【404】ペルソナ・ⅩⅣ
スレッジとの抗争はあっけなく終わった。
助太刀に現れた武人が解体された光景は、武闘派の誇りを打ち砕くには十分すぎた。
命を一つしか持たない彼らにとって、無限に湧き、しかも頂点があの化け物である組織との戦いは、もはや喧嘩ではなく自殺だ。
生き残った者は縄張りを捨てて逃げ散り、テラ屈指と謳われた武闘派ギャング・スレッジの名は一夜にして消滅した。
だが勝利の宴に沸き返るテンパードの陣中で、ペルソナはつまらなそうに端末の画面を眺めていた。
「素材が……尽きかけているな」
彼女が見下ろしているのは、奪取したクローン製造施設F-7から上がってきた在庫の報告だった。
クローニングには、膨大な素材が要る。
その主成分は特殊な蛋白質とナノマシン――培養と加工に高度な技術を要し、市井にはまず出回らない代物だった。
相次ぐ戦闘で兵を何度も蘇生させ続けた結果、その貴重な備蓄はいよいよ底が見え始めていたのだ。
「蘇生の泉が涸れれば、この軍勢もただの烏合の衆に戻る。命が有限だと知れば、こいつらはまた死を恐れ始めるだろう。……それでは面白くない」
ペルソナは報告書を指先で弾いた。
素材の生産と流通は、クローネクス社をはじめとする上位企業が独占している。
アンダーやテラの市場でちまちま買い集められる量ではない。
ならば、手立ては一つ。奪うより他になかった。
「近隣のクローン施設を洗い出せ。手薄なところから順に、すべて頂く」
ペルソナが幹部たちに号令をかけた、その時だった。
「……待ってくれ、ペルソナ」
紙の帳簿を抱えたダリオ・ヴェントが、人垣を掻き分けて進み出た。
かつてこのテンパードを、冷静な商才で束ねていた男。
その顔には、隠しきれぬ焦燥と疲労が滲んでいる。
「もう、十分だろう。これ以上は危険すぎる。組織は膨れすぎた。統制の利かない規模だ。この上企業の施設にまで直接手を出せば、今度こそファイブ・クラウンが本気で殲滅部隊を差し向けてくる。……ここらで、一度止まるべきだ」
ダリオの言葉に、しんと冷たい沈黙が落ちた。
だが、それはダリオへの同調の沈黙ではなかった。
「おいおい……ビビってんのか? ダリオさんよぉ」
「まったく、アップデート不足だなコイツは」
「……!?」
彼の周囲を埋めるのは、噂を聞きつけて集まった半グレ、傭兵、アンダーの腕自慢たち――ペルソナの「永遠の命」に惹かれてきた新参の群れだった。
彼らはダリオを、まるで口出しする資格のない他所者でも見るような白けた目で眺めている。
(……どういうことだ。誰も、俺に同調しない?)
ダリオは息を呑んだ。
もはやこの組織に、彼がかつて三十年かけて育て上げた「元からのテンパード」は、数えるほどしか残っていなかったのだ。
「止まる、だと?」
ペルソナは心底おかしそうに片眉を吊り上げた。
「企業を恐れ、縄張りに引きこもって小銭を数える。元よりそれがお前の限界だったな、ダリオ」
「限界だと? 俺は組織を存続させるための現実を――」
「見ろ」
ペルソナが指差した先には、数百の構成員たちの冷ややかな視線があった。
ダリオの言葉に賛同する声はどこからも上がらない。
かつてこの男を慕った古い部下たちの声は、新しい群衆の熱気の中にとうに埋もれて消えていた。
「誰一人、お前に頷かん。……お前の言葉はもう、この組織の誰にも届いていないのだ」
ダリオの顔から、さぁっと血の気が引いていく。
自分が手塩にかけて築いたはずの組織の中で、自分だけが異物になっている。
その残酷な事実を、彼はようやく、骨の髄で理解した。
ペルソナはそんな男の前へ、ゆっくりと歩み寄った。
「……殺すのか。俺を」
「安心しろ。私は恩を忘れる質ではない。行く当てのなかった私を、傘下に入れてくれた礼だ。……お前は無傷で去らせてやる」
彼女はダリオの顎を華奢な指で持ち上げ、耳元で囁くように続けた。
その声は優しげであったが、底知れぬ酷薄さを孕んでいる。
「ただし――この組織は、今日この時から私が貰い受ける。名も、実も、命の管理権もすべてだ。お前は静かに引退し、二度と裏社会の表には出るな。それがたった一つの条件だ」
ダリオは長い沈黙のあと、抱えていた紙の帳簿を取り落とし、力なく目を閉じた。
抗う術はもうなかった。
この身一つを守ることと引き換えに、彼は自らの城をこの化け物へと明け渡すしかなかったのだ。
■
数日後。
ダリオ・ヴェントの引退が、裏社会に静かに告げられた。
紙の帳簿で組織を統べた冷静な商売人はこうして、表舞台から姿を消した。
誰に殺されるでもなく、ただ、自分の居場所を奪われて。
そして残されたのは――名実ともに巨大ギャング・テンパードの頂点へと昇りつめた、一人の少女の存在だけだった。
新たなボスの座に就いたペルソナは、集った数百の群衆を、コンテナを積み上げた玉座の高みから見下ろした。
「フン……悪くはない景色だ」
その濁った赤い瞳には、来たるべき狂宴を待ちわびる愉悦が滲んでいる。
この街のルールを破壊し、いずれはEDENの絶対的な秩序さえ食い破る――その野望の次なる一歩が今、踏み出されようとしていた。
「聞け、我が不死の軍勢よ!」
ペルソナの声が、戦場跡の廃墟に朗々と響き渡った。
群衆の視線がいっせいに、その赤いジャケットの小柄な影へと吸い寄せられる。
「この都市は命に値段をつけ、我々から奪ってきた! だが、その特権はもう終わる! これよりクローネクス社の施設を、片端から襲撃する! 命の泉を、企業の手から我らのものとするのだ!」
「おおおおおおおッ!!」
野獣のような歓声が上がる。
「恐れるな! 痛みを忘れろ! 存分に暴れ、奪い、そして存分に死ね! お前たちの命は何度でも、この私が蘇らせてやる!!」
どっと、地鳴りのような咆哮が沸き上がった。
狂熱に浮かされる彼らは、自分たちがペルソナという絶対的な上位者の「所有物」に成り下がったことなどもはや気にも留めていなかった。
血に飢えた不死の軍勢が、企業都市ニュー・エデンの喉元へとその牙を剥こうとしていた。
■
テラの片隅。
うらぶれた安宿の一室に、ダリオ・ヴェントはいた。
「……なんて惨めだ」
組織を失い、長年築き上げた地位を捨て、身一つで逃げ延びた男に残されたのはこの部屋だけだった。
剥き出しの配管が天井を這い、湿った壁からは饐えた金属とカビの匂いが滲み出している。
つい数日前まで紙の帳簿一つで数百の人間を束ね、ストリートの顔役として恐れられていた男の末路にしては、あまりに哀れな場所だった。
ダリオは軋む傷んだ寝台に腰かけ、震える手で古びたデータ・パッドを操作していた。
ペルソナに引退を告げられたあの日から、幾日も、彼は考え続けていた。
このまま朽ちるように、ストリートの塵芥として消えていくのか。
それとも――あの底知れない化け物に一矢報いるのかと。
組織を奪われたことへの屈辱よりも、今の彼を突き動かしているのは別の想いだった。
自らが手塩にかけて築いた『テンパード』が、命の重さを嘲笑い、死を弄ぶ怪物の軍勢へと成り果てていく。
その悍ましい光景への、拭いきれぬ悔恨だった。
「私が、あいつを引き入れた。私が招いた災いだ。……ならば」
ダリオはひび割れた唇から掠れた声を漏らし、パッドの画面をじっと見つめた。
アンダーの闇メディア、ラジオ・フリーダム。
その掲示板の片隅に、まことしやかに囁かれている一つの都市伝説があった。
『裁けない罪人を裁く水色の髪の始末屋』
『企業も警察も届かぬ悪を、たった一人で殺す赤い瞳の影』
そして――その影に依頼を届けるための、ただ一つの奇妙な作法。
「……馬鹿げている。ただの都市伝説だぞ」
自嘲めいた笑みが口の端に浮かんだ。
暗殺依頼の窓口が、裏社会のブローカーではなくただの『宿泊予約』だなんて。
だが、その指は止まらなかった。
もはや彼に残された手立ては、こんな眉唾の噂にすがるくらいしか残されていなかったのだ。
まして、あの怪物を止められる存在があるとすれば――それは、都市伝説くらいしかない。
彼は匿名回線を経由し、アルミナの安宿予約システムへとそっとアクセスした。
無数の空室情報が、緑色の文字となって画面を流れていく。
その中からダリオは、震える指先でたった一つの部屋番号を選び出した。
それが、水色の髪の始末屋を呼ぶための都市伝説のパスワード。
『404号室』。
予約完了の文字が、暗い部屋の中で青白く灯る。
それが誰に届くのか、本当に届くのかすら彼には分からなかった。
ただ深く息を吐き、パッドを寝台へ置くと、ダリオは両手を強く組んだ。
三十年のギャング人生で、神に祈ったことなど一度もなかった男が、今はひたすらに祈っていた。
「頼む。……来てくれ。誰でもいい。あんな形で、俺の組織を……人の命を、終わらせないでくれ……!」
とうとう出撃!




