使い捨ての人形かと思えば)
ペルソナの口角が、さらに深く吊り上がる。
号令とともに前列の盾が地を打ち、隙間から銃口が並ぶ。
制圧用ライフルの斉射が、前室の空気を引き裂いた。
大理石の柱が爆ぜ、徹甲弾の雨がペルソナの残像を切り裂く。
だがその時には既に、彼女は床を蹴って真横へ跳んでいた。
舞い上がる粉塵を隠れ蓑にし、壁を重力に逆らって駆け上がる。
三歩、四歩。
天井近くまで到達すると、そこから隊列の側面へ急降下した。
「遅い」
着地の勢いをすべて乗せた踵落としが、一体の膝関節を逆方向に打ち砕く。
「ぐああっ……!」
無機質な装甲の奥から、無様な人間の悲鳴が上がった。
「クソッ……援護しろ!」
「死ね、この化け物があっ!」
倒れた仲間を庇うように、隣の兵士が怒りに任せて銃床を振り下ろす。
ペルソナは首を僅かに捻ってそれを躱すと、男の装甲の腕を絡め取り、柔術の要領で体ごと投げ飛ばした。
鋼鉄の塊が、仲間の隊列へとボウリングのピンのように突っ込んでいく。
「がっ、グゥッ……!」
(仲間意識。生存本能。結構だ。よくできた玩具だな)
崩れた隊列の隙を見逃さず、彼女は床に落ちていた制圧ライフルを蹴り上げた。
宙に浮いたそれを空中で掴み取り、残る隊列へと銃弾を浴びせる。
「くっ……! 守れ! 守るんだ……!」
「盾を! 接近しろ!」
盾を構えて突進してくる兵士の正面へ跳び、盾の縁を蹴って上へ跳ねる。
裏側へ回り込むと、盾を持つ腕を関節ごと捻り上げた。
「ぎゃああっ! う、腕がッ……!」
「いい声だ」
奪い取った盾を横薙ぎに振るい、隣の兵のマスクを中の頭蓋骨ごと叩き潰す。
さらに別の男のライフルを奪うと、その男の両腕を交差させて羽交い締めにし、彼の指を無理やり引き金にかけて別の仲間を撃たせた。
「ああっ! や、やめろ、こっちを撃たないでくれ!」
「ほら、しっかり狙え」
味方の弾丸が味方を貫き、悲痛な叫び声が前室に木霊する。
二体、三体と、鋼鉄の巨体が血溜まりの中へ沈んでいった。
だが数と装甲の圧力は、確実に彼女を押し包みつつあった。
「囲め! 押し潰せ! もう撃たなくていい、ミンチにしろ!」
ペルソナの息がわずかに上がる。
装甲を砕くたびに、こちらの拳と骨も痛みを訴え始めていた。
――ならば、と彼女は思った。
(壊すより、中身ごと『奪った』ほうが早いな)
ペルソナは、あえて密集した隊列の中央へと突っ込んだ。
三方から銃床が振り下ろされる。その一撃を肩で受け、肋の軋む音を無視して、彼女は一人の隊長の背後へ回り込んだ。
狙いは、首筋の装甲。
パワードスーツのローカルネットワークへアクセスするための、有線接続用の保守ポートだった。
「見つけたぞ」
爪先が、保守カバーを乱暴に引き剥がす。
「な、なにをする気だ! 離れろ!」
男が叫ぶが遅い。
露出した端子へ、ペルソナは自らの指先を深く突き立てた。
彼女にとって、軍用スーツの防壁など薄紙の扉を蹴り破るに等しい。
暴力的なまでの演算速度で認証プロトコルを踏み潰し、瞬く間に機体の制御権を簒奪する。
「な!? なんだ、機体が……ダウン……!?」
「まだまだだ」
奪った一体を踏み台にして、彼女の意識は通信網を駆け抜け、残る全機の制御系へと一斉に感染していく。
ガガガッ、と駆動系の不協和音が響いた。
兵士たちの動きが一斉に、ぴたりと止まる。
「な、何だ!? 体が……う、動かん!」
「スーツの制御が奪われました! システム、再起動――だ、だめだ、弾かれます!」
マスクの奥から、パニックに陥った人間の悲鳴が次々と漏れ始めた。
彼らの意識は鮮明に残っている。
だが四肢はまったく言うことを聞かない。
鋼鉄の棺桶に閉じ込められたまま、自分の体が勝手に動き出す恐怖に、屈強な兵士たちがパニックに喚き始めた。
「ロックを解除しろ! 手動パージだ!」
「だ、だめです! パージ信号も受け付けない! 腕が、俺の腕が勝手に……!?」
銃口が一斉に天井を向き、そしてゆっくりと――守るべきはずの『社長室の扉』へと向けられた。
ペルソナは男の首筋から指を引き抜き、悠々と立ち上がった。
恐怖に震える鋼鉄の隊列を、心底楽しげに見渡して嗤う。
「安心しろ。操りはするが、頭は残してやる。痛みも、恐怖も、絶望も、今まで通り鮮明にな」
「き、貴様……悪魔か……ッ!」
「陳腐な表現だな」
ペルソナが指をパチンと鳴らす。
装甲兵たちは一糸乱れぬ動作で、重厚な両開きの扉へ向かって前進を始めた。
「や、やめろ……ッ! やめさせろ!」
「社長! 逃げろッ!」
忠誠心で武装していた兵士たちが、自らの意志に反して主人の部屋へ向かって進軍していく。
彼らの手は、すでに扉を吹き飛ばすためのグレネードを握り込まされていた。
ペルソナはその行進の最後尾を、鼻歌でも歌いそうな優雅な足取りでついていった。
「全体、前へ」
ガチャン、ガチャン。
鋼鉄の足音が、一糸乱れず踏み出す。
「た、頼む、止まってくれ……!」
「そのまま。……扉を開けろ」
先頭の二体が、抗うように震える装甲の掌を、社長室の扉へ押し当てた。
電子錠が内側から抵抗する。
だが、彼らの装甲には正規の最高認証キーが埋め込まれている。
低い駆動音とともに、重厚な両開きの扉が内側へと押し開かれた。
社長室は、戦場と化した外の世界とは対極の、あまりに静かで優雅な空間だった。
床には深い真紅のペルシャ絨毯。
壁の一面は防弾仕様の強化ガラスで、その向こうにテラを見下ろす人工の朝焼けが広がっている。
執務机の奥に、初老の男が座っていた。
クローネクス社の社長、アルバート・レイン。彼は立ち上がりかけた姿勢のまま硬直していた。
「な……っ」
自分の誇る最強の警備部隊が、一列に並んで自分へ銃口を向けている。
その光景の意味を、男の脳はまだ処理しきれていなかった。
「ど、どういうことだ。お前たち、銃を下ろせ! 何をしている!」
男の声は、恐怖よりもまず支配者としての困惑と怒りに満ちていた。
「しゃ、社長! 逃げてください! 俺たちじゃありません!」
「システムが……体が乗っ取られて……ッ!」
混乱する社長室。その鋼鉄の隊列を割って、ペルソナが悠然と歩み出た。
その小柄な影が、高級な絨毯に赤い足跡を刻みながら、執務机の前へと進んでいく。
「お前が、この社の頭か」
「……何だ、貴様は。警備部隊、そいつを撃て! 今すぐその女を蜂の巣にしろ!」
「うっ、撃てないんです! 引き金が……!」
(馬鹿な男だ。状況も見えんのか)
ペルソナは呆れたように鼻で笑い、机の縁に腰を預けて彼を見下ろした。
「無駄な命令だ。こいつらのリードは、今は私が握っている。……質問は一度きりだ」
ペルソナの目が、氷のように冷たく細められる。
「市内のクローニングを止めた仕掛けがある。あるいは、それを解除するための管制施設だ。……その在り処を吐け」
レインの喉がごくりと鳴った。
彼の顔に浮かんだのは、ある種の職業的な反射だった。
交渉。値踏み。
この絶望的な状況から、いかに有利な取引を引き出すか。
数十年、この街の命を商品として扱ってきたコーポのトップとしての思考回路が、恐怖を押しのけて回り始める。
「……待て。落ち着いて話そう。君が何を求めているにせよ、我が社には相応の対価を用意する用意が――」
パンッ。
乾いた銃声が、部屋の静寂を無造作に叩き割った。
アルバート・レインの額の真ん中に、ぽっかりと小さな穴が穿たれていた。
「あ――」
言葉は、続きを持たないまま途切れた。
立ち上がりかけていた体が、革張りの高級チェアへ崩れ落ち、そのまま横へ滑る。
背後の強化ガラスに、赤い飛沫が扇状に散った。
人工の朝の光が、その染みを透かして絨毯の上に淡い赤を落としている。
「あ……ああ……あぁぁぁっ……社長……!?」
兵士たちから嗚咽が漏れた。
ペルソナは硝煙の残る銃口を退屈そうに眺めた。
「取引の余地があると思ったか? 私は、聞くと言っただけだ」
彼女は銃をジャケットへ収め、机の上を無造作に一瞥する。
(人間の口から出る言葉には、不純物が多すぎる)
交渉、保身、虚栄、そして嘘。
どうせ時間を稼ごうとし、都合の悪いことは隠すに決まっている。
そんなやり取りに付き合うほど、彼女は暇ではなかった。
「人間に訊くのが、そもそもの間違いだ」
ペルソナは、部屋の隅に据えられたメインコンソールへ目を向けた。
社内ネットワークの最上位権限を持つ、社長専用の接続端末。
彼女はそこへ歩み寄り、端末のポートに指を触れた。その表面を電気が走る。
直後、膨大なディレクトリが彼女の意識の中を奔流となって駆け巡る。
人事、財務、生産管理。
大企業の分厚いセキュリティが牙を剥くが、ペルソナの演算能力の前ではただの薄氷に過ぎない。
強引に防壁を焼き切り、目当てのデータだけを抽出する。
全精製ラインの管制権を保管する、機密サーバーの区画。
その所在が、網膜の裏側に静かに浮かび上がった。
『地下三階。第一機密サーバー室』
「……なるほど。データは嘘をつかんな」
ペルソナはゆっくりと振り返った。
扉の前には、鋼鉄の隊列が彼女の命令を待って直立している。
「ぐ、う……クッ……!」
マスクの奥からは、悔しげな声が聞こえていた。
自分たちが守るべき主人が撃ち殺される瞬間を、彼らは指一本動かせぬまま、最前列で見せつけられたのだ。
「もう……いいだろう。解放してくれ……!」
哀願する兵士たちを見て、ペルソナは可笑しそうに笑った。
「お前たちのシフトはまだ終わっていない」
「な、なんだと……!? 何をさせるつもりだ……」
ペルソナがパチンと指を鳴らす。
「全体、回れ右」
ガチャンッ!
装甲の足音が、一斉に揃って回頭した。
兵士たちの意志とは無関係に、彼らの視界から主人の死体が強制的に切り離される。
「目的地を変更する。地下三階だ。……先頭、行進」
鋼鉄の隊列が、重々しく歩き出す。
ペルソナは、その最後尾へ悠然と続いた。
止まる気配のないテロリスト




