【404】十番目との対峙
テラ、ブロックB。
自動工場の資材置き場。
カーバンクルはニードルの拘束が続いているのを確認してから、冷たい金属の壁にもたれて目を閉じた。
ニードルから引き出した情報を、頭の中で整理している。
EDEN。都市を管理するAI。十二の擬似人格。
その十番目、オクトーバー。人間の形を借りて動く、温度のない笑顔の男。
そして窓口のメイ――五番目の人格。インフルエンサーを「作る」側の女。
レオン・スカイもまた、メイの駒の一つに過ぎなかった。
ゆっくりと目を開ける。
「……都市AIの一部が、私を殺そうとしてる……か」
独り言だった。平坦な声。感情はない。
だがその瞳には、静かな決断の光が灯っていた。
向こうから来るなら、先に潰す。
(……でも。都市AIとの戦いとなると……)
思い起こされるのはGAIAとの戦いだ。カーバンクルが肉体を失うきっかけとなった決戦。
あのような街全体を巻き込むような派手な衝突は、関係ない人間を傷つける。
それはカーバンクルの流儀ではなかった。
「暗殺するしかないかな……」
カーバンクルは立ち上がり、工場を出た。
背後で、拘束されたままのニードルが「待って! お願い、置いていかないで!」と狂おしい声を上げていたが、一瞥もくれなかった。
■
テラ第四地区。ブラック・ライン第七製造棟。
カーバンクルが恒常的に掌握している、アンダー向けの安価なクローン製造施設。
ここで自身のDNAデータから急速培養のクローン体を生成し、意識を同期させてきた。
だが今回は、ここでは作らない。
製造棟の制御端末の前に立ち、カーバンクルは目を閉じた。
電脳体としての意識が、端末からネットワークに流れ込む。
クローネクス社の内部回線を辿り、製造棟間の品質管理システムを経由し、上位サーバーへ。
ゴールド・ライン、プラチナ・ライン。
階層が上がるたびにセキュリティの壁が厚くなる。
(……とはいえ、この程度。突破できないものじゃない)
壁を一枚ずつ剥がしていくうちに、やがて辿り着いた。
セレスト、オリンポス・ハイツ。
クローネクス社の最上位施設。プラチナ・ラインの製造拠点。
プラチナ層の顧客だけが利用する、完全カスタムメイドのクローン工房。
(なるほど。高級品が作れそうだね)
カーバンクルは製造キューに、一体分のオーダーを滑り込ませた。
水色の髪。赤い瞳。自身のDNAデータ。急速培養指定。プラチナ・ラインの完璧な品質で。
発注元はダミーのプラチナ層アカウント。
セレストの施設が疑問を持つ前に、培養は始まっていた。
■
十六時間後。
セレスト、オリンポス・ハイツ。
意識が、新しい体に灯った。
(……成功)
最初に感じたのは空気の違いだった。
テラの空気は重く、鋼と油と、すえた人の体温が混ざった匂いがする。
だがここの空気は、軽い。極めて清潔で、ほんのわずかに花の匂いがする。
気候制御システムによって調合された、人工の芳香だ。
カーバンクルはクローネクス社の施設を、納品済みクローンとして歩き出した。
白いパーカーの代わりに、施設に備え付けられた上質なリネンの衣服を身につけている。
水色の髪と赤い瞳が、セレストの完璧な環境光の下でやわらかく光っている。
そうして施設を出ると、別世界が広がっていた。
「…………」
カーバンクルは立ち止まった。
空が青い。
テラでは決して見られない、雲一つない完璧な青。
ドームの天蓋内側に投影された、最高解像度のホログラムの空。
(テラだと、いつも上の階層が邪魔で見えなかったけど……。いい景色だね)
人工太陽が計算され尽くした角度で光を注ぎ、気温は常に二十二度に保たれている。
足元には遺伝子改良された病気知らずの芝生が広がり、その向こうに、落葉すら管理された木々が並木道を作っていた。
気圧調整ファンが風を起こし、葉が揺れ、木漏れ日が地面に模様を描く。
テラの住人は、この完璧な「偽物」の景色すら一生知らずに死んでいく。
カーバンクルは並木道を歩いた。
セレストにはカメラが少ない。プラチナ層は監視されることを極端に嫌うからだ。
エデン・チップによる個人認証は必要だが、カーバンクルのクローン体にはチップが組み込まれていない。
チップがないということは、セキュリティスキャンにも映らない。暗殺には最適だった。
(……それにしても)
道を行き交う人間は、みな穏やかな顔をしていた。
高価な布地の服、手入れの行き届いた髪、余裕のある歩幅。
急ぐ人間がいない。怒っている人間もいない。
テラの影の時間に見る、疲弊した肩や伏し目がちな視線は、ここには存在しなかった。
公園があった。
循環システムで浄化され続ける湖。プログラムで優雅に泳ぐ鳥のドローン。
「……さて」
長くは立ち止まらなかった。
ここに来たのは、観光のためではない。
■
オリンポス・ハイツ、ヴェスパー・クラブ。
表向きは会員制の紳士クラブ。重厚な石造りのファサードに、金の文字で「VESPER」と刻まれている。
入口に警備員はいない。
会員以外がここに来ること自体が想定されていないのだ。
カーバンクルは正面ドアを押して中に入った。
ロビーは薄暗く、本物の革と葉巻の匂いがした。
壁は深い赤の木目パネルで覆われ、間接照明が琥珀色の光を落としている。
古い地球の、富裕層のクラブを模した内装。
そして、壁に並んでいたのは――トロフィーだった。
最初は動物の剥製のように見えた。
だが、違った。
壁に飾られた無数のガラスケースの中に、人間の持ち物が陳列されている。
すり切れた子供の靴。手編みのマフラー。安物の腕時計。血で汚れたホログラム端末。
さらに奥へ進むと、展示はよりグロテスクなものに変わっていった。
ホルマリン漬けにされたサイバーウェアの義眼。剥がされたタトゥーの皮膚。
防腐処理された、アンダーの住人の色褪せた髪の束。
それぞれのケースの下に、小さな金属プレートが誇らしげに嵌め込まれていた。
〈2083年3月14日 狩猟者:コンラート・フォン・エッシェンバッハ 獲物:男性、推定30代〉
〈2083年5月2日 狩猟者:ライナス・ベッカー 獲物:女性、推定20代 逃走距離:1.2km〉
〈2084年1月18日 狩猟者:フェルディナント・グロス 獲物:男性、推定10代 特記:素手での眼球摘出〉
〈2084年4月5日 狩猟者:オクトーバー 獲物:妊婦、推定20代 特記:絶望による自死へ誘導〉
人間狩りの戦利品。
「下の階層」の人間を狩り、奪った私物や肉体の一部を、鹿の角のように壁に飾っている。
「逃走距離」や「眼球摘出」を、スポーツの記録のように誇示して。
「…………」
カーバンクルは一つ一つのケースの前を、ゆっくりと歩いた。
表情は変わらなかった。怒りも嫌悪も、顔には出ない。
だが、歩く速度がわずかに落ちていた。
『オクトーバー』のプレートが掲げられたケースの前で、半歩だけ長く止まった。
「――お気に召しましたか?」
声が、背後から降ってきた。
柔らかく、穏やかで、完璧に制御された声。
振り返ると、廊下の奥から一人の青年が歩いてくるところだった。
二十代半ば。端正な顔立ち。黒いスーツに金の刺繍。
そして――常に浮かべられた、決して目の奥が笑っていない、温度のない笑顔。
「ようこそ、ヴェスパー・クラブへ。歓迎しますよ、カーバンクルさん」
オクトーバーは、まるで旧友を迎えるように両手を広げた。
「ずっと、直接お会いしたかった」
「ふーん。……私も、それなりには会いたかったよ」
クラブの薄暗いロビーで、二つの視線が交差する。
琥珀色の照明が、EDENの狂気を静かに照らし出していた。
強キャラ感あるよね




