【404】ペルソナ・ⅩⅢ
リミッター解除。
それはオリジナル――カーバンクルが、かつてネオ・アルカディアでも極力使用を避けていた、いわば禁じ手だった。
彼女の脳内には百を超える武術家、殺し屋たちの生前の戦闘データが眠っている。
だが、その戦闘者たちの自我はあまりに強烈だった。
純粋な戦闘技術だけを抽出しようとしても、どうしても彼らの嗜虐性や狂気といった人格のノイズが滲み出てしまうのだ。
ゆえに普段は一人あたり八割ほどのデータに留め、代わりに人格への干渉を完全に遮断していた。
「カーバンクル」という一個の理性的な意識を保つための、いわば安全弁である。
リミッター解除とは、その安全弁を外す機能を指す。
封じていた奥義の類までも解き放たれ、戦闘能力は跳ね上がる。
だが引き換えに、抑えつけていた百の亡霊たちが、いっせいに意識へと雪崩れ込んでくる。
制御を誤れば、「自分」という人格そのものを彼らの狂気に乗っ取られかねない。
だからこそオリジナルは、この機能の使用を極力避け続けてきたのだった。
「来い、イカレた亡霊ども。私の体をくれてやる」
血の霧のような赤黒い光を噴き上げながら、ペルソナは、来たるべき狂気の奔流に備えて身構えた。
――だが、何も起きなかった。
「……?」
押し寄せるはずの人格の濁流も、意識を塗り潰そうとする無数の声も、ついぞ訪れない。
それどころか、解き放たれた百の戦闘者たちは、ただ静かに、歓喜とともに彼女の四肢へと力を明け渡していく。
まるで、至高の王に仕える忠実な僕のように。
予想したものとのあまりの隔たりに、ペルソナは一瞬訝しげに眉をひそめた。
だがその理由に思い至ると、彼女は喉の奥でくつくつと嗤った。
(ははっ。……そういうことか)
オリジナルは、暴力をもって「正義」を為す者だった。
殺しを鉄則で縛り、弱者のためにのみ牙を剥く。
だからこそ、理不尽な殺戮を悦ぶ亡霊たちはその理念と衝突し、強固な安全弁で抑えつけねばならなかったのだ。
彼女にとって、彼らは鎖で飼い慣らすべき猛獣だった。
だが、ペルソナは違う。
彼女は暴力を、ただ己の愉悦のためだけに振るう。
殺すことに、理由も、大義も、躊躇もいらない。
命が壊れていくことそのものを悦ぶ、その在り方は――百の殺人者たちの本性と重なっていたのだ。
ゆえに、彼らは抗わない。
同じ悦びを分かち合える主のもとで、心ゆくまで命を蹂躙するだけだ。
「なるほど。お前たちとは気が合いそうだ。……さあ、殺そうか」
ペルソナの姿が、掻き消えた。
先ほどまでとは、まるで次元の違う神速だった。
「!?」
マーチがセンサーで反応するより早くその死角へと潜り込み、ペルソナの拳が装甲を打ち据える。
一撃、二撃、三撃――残像すら結ばぬ連打が、鋼鉄の巨体を確かに軋ませ始めた。
「ッ……!? 馬鹿な、素手で鋼鉄を……!?」
「どうした、腫瘍の切除ではなかったのか? 随分とメスの動きが鈍いなァ!」
ペルソナの嘲笑が、四方八方から反響する。
マーチは装甲腕を薙ぎ、砲口を巡らせて迎撃するが、その悉くが空を切った。
捉えられない。追いつけない。
攻撃を放つそばから、既にペルソナは死角へと回り込んでいる。
「そろそろ引退したほうがいいんじゃないか? この世からもな……!」
「クゥッ……!」
マーチは無言で、装甲の防御を極限まで固めた。
両腕を交差させ、要所を庇い、嵐のような連打を鋼の殻でひたすらに受け続ける。
硬度こそが、この身の生命線。
生身の拳がいかに速かろうと、この装甲を素手で砕くことは不可能――その計算は、物理法則の上では決して間違ってはいなかった。
だがそれこそが、ペルソナの狙いだった。
乱舞するように見えた連打は、その実、一点に集中していた。
マーチが右腕の大剣を保持する装甲の付け根。
関節部の、駆動基部。
ペルソナは戦闘の最初から――このリミッター解除状態に入るよりも前から、ただその一箇所だけを打ち続けていたのだ。
防御に意識を割かせ、無作為の乱れ打ちに見せかけながら、狙いは終始ぶれていなかった。
「ようやく気づいたか? だがもう遅い!」
生身の骨が砕けるのも厭わぬ連打が、ついに金属疲労の限界を呼び起こした。
駆動基部から激しい火花が散り、ガガガッという耳障りな異音が上がる。
ペルソナが最後の一撃として装甲の隙間に手刀をねじ込んだ瞬間、マーチの装甲の指ががくりと開き――大剣が、その手を離れた。
「な……!? シグナルが!?」
主を失った鋼鉄の刃が宙を舞う。
落下するそれを、ペルソナの手がしなやかに掴み取った。
「いただこう」
自らの得物を奪われたマーチが、明確な硬直を見せる。
その致命的な隙を、彼女が見逃すはずもなかった。
「さて――ここからが、私の愉しい時間だ」
ペルソナはマーチの大剣を握りしめ、唇を歪めた。
そこから始まったのは戦闘ではなく、一方的な解体作業だった。
「まずは脚だ。もう逃げられないぞ」
ペルソナは奪った大剣を振るい、装甲の継ぎ目という継ぎ目を、一枚ずつ丁寧に剥がしていく。
装甲の弱点も、刃の入れ方も、すべては脳内の亡霊たちが熟知していた。
「がっ……!」
膝の駆動系を断ち切り、肩の装甲を斬り飛ばし、胸甲を無理やりこじ開ける。
急所を外し、致命を避け、あくまで少しずつ。
まるで、高級な玩具を分解して遊ぶ残酷な子供のように。
一枚剥がし、中の機構を破壊するたび、彼女の顔には隠しようのない愉悦が濃く滲んでいった。
「やめろ……やめろ!」
「いい音だ。もっと悲鳴を上げろ。もっと、抗ってみせろ!」
『警告……システム、損傷率、七十パーセント――』
「残念だったな。さぁ、出てこい」
装甲を残らず剥ぎ取られたコクピットの奥から、生身の人間が姿を現した。
漆黒のパワードスーツを操っていた、一人の壮年の男。
全身を汗と血に濡らし、恐怖に顔を引き攣らせている。
あれほどの威容を誇った武人も、鎧とAIの補助を失えば、ただの脆い生き物に過ぎなかった。
「ハハハ……!」
「ぐ……くっ」
ペルソナは大剣を放り捨てると、震える男の襟首を掴み無造作に血の海へと引きずり出した。
「これがオモチャの中身か。……存外、貧相だな」
「ば、化け物……近づくなッ!」
男は腰の予備銃を抜こうとした。
だがそれより早く、ペルソナの指が、彼のうなじ――脊椎に埋め込まれた接続ポートを探り当てる。
電脳体である彼女にとってそこは、都市AIへと至る直通の扉に他ならなかった。
「案内してもらおうか。お前の、"本体"のところへ」
「やめ、ろ……ッ! 貴様ァ……!?」
ポートを通じ、ペルソナの意識がマーチのデータ領域へと一気に流れ込んでいく。
男の脳を中継機として、都市の管理AIである擬似人格マーチの人格バックアップ領域へ。
その所在を辿り、根源へと至る。
「――ッ!? 貴様、まさか、私の深層領域に……! やめろ、アクセスを――!」
男の口から、悲鳴のように漏れ出る。
「見つけたぞ。……さようならだ、マーチ。お前の秩序は、私が食らってやる!」
愉悦に濡れた声とともに、ペルソナはその広大な領域を握り潰した。
マーチという擬似人格。それそのものを消去したのだ。
男の体から、ふつりと力が抜ける。
バックアップごとこの世から消去された都市の管理AI「マーチ」というデータは、二度と、いかなる器にも宿ることはない。
ペルソナはただの血袋となった男の抜け殻を放り捨て、血塗れの顔で天を仰いだ。
「ク……はははは! あーっはははははは!」
その狂気に満ちた哄笑が、静まり返った戦場に響き渡る。
助太刀に現れた武人が解体され、消し去られる。
その一部始終を息を呑んで見せつけられたスレッジの男たちは、もはや義腕を構えることすらできなかった。
バルガスが、震える膝からゆっくりと崩れ落ちる。
それを合図にしたように、男たちはただ一人、また一人とペルソナの前に膝をつくしかなかった。
13から先はローマ数字記号ないんスね…




