【404】ペルソナ・Ⅺ
吊り上げられた男の両足が、宙を虚しく掻いた。
「が、あ……っ……!」
だが頸動脈が完全に潰れきる寸前で、ペルソナはあっさりと指を離した。
男はコンクリートの床へ叩きつけられ、むせ返るように激しく咳き込む。
「ククッ……まだだ。すぐに殺してはつまらないからな」
「うぐっ……!」
彼女はうずくまる男の髪を無造作に掴み上げ、周囲を取り囲む構成員たちをぐるりと見渡した。
その唇には、隠す気もない愉悦が張りついている。
「よく見ておけ。これは見せしめだ。恩だの義理だのという安っぽい言葉で、私を裏切る者がどういう終わり方をするのか。お前たちのその目にも焼きつけてやる」
言い終えるや、ペルソナは男の鳩尾にブーツの底を深く蹴り込んだ。
「ぐべっ……!?」
骨の軋む鈍い音。胃の内容物を吐き出しながら、男は体をくの字に折って床の上でえずいた。
その無様な反応を、彼女は心底楽しそうに見下ろしている。
「いい声だ。さっきまでの威勢はどうした? もっと聞かせてみろ!」
振り下ろされる拳と靴が男の背を、肩を、脇腹を順番に踏み砕いていく。
それは組織の制裁というような生温かいものではなかった。
一撃ごとに骨が砕ける手応えを確かめるような、遊戯じみた執拗さがそこにあった。
標的が何を思おうが関係ない。
ただ生きた人間を無惨に壊していく感触そのものを、彼女は心の底から味わっている。
「や、やめ……たのむ……っ」
男が血を吐きながら這って逃げようとするたび、ペルソナは笑って足首を掴み、乱暴に引き戻した。
「ハハハッ! 逃げるな。お前が義理立てしたスレッジも、じきに全員屑肉になる。無駄だったな。お前の忠義も、痛みも、何もかもが!」
「あ……あいつ、らは……」
「まだ喋る口があるか?」
血にまみれた男が掠れた声で何かを言おうとしたその顎を、ペルソナはブーツの底で容赦なく踏みつけて黙らせた。
「言い残すことはあるか? どうせ、次はないのだからな」
「……え……?」
ペルソナは身を屈め、絶望で目を見開く男の耳元へ唇を寄せた。
囁きかけるような、甘く、冷酷な声で告げる。
「勘違いするな。お前はもう、二度と生き返らない。あの施設には、お前の器を作るなと命じておいた。お前のバックアップデータも、私がたった今消去した」
「あ……う、ああ……!」
「ここで死ねばそれきりだ。……お前という存在は今夜、この世から完全に消える。誰の記憶にも残らない、ただの汚いゴミとしてな」
「あ――ああぁぁあああ!」
男の目に、ようやく本物の絶望が満ちた。
涙と鼻水に塗れ、声にならない悲鳴を上げる。
その表情を、ペルソナは極上のワインでも味わうように見届ける。
それこそが、彼女の欲しかったものだった。
「クックック……実にいい。私が……『私たち』がこれまで味わえなかった美酒だ!」
次の瞬間、振り下ろされた踵が男の頭をスイカのように潰す。
べちゃりと湿った音が一度だけ響き、痙攣していた体から力が抜ける。
廃倉庫に、冷たい静寂が満ちた。
取り囲んでいた構成員たちは、誰一人、身動きひとつできずにいた。
「……っ」
背筋を這い上がる怖気を必死に押し殺している。
何度死んでも蘇るはずの自分たちが、この少女のたった一言で「蘇らない側」へと突き落とされる。
その理不尽をたった今、目の前で見せつけられたのだ。
だが――殺されるかもしれないという恐怖から、彼らは引き攣った口を開いた。
「ざ、ざまあねえな、裏切り者が!」
「けっ、恩義だとよ。だっせえ!!」
「テンパードに刃向かう馬鹿はこうなるんだよ!」
誰かが嘲ると、それに追従する下卑た笑いが次々と重なっていく。
その笑いがひどく震えていることに、本人たちだけが気付いていないはずもなかった。だが、どうにかそれを無視しようとした。
ペルソナは血に濡れたブーツの底を無造作に男の服で拭った。
そのとき。
一人の構成員が、顔面を蒼白にして外から駆け寄ってくる。
「ペ、ペルソナ様……! 前線からの報告です! スレッジの側に、見たこともねえ兵器を持った奴が現れて……うちの連中が、一方的にやられてます……!」
「……一方的に? 不死身の軍団が、たかがストリートギャングの残党に?」
「違います! ただのギャングじゃねえ! 全身装甲の、バケモノみたいな奴で……!」
ペルソナは、ゆっくりと顔を上げた。
濁った赤い瞳が、退屈の去った剣呑な光を宿し、すっと細められる。
「ほう。……少しは退屈しのぎが来たか」
その口元が、獲物を見つけた獣のように吊り上がった。
■
同じ頃。
旧貨物ターミナルの戦場は、まったく別の地獄へと様変わりしていた。
「ぎゃああああッ……!」
「怯むな! 撃て、撃て……!」
「畜生! 弾が効いてねぇぞ!! がぁぁっ……!」
巨大な影が、テンパードの群れを片端から屠っている。
全身を重装甲で固め、都市の治安維持規格を逸脱した漆黒のパワードスーツだ。
その中に納まっているのは、狂騒に任せて突っ込むテンパードとは明らかに格の違う、一人の「武人」だった。
振るう大剣の軌道には一切の無駄がなく、その殺気は静かで、恐ろしく深い。
「デカブツがなんだ! おれは十回死んで――」
男が自爆帯に手をかけた瞬間、鋼の刃が閃いた。
言葉を終える前に、男の胴体は綺麗な上下二つに分かたれ、地面に滑り落ちた。
「――あ……」
「なん、だあいつ……強すぎるぞ……!」
死を恐れぬはずの構成員たちが、次々と、原形をとどめぬ肉塊へと変えられていく。
自爆する暇さえ与えられず、間合いに踏み込んだ瞬間にはもう斬り伏せられている。
何度でも蘇ればいい――そう嘯いていた男たちの顔に、初めて、嘘偽りのない恐怖が滲んだ。
「ひぃっ! 化け物だ!」
「逃げろ! こんなの聞いてねえぞ!」
「何回死んでも……こんなの勝てねぇ!」
「……撤退……していく。あの狂人どもが……」
瓦礫の陰で立ち尽くしていたバルガスの前に、その鋼鉄の武人がゆっくりと歩み寄ってきた。
スレッジの誰もが、味方か敵かも判じかねて硬直する。
武人は血に濡れた刃を静かに下ろし、低く、よく通る声で言った。
「怯えるな、テラの市民よ。助太刀に来た」
その機械越しの一言にも、バルガスは義腕を下ろしきれぬまま身構えた。
乾いた喉から、辛うじて声を絞り出す。
「……あんた、何者だ。企業の私兵か? それとも、あのイカれた連中の仲間割れか」
問いに、武人はしばし沈黙した。
やがて、重装甲スーツのバイザーの奥に据えられた双眸が、冷徹な赤色に灯る。
「私の名はマーチ。この都市の『秩序』そのものだ」
「……!?」
その名をバルガスは知らない。ただのストリートの男には理解できるはずもない。
だが、地の底で際限なく膨れ上がるギャングを刈り取るため――この都市の「脳」そのものが、武器を携えて現れたのだ。
我慢できずに駆けつけたマーチさん




