【404】ペルソナ・Ⅸ
クローネクス社中級製造施設F-7。
(企業という生き物は、つくづく足が速いものだ)
ペルソナが施設に近づいたとき、正面ゲートには見慣れない車両が三台停まっていた。
クローネクス社のロゴを入れた黒い装甲車。少し前に自分が皆殺しにした警備員の後を受けて、本社から異常調査の人員が派遣されていた。
施設の周囲には制服姿の調査員と、それを護衛する武装警備が展開している。
発電設備の破壊、警備員の全滅、そして生成された個体の消失。
クローネクス社にとって看過できない事態だった。
ペルソナはゲートに向かってまっすぐ歩いた。
赤いジャケットにプリーツスカート。子供服を着た小柄な少女が、物々しい装甲車の間を縫って現れる。
その場にそぐわない姿に、最初に気づいた調査員が呆れたように声を上げた。
「おい、そこの子供。ここは立入禁止だ。他所へ行きなさい」
ペルソナは足を止めない。ただ、冷え切った赤い瞳で調査員を見据えた。
異常を察知したのか、護衛の武装警備が素早く前に出た。
彼らのタクティカルバイザーが、ペルソナの顔を認証データと照合する。
「待て……照合完了。この個体だ。消失した生成個体と完全に一致!」
「バカな……こんな小娘が、前任の一個小隊を全滅させたと?」
「とにかく確保しろ――」
怒号が飛び交い、複数の銃口が一斉にペルソナに向けられた。
武装警備が半円形に展開し、レーザーサイトの赤い点がペルソナの胸元に集まる。
調査員たちが慌てて装甲車の陰に退避した。
ペルソナは銃口の群れの中心でようやく足を止め、ゆっくりと周囲を見渡す。
向けられた殺意など、そよ風程度にしか感じていない。
彼女の口元に、底知れない笑みが浮かんだ。
「ちょうどいい。本社の人間が揃っているなら、手間が省ける」
「動くな! 手を頭の後ろに――」
「お前たちの持つ上位アクセス権限ごと、この施設を頂こうか」
銃声が響く直前、ペルソナの影が弾けた。
■
――テンパードの根城。埃っぽい管理室。
「……ああ……お前か……」
「疲労困憊だな」
ペルソナがドアを開けたとき、ダリオは複数のギャング組織の代表者との会合を終えたばかりだった。
デスクの上には紙の帳簿が積み上がり、その隣に新しい構成員の名簿が広がっている。
グリム・ダイスの人員、周辺の小規模ギャング。組織は日ごとに膨れ上がっていた。
「戻ったか。F-7は――」
言いかけたダリオは、言葉を飲み込んだ。
ソファに腰を下ろし、優雅に脚を組んだペルソナ。
その赤いジャケットには、べっとりと新しい返り血がこびりついていた。
ダリオは裏社会の古株だ。それを見れば、何が起きたかは容易に察しがついた。
「……制圧完了だ。大した歓迎ではなかったが」
「おいおい、冗談だろ。本社から派遣された部隊を全滅させたのか?」
「クローネクス社のネットワークからは完全に切り離した。施設の制御系は私が掌握している。もうあの工場は私のものだ」
事もなげに言う少女に、ダリオは渋い顔で頭を掻いた。
(この怪物は、自分がどれだけヤバい橋を渡っているか分かっているのか?)
「……本社が黙っていないだろう。調査部隊が消えたとなれば、次は重武装の殲滅部隊が来るぞ。俺たち程度のギャングじゃ、企業の軍隊には太刀打ちできねえ」
「来ないさ。いや、正確にはすぐには『動けない』」
「……どういう意味だ?」
「クローネクス社にとって、F-7は数ある中級施設の一つに過ぎない」
ペルソナは楽しげに指を組んだ。
「異常個体の生成、警備員の全滅、そして今回の調査人員の消失。この一連の事態を本社が正確に把握し、部門間でリスク評価を行い、役員会議で対応を決定するには時間がかかる。
組織が大きいほど、企業の神経伝達は絶望的なまでに遅い。その間に、私は既成事実を積み上げる」
ダリオは椅子に深く座り込んだ。
この少女は、単なる戦闘力だけの怪物ではない。
組織の論理を理解し、敵の弱点を的確に突く。
クローネクス社という巨大企業の官僚的な鈍さすら、完璧に計算に入れている。
「それで、あの工場をどう使う気だ。まさか、俺たちにクローンの作り方を学べって言うんじゃないだろうな?」
「そう言ったろう。命を配る」
ペルソナは立ち上がり、管理室のモニターにF-7施設の内部構造を表示させた。
緑色のワイヤーフレームで描かれた培養槽の列、意識データの記録装置、蘇生ライン。
今はすべてが彼女の支配下にある。
「テンパードの下に入った人間には、クローン保険を与える。事前に遺伝子と意識データを施設に登録しておけば、死んでも蘇生できる。ギャングにとって最大の弱点だった『命が一つしかない』という制約を取り払う」
ダリオは息を呑んだ。
「……クローン技術なんて贅沢品を、その日暮らしのクズどもに与えるっていうのか」
「準備を進めろ、ダリオ。より多くのギャングを受け入れる態勢を作れ」
ペルソナの瞳が、妖しい光を帯びた。
「噂はすぐに広まるぞ。死なない体を手に入れられると分かれば、この街の裏社会の人間がこぞってうちに集まってくる。彼らを縛るのに金や義理は要らない。命そのものを与えればいい」
■
ペルソナの言葉は、恐ろしいほど正確だった。
噂が広まるのに、三日もかからなかった。
『テンパードに入れば、死んでも蘇る』『クローン保険を、ギャングが手に入れられる』。
ツイライト・フリンジからアンダーまで、その噂は地下水脈のように広がっていった。
最初は誰もが鼻で笑った。裏社会の人間が蘇生されるなど、あり得ないおとぎ話だった。
だが、実例が出た。
テンパードの下についた小さなギャングの構成員が、抗争で蜂の巣にされて死亡した。
しかし三日後、F-7施設からその男が歩いて出てきたのだ。
『嘘だろ……お前、本当に生きてるのか!?』
『ああ、首筋にチップを埋め込まれた時の記憶が最後だが……気づいたらあの培養槽の中で目が覚めたんだ』
同じ顔、同じ記憶、同じ人間が、何事もなかったように酒場に戻ってきた。
その事実が確認された瞬間、噂は熱狂的な確信に変わった。
人が、殺到し始めた。
『頼む! 俺も……俺もクローンをさせてくれ!』
『死んでも生き返れるなんて夢みてぇだ……!』
周辺の中小ギャングが、続々とテンパードへの合流を申し出た。
縄張りを差し出し、傘下に入る代わりに、クローン保険を要求した。
それだけではない。
アンダーの闘技場で名を馳せた腕自慢、傭兵まがいの一匹狼、行き場を失ったリベリオン・クローン。
死を恐れなくていい組織の噂は、力を持つが命を惜しむあらゆる人間を吸い寄せた。
テンパードの根城は連日、合流希望者の熱気で溢れかえった。
「……速すぎる」
ダリオは管理室で、膨れ上がる名簿の束を前に額を押さえていた。
数日前まで三十人程度だった組織が、すでに三百人を超えようとしている。
しかも増加は止まる気配がない。
資金も人員も雪だるま式に増えていくが、ダリオの心にあるのは歓喜ではなく、底知れない恐怖だった。
(俺が束ねていたのは、ただの街のチンピラだ。だが、こいつが作ろうとしているのは――)
「ペルソナ。人が集まりすぎている」
ダリオの声には、隠しきれない焦りが滲んでいた。
「このペースで増えたら、俺たち古株だけじゃ顔も名前も覚えきれねえ。統制が効かなくなるぞ。急激に膨れ上がった集団は、必ず内部から瓦解する。組織ってのは、ただ大きくすればいいってもんじゃ――」
「問題ない」
ペルソナはモニターの前に立ち、増え続ける合流希望者の映像を静かに眺めていた。
管理室の窓の外、施設の前の広場には武装した人間たちが長い列を成している。
この都市の裏側で燻っていた暴力が、今、一つの場所に集結しつつある。
ペルソナの口元に、冷酷な笑みが浮かんだ。
「ダリオ、お前はまだ古い組織論に囚われている。統制など要らない。必要なのは、私を頂点とする絶対的な序列だけだ」
「序列、だと?」
「そうだ。彼らを縛るのは忠誠心や仁義ではない。プラグ一本で断ち切れる『命のバックアップ』だ」
ペルソナは窓ガラスに手をつき、群衆を見下ろした。
「命を握っている者が、この集団の頂点にいる。死んでも蘇らせるのも、データを消去して二度と目覚めさせないのも私の一存だ」
「な……!? お前、まさか……!」
「命のへその緒を私が握っている以上、もはや奴らの誰も、私には逆らえない」
窓の外の広場では、なおも人が集まり続けていた。
死を克服した軍勢が少女の名の下に、静かに、そして確実に数を増やしている。
「見ろ、ダリオ。これが力だ。EDENが作ったかりそめの秩序の外側で、私だけの秩序が生まれ始めている」
ダリオは名簿を握りしめたまま、その光景を見ていた。
(……この女は。本気で、この国を支配するつもりか)
焦燥と、そして抗えない畏怖の入り混じった目でダリオが見つめる中。
ペルソナは窓ガラスに映る自分の姿に、ひどく満足げに目を細めた。
■
セレスト近縁のアルミナ、歓楽街の高級ホテル。三十四階、スイートルーム。
カーバンクルは依頼の報酬で取ったこの部屋のソファに深く沈み、天井まで届く窓の外を眺めていた。
アルミナの夜景は宝石を敷き詰めたように煌めいている。
テラから見上げても届かない光の層。ここは、その内側だった。
(……今回の依頼は楽だったな。まさか加害者がクローン保険非加入とは……)
壁面の大型モニターが、消音のままニュースを流している。
ノア・コミュニケーションズの深夜報道。何気なくカーバンクルの視線がそちらに向いた。
テラの映像だった。ファウンドリー・ベルトの工場群。
その前の広場に、武装した人間が群れを成している。
テロップが流れる。
「テラ地下社会、大規模再編か」「複数のギャング組織が急速に統合」。
カーバンクルはリモコンに指を伸ばし、音声を戻した。
『――ここ数日、テラのファウンドリー・ベルト周辺で、複数のギャング組織が急速に一つの勢力へと統合される動きが確認されています。
関係筋によれば、その規模は既に数百人に及び、なおも拡大を続けているとのことです。当局はコメントを控えていますが――』
映像が切り替わる。ギャングたちの列。
その奥、施設の入り口に、小柄な人影が一瞬だけ映った。
赤いジャケット。黒い髪。
解像度は低く、顔ははっきりと映らなかった。報道は次の話題に移り、映像は消えた。
カーバンクルはモニターを見つめたまま、動かなかった。
(……今のは……)
赤い瞳が、モニターの残光を捉えている。
クローン施設のオフライン。
エラーを吐いた生成命令。取得できなかったログ。
あの夜のことが、頭の片隅で小さく音を立てた。
「…………」
カーバンクルはリモコンを置き、窓の外に目を戻した。
アルミナの光の遥か下、テラの薄暗い地表で、何かが蠢き始めている。
ようやく気づいたのか…?




