【404】ペルソナ・Ⅶ
テンパードの根城に戻ったのは、夜明け前だった。
「戻ったぞ」
ペルソナが管理室のドアを無造作に開けると、ダリオはデスクで帳簿を開いたまま突っ伏していた。仮眠を取っていたらしい。
ドアの音で目を覚まし、寝ぼけた顔でペルソナを見た。
だが、その赤いジャケットに付着した凄惨な返り血の量を確認して、瞬時に覚醒した。
「……終わったのか」
「サヴォイ以下全員。一人残らずな」
ダリオは息を呑み、椅子に座り直して額を手で覆った。
帳簿の上に置いた端末で、ブラック・ホーネットのアジト周辺の監視カメラを確認しているのだろう。
数秒の沈黙の後、重く深い息を吐いた。
「五十人を、一人で。……たった一晩でか」
「三時間だ。一晩もかかっていない。あの程度の雑魚なら準備運動にもならん」
ダリオは何も言わなかった。言葉を選んでいるのか、言葉が見つからないのか。
やがて帳簿を閉じ、新しいページを開いた。
「となれば……ホーネットの縄張りが、丸ごとうちに転がり込むことになる。ファウンドリー・ベルト東端から中央部までの流通ルート、商店のみかじめ料、それに合成ドラッグの製造拠点」
「当然だ。勝者が全てを総取りするのは、どの世界でも変わらぬ道理だからな」
「だが、大きな問題がある」
ダリオはペンを置き、ペルソナを真っ直ぐに見た。
「縄張りが倍になっても、うちにはそれを管理する『倍の人間』がいない。ホーネットの流通ルートを維持するには最低でも二十人の追加要員が要る。それに――」
「金がない。そう言いたいのだろう」
ダリオは小さく頷いた。恥じる様子もなく、事実として認める態度だった。
「テンパードは元々、薄利多売の組織だ。大きな貯蓄はほぼない。ホーネットの金庫にいくらか残っているだろうが……新規の人材を雇うには足りない。急激な拡張は、組織を内側から崩壊させる」
ペルソナはソファに腰を下ろし、脚を組んだ。
赤いジャケットの血がソファの布地に染みていくのを、気にする素振りもない。
「情けない奴だな、ダリオ。縄張りを得ても、それを活かす力すらないとは」
「否定はしない。だから、お前を引き入れたんだ」
「……フッ、まあいい。金と人は私が何とかしてやる。お前はお得意の帳簿を整えて、受け入れ態勢を作っておけ」
ダリオの眉が動いた。
「金を何とかする、とは?」
「稼ぐんだよ。手っ取り早くな。……元手として、今ある現金を少し貸せ」
■
ツイライト・フリンジ。テラとアンダーの境界地帯。
この一帯には、ブロンズ層の表の顔からは見えない薄汚い経済圏が存在する。
闇カジノ、非合法の格闘場、偽造エデン・チップの換金所。
どれも公式には存在しないが、テラの住人なら誰でもその噂を知っている。
ペルソナが足を向けたのは、ツイライト・フリンジの南端にある「ネオン・ピット」という闇カジノだった。
廃棄された公設VRセンターの跡地を改造した施設で、表向きはリサイクルショップ。
裏口から地下に降りると、テラの安月給を夢と絶望に変換する空間が広がっている。
(ふん。鉄火場か……)
運営しているのは「グリム・ダイス」。
ツイライト・フリンジに根を張る中規模のギャングだ。
暴力よりも金の流れで縄張りを維持するタイプの組織で、テンパードとは直接の敵対関係にはない。
地下への階段を降りると、合成タバコの煙とアルコールのむせ返るような匂いが纏わりついてきた。
薄暗い照明の下に、ルーレット台が四つ、カードテーブルが六つ、奥にスロットマシンの列。
客層はテラの労働者が中心で、シフト明けの作業着のまま来ている者も多い。
ペルソナはカードテーブルの一つに、堂々と座った。
赤いジャケットにプリーツスカートの『子供』がカジノに現れたことに、周囲の客が怪訝な視線を向ける。
だがツイライト・フリンジでは、他人の素性を詮索しないのが暗黙のルールだった。
「……チップを」
ダリオから前渡しされたわずかな現金をテーブルに置いた。
ディーラーが無言でチップに替える。雀の涙ほどの量だった。
最初のゲームはブラックジャック。
ペルソナの暗い赤の瞳が、ディーラーの手元を捉えた。
カードがシューから滑り出す瞬間の角度、表面の微細な傷のパターン、ディーラーの指の動きの癖。
戦闘データに含まれる並外れた動体視力と情報処理能力がフル稼働していた。
一枚目が配られる。二枚目。
ディーラーの手がシューに触れる角度が0.3度変わった――次のカードは絵札だ。
「ステイだ」
結果、ディーラーがバースト。ペルソナの手元のチップが倍になった。
「ふん……造作もないな」
二戦目。三戦目。五戦目。
ペルソナは淡々と勝ち続けた。
派手な賭け方はしない。毎回わずかに額を上げながら、確実に勝つ。
カウンティングですらない純粋な動体視力と計算速度で、カードの流れを読んでいた。
「……っ!」
「どうした。次のゲームだ」
「おいおい、あの嬢ちゃん……とんでもねえ勝ち方だぜ」
十戦目を過ぎた頃には、ペルソナの手元のチップは最初の二十倍になっていた。
周囲の客が遠巻きに見始めている。ディーラーの額に嫌な汗が浮かんでいた。
ペルソナは積み上がったチップの山を眺め、口の端を持ち上げた。
(……オリジナルも、かつてネオ・アルカディアでこうして稼いだな)
脳裏に、記憶が蘇る。ウエスト区のルビーパレス。あのときは脳波を制御してスロットを騙したのだったか。
あの頃のオリジナルは、金をただの「道具」としか見ていなかった。
生きるために必要な最低限の資源。大量に持っていても、特に使わないただの数字。
(だが、私にとっての金は違う。金は手駒を動かす燃料だ)
人を雇い、武器を買い、情報を握るための血液。
この都市の秩序を喰い破るには、暴力だけでは足りない。
暴力を効率よく運用するためのシステムが要る。
その土台が、金だ。
(稼ぎ方は同じでも、目指す玉座が違う。……皮肉なものだな)
十五戦目。チップの山がテーブルの端からはみ出し始めた。
ついに、ディーラーの手が止まった。
カードを配る手ではなく、テーブルの下に手が伸びる。
呼び出しボタンを押した音が、かすかに聞こえた。
「……ふっ」
二分後、カジノの奥から男が二人出てきた。
黒いスーツ。体格はどちらも大柄で、スーツの下の筋肉が布地を押し上げている。
顔に愛想はなく、目だけが鋭くペルソナを射抜いている。
グリム・ダイスの用心棒。カジノで異常な勝ち方をする客を「処理」するための人員だ。
周囲の客が、さりげなくテーブルから離れ始めた。
ツイライト・フリンジの住人は、危険の空気を読むのが早い。
ペルソナはチップの山に肘をつき、退屈そうに頬杖をした。
赤い瞳が黒服の二人を捉え、傲慢で残忍な笑みが浮かんだ。
「随分と遅いお出迎えだな。……責任者に会いたい。案内してもらえるか?」
毎度毎度カジノをATMかなにかだと思っておられる




