【断罪】Mの目覚め
ニードルは冷たい金属の壁にもたれるようにして、床に座らされていた。
両腕はスーツごと背中に回され、展開した棘が逆向きに自分自身の手首を固定している。
脚も膝から下が内側に折り曲げられ、自分の装甲で自分の肉体を縛り上げる格好になっていた。
「ぐっ……はぁ、はぁ……!」
カーバンクルは三メートルほど離れた木箱の上に腰を下ろし、肩と脇腹の傷に応急処置を施していた。
工場の救急キットから引っ張り出した止血パッチを、無造作に押し当てている。
「……ふふっ。随分と余裕ですわね。獲物を前にして、ご自分の傷の手当てを先になさるなんて……ッ」
ニードルの声は、まだ辛うじて余裕を装っていた。
だが、その首筋には自らの棘が食い込んだ赤黒い痣が残り、呼吸はわずかに荒い。
「逃げないってわかってるからね」
「逃げられない、の間違いでしょう。……自分のスーツに縛られるなんて、屈辱にもほどがありますわ……!」
カーバンクルは止血パッチを貼り終えると、ゆっくりとニードルに向き直った。
「……さて。聞きたいことがある」
「あら、尋問? お好きになさいな。でも、私は口が堅いほうですのよ。拷問のプロフェッショナルですから」
「オクトーバーっていうのは誰?」
「……さあ。私にお仕事をくださった、気前のいい方としか……カッ……!」
カーバンクルは無言で、血に染まった右手を軽く上げた。
ニードルのスーツの左肩が、内側に向かってギリッと絞まった。
カーボンの装甲板が生体部分の鎖骨接続部を情け容赦なく圧迫し、骨が軋む鈍い痛みが走る。
「ぐっ……!」
「オクトーバーっていうのは、誰?」
「……っ、だから、知らないと……言って……アアッ!」
カーバンクルの指先がミリ単位で動く。
もう一段、深く絞まった。鎖骨からメキリと嫌な音が鳴り、脳を焼き切るような鋭い痛覚信号が走る。ニードルの額に脂汗が浮いた。
「あっ……く、ぅ……!」
「答える気になったら言ってね」
カーバンクルは手を下ろし、圧迫をぴたりと止めた。
ニードルは荒い息をつき、汗まみれの顔を上げてカーバンクルを睨みつけた。
「……このガキ。やってくれますわね。でも、こんなことをしたって無駄よ。私はね、痛みを与える側の人間ですの。与えられる側になったくらいで――」
右膝の装甲が、内側に向かって捻じれた。
「ぃ――ッ!!」
「長い。黙って答えなよ」
■
一時間が経っていた。
ニードルの呼吸は完全に乱れていた。
全身のスーツが断続的に締まったり緩んだりを繰り返し、痛みの波が途切れない。
カーバンクルは同じ質問を、同じ平坦な声で、同じ間隔で繰り返していた。
「オクトーバーっていうのは、誰?」
「……っ、何度……訊かれても……」
左の脇腹が締まった。
「あ……ァッ……!」
「誰?」
「EDEN……の……」
圧迫が止まった。
ニードルは意識が朦朧とする中で、自分が何を口走ったのかに気づき、ハッと唇を噛んだ。
「……違うッ、今のは……!」
「EDENの、なに?」
「言ってない。聞き間違いよ……!」
右の脇腹が締まった。左と交互に。波のように。
「ぁ……っ、あ、ああっ……!!」
そして――ふっと緩んだ。
急にすべての圧迫が消えた。痛みの波が引き、強烈な解放感が全身を満たす。
その瞬間。
ニードルは自分でも信じられないような、甘ったるい嬌声を漏らした。
「は……ぁ……っ、あん……っ」
それは苦痛から逃れられた安堵のため息ではなかった。
もっとねっとりとした、熱を帯びた音だった。
カーバンクルがわずかに小首を傾げる。
「……なに、今の」
「な、なんでもないっ……! 気のせいよ!」
ニードルの頬に、濃い赤みが差していた。
恐怖でも怒りでもない色。彼女自身が最も困惑しているその変化を、カーバンクルは見抜いていた。
■
三時間が経過していた。
工場の作業灯が、白々と変わらない光を落とし続けている。
ロボットアームは相変わらず律動的に動き、溶接を繰り返している。
その単調な反復の中で、ニードルの状態は完全に"完成"していた。
圧迫。解放。圧迫。解放。
カーバンクルは同じことを、相手が慣れてしまわないように、三時間繰り返した。
質問をし、答えなければ締め、少しでも答えれば緩める。犬の調教と同じ原理だ。
だがカーバンクルの瞳に、一切の『愉悦』はない。
(あ、ああ……この、彼女の、目っ……!)
ニードルが獲物を壊すとき、そこには必ずドス黒い快楽があった。
相手の苦痛を味わい、反応を楽しみ、屈服の瞬間に恍惚とする。
カーバンクルにはそれがない。
赤い瞳は凪いだまま、ただの作業として痛みを与え、作業として止める。
ニードルが泣こうが叫ぼうが、情けなく喘ごうが、何一つ反応しない。
感情がない。興味がない。
その徹底した『無関心』が、ニードルの中の何かを、根本から狂わせていた。
「……はぁっ……ねえ、もっと……!」
ニードルの声は原型を留めていなかった。
喉は渇き、髪は汗で額に張り付き、口元からはだらしなく涎が垂れている。
だがその瞳には恐怖ではなく、熱に浮かされたような異様な光がギラギラと灯っていた。
「あなた……本当に、何も感じないの? 私が、こんなに……っ、こんなに気持ちよくなってるのに……!」
「……」
「そう……そうよね。あなたには、どうでもいいのよね。私なんか、ただの……肉の塊……ただの、おもちゃ……ああっ、最高ですわ……っ!」
ニードルは自分の身体を捩りながら、恍惚とした表情で喘いだ。
支配する側にしか立ったことのない人間が、初めて体験する「絶対的な力による支配」。
抗えない力に組み伏せられ、どんなに無様な反応を見せても完全に無視され、ただのモノとして扱われる。
いつスイッチが入ったのか、本人にもわからない。
だが気づけば、圧迫が来る瞬間に来るのは恐怖ではなく、強烈な期待になっていた。
解放された瞬間の脱力は、苦痛からの解放ではなく、快楽の余韻に変わっていた。
「……もう、いい」
ニードルは、熱を帯びた瞳でカーバンクルを見つめ上げた。
「話す。全部。だから……っ!」
「……」
「……だから、もう少しだけ……そのまま、手を、上げていて……っ。お願い、やめないで……もっと私を、めちゃくちゃにして……っ!」
「…………」
どん引き、という概念がカーバンクルにあれば、今の顔はまさにそれだっただろう。
カーバンクルの赤い瞳がかすかに瞬いた。
目の前の肉塊が何を言っているのか、頭が理解を拒絶している。
……だが、
情報が引き出せるなら手段は問わない。少女は無言のまま、すっ、と右手を上げた。
「あああっ……! オクトーバーは……っ、EDENの擬似人格よっ! 都市AIの、12ある人格の10番目ぇっ……はぁっ、はぁっ……!」
言葉は止まらなかった。
ニードルはオクトーバーとメイの作戦構造、連絡手段、報酬体系、カーバンクルの追跡に使われたEDENの監視権限……そのすべてを喘ぎ声と共に吐き出していった。
「…………」
カーバンクルは右手を上げたまま、一言も挟まず、ただその喘ぎ混じりの告白を聞き続けた。
「はぁ……はぁっ……!」
すべてを話し終えたとき、ニードルは壁にもたれて、だらしなく天井を見上げていた。
疲弊しきった顔に、最高潮の果てにある奇妙な安堵と熱が浮かんでいる。
「……はぁっ……ねえ、カーバンクル、さまぁ……!」
「なに」
「また、来てくださる……? もっと……もっと痛くして、私を……っ」
カーバンクルは無表情のまま、五秒ほど完全に沈黙した。
「……意味がわからない。気持ち悪い」
ピシャリとそう言い残し、少女は即座に背を向けて歩き始めた。
足早に。心なしか、逃げるように。
「あっ、待って! お願い、置いていかないで! もっと、もっと私を――!」
ニードルは自らのスーツに拘束されたまま、必死に身を捩ってその小さな背中を見送っていた。
その目に浮かんでいたのは、殺意でも屈辱でもなく……ただひたすらに熱っぽく、歪みきった純粋な恋慕だった。
これにはカーバンクルさんもドン引き




