【404】ペルソナ・ⅩⅥ
最初の交錯は、音より速かった。
互いの拳が、互いの顎を狙って同時に走る。
同じ踏み込み、同じ角度、同じ速度。
二つの拳は空中で噛み合い、弾かれ、そのまま流れるように次の型へと変じた。
ペルソナの肘が横薙ぎに走れば、カーバンクルは首を捻ってそれを躱し、返す手で相手の手首を掴みにいく。
鏡写しの応酬だった。
二人の脳内では、同じ百を超える戦闘者のデータが同じ速度で最適解を弾き出している。
中国拳法の粘りつく捌き。ブラジル柔術の関節への誘導。軍隊格闘術の急所への直撃。
流派も体系も無視して、一秒の間に十を超える技術が組み替えられ、繰り出され、そして相殺されていく。
「……!」
「貴様の動きが読めるぞ。当然だがな」
ペルソナが嗤いながら、カーバンクルの投げを潰すように崩した。
技を選ぶ思考回路が同一である以上、次の一手は互いに丸見えだった。
だからこそ、二人はひたすらに手数を重ねる。
予測の網から零れる一手を探して、際限なく。
「やりづらいな……」
カーバンクルは床を蹴って壁を走った。
三歩、四歩。垂直の壁面を駆け上がり、天井近くから錐揉みに落下する。
落下の勢いを乗せた踵が、ペルソナの脳天へ振り下ろされた。
だがペルソナは半歩だけ身を引き、その踵を掌で受け流す。
衝撃は床へ抜け、コンクリートが蜘蛛の巣状に割れた。
「見事なものだ。八極拳のデータか」
着地の瞬間を狙い、ペルソナの膝が突き上げられる。
カーバンクルは両腕を交差させて受けたが、そのまま窓際まで吹き飛ばされた。
強化ガラスに背を打ちつけ、蜘蛛の巣が走る。
「……ムエタイかな」
「今のはシラットだ」
「あぁ……そう」
カーバンクルは即座に窓枠を蹴り、その反動で低く滑り込んだ。
狙いは足首。
掬い上げるように相手の軸足を刈り、崩れた重心へ肘を落とす。
「おっと……!」
だがペルソナは倒れる勢いを利用して回転し、逆にカーバンクルの首へ脚を絡めにかかった。
二つの体が床を転がり、絡み合い、瞬時に関節の奪い合いへと変わる。
「……ッ!」
「ぬ、う……!」
極まる寸前で、両者が同時に離脱した。
互いに数メートル飛び退り、荒い息もつかずに構え直す。
消耗も、練度も、判断速度も、何もかもが同じだった。
このまま続ければ、決着など永遠につかない。
――だから、ペルソナは笑った。
「さて。そろそろ飽きてきたな」
その暗い赤の瞳の奥で、幾何学模様の瞳孔がぐるりと回転した。
「リミッター解除」
「――!?」
カーバンクルの表情が、初めて動いた。
赤黒い光が、ペルソナの全身から噴き上がる。
(馬鹿な……)
あれを使えば、抑えていた百の亡霊が意識を食い荒らす。人格を保ったまま戦えるはずがない。
だからこそカーバンクルはそれを使ってこなかった。あのヴァイスとの決戦を除いては。
だが、目の前の複製体は――何一つ揺らいでいなかった。
「残念だったな、オリジナル」
「……どういうこと? 言語も変わってないみたいだけど」
「簡単なことだ。頭の中のデータは皆、人を殺したくてたまらない破綻者ども。お前はそれに首輪をつけて管理してきた。
だが奴らと私の思考は同じだ。目の前の人間を暴力をもって殺す……故に、お前のリミッター解除と違い、反乱は起きんのだ!」
カーバンクルが恐れた人格を蝕むはずの副作用は、ペルソナにおいてのみ存在しない。
それは、明確なスペックの差であった。
(……そんなの聞いてないんだけど)
カーバンクルが構えを立て直すより早く、ペルソナが消えた。
次の瞬間、脇腹に凄まじい衝撃が走る。
「かはっ……!」
視認できなかった。防御が間に合わない。
速度も、精度も、明らかに先ほどまでの倍を超えている。
同じ身体スペックである以上、リスクなくリミッターを外せる側が上回るのは道理だった。
カーバンクルの体が、壁を突き破って隣室へ吹き飛ぶ。
「ぐっ……!」
積み上げられていた武器箱が崩れ、金属の破片が舞う。
その粉塵を割って、ペルソナが悠然と歩み入ってきた。
「どうした、オリジナル。もう終いか?」
「……どうかな」
カーバンクルは咳き込みながら立ち上がり、傍らの鉄パイプを掴んだ。
得物を介して間合いを取り、上段から袈裟に振り抜く。
だがペルソナは避けもせず、素手でその鉄パイプを掴み止めた。
「膂力が同じだからな。受け止めるのもたやすい」
だが、そこからはペルソナのペースだ。合気道をベースとした力のベクトル制御で、鉄パイプを奪われた。
カーバンクルは身を捻って、そのまま壁の点検口へ飛び込んだ。
狭い保守通路を這うように駆け抜け、配管を蹴り、非常階段へと転がり出る。
背後で、壁ごと保守通路が吹き飛んだ。
「ククッ……逃げるな。まだ足りんぞ」
ペルソナは階段の踊り場で追いついた。
鉄骨の階段の上で、二人の攻防が再開する。
手すりを蹴り、段を飛び越え、狭い空間で拳と蹴りが交錯した。
カーバンクルは幾度も反撃の型を組み立てたが、そのことごとくが、より速く精密なペルソナの手によって潰されていく。
(……まずいな)
同じ技を出せば、先に届くのは常にペルソナのほう。
カーバンクルは生まれて初めて、明確に自分よりも体術に優れた相手と戦っていた。
「ちっ……!」
カーバンクルは階段の手すりを蹴り、下層のフロアへ落下していく。
旧貨物ターミナルの広大な整備場。
錆びついたクレーンとコンテナが立ち並ぶ暗がりへ、彼女は転がり込む。
物陰へ潜り、呼吸を整えながら思考を回した。
(正面からじゃ勝てない……)
その物陰の頭上から、赤黒い光が降ってきた。
舞い上がる粉塵の中に、ペルソナが着地した。恍惚に歪んだ顔で、隠れる相手を見下ろしている。
「隠れるなよ。せっかくの、私の時間だぞ」
カーバンクルはコンテナの陰で、痛む脇腹を押さえていた。
しかしその思考は、驚くほど冷たく回っている。
(この体はもう保たないかな……)
単体のスペックで上回られた以上、この一戦に固執する意味はない。
撤退し、自分のクローン体を大量に用意する。十でも、二十でも。
同じ戦闘データを持つ個体を同時にけしかければ、いかにリミッターを外した相手であろうと、いずれは削り取れる。
数は、質の差を埋める。
それは極めて合理的な結論だった。
――ただし、それは。
(……人間のやり方じゃ、ないんだろうね)
自分の体を、いくらでも替えの利く駒として並べる。
消耗品として使い捨てる。壊れれば次を出す。
ついさっき、この複製体に指摘されたばかりの在り方そのものだった。
それを承知の上で、彼女の思考はその最適解を選び取っていた。
その事実にわずかな引っかかりを覚えながらも、カーバンクルは膝に力を込める。
整備場の暗がりを縫って非常口へ。
まずはこの建物を出て、最寄りのクローン施設へ潜り込む。
段取りを組み上げながら、彼女は物陰を蹴った。
その瞬間。
けたたましい警報音が、整備場全体に鳴り響いた。
「……!?」
「なんの騒ぎだ……?」
整備場、だけではない。この国を覆うドームの壁が軋み、ざわざわとノイズが走っている。
追撃に踏み込もうとしていたペルソナが、足を止めて眉をひそめた。
そして、市内放送が流れ始めた。
『――ニュー・エデン全国民の皆様へ。EDENシステムより、緊急の通達をお伝えします』
感情のない、滑らかな合成音声。
テラの隅々にまで張り巡らされたスピーカーから、その声は等しく降り注いだ。
『現在、一部クローン精製施設が、何者かによって不正に占拠、悪用されている事案が確認されております。国民の皆様の安全と、生命秩序の健全性を守るため、当該事案の完全な解決に至るまでの当面の間――』
カーバンクルの動きが、止まった。
『――クローニング業務を、一時的に全面停止いたします』
放送は、淡々と続いた。
『対象は、プラチナ・ラインからスタンダード・ラインに至る、すべての精製ラインです。既存のクローン保険契約についても、蘇生処理は当面のあいだ保留となります』
警報音は虚しく響き続ける。
カーバンクルは非常灯の白い光の中で、立ち尽くしていた。
クローン体の量産。そのプランがたった今断たれた。
替えの体は用意できない。今のこの器は、彼女に残されたたった一つの命になった。
人間ではないと嗤われた在り方を、自ら選び取ろうとしたその瞬間に。
「……嘘、でしょ」
呆然としたカーバンクルを嘲笑うかのように、システムの放送が付け足す。
『問題解決までの間……くれぐれも、命を大切に生きるようにお願いします』
エデンAIもブチギレ




