【断罪】大切なお知らせ。
録画ランプが、不吉な赤色で灯っていた。
部屋の隅から浮かび上がった三機の撮影用ドローンが、レオン・スカイを三方向から無慈悲に捉えている。
正面、左斜め、右斜め。絶対に逃げ場のないアングル。
『始めなさい』
カーバンクルの平坦な声が、スピーカーから重く落ちた。
レオンは99度の熱地獄から解放されたばかりの震える脚で立っていた。
顎から汗がボタボタと滴り落ち、高級シャツの胸元に無惨な染みを作っている。
セットされた髪は額にべったりと張りつき、目は充血し、唇からは完全に血の気が失せていた。
カメラの前でだけ纏っていた完璧な「カリスマ好青年」の殻は、熱によってドロドロに溶け落ちていた。
「あ……俺は……」
声が掠れた。気道が乾ききっている。
レオンは唾を飲み込もうとしたが、極度の恐怖と脱水で、唾すらまともに出なかった。
「俺は、レオン・スカイ……です」
『本名を名乗って』
「……レオナルド・スカイラー。が、本名です」
カーバンクルが次の指示を出す。
『ナオミの店で何をしたか全部話しなさい。少しでも嘘を混ぜたら、もう一度空調のスイッチを入れるよ』
レオンの目が激しく泳いだ。
口を開きかけ、閉じ、また開く。唇の端が痙攣するように引きつっていた。
「お、俺は……テラの、下層ブロックにあるラーメン店を……取材しました。カメラの前では……感動したような、いい人のフリをして……」
言葉が詰まった。沈黙が三秒、五秒と伸びる。
――ピピッ。
室温表示のパネルが一度だけ鳴った。
温度がほんの0.5度だけ上昇した。ただそれだけで、レオンは悲鳴のような声を上げた。
「カメラが止まっている間は……っ! 店主のナオミさんを、バカにしていました! 店を汚いと言って……料理を原始的だと笑い……丼を、絵面の邪魔だとどかさせました……!」
『ラーメンは』
「……ラーメンは……一口だけ食べて、残りを……不衛生だから捨てろ、と……言いました……」
レオンの声が、みっともなく震えていた。
ドローンのレンズが、その惨めな顔のすべてを高画質で記録している。
涙なのか汗なのかわからない液体が、頬を伝って落ちた。
『動画の編集は』
「ど、動画は……ナオミさんが怒って追い出した場面だけを切り取って……前後の文脈を全部消して……まるでナオミさんが、理由もなく暴れる狂人みたいに……見えるように……悪意を持って、編集しました」
『放火は』
レオンの体がびくりと跳ねた。
最後の一線だった。これを言えば、もう言い逃れはできない。
信者の擁護も、AIの捏造だという言い訳もすべてが使えなくなる。完全な犯罪の自白だ。
「……俺の……指示で……ディレクターのカイルたちが……ナオミさんの店に……火を……」
『はっきり言って。聞こえない』
「放火しました!! 俺が指示して、見せしめのために店に火をつけさせました! ナオミさんがまだ中にいるのも……知ってて……やりました……!!」
声が裏返り、最後は絶叫に近かった。
レオンは膝から崩れ落ち、両手で顔を覆った。肩が小刻みに震えている。
配信はリアルタイム流れていた。
カーバンクルがノア・ネットワークの配信基盤を掌握し、レオンの公式チャンネルをハイジャックして強制的に配信枠を開いていたのだ。
4200万のフォロワーと、何百ものスポンサー企業の担当者たちに対して、無編集の惨めな自白が垂れ流されている。
コメント欄は、文字通り爆発していた。
『放火!? マジかよ』
『うわー、レオン終わったな。何年も推してたのにマジでショック』
『いや前から胡散臭いと思ってたわ。やっぱりな』
三日前までレオンを盲信してナオミを叩いていたアカウントの多くが、今度は手のひらを返してレオンに牙を剥いていた。
彼らにとって、正義や真実などどうでもいい。
叩く快楽の矛先が、「無名の老婆」から「堕ちたカリスマ」へと入れ替わっただけだった。
『放火で殺人未遂じゃん。治安維持局さっさと逮捕しろ』
『あのラーメン屋のおばさんマジでかわいそう。私最初からおかしいって思ってたし、おばさんのこと応援してたわ』
『レオンざまあwww 今日一番のメシウマ案件www』
床に転がったレオンの端末に、コメントの暴力的な奔流が映し出されていた。
彼はそれを、指の隙間から見ていた。自分が作り上げた狂信的な仕組みが、今度は自分自身を焼き尽くしていく様を。
視聴者は真実なんか見ていない。信じたいものを信じるだけだ。
――自分で言った言葉が、致死量の毒となってそのまま自分に返ってきていた。
「……さ、最後に」
レオンはカメラに向かって顔を上げた。
目は赤く腫れ、頬は汗と涙でぐしゃぐしゃだった。
「俺は……引退します。配信活動の、すべてを……今日をもって……本当に、申し訳ありませんでした……」
言い終えるとレオンは床に突っ伏し、おいおいと声を上げて泣き崩れた。
カーバンクルの赤い瞳が、しばらくの間、その姿を冷ややかに見下ろしていた。
やがて、空調が正常な唸りを取り戻した。
冷気が本格的に部屋に流れ込み、汗まみれの四人の肌を急速に冷やしていく。
室温表示が、ゆっくりと22度に向かって下がり始めた。
『ナオミの燃えた店のこと、絶対に忘れないでね』
それだけ言うと、ホログラムがふっと消えた。
壁面の巨大ディスプレイも、撮影ドローンも、部屋を染めていた赤い照明も。すべてが一斉に沈黙し、部屋は元の静かな高級レジデンスの姿を取り戻した。
窓の外には、いつも通りのニュー・エデンの夜景が広がっている。
四人はしばらく床に倒れたまま、死体のように動けなかった。
■
――最初に起き上がったのは、レオンだった。
冷たい空気を肺に深く入れ、何度か咳き込み、壁に手をついて立ち上がる。
テーブルの上の端末が、狂ったように立て続けに着信音を鳴らしていた。
スポンサー企業や代理店の名前が、次々と画面を埋めていく。
レオンはそれを、乾いた目でぼんやりと眺めた。
「レオン、さん……出ないんですか」
カイルが、床に座り込んだまま掠れた声で訊いた。
「……出てどうする」
レオンの声は低く、冷え切っていた。
さっきまでのカメラの前で見せていた「後悔と涙の震え」は、嘘のように消え失せている。
「契約違反、ブランド毀損、放火の共犯。向こうのクソ共が並べてくる言葉は全部わかってる。違約金だけで、俺の資産の大半が飛ぶ。放火が治安維持局に立件されたら、刑事罰で収容所行きだ」
「じゃ……じゃあ、どうするんですか! 弁護士を――」
「弁護士?」
レオンは鼻で嗤った。
引退と謝罪を宣言したわずか数分後の、その笑い方。
それはカメラの前の聖人でも、極限の恐怖で泣き叫ぶ男でもなかった。
もっと冷たく、もっと底の深い、己の保身と計算だけで動く醜悪な人間の目だ。
「弁護士が間に入ったら、法的に資産が凍結される。凍結されたら、逃げるための金が引き出せなくなるだろ」
「逃げる……?」
「今、この瞬間がタイムリミットだ。あの配信の録画が行政に回って、口座に保全命令がかかる前に、俺の個人資産を全部裏口座に動かす」
レオンはテーブルの端末を掴み、スポンサーの着信をすべて強制切断した。
代わりに、強固に暗号化された通信アプリを開く。
アンダーグラウンド経由の匿名回線。連絡先の一覧には、公式チャンネルでは決して見せない種類の、ブラックマーケットのブローカーたちの名前が並んでいた。
その中から一つを選び、発信する。
「……俺だ。レオン・スカイラー。至急で頼みたい」
『……何だ』
回線の向こうで、合成された低い声が短く応じた。
「IDの偽造と、地下潜伏のルート手配だ。俺を含めて四人。明日までに、別人の生体IDを用意しろ。顔の整形データもセットでな。金は今夜中に暗号通貨で送る。額面は……言い値で構わない」
カイルは呆然と、その背中を見ていた。
たった今、全世界に向けて泣きながら謝罪と引退を宣言した男が、もう次の逃亡の手を打っている。
反省も、後悔も、ナオミへの謝罪も。
あの無惨な涙さえも――結局は、保身のために時間を稼ぐ「カメラの前だけのパフォーマンス」に過ぎなかったのだ。
レオンは通信を切ると窓際に立った。
ニュー・エデンの夜景を見下ろす。その横顔に浮かんでいたのは、恐怖でも絶望でもなく、冷徹な損得勘定と、自分を追い詰めた何者かへのどす黒い憎悪だった。
「この街の『表』は、もう使えない。……だが、金さえあれば、顔を変えていくらでもやり直せる」
彼は薄く嗤った。
「ネットで俺を叩いてる有象無象なんて、一週間もすれば別の獲物に飛びついて俺のことなんか忘れる。その頃には、俺はもうここにはいない。ほとぼりが冷めたら、また別の顔で稼いでやる」
彼は窓ガラスに映る自分の顔を撫でた。
(あの生意気なハッカーのガキめ。痛い目を見たが、最後は詰めが甘かったな……! 直接手を下さなかったことを後悔させてやる……!)
窓の向こうで、ドームの人工灯が静かに明滅していた。
テーブルの上では、スポンサー企業からの着信が鳴り続けている。
この回、ナオミ以外全員ネット民バカにしてる




