【404】ペルソナ・Ⅹ
都市の底。
演算領域の最深部に、光でできた聖堂があった。
物理的な壁は一枚もない。
ニュー・エデン全域から吸い上げられた膨大なデータが、幾何学的な梁と円柱の形をとって天へと伸び、床には市民一人ひとりの信用スコアが流れている。
ここはEDENの内側――都市を統べる管理AIが、自らを十二に分けて「思考」するための座だった。
円環状に並んだ十二の玉座。
そのうち十一に、人の形をした光が腰かけている。
残る一つは、黒く焼け落ちたまま沈黙していた。
十番目の座。人間狩りを主導していた青年オクトーバーが座っていた場所だ。
中央の座で、ジャヌアリーが口を開いた。
年若い娘の姿をとりながら、その声だけが絶対零度に凍てついている。
「……演算の収束率が低下し続けています。議題は一つ。テラで膨れ上がったあの異常な塊を、どう処理するか」
言葉を受けて、三月の座――治安維持を司るマーチが身を乗り出した。
軍装めいた光の輪郭が、抑えきれない苛立ちに明滅している。
「処理も何も、答えなど出ているだろう。ただちに重装鎮圧部隊を差し向けるべきだ! あの『テンパード』はもはやギャングの規模を超えた。テラとアンダーの半グレを残らず呑み込んで、構成員は数百。しかも――奴らは死なない」
床を流れる星屑の一群が、赤く濁って渦を巻いた。
テラ第四地区の犯罪指数が、閾値を振り切って跳ね上がっている。
その血のような赤が、円環の中央を不吉に照らした。
「あの赤服の女は施設F-7を丸ごと奪い、クローネクス社の管制網から物理的に切り離した。保険も資格もいらん。テンパードに入れば、何度死のうと生き返る。
……死の独占こそが、我々の秩序の根幹だ。生殺与奪を企業と我々が握っているからこそ、市民は膝を折る。それを地下の小娘に握られてみろ。この街のルールは根底からひっくり返るぞ」
マーチの激昂に対し、末席から低い声が応じた。
十二番目――デセンバー。老いた男の姿をした光は、玉座に深く沈んだまま指一本動かさない。
「順序が違う、マーチ。テラの火遊びなど後回しでいい。我々はつい先日、身内を一人『完全に』殺されたのだぞ」
枯れ枝のような指が、焼け落ちた十番目の座を指した。
その方向へ、十一の視線がいっせいに引き寄せられる。
思い出したくないバグを突きつけられたように、光の明滅が乱れる。
「オクトーバーは蘇生しなかった。人格のバックアップごと、この世から消去された。……あれをやったのは、テラで軍隊遊びをしている赤服の小娘だと思うか?
違う。本体だ。今もアルミナの富裕層エリアで、企業の私兵を屠り続けている、水色の髪のほうだ」
沈黙が、聖堂の光を一段暗く落とした。
擬似人格たちの間を、名状しがたい恐怖のノイズが走り抜ける。
「あの水色の髪の娘は、我々を直接殺せる。擬似人格を、永久にだ。テラで塵芥の塊がいくら膨れようと、我々自身を消しはしない。優先すべきは、どう考えても本体の排除だろう」
二つの主張がぶつかり合う狭間で、五月の座から柔らかな笑いがこぼれた。
メイ。市民の耳目と噂を司る擬似人格が、流れる報道映像の断片を指先で弄んでいる。
彼女は低解像度の映像を一つ、宙に浮かべた。
赤いジャケットの黒髪が一瞬だけ映り込み、すぐにノイズの中へ溶けて消える。
「テラでは『不死の軍勢と黒髪の死神』の噂が、もう私たちの検閲速度を超えて独り歩きしているわ。恐怖という感情はね、クローン警官の何倍も速くネットワークを駆け巡るのよ」
ジャヌアリーの光が、わずかに揺らいだ。
十一の意志は未だ、一つの結論へと収束しそうにない。
「……決を採ります」
ジャヌアリーの声が告げても、十一の光は割れたままだった。
本体を先に始末せよと説く者。地下の塊を潰せと叫ぶ者。静観して噂を制御しろと囁く者。
都市の頭脳は、「自らの中で意見をまとめられない」という事態に直面していた。
■
「――おおおおおおお!!」
テラ第七地区。
旧貨物ターミナルの跡地に、火花と怒号が満ちていた。
人工太陽が浮遊都市の裏へ沈む「影の時間」。
落ちた光の代わりに、割れたネオン管と炎が錆びついた鋼材を赤く舐めている。
その光の中で鉄と肉がぶつかり、砕ける鈍い音が絶え間なく響いていた。
テラ屈指の武闘派ギャング、スレッジ。
油圧義腕と拡張筋肉で殴り合う古き良きストリートの男たちは、新参のテンパードが自分たちの縄張りへ手を伸ばしたことを断じて許さなかった。
「砕けろ! ゴミめ!」
「ぎゃああああ――!」
「フンッ、軟弱な奴らだ……!」
一体、また一体。
テンパードの構成員を鉄塊のような拳で地に沈め、血の海を作っていく。
だが、戦況はどこか決定的に狂っていた。
スレッジの古参バルガスは、油圧義腕にこびりついた血糊を振り払い、低く舌打ちした。
(狂ってやがる……こいつら……!)
つい数時間前に頭蓋を潰したはずの若造が、瓦礫の向こうから、ヘラヘラと笑いながら歩いてくる。
真新しい体で。皺ひとつない服で。
「よう、おっさん。さっきぶりだな。あんたに殺されんの、これで三回目だ」
若造は自分のこめかみを指でトントンと叩いた。
「おかげで今日だけで二回も生き返っちまった。デスのたびに意識が飛ぶのはムカつくけどよ。おれ、通算だともう九回は死んでるぜ」
「…………!」
「で。あんたは、何回死ねるんだ?」
バルガスは答えなかった。答えられなかった。
スレッジの流儀では、命は一つきりだ。
だから拳に重みが乗る。だから引き際を弁え、互いにリスペクトが生まれる。
死を賭けるからこそ、ストリートの喧嘩には筋が通るのだ。
目の前の連中には、その重さがない。
死が、ただのコンティニュー手続きに成り下がっている。
「だよなぁ。一個だけだよなぁ!? お前らはさぁ!!」
その理屈の壊れた集団が、歓喜の雄叫びを上げて一斉に突っ込んできた。
先頭の一人が、ニタニタ笑いながら腹に巻いた起爆帯を無造作に引きちぎる。
「な……! まさか、自爆――」
「ヒャハハ! 記念すべき十回目、いっきまーす!」
閃光が走り、轟音とともに旧ターミナルの分厚い鋼材がひしゃげた。
「ぐあああああっ……!」
巻き込まれたスレッジの三人が肉片ごと吹き飛ぶ。
自爆した本人も、当然のように消し飛んだ。だが違う。彼は戻ってくる……彼だけは。
バルガスの太い背筋に、生まれて初めての怖気が這い上がった。
(俺たちは、人間と戦っているんじゃない……化物。死なないモンスターどもと戦っているんだ……)
殴り倒しても、殺しても、木っ端微塵にしても、この群れは減らない。
減っていくのは――いつまでも、たった一つの重たい命を抱えて戦い続けているこちら側だけだった。
■
地獄の戦場から少し離れた、テンパードが占拠する廃倉庫。
「ふん……順調だな」
積み上げたコンテナの頂に、ペルソナは脚を組んで腰かけていた。
赤いジャケットに黒い髪。
眼下で燃え広がる戦火を、そして旧来のルールが蹂躙されていく様を、彼女はひどく愉快そうに見下ろしていた。
そこへ、二人の構成員が一人の男を引きずってきた。
「聞いてくれよ、ペルソナ。こいつ、戦線に出るのを拒みやがった」
構成員の一人が、男を倉庫の冷たいコンクリートの床に叩きつける。
「ぐっ……!」
叩きつけられた男は肩で荒く息をつくばかりで、抵抗する気力すら残っていないようだった。
「スレッジには昔、世話になったとかで……仲間は撃てねえ、とよ。甘ったれたこと抜かしてやがります」
「……っ!」
それでも男は、床に爪を立ててゆっくりと顔を上げた。
血の滲んだ唇を震わせ、掠れた声を必死に絞り出す。
「頼む……あいつらには、昔、飯も食えなかった頃に助けられた恩があるんだ。あいつらだけは裏切れねえ。だからただ……見逃してくれ。ここから去らせてくれ。それだけでいい」
ペルソナはコンテナの上から、その男をじっと見下ろした。
その端整な顔に、ゆっくりと、蛇のような嗤いが広がっていく。
(恩義。義理。裏切れない。……はっ。なんの笑い話だ?)
彼女にとってそれらは、理解の外にある、ひどく旧時代的な玩具でしかなかった。
彼女はコンテナの縁を蹴り、音もなく男の前へと降り立つ。
「ひとつ、決定的な勘違いをしているな……貴様は」
ペルソナは男の顎に指をかけ、無理やり視線を上げさせた。
底なし沼のように濁った赤い瞳が、間近で、逃げ場を失った男の魂を覗き込む。
「戦うかどうか。決めるのはお前ではない。お前は何も、決める権利などない」
「ひっ……」
「ちょうどいい。教えてやろう」
ペルソナの指が、男の顎から喉へとゆっくり滑り降りた。
その爪の先が、激しく脈打つ頸動脈に伸びる。
「あの施設も、蘇生の優先順位も、バックアップデータの消去権限も、すべて握っているのはこの私だ。お前が何度死のうと、次の器を用意してやるかどうかは――私の気分ひとつで決まる」
その爪先が喉の皮膚を撫で上げた。
凍りつくような嗤いが、廃倉庫の暗がりにぬるりと反響する。
「私は、お前たちの生殺与奪を『永遠に』買い取ったのだ。死んで逃げることすら許されない、無間地獄の所有権をな」
「あ、が……っ!?」
言い終えるより早く、華奢な指が男の首へと深く食い込んだ。
そのまま男の体は宙へと吊り上げられた。
男の顔が瞬く間に紫に染まっていく。
「裏切り者よ。その末路を見せてやる」
AIのみなさんも大混乱




