【404】ペルソナ・Ⅱ
四人の警備員がリカバリールームに展開した。
先頭の一人が高出力の電磁警棒を構え、残りの三人が扇形に広がる。
標準的な制圧陣形。マニュアル通りの、施設内の異常に対処するための教科書通りの動きだ。
「床に伏せて、両手を頭の後ろに――」
先頭の警備員が命令を言い終える前に、少女が消えた。
「……え?」
消えた、としか表現のしようがなかった。
非常灯の赤い明滅の、暗転の一瞬。光が戻ったとき、少女は先頭の警備員の真横に立っていた。
「な――」
警備員の右手からいつの間にか電磁警棒が抜き取られ、その先端が警備員自身の喉元にピタリと突きつけられている。
全工程が、瞬きよりも短い時間で完了していた。
残りの三人の動きが、文字通り凍りついた。
「どうした? 木偶のように固まりおって。お前たちの仕事はなんだ?」
少女は奪った電磁警棒を指先で器用に回しながら、三人の顔を順番に見た。
赤い瞳が非常灯の光を吸い込み、底なしの暗い紅色に沈んでいる。
「せっかくだ。一人ずつ、違うやり方で殺してやる。少しは私の退屈しのぎになれよ」
ヒュッ。
少女の左手が閃いた。先頭の警備員の両膝の腱が、一動作で断ち切られていた。
「――ッ!?」
電磁警棒の放電機能ではない。ただの棒の先端を刃物のように使い、布と皮膚と腱だけを正確に裂いている。
百人分の戦闘データが可能にする、ミリ単位の精度と筋力制御。
「ぎぃやあああああっ!?」
一拍遅れて、警備員が悲鳴を上げて崩れ落ちた。
両脚が使えない。だが致命傷ではない。出血も、すぐに死ぬほどではない。
「そうら、這って逃げろ。出口はあちらだ」
少女は長い廊下の方向を指差した。非常灯の血のような赤い光が、奥まで続いている。
「辿り着けたら、生かしてやってもいいぞ。這え」
「あ……あぁ……っ」
警備員は狂乱状態で這い始めた。両腕で体を引きずり、血の跡を床に描きながら、廊下に向かって必死に進んでいく。
少女はそれをゴミでも見るように一瞥しただけで、残りの三人に向き直った。
「さて。次はお前たちだ」
「くそっ、化け物が!」
二人目の警備員が怒声と共に電磁警棒を振り下ろした。訓練された鋭い一撃だった。
だが少女は首を数センチ傾けただけで回避し、振り下ろした腕の手首をふわりと掴んだ。
「遅いな。止まって見える」
そのまま腕を容赦なく捻り上げる。
バキィッという骨が砕ける音と共に、警備員自身の電磁警棒を、警備員自身のこめかみに押し当てた。
「ぐあ、あっ!?」
「自分の武器で死ぬのは、どんな気分だ?」
バチバチッ!
最大出力の放電音。肉の焼ける匂い。
「がああああああああああっ!!」
警備員の体が激しく硬直し、糸を切られた操り人形のように床に崩れた。
側頭部の皮膚が焦げ、白い煙が立ち上っている。
少女は死体の手から電磁警棒を引き抜くと、両手に一本ずつ、計二本の警棒を握っていた。
「ひっ……!」
三人目の警備員が、震える手で無線に手を伸ばした。
増援を呼ぼうとしている。合理的な判断だった。
「ほう、助けを呼ぶか。いいぞ! 呼んでみろ。必死に、惨めに泣きつけよ」
「く――け、警備本部! 応答……あれ?」
だが施設の通信設備は、少女が発電ユニットを物理破壊した時点で全て沈黙している。
無線のノイズ音だけが響き、誰も応答しない。
そのことに気づいたとき、警備員の顔から血の気が完全に引いた。
「どうした? 誰も来なかったか?」
少女は二本の電磁警棒を逆手に持ち替え、三人目に歩み寄った。
歩調はひどく緩やかだった。獲物が逃げられないと分かっている、捕食者の歩き方だ。
「く、来るなあああっ!」
三人目は腰の対暴動用催涙スプレーに手を伸ばした。
スプレーのピンを引き、少女の顔面に向けて全量噴射する。白い霧が部屋に広がった。
だが。
少女はスプレーの射線に入る前に一歩横に踏み出し、霧の外縁を回り込んで三人目の背後に立っていた。
「呆れたな。あまりにも遅い」
「え――」
二本の電磁警棒が、三人目の両側頭部を同時に挟み込んだ。
放電は一瞬だけ。だが両側からの高圧同時放電は脳幹を直撃し、三人目は声を上げる間もなく白目を剥いて倒れた。
「ひ……ひぃぃぃっ!」
四人目は、逃げていた。
廊下の方向へ走っている。先ほどの一人目が血の跡を引きずりながら這い進んでいる横を見捨てて、全速力で駆け抜けていく。
少女はそれを見て、初めて声を上げて笑った。
「ハハッ! 逃げるのか。いい判断だ。その調子で足掻け、もっと私を楽しませろ」
少女は走らなかった。ゆっくりと歩いた。
四人目が廊下の角を曲がるのを見届けてから、散歩でもするように追った。
非常灯の赤い光の中を、裸足の足跡が培養液と血で点々と続いている。
廊下の角を曲がると、四人目は防火扉の前で立ち往生していた。
「あ、あ……開け! クソッ、開けよ!」
電子ロックは発電停止で作動せず、手動解除レバーは錆びついて動かない。
必死にレバーを引いている背中に、少女の黒い影が覆いかぶさった。
「防火扉の手動解除は、上ではなく『横』に引くんだ。……施設のマニュアルを読んでいないのか?」
「ヒィッ!?」
四人目が振り返った瞬間、少女の掌底が胸骨を打った。
ドンッ。
心臓震盪。一撃で心停止を引き起こす、正確無比な打撃。
四人目は目を見開いたまま崩れ落ち、防火扉にもたれかかるように倒れ、息絶えた。
「脆いな。話にならん」
少女はその場に立ち、廊下の先を見た。
一人目が、まだ這っていた。両腕で体を引きずり、十メートルほど進んでいる。
血の跡が赤い非常灯の下で黒く光っている。
少女の足音を聞いたのだろう、恐怖で嗚咽を漏らしながら必死に速度を上げようとしている。
少女は、足音を鳴らしながら歩いて追いついた。
「よく頑張ったな」
見下ろしている。
仰向けに転がった警備員が、涙と鼻水にまみれた顔で少女を見上げた。
「た、助けてくれ……! 約束しただろう……! た、辿り着けたら、生かしてやるって……っ!」
「ああ、言ったな。嘘はついていない」
少女は微笑んだ。慈愛に満ちた、穏やかな微笑みだった。
それが余計に残酷だった。
「だが、辿り着けていないだろう?」
「えっ……」
「出口はまだ三十メートル先だ。……惜しかったな」
無慈悲な電磁警棒が、高く振り下ろされた。
■
少女は四人目の警備員の死体から上着とブーツを剥ぎ取り、自分の体に合わせて袖を雑に折り返した。
サイズが全く合わないが、裸に医療ガウンよりはましだった。
ブーツも大きすぎたが、紐を限界まできつく縛ればなんとか歩ける。
施設のロッカールームを漁り、作業員のカーゴパンツと黒いジャケットを見つけた。
着替えながら、鏡に映る自分の姿を確認する。
黒い髪。暗い赤の瞳。
オリジナルと寸分違わぬ顔に、オリジナルとは異質な傲慢な笑みを浮かべた少女。
「……悪くはない」
少女は施設の裏口から、夜のテラに出た。
ファウンドリー・ベルトの工場群が吐き出す重い蒸気が、人工太陽のない夜空に灰色の雲を作っている。
遠くで、労働者たちを縛るシフト交代の単調なサイレンが鳴っている。
ニュー・エデンの夜風が、乾いた黒髪を揺らした。
少女は壁に背を預け、腕を組んだ。
外の空気は工場の排気と埃にまみれていたが、そんなことはどうでもよかった。
(問題は、ここから先だ)
圧倒的な力はある。オリジナルと同等の戦闘能力と、電脳体としてのハッキング技術。この都市の大半の人間を一方的に蹂躙できる。
(だが、それ以外には『何もない』)
エデン・チップもない。金もない。身分もない。住む場所もない。
この都市のシステムは、自分を「存在しない者」として扱う。底辺であるアンライセンスですらない。文字通りの無だ。
力だけの、無。
「王の力を持ちながら、城も兵も金もないとは」
オリジナルの記憶が、頭の中に整然と並んでいる。
ニュー・エデンの全階層の構造。権力の流れ。ファイブ・クラウンの勢力図。
クローン警官の配置パターン。EDENの監視ネットワークの死角。
全てが使える情報として格納されている。
同時に、オリジナルの『やらなかったこと』も鮮明に見えた。
(ギャング。闇市場。裏社会の暴力組織……)
オリジナルのカーバンクルは、それらにほとんど手を出していなかった。
ネオ・アルカディアでの、アポカリプティック・サウンドとの小競り合いの記憶が残っている。
かつてのサウス区。あの都市での経験が、無意識の忌避を生んでいるのだろう。
少女はその記憶を吟味し、鼻で嘲笑った。
「苦手意識か。……くだらない。力を持つ者が、なぜ力を使う場所を自ら狭める」
だが、自分にとっては好都合だった。
オリジナルが手をつけなかった領域。つまり、カーバンクルの名が浸透していない領域。
ニュー・エデンの裏社会は今も群雄割拠の状態にある。
アンダーのラストワースを拠点とするギャング、ツイライト・フリンジを縄張りにする半グレ集団、ファウンドリー・ベルトの闇薬物ネットワーク。
どれも組織としては脆弱で、力でねじ伏せれば簡単に従う程度の有象無象だ。
「まずはそこから始めよう。わかりやすい暴力の世界で手駒を集め、強固な地盤を築く。金と人脈と情報を手に入れれば、次の段階に進めるはずだ」
少女は鏡のように磨かれた工場の外壁に、自分の姿を映した。
――名前が必要だった。
複製異常個体。出来損ないのバグ。
クローネクス社のエラーコードの中にだけ存在する、名前のない不良品。
それでは格好がつかない。
これから裏社会を喰い尽くし、この都市の頂点に君臨する者の名としては。
(オリジナルの名は「カーバンクル」。404号室の始末屋。弱者の守護者……)
少女はその名を捨てる気はなかった。
オリジナルが築いたその名の重みを理解している。
「私の名は……カーバンクル・ペルソナとでも名乗っておくか」
仮面。偽りの顔。
オリジナルと同じ顔をした、全く別の存在。
オリジナルの記憶から、最寄りのギャングの拠点を引き出す。
ファウンドリー・ベルトの東端、廃棄された食料生産施設を根城にしている中規模の組織。
構成員は三十人前後。武装は電磁ナイフと旧式のスタンガン程度。
闇薬物の製造と販売が主な収入源で、テラの一部の商店から小銭を掠め取っている。
オリジナルのカーバンクルなら見向きもしない程度の、路地裏の小悪党たち。
だが、今の自分にはちょうどいい。
「利用してやろう。王に仕えられることを、光栄に思え」
少女は工場の外壁から背を離し、ファウンドリー・ベルトの東に向かって歩き始めた。
工場群の蒸気が黒髪を包み、シフト交代のサイレンが遠ざかっていく。
ニュー・エデンの夜は、その深さを増し始めた――。
ペルソナちゃんです




