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【断罪】不良品判定

 最初に戻ったのは聴覚だった。


 空調の低い唸り。液体が管を流れる音。心拍モニターの規則正しいビープ音。


 それから、消毒液の匂い。

 粘膜を刺すような、クローネクス社の標準培養液に混ぜられるエタノールの匂い。


(……この匂い……職場の……)


 グレンはこの匂いを知っていた。

 毎日嗅いでいた。回収部門の地下にある、培養槽の匂いだ。


 ゆっくりと目を開けた。

 白い天井。培養槽から引き上げられた直後のリカバリールーム。


 自分の体を見下ろすと、素肌に薄い医療ガウンが一枚着せられている。

 手首には個体識別用のバンドが巻かれ、左腕には栄養点滴のラインが繋がっていた。


(そうだ。俺は……事故に……)


 記憶が遡る。朝の歩道。影の時間。

 暴走した搬送車両のモーター音。衝突の瞬間。肋骨が砕ける感触。


(死んだのか。……で、クローン保険で蘇生された)


 グレンは深く息を吐いた。保険料は毎月きちんと払っていた。

 ブロンズ層としては贅沢な出費だが、回収部門の業務には危険が伴うことがある。リベリオン・クローンの抵抗で負傷した同僚もいた。


(備えあれば憂いなし。正しい判断だったな、俺)


 リカバリールームのドアが開き、白衣の技術者が二人入ってきた。


 見知った顔だった。同じフロアの品質検査セクションの人間だ。

 名前は――フォーリーと、もう一人は最近入った新人で名前を覚えていない。


「おい、フォーリー。ひどい目に遭ったよ。搬送車両のAIが暴走してな。労災申請の書類を――」


 フォーリーの表情を見て、グレンの声が止まった。

 同僚の目に浮かんでいたのは、無事生還した同僚への安堵でも同情でもなかった。


 値踏みするような、冷たい観察の目。

 回収対象の不良品を検分するときに、グレン自身がいつも浮かべていた目だった。


「……個体番号GH-R1。蘇生プロセス完了。バイタル安定」


 フォーリーはデータパッドに視線を落としたまま、事務的に読み上げた。


「だが品質検査の結果、本個体は複製異常個体と判定。――規定により、速やかな廃棄処分を行います」


 言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。


「……は? 何、を……言ってるんだ、お前」


「クローン保険による蘇生で、稀に発生する事象です。培養環境のノイズや電波干渉で、複製された個体に異常が生じる。あなたは、グレン・ヒューズのクローンですが、グレン・ヒューズではありません」

「ふざ……ふざけるな!」


 グレンは怒鳴りながらベッドから身を起こした。

 点滴のラインが引っ張られ、スタンドがガシャンと傾く。


「俺はグレン・ヒューズだ! 品質管理回収部門の主任だぞ! 社員番号はQC-4412。自宅はハーモニーブロック十八階、ユニットC-0803! 先週の回収リストは三件で、うち一件がルナ・アスティアのゴールド・ライン異常個体だった。何もかも完全に覚えている! 俺は正常だ!」


 フォーリーは顔色一つ変えず、データパッドの画面をグレンに向けた。


 脳波スキャンの結果が表示されている。赤い警告マーカーが複数点灯し、『ANOMALY DETECTED(異常検知)』の文字が画面上部で明滅している。


「記憶の保持と人格の正常性は、全く別の問題です。複製異常個体は元個体の記憶を完全に保有しますが、意識パターンに不可逆的な変異が生じています。あなたは自分がグレン・ヒューズだと認識していますが、データ上はそうではない」

「データが間違ってるんだ! 機械のエラーだろう! もう一度再検査しろ!」

「再検査は既に二回実施しました。結果は同一です」


 フォーリーの声に、温度はなかった。

 グレンは知っていた。この底冷えするような声を知っていた。


 なぜなら、これは自分がいつも使っていた声だからだ。

 異常個体に何を訴えられても、何を泣き叫ばれても、規定に従って処理するだけのあの声。


「廃棄処分の準備をします。横になっていてください」


 新人の技術者が、銀色のケースから処理キットを開いた。

 注射器型の処分器具。


 グレンはその形を見た瞬間、全身の血が凍りついた。

 先週、自分があのテラのガキの目の前でルナの首筋に突き立てたものと、全く同じ形だった。


「待て。待ってくれフォーリー! 俺は人間だ! クローンじゃない! いや、クローンだとしても、正常な蘇生体だ! 異常個体じゃない! 上に連絡してくれ。部門長のカーヴァーに話を通せば――」

「カーヴァー部門長には報告済みです。回答は『規定通り処理せよ』でした」


 グレンの思考がピタリと止まった。

 カーヴァー。先月一緒に飲んだ。回収部門の飲み会で、異常個体の処分エピソードを笑い話として披露したら、腹を抱えて笑っていたあの男が。


「規定通り処理せよ」。

 新人が無表情のまま近づいてきた。処分器具を手に。


「来るなッ!!」


 グレンは点滴スタンドを掴み、新人の顔面に力任せに叩きつけた。

 金属と骨がぶつかる鈍い音。新人が悲鳴を上げて崩れ落ちる。


「がっ!!」

「なっ……何をする!」


 フォーリーが叫んで緊急通報ボタンに手を伸ばした。

 グレンはリカバリールームのドアを蹴り開け、廊下に飛び出した。素足にガウン一枚。個体識別バンドが手首で揺れている。


 背後で、けたたましい警報が鳴り響いた。



「はぁっ、はぁ……っ!」


 施設の裏口から転がり出たグレンは、マーチャント・ロウの雑踏に紛れようとした。


 だが最初の問題はすぐに訪れた。

 着の身着のまま逃げ出し、何とか服を調達しようと衣料品店の端末にエデン・チップをかざした。


 だが、画面は赤く点滅するだけだった。


『アクセス拒否。個体認証エラー』

(嘘だろ……口座が凍結されてる……!?)


 グレン・ヒューズの全資産は、グレン・ヒューズ本人に紐づいている。

 そして今、この都市のシステムは彼を『グレン・ヒューズの不良コピー』と認識している。


 住居のロックも、通信端末も、交通システムも。

 全てのインフラが、彼を締め出していた。


(まずい、このままじゃ追手が来る。回収チームが動いてるはずだ……!)


 回収対象が施設から逃走した場合の手順を、グレンは熟知していた。

 自分がその手順マニュアルを書いた側だからだ。監視カメラのAI認識に引っかかれば、三分でクローン警官が来る。


(地下に逃げるしかない……!)


 ツイライト・フリンジを抜け、テラとアンダーの境界を越える。


 境界といっても明確な線はない。

 舗装が途切れ、蛍光灯が切れ始め、監視カメラの密度が下がり、空気が湿り気を帯びてくる。その変化が、境界だった。


 アンダー。

 ラストワース地区の入り口で、グレンは壁に背を預けて座り込んだ。


「はぁ、はぁ、っ、くそ……!」


 素足の裏が切れて血が出ている。ガウンは汗と泥で張りついている。

 廃棄コンテナを改造した住居の隙間から、アンライセンス層の住人たちのどんよりとした視線が刺さる。

 ここは彼が「処理」してきた不良品たちの世界だった。


(なんで俺が……こんな底辺で……!)


 配水管が破裂したまま放置された通路の奥で、グレンは膝を抱えた。

 暗かった。地上の人工太陽の光は、ここまで一筋も届かない。


 ――チャプ、チャプ。


 そのとき、足音が聞こえた。

 一人分の足音。配水管の水たまりを踏む音が、規則正しく近づいてくる。


 グレンが顔を上げたとき、薄闇の中に立っていたのは一人の少年だった。


 テラの学校の制服。十六か十七。見覚えがあった。


(……あいつは。先週、安宿の床に押さえつけた……)


 少年の右手に、古びた金属バットが握られていた。


「お前……なんで、ここに……」

「そういうツテでね。お前の居場所を教えてもらった」


 少年の声は、あの日のように震えてはいなかった。

 ただ凍りつくように冷たかった。


「ハッ、なんだ、一体。俺になにか用か? 俺は忙しいんだ、ガキはとっとと――」


 コウは何も言わなかった。

 ただ一歩踏み込み、無言でバットを振りかぶった。

 そしてグレン・ヒューズの左膝に、全力で叩き込んだ。


「あ――ぎゃあああああっ!?」


 骨が砕ける音が、アンダーの暗い通路に無残に反響した。

いけー!!

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