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【404】ペルソナ・Ⅲ

 ファウンドリー・ベルトの外縁を歩きながら、ペルソナは自分の足元を鬱陶しげに見下ろした。


(……話にならないな、この格好は)


 ブーツが大きすぎる。一歩ごとに踵が浮き、コンクリートをズズッと引きずる音が鳴る。

 ジャケットの袖は指先から十五センチも余っていて、カーゴパンツの裾は三回折り返してもまだ地面に擦れている。


 作業員の成人男性向けの服を着ているのだ。

 戦闘能力以前に、この格好ではまともに走ることすら覚束ない。


「……まずはまともな装備を調達するか」


 マーチャント・ロウの南端に差しかかったところで、背後から声がかかった。


「おいおい、嬢ちゃん。こんな時間にどうした? 迷子か?」


 振り返ると、四十くらいの男が立っていた。

 安物のスーツに緩んだネクタイ。頬が赤い。酒の匂いが二メートル先まで届いている。


 ファウンドリー・ベルトの中間管理職か何かだろう。夜勤明けに飲んで、千鳥足で帰宅する途中だ。


 男の濁った目が、ペルソナの顔をじろじろと舐めた。


「怖い顔すんなよ。おじさんが送ってやろうか。こんな夜道、危ないぞ?」


 男の太い手が、ペルソナの肩に伸びた。

 ペルソナはその手首を掴み、親指の付け根の関節を軽く圧迫した。


「――あ?」


 男の顔から瞬時に笑みが消え、悲鳴を上げる間もなく膝から崩れ落ちた。


「ッ……! い、痛い痛い痛い痛い……!!」

「騒ぐな、豚。金を出せ」

「ひっ……!? は、はいぃっ!」


 男は涙目で震える手を動かし、スーツの内ポケットから財布を取り出した。

 ペルソナは片手でそれを受け取り、中身を確認する。


 エデン・クレジットのプリペイドカード。残高はそこそこある。

 中間管理職の飲み代にしては多い。経費の横領でもしているのだろう。


「私が使ってやる。ありがたく思え」

「ひっ、ひぃぃ……!」


 手首を離すと、男は尻もちをついたまま後退りし、転がるように逃げていった。


 ペルソナは財布の中身をジャケットのポケットに移し、空の財布を排水溝に投げ捨てた。


「さて、スポンサーも見つかったことだ。買い物といくか」



 マーチャント・ロウの南通りに、深夜まで営業している子供服の店があった。

 テラの共働き家庭向けに、二十四時間営業で学用品と子供服を扱うチェーン店だ。


 ペルソナは不機嫌そうに舌打ちしながら、ドアを押して中に入った。


(子供服……まぁいいだろう)


 店内には客がいなかった。深夜シフトの店員が一人、カウンターの奥でデータパッドを眺めている。

 二十代前半の女。ペルソナの姿を見た瞬間、店員の目が大きく見開かれた。


「わあ……っ!」


 店員はデータパッドを放り出し、カウンターを飛び出してきた。

 ペルソナの顔を至近距離で覗き込み、両手を頬に当てて黄色い声を上げる。


「かわいい……! お人形さんみたい! その目、カラーコンタクトですか?」

「……は?」


 ペルソナは一瞬だけ面食らった。

 この種の人間への対処法は知らない。戦闘データは百人分あるが、『テンションの高いアパレル店員をあしらうデータ』は一つもない。


「……服を買いに来た。動きやすくて、血がついても目立たないものを」

「血? ああ、ケチャップとかこぼしても大丈夫なやつですね! はいはい! お任せください!」


 店員は棚の間に消え、恐るべき速度で服を大量に抱えて戻ってきた。


「これなんかどうですか! 黒髪に絶対に映えると思うんです!」


 ドサリと差し出されたのは、黒のプリーツスカートに白のブラウス、それにフード付きの赤いジャケットだった。


 戦闘向けの実用的な服装ではなかった。

 どちらかといえば、テラの女子中学生が休日のデートに着るような組み合わせだった。


「……もう少し地味で、防御力のあるものはないのか。ケブラー素材とか」

「ケブラー? ミリタリー系ですか? でもこのお顔にシンプルすぎるのはもったいないですよ! あ、ブーツはこれ! 編み上げのショートブーツ! かっこかわいい系でいきましょう!」


 店員は止まらなかった。次から次へと服を引っ張り出し、ペルソナの前に並べていく。

 フリルのついたカットソー、星の刺繍が入ったパーカー、リボン付きのヘアバンド。


「……まあいい。それでいい。全部もらう。試着させろ」

「全部ですか!? やったー! 試着室こっちです! ご案内しまーす!」


 試着室のカーテンを閉め、忌々しい作業員の服を脱いだ。


 鏡に映る自分の体は小さく、白く、一見して戦闘者の体には見えない。

 オリジナルと同じ体。同じ体に、全く違う狂暴な魂が入っている。


 ブラウスを着て、スカートを履き、赤いジャケットを羽織った。

 編み上げのショートブーツは足に吸い付くように合っていて、踵が浮くこともない。


 最後にカーテンを開けると、店員がカウンターから身を乗り出して歓声を上げた。


「似合う……! 似合いすぎます……! 雑誌のモデルさんですか!?」

「…………」


 鏡に映った自分は、確かに「かわいい」の範疇に入る格好をしていた。


 赤いジャケットが黒髪に映え、プリーツスカートが小柄な体型を際立たせている。

 どう見ても、これからギャングの根城に単身乗り込む人間の服装ではなかった。


 だが、ペルソナは鏡に向かって、ニヤリと笑った。


「悪くない。奇襲には役立つだろう」

「えっ? きしゅう?」

「独り言だ。会計を頼む」


 プリペイドカードで支払いを済ませ、作業員の服は店の廃棄ボックスに放り込んだ。


 ドアを押して外に出ると、マーチャント・ロウの夜風が新しいスカートの裾を揺らした。

 ショートブーツの底がアスファルトを踏む感触は確かで、もう踵が浮くこともなかった。



 ギャング組織「テンパード」の根城は、廃棄食料生産施設だった。


 アルカディア・アグリ社が十年前に放棄した合成タンパク工場。

 巨大な圧縮成形機が錆びたまま残り、高い天井の配管からは正体不明の濁った液体が時折滴り落ちる。


 正面入口は頑丈な溶接で塞がれ、出入りは裏手の搬入口のみ。

 その前に、見張りが二人。


 少女がその搬入口に向かって堂々と歩いてきたとき、見張りの二人は最初、道を間違えた子供だと思った。


「おいおい。ここは遊び場じゃねえぞ、嬢ちゃん。ママのところに帰んな」


 坊主頭の大柄な男が、電磁ナイフの柄に手を置いたまま顎をしゃくった。

 顎に火傷の痕がある痩せた男も、面倒くさそうにスタンガンを弄んでいる。


 どちらも二十代後半か三十代前半。

 目つきは悪いが、動きに訓練された兵士の気配はない。


(素人だな。路地裏のチンピラに毛が生えた程度だ)


 ペルソナは内心で冷笑しながら、足を止めなかった。


「ボスに用がある。通せ」

「あ?」


 坊主頭の顔に苛立ちが浮かんだ。子供に命令されたことが、安いプライドに障ったのだろう。


「痛い目見ねえと分かんねえか?」


 電磁ナイフを抜き、威嚇のつもりで横薙ぎに振った。当てるつもりもなかった。だが――


 ペルソナは坊主頭の手首を下から掴み、捻り上げた。


「えっ?」


 ゴキッ、という鈍い関節の軋む音がして、電磁ナイフが床に落ちる。

 そのまま坊主頭の巨体を回転させ、背中からコンクリートの地面に叩きつけた。


 ドゴォッ!


「がはあっ……!?」


 肺の空気が絞り出される鈍い音。

 プリーツスカートの裾がふわりと翻り、赤いジャケットが夜風を孕んだ。


「お前らのような雑魚を殺す趣味はないが、邪魔をするなら話は別だ」


 火傷の男が慌ててスタンガンを構えた。

 だが、ペルソナは坊主頭の胸をブーツで踏みつけたまま、暗い赤の瞳で火傷の男を射抜いた。


「……ここを通すか、それともこの腑抜けと同じように床を舐めるか。選べ」


 その声には、交渉の余地を与えない圧倒的な重さと死の匂いがあった。


「……っ。こ……こっち、だ……」

「お、おい!?」


 火傷の男のスタンガンを持つ手がカタカタと震え、やがて力なく下がった。



 施設の奥。

 かつての品質管理室が、テンパードのボスの執務室になっていた。


 壁には旧式のモニターが三台並び、ツイライト・フリンジ周辺の監視カメラの映像を映している。

 中央の古びた金属デスクの向こうに、一人の男が座っていた。


 ダリオ・ヴェント。

 三十七歳。テンパード創設者にしてボス。


 体格は中肉中背、派手な刺青も義体改造もない。短く刈り込んだ茶髪と、深い隈のある目。

 唯一目を引くのは、デスクの上に整然と並べられた紙の帳簿の束だった。


 デジタルではなく紙。追跡されない記録媒体。

 この男がただの暴力ではなく、知性と計算で組織を維持していることが分かる。


「邪魔をするぞ」


 ペルソナが管理室に入ったとき、ダリオは帳簿からゆっくりと顔を上げた。


 ダリオの鋭い視線が、ペルソナの全身を捉えた。


「……マルコとジョンは、うちでは腕が立つ方だ。それを素手で一人は転がし、もう一人は眼力だけで止めた。大したものだが……随分と洒落た格好じゃないか、お嬢ちゃん」

「可愛いだろう? 先ほど店員に見立ててもらったばかりだ」


 ペルソナはスカートの裾を摘んで、わざとらしく軽く持ち上げてみせた。

 芝居がかった仕草だったが、その赤い瞳には微塵も冗談の温度がなかった。


「名前と、ここに何をしに来たのかを聞こうか」

「カーバンクル・ペルソナ。……お前の組織を使いに来た」


 ダリオの眉がわずかにピクリと動いた。

 『カーバンクル』の名に反応したのだ。404号室の始末屋の名は、裏社会の末端にも届いている。


 だが、目の前の少女は水色の髪ではないし、纏う空気も、あの噂に聞く『弱者の味方』とは全く違う。

 ダリオはそれを即座に見抜いたらしく、名前の真偽への追及は保留して先に進んだ。


「使いに来た、ときた。ずいぶん上からだな。で、俺がお前を引き入れるメリットは何だ?」


 声は平坦だった。怒りでも恐怖でもない。純粋な損得勘定の問い。


(ふむ。感情で吠える犬は始末に負えないが、利益で動く人間は役に立つ)


 ペルソナはその性質を好ましいと思った。


「お前たちの縄張りはファウンドリー・ベルト東端からツイライト・フリンジの一部。収入源は合成ドラッグの加工と流通、それにテラの商店からのみかじめ料。構成員は三十人前後だが、まともに戦闘に使えるのは半分がいいところだろう」


 ダリオの目が細くなった。組織の内情を、初対面の人間が正確に言い当てている。

 ペルソナは言葉を続けた。


「お前たちには敵がいる。この規模の小組織がファウンドリー・ベルトを維持しているなら、必ず隣の縄張りから圧力をかけてくる連中がいるはずだ」

「ふむ……それで?」

「そいつらを、私が潰す」


 ダリオは椅子の背にもたれ、ペルソナの顔をじっと見た。

 十秒ほどの沈黙があった。モニターの映像が切り替わる音だけが、部屋に響いている。


「それで、我々は何を支払えばいい?」

「報酬は金ではなく、お前たちのリソースへのアクセスだ。住居、資金、情報網を私に自由に使わせろ」

「……そのあとは? 俺の指揮下に入るのか?」

「名目上はそれで構わん。お前の部下たちはお前を慕っているようだからな。それは組織の求心力だ。あえて私が奪って混乱させる理由がない」


 ダリオの目が、ほんの一瞬だけ見開かれた。

 この少女が、施設に入ってからここに来るまでの数分で、すれ違った構成員たちの態度から『組織の人間関係』まで正確に読み取っていたことに気づいたのだ。


 ペルソナはデスクの端に勝手に腰を下ろし、脚を組んだ。


「……お前は何者だ。本当のところを聞いている」

「複製異常個体だ。今朝生まれたばかりで、この服以外に何も持っていない」


 嘘をつく必要はなかった。ダリオの指がデスクを二度、三度と叩いた。


 ペルソナはその沈黙を急かさなかった。

 利口な犬は、自分で正解に辿り着かせた方がよく従う。


「……うちの東隣に、ブラック・ホーネットという連中がいる。五十人規模で、最近うちの流通ルートに手を出し始めた。リーダーのサヴォイは戦闘に特化してる。まともにやり合えば、うちは負ける」

「それを潰せば、取引成立ということだな」


 ダリオは立ち上がり、デスクの引き出しから鍵を取り出した。

 施設二階の空き部屋の鍵。それをデスクに置く。


「一つ条件がある。うちの構成員には手を出すな」

「いいだろう。自分の手駒を意味もなく壊す趣味はない」


 ペルソナは鍵を取り、デスクから降りた。スカートの裾を軽く払い、ドアに向かう。

 その背中に、ダリオが声をかけた。


「ペルソナとやら。その格好で行くのか?」


 ペルソナは肩越しに振り返った。

 赤いジャケットの下で、暗い紅の瞳が三日月のように細められている。


「この格好で五十人皆殺しにしたら、面白いと思わないか?」

「……」


 ダリオは答えなかった。答える前に、ドアが静かに閉まっていた。


 椅子に座り直し、閉じた帳簿の表紙に手を置いたまま、ダリオ・ヴェントはしばらく動かなかった。


「……厄介なものを拾ったな」

オシャレな子です

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