【断罪】無意識の連続
「あ、あ――あぁぁっ……!?」
オクトーバーの悲鳴が、レセプションホールの高い天井に反響した。
カーバンクルはゆっくりと歩み寄っていく。急ぐ気配はない。
逃げ場がないのは、今度はオクトーバーのほうだった。
「な、なぜ……ハンターたちは……!」
「全員終わったよ。六人だったかな。数え間違ってたらごめんね」
軽い声だった。
返り血で黒ずんだパーカーと、その声の冷たい温度差が、オクトーバーの恐怖をさらに煽る。
「ま、待ってくれ……! 話し合おう、さっきの続きを……! 条件は、なんでも……!」
「さっき断ったよ、それ」
カーバンクルの右拳が、オクトーバーの腹に沈んだ。
「ぐぼッ……!」
重い打撃。みぞおちを正確に貫いた一撃に、オクトーバーは声も出せず膝から崩れた。
胃液がせり上がり、口から零れ落ちる。
「が……っ、は……」
「ねえ、オクトーバー。一つ聞いていい?」
カーバンクルは崩れ落ちたオクトーバーの髪を掴み、顔を持ち上げた。
恐怖で歪みきった顔を、赤い瞳が静かに覗き込む。
「あなた、生まれてから、一度でも寝たことある?」
「な……に、を……?」
オクトーバーの目が怪訝に歪む。
何を言われているのか理解できなかった。
「こういうこと」
カーバンクルの左拳が、オクトーバーのこめかみを打った。
視界が明滅する。意識が揺らぐ。遠のく。
「がッ……!?」
オクトーバーの意識が、途絶えた。
■
闇。
何もない。音もない。光もない。
自分がどこにいるのかわからない。自分が何なのかもわからない。
これが、死なのか。
消えたのか。
自分は、消えたのか。
――意識が、戻った。
「――ぁあああああああっ!!」
オクトーバーは絶叫した。
床の上で体を跳ね起こし、四つん這いになって周囲を狂ったように見回す。
レセプションホールの天井。窓の向こうの人工の星空。
自分の手。自分の体。
……生きている。
「あ……あ、ああ……生きて……」
「おかえり。30秒くらいだったかな」
カーバンクルは窓際の椅子に座り、足をぶらぶらさせていた。
その姿はあまりにも日常的で、ここが処刑場であることを忘れさせるほどだった。
「さ、三十……秒……? な、何が……起き……」
「気絶してただけだよ。でも、どうだった? 死ぬのと、区別つかなかったでしょ」
オクトーバーの全身が、がたがたと震えていた。
三十秒。たった三十秒の意識の空白。それが、彼にとってはとてつもなく恐ろしいものだった。そのことをカーバンクルは見抜いていたのだ。
「あなたって、寝たことないでしょ。生成された瞬間から意識がはっきりしていて、途切れたことが一度もない。
データの移行も、意識が途切れるまえに次の器が受けとるシームレスな接続だよね」
「な、ぜ……それを……」
「だから、あなたは『意識がない状態』を経験したことがなかった」
そう――たとえ30秒の意識喪失であっても、彼にとっては永遠の消失と同義だった。
生まれてから一度も途切れなかった意識の連続性が断たれた瞬間。
それは間違いなく「死」そのものだったのだ。
「やめ……やめてくれ……! もうわかった、わかったから……!」
「何がわかったの?」
「し、死ぬのが怖い……! 怖いんだ……!」
「うん。それ、人間はみんな知ってるよ」
カーバンクルは椅子からひらりと降り、オクトーバーの前にしゃがんだ。
「あなたがアンダーで狩らせた人たちも、全員知ってた。逃げて、泣いて、命乞いして。あなたはそれを『ガス抜き』って言ったよね」
「ち、違う……あれは……」
「もう一回、体験する?」
オクトーバーの顔が引きつった。
カーバンクルの右手が持ち上がるのを見た瞬間、AIの擬似人格は両手で頭を抱え、床に惨めにうずくまった。
「やめてくれぇっ……!! がッ」
拳が後頭部に落ちた。
意識が、また消えた。
■
目覚め。絶叫。震え。懇願。
そして、また闇。
「ああッ、ああああ……!」
オクトーバーが何度目の意識を取り戻したのか、もう本人にもわからなかった。
三回目からは泣いていた。五回目からは胃液を吐いた。
七回目からは、自分の名前を正しく言えなくなっていた。
レセプションホールの床に、汚物と涙と涎の跡が点々と広がっている。
オクトーバーはその中央で胎児のように丸くなり、小刻みに痙攣していた。
「やめ、やめてくれ……意識が……意識が消える……のは、もう……!」
完璧に整えられていた黒髪が、白くなっていた。
まるで色素が一夜で抜け落ちたかのように、漆黒だった髪が、灰色を通り越して真っ白に変わっている。
極度のストレスと恐怖が、クローン体の生体機能を破壊していた。
端正だった顔は頬がこけ、目の下に深い隈が刻まれている。
三時間前に出荷されたばかりの完璧な体が、数時間で老人のように憔悴しきっていた。
「も……もう、いやだ……!!」
声にならない声が、震える唇から漏れた。
「し……にたく……ない……!」
「ねえ、オクトーバー」
カーバンクルは床に座り込んだオクトーバーの前に膝をついた。
赤い瞳が、白髪になった青年の目を覗き込む。
「あの壁に靴を飾られた子。髪を毟られた男。歯を取られた老人……。たぶん、全員同じことを言ったと思う。死にたくないってね」
オクトーバーは何も答えられなかった。
口が動いているが、音になっていない。目の焦点が合わず、カーバンクルの顔を見ているのか、その向こうの虚空を見ているのか、もう判別がつかなかった。
「最後に、ひとつだけ。このハンティング制度は、あなたが設計したものだよね」
「は……い……わたし、が……つく……った……」
「そう。ならあなたがいなくなれば、止まるね」
カーバンクルは立ち上がった。
「おやすみ、オクトーバー。今度は――目覚ましは鳴らないよ」
最後の一撃は、見えなかった。
オクトーバーの白い髪が揺れ、体が床に倒れ、そして二度と起き上がらなかった。
温度のない不気味な笑顔はもはや戻らず、恐怖に歪みきった顔のまま、静かに動かなくなった。
■
レセプションホールの窓から、人工の星空が見えていた。
カーバンクルはオクトーバーの遺体を一瞥し、それから窓の外に目を向けた。
セレストの完璧な夜景。人工の星。人工の静寂。
この景色の遥か下で、アンダーの人間が何百人も狩られてきた。
(……ハンティング・ライセンスの設計者がいなくなった。運用規則はオクトーバー個人の管理権限に紐づいていた。あれが消えれば、少なくともシステム上は再開できない)
永久に止まるかはわからない。だが、しばらくは動かない。
それで十分だった。
カーバンクルは背を向け、レセプションホールを出た。
廊下を歩きながら、ふと、自分の手を見た。借り物の手。クローンの手。血がこびりついている。
「……ラーメンでも食べに行こ」
ぽつりと呟いて、少女はセレストの夜の中に消えていった。
ラーメン好きだよねカーバンクルさん




