【404】ペルソナ・ⅩⅧ
殺戮の終わった整備場に、ペルソナは一人で戻ってきた。
床にはテンパードの構成員と、企業兵の死体が無造作に折り重なっている。
生ぬるい血の匂いと、内臓の焦げた匂い、そして焼けた火薬の匂い。
それらが粉塵に混じって部屋中に淀んでいた。
生き残りは銃声に怯えて逃げ散ったわずかな数だけ。
昨日まで数百を数えた無敵の不死の軍勢は、たった一夜にしてその大半を失っていた。
「……脆いものだ」
ペルソナはその死体の山を一顧だにせず、血だまりの中央にある古びた革張りの椅子へと戻った。
彼女はため息を一つつき、脚を組んで頬杖をつく。
いつも通りの姿勢で、彼女は静かに目を閉じた。
血で汚れたまま、転がる死体に囲まれたまま。
彼女の呼吸はすぐに、深く静かなものへと落ちていった。
死した兵への悼みも、組織を失ったことへの悔やみも、彼女の中には何一つない。
失った玩具の残骸を数えるほど、彼女は暇ではなかった。
■
「……む」
どれほど経ったか。
ペルソナは、ゆっくりと瞼を開けた。
窓の外では、人工太陽が浮遊都市の縁を白く縁取り始めている。
彼女はしばらく、その朝の光をじっと見つめていた。
何かを論理的に組み立てるように、暗い赤の瞳が微動だにせず、空中の仮想ウィンドウの一点へ据えられている。
(……この街の『命の蛇口』を握っているのは、クローネクス社の本社だ)
彼女の脳内で、奪ったF-7施設から引き出したデータが高速で展開されていく。
(末端の施設をいくつか潰したところで、痛手にはならない。奴らを根底から壊すには、心臓部を直接叩く必要がある)
彼女は椅子から立ち上がった。
「さて。遊びに行くとするか」
乾いた血をジャケットの裾で払い落とし、扉へと歩き出す。
その口元には、次なる玩具をどう壊すかを思いついたような、いつもの嗤いが戻っていた。
■
クローネクス社、テラ第三受付センター。
「――ですから、それは弊社の一存では判断いたしかねると、先ほどから申し上げております」
窓口担当のカイル・ドーソンは、受話器を耳と肩で挟んだまま、片手でズキズキと痛む額を押さえていた。
目の前のホログラム端末には、未処理のクレームと問い合わせが四桁の数字で積み上がって警告の赤色で明滅している。
昨夜のEDENシステムによる「クローン機能の全面停止」のアナウンス。
あれ以降、この受付センターは地獄と化していた。
保険契約者からの怒号、資産価値の補償を求める代理人からの脅迫。
『ふざけるな! こっちは莫大な保険料払ってんだぞ! 今すぐ機能を復旧させろ!』
「復旧の見込みですか。……はい、誠に申し訳ございませんが、私どもも、本社からはそちらの具体的な日程は伺っておりませんでして」
受話器の向こうで、さらに汚い罵声が弾けた。
カイルは表情を一切変えず、AIが提示するマニュアル通りの定型句を機械的に並べていく。
(頼むから、もう俺を解放してくれ……)
今日で13連勤目だった。
仮眠室の硬い簡易寝台と、自販機で買ったエデン・バーの味しかここ二週間の記憶がない。
「はい。……はい。上層部には必ず申し伝えます。申し訳ございません」
通話を切ると、一秒も経たずにすぐに次の呼び出しランプが点灯する。
彼は大きなため息をつき、それに手を伸ばしかけて――ふと、動きを止めた。
「――!?」
背筋を、氷のような冷たいものが這い上がっていた。
根拠は何一つなかった。
空調の単調なモーター音も、フロアの他のオペレーターたちのざわめきも、いつもと何も変わらない。
だが心臓が理由もなく早鐘のように打ち、指先が痺れるように冷えていく。
何かが。破滅的な『何か』がこちらへ近づいてくる。
その生物的な確信だけが、腹の底に生まれていた。
「……なんだ、これ」
カイルは、椅子を蹴って立ち上がった。
『ドーソン様。バイタルモニターの数値に異常を検知しました。心拍数および皮質活動に、著しい異常値が観測されています』
天井のスピーカーから、社内AIの穏やかな合成音声が降ってくる。
『過労によるパニック発作の兆候が疑われます。直ちに三階の医務室へ移動し、精神安定剤の投与を受けてください。当センターの規定により――』
「うるさい。黙れっ……!」
カイルはインカムを机に放り出し、通路を走り出した。
『ドーソン様。業務時間中の無断退出は、勤怠評価に重大なペナルティを――』
AIの警告声を振り切って、彼は正面エントランスの自動扉を飛び出す。
朝の眩しい光が、テラの無機質な通りを白く照らしていた。
息を切らして駆け出したカイルはその途中、正面から歩いてくる人影とぶつかりそうになった。
赤いジャケットを着た、黒髪の少女。
小柄で、まだ子供のような背丈。
こんな時間に、こんな企業施設の前に、一人で歩いている理由が分からなかった。
カイルは反射的に「すみません」と呟き、そのまま横を通り過ぎた。
「ククッ……勘がいいな」
少女もまた、一言だけ呟き彼を一目も見なかった。
二つの影は朝の光の中ですれ違い、それぞれ反対の方向へと離れていく。
カイルは振り返らなかった。
■
クローネクス社、テラ第三受付センター。
自動扉が開くと、人工的に冷やされた空調の風が朝の熱を押し返した。
白と企業カラーの青で統一された、無機質で広いロビー。
昨夜からの騒動で、朝だというのに人が溢れ返っていた。
番号札を握りしめた順番待ちの列、カウンターに詰め寄る代理人、対応に追われ疲弊しきった職員たち。
怒号と泣き声、そしてクレームの混ざった不快なざわめきが、天井の高い空間に反響している。
その中を、赤いジャケットの小柄な影がまっすぐに歩いていった。
誰も彼女に注意を払わなかった。
親とはぐれた小汚い子供が紛れ込んだ程度にしか見えない。
殺気すら完全に消し去り、列の隙間を縫って進むその姿を誰も止めようとはしなかった。
ペルソナは、一番端の受付カウンターの前で足を止めた。
カウンターの向こうでは、制服を着た女性職員が、端末の画面を睨みながら目の前の老婆に向かって冷たく定型句を並べている。
「ですから、それはお客様の契約プランの範囲外です。復旧時期につきましても、EDENシステムの判断次第としか申し上げられません」
「でも、うちの主人が……どうか、どうか少しだけでも!」
「お引き取りください。次の方!」
老婆を冷たくあしらうと、職員はわざとらしく大きなため息をついた。
「おい」
ペルソナが、カウンターを軽く叩いた。
職員は面倒くさそうに顔を上げ、そこに立つ少女を見下ろした。
視線が、一度だけ上から下へ流れる。
血と泥の染みが残る赤いジャケット、酷く場違いな幼い背丈。
彼女の中で、それは即座に「金にならない、相手にする必要のないゴミ」へと分類された。
「……何かしら、お嬢ちゃん。親御さんとはぐれたの? ここは迷子の案内所じゃないんだけど」
「聞け。お前たちの手間を省いてやろうというのだ」
ペルソナは、億劫そうに言った。
「市内のクローン施設を停止させたシステムがどこかにある。あるいは、再起動させるための物理的な管制端末がな。……本社か? それとも地下のサーバーか? その場所を吐け。それだけでいい」
職員の表情から、営業用の作り笑いが消えた。
「はぁ? 何を言っているの。ここは下層の遊び場じゃないのよ」
彼女は疲労と苛立ちで赤く濁った目を細め、露骨に顔をしかめた。
昨夜から一睡もしていない。無理難題を投げつけられ、罵倒され、底辺の市民相手に謝罪を繰り返してきた。
その神経の摩耗が、目の前の生意気な子供への八つ当たりとしてそのまま表出する。
「いいこと? そういう情報はね、あなたみたいな薄汚い子供が聞いていいものじゃないの。……大体、その服。どこで汚してきたの。臭いんだけど」
「私は、二度は言わんぞ」
「はいはい、ごっこ遊びはおしまい。保安部に連絡するわよ」
職員は鼻で笑い、卓上の端末へと手を伸ばした。
この小汚いガキを警備員につまみ出させれば、少しはストレス発散になるだろう。
「悪いけど、こっちも忙しいの。親の顔が見てみたいわね、外で遊んでなさ――」
パン。
乾いた銃声が、ロビーの喧騒を一瞬で切り裂いた。
ペルソナのジャケットの内から、いつの間にか抜き放たれていた大口径のハンドガン。
その銃口から、白い硝煙が細く立ち昇っている。
「え?」
職員の言葉はそこで途切れた。
彼女の眉間に小さな穴が穿たれていた。
伸ばしかけた手が、端末に触れることなくぱたりと落ちる。
背もたれに寄りかかるようにして、その体はゆっくりと椅子から滑り落ちていった。
事切れた後頭部から噴き出した赤と白の混じった飛沫が、企業のロゴが描かれた白い壁にべったりと散っている。
「…………」
ロビーが水を打ったように静まり返った。
クレームを叫んでいた男も、泣きついていた老婆も、全員が信じられないものを見る目で血塗れのカウンターを見つめている。
誰かの手から、荷物が滑り落ちた。
それを合図にしたように。
「ひぃぃぃぃぃッ!?」
「撃った! 人殺しだァァッ!」
悲鳴が爆ぜ、数百人の人々が我先にと出口へ殺到する。
突き飛ばし合い、踏みつけ合い、パニックに陥った群衆の濁流。
その混乱の中心で。
ペルソナは、死体となった横柄な受付を一瞥もせず、硝煙の残る銃口を顔の前に掲げた。
「せいぜい逃げ惑え。怯えろ。命が一つしかないという現実を、たっぷりと味わうがいい」
彼女の口元に、獣のようなぐにゃりとした笑みが浮かぶ。
赤い瞳が、奥から駆けつけてくる重武装の企業警備員たちを捉えた。
「さぁ。ゲームスタートだ!」
運のいい13連勤の男




