【404】ペルソナ・Ⅻ
戦場の空気が凍りついた。
テンパードの群れが、潮の引くように後退していく。
際限なく突っ込んでいたはずの狂騒が嘘のように鳴りを潜め、彼らの視線が一箇所に集まった。
瓦礫を踏み越え、赤いジャケットの小柄な影が、ゆっくりと歩いてくる。
ペルソナだった。
その顔に浮かぶ濁った赤い瞳が、血の海に立つ鋼鉄の武人ただ一人を射抜いている。
誰に命じられたわけでもなくテンパードの兵は道を空け、スレッジの男たちもまた、義腕を下ろして後ずさった。
この異常な一騎打ちの間合いに割り込むことの無意味さを、その場の全員が本能で理解していた。
戦場の中に、奇妙な円形の空白が生まれる。
「ずいぶんと派手に散らかしてくれたな。お前がスーパーヒーローか?」
ペルソナは首をこきりと鳴らし、口の端を吊り上げた。
(……一見して隙がない。重装甲、高出力。素人の力任せではない、計算された重心移動……企業の量産兵器ではないな)
彼女の脳内に刻まれたデータが瞬時に眼前の敵を解析し、最適の型を選び出していく。
踏み込みの角度、重心の位置、関節の極め――そのすべてが、一切の無駄なく組み上がっていった。
「何者だ。名乗れ」
鋼鉄の武人は、返り血に濡れた大剣を静かに正眼へと構えた。
装甲の奥の双眸が、赤く冷たく灯る。
「地の底で膨れ上がるガン細胞を、切除しに来た。……私の名はマーチ」
「なるほど。以前間抜けな殺され方をしたオクトーバーくんの同類か」
次の刹那、ペルソナの姿が掻き消えた。
残像すら追わせぬ神速で、彼女はマーチの死角――右の脇下へ滑り込む。
装甲の継ぎ目、そのわずかな隙間へ、体重移動のエネルギーを乗せた肘打ちを叩き込んだ。
常人の肉体ならば、外傷を与えずとも内臓を完全に破裂させる浸透勁。
だが返ってきたのは、分厚い鋼を打つ硬い手応えと、自分の骨が軋むような反動だけだった。
「――硬いな」
「馬鹿め。生身の打撃で抜けるような装甲ではないわ」
マーチの反撃が来る。
薙ぎ払う装甲の裏拳が、たった今までペルソナの頭のあった空間を轟音とともに叩いていった。
圧縮された空気の刃が遅れて彼女の頬を掠め、一筋の血が走る。
「貴様のようなバグは、この地上から消すに限る!」
マーチの追撃は重く、そして速かった。
膝から放たれた蹴りが、地を割らんばかりの勢いでペルソナへ迫る。
彼女はそれを紙一重で見切り、当たる寸前で装甲の脛へ両手を添え、力の流れを躱すようにふわりと宙へ跳んだ。
「バグ、か。電子データのクズがよく吼える!」
ペルソナは跳躍の勢いのまま空中で身を捻り、マーチの兜の後頭部へ、精密な膝蹴りを叩き込んだ。
装甲の脆弱なセンサー接合部をピンポイントで狙った一撃。
視界を潰せば、いかな装甲も無力化できる。
だがインパクトの瞬間、甲高い金属音が響き、装甲の表面を火花が滑っただけだった。
精密機器の一つも砕けない。どこもガチガチに固められている。
「小賢しい。読めているぞ、小娘!」
着地際を狙って、マーチの拳が横薙ぎに振るわれる。
躱しきれないと悟ったペルソナは、咄嗟に両腕を交差させ、衝撃を逃がす角度で受けた。
それでも、装甲の質量がもたらす暴力的な一撃だ。
骨がしなり、鈍い痛みが全身へ突き抜ける。
彼女の体は数メートル後方へと弾き飛ばされた。
「ッ……!」
瓦礫の上でくるりと体勢を立て直し、ペルソナは痺れる腕を振りながら、にたりと嗤う。
「なるほど。硬くて、重くて、速い。おまけに急所の補強も完璧だ。三拍子そろって――ひどく面白味がない」
「遊びではない。駆除だからな」
言い終えるや、マーチの左腕が唸りを上げた。
前腕の装甲がスライドして開き、その奥から青白い光を溜めた熱線砲の砲口が覗く。
「火砲まで積んでいるとはな。至れり尽くせりだ」
ペルソナは地を蹴った。
放たれた光条が、彼女の立っていた地面を爆音とともに抉り飛ばす。
辛うじて跳び退った視界の端で、コンクリートの塊がドロドロに融解し、赤熱していた。
掠っただけであれだけの熱量だ。まともに浴びれば、生身の肉体など蒸発して跡形もなく消える。
(だが、射線は読める。砲身の向き、エネルギー充填のタイムラグ……見切れない速度ではない)
ペルソナの脳内で、冷徹な演算が回る。
百を超える戦闘者のデータが次々と交戦記録を照合し、最適解を探る。
対装甲、対重火器、対複数――しかし、いずれの技術を選んでも結論は同じだった。
圧倒的な硬度と火力。
この二枚の壁を、生身の技量だけで物理的に破壊する手立ては、存在しない。
「どうした。ダンスはもう終いか!」
マーチが砲口を再び向けながら、確実に間合いを詰めてくる。
ペルソナは瓦礫を蹴って左右へ翻弄し、その隙に幾度も懐へ潜り込んだ。
刃を掻い潜り、砲撃の射線を外し、装甲の関節部という関節部へ、正確無比な打撃を流し込む。
技量では、明らかに彼女が上回っている。
マーチは彼女を捕らえきれない。
だが――削れていくのは、ペルソナのほうだった。
(くっ……指の骨が、いかれたか)
完璧なタイミングで関節を打つたびに、生身の骨が軋み、ひび割れていく。
紙一重で躱すたびに、装甲の風圧が皮膚を裂く。
積み重なる小さな損傷が、やがて彼女の超人的なステップを、確実に鈍らせていった。
一方でマーチのスーツには、浅い傷跡がいくつかついただけで、駆動系には何の影響もない。
そして、その瞬間は訪れた。
「捕らえた」
「ちっ――!」
痛めた足首が、ほんの一瞬、踏み込みを遅らせた。
そのわずかな隙を、マーチの装甲の拳が捉える。
ペルソナの脇腹に、無慈悲に骨の砕ける音が響いた。
小柄な体が独楽のように回転しながら、瓦礫の山へと激しく叩きつけられる。
口から、赤黒い血がどっと溢れ出した。膝が笑い、視界が明滅する。
オリジナルと同じ規格の肉体である以上、その耐久力の限界もまた同じだった。
マーチはゆっくりと歩み寄りながら、機械を通した冷たい声で告げた。
「無駄だと言ったはずだ。……そもそも、お前の種はすでに割れている」
その一言に、瓦礫にもたれたペルソナの動きがわずかに止まった。
マーチの双眸が冷たく灯り、獲物の急所を正確に見据える。
「お前は複製異常個体だ。オリジナルの精製時に生じた、たった一度きりの偶発的なバグの産物」
「……それがどうした」
「同じ異常を、意図して再現することは我々をもってしても不可能――つまり、お前という個体をバックアップし、複製することは、この世の誰にもできない」
風が、燃え残る鋼材の隙間をひゅうと吹き抜けた。
「死なぬ軍勢を率いる女が、その実、この国でただ一人、一切のクローニングを許されぬ存在。……蘇るのはお前の兵だけで、お前自身は、一度死ねばそれきりだ」
沈黙が落ちた。
テンパードの兵たちが、動揺したように顔を見合わせる。
だが、ペルソナは笑っていた。
血に濡れた唇をゆっくりと、三日月のように歪めていく。
瓦礫に手をつき、折れた脇腹を庇いもせず、その体を悠然と起こしていった。
「ククッ……はははは! それがどうした?」
ペルソナは口元の血を手の甲で拭い、心底おかしそうにマーチを見上げた。
その濁った赤い瞳には、追い詰められた者の色など微塵もない。
「生命に、命が一つ。そんなものは、生き物として当たり前のことだろう。……お前たちが後生大事に管理し、ストリートのチンピラどもが縋りついている『蘇生』のほうが、よほど歪んでいるのだ」
「負け犬の遠吠えか」
「私はただ、生きとし生けるものと同じ土俵に立っているだけのこと」
彼女はぴきぴきと骨を鳴らしながら立ち上がった。
小柄な体から、常軌を逸した殺意が、陽炎のように立ち昇り始める。
「命が一つしかないことを、鬼の首でも取ったように、よくもまあ得意げに吼えたものだ」
その指が、こめかみの傍らに添えられる。
「……いいだろう。命が一つきりの獣が、どれほど醜く牙を剥けるのか……見せてやろう」
ペルソナの濁った赤い瞳の奥で、機械的な幾何学模様の瞳孔が、ぐるりと異様に回転した。
脳内に掛けられていた出力リミッターが、一つ、また一つと、警告音とともに外れていく。
「――リミッター解除」
その言葉を合図に、彼女の全身から、血の霧のような赤黒い光がどっと噴き上がった。
オリジナルのカーバンクルさんが結局一回しか使ってないリミッター解除




