【断罪】炎の洪水
テラ上層。
アルミナとの境界に近い、強固なセキュリティに守られた高級レジデンスの一室。
全面ガラス張りの広大な窓の向こうには、ニュー・エデンの夜景が広がっている。
階層ごとに色分けされた何千万という人工の光が、ドームの天蓋まで折り重なるように積み上がり、この街のヒエラルキーを可視化していた。
その光景を背に、四人の男が本革の低いソファに深く腰を沈めている。
「くくっ……ハッハッハ!」
中央に、レオン・スカイがいた。
彼は氷を浮かべた合成酒のグラスを揺らしながら、宙に展開したホログラム・ウィンドウを満足げに眺めている。
映っているのは、テラ末端のブロックDで起きた火災の映像だった。
鮮やかな橙色の炎が、見覚えのある小さなラーメン店を舐め尽くしていく。
野次馬がこっそり撮影し、ネットに上げた粗い素人映像だ。
「いやー、よく燃えるねえ。木造って最高だな」
「これがホントの炎上ってな!」
レオンが下品に嗤い、グラスの酒を一口含んだ。
隣でカイルがげらげらと笑い声を上げる。
残りのスタッフ二人も、それに合わせて媚びるように肩を揺らした。
「テラの末端なんて監視カメラの半分はダミーか故障中だし。ブルー・クローンも、下層民のボヤ騒ぎなんざわざわざ来やしない。俺らが捕まることは絶対ないってワケ」
「レオンさん、マジ容赦ないっすね。ま、自業自得か」
「自己弁護動画なんてくっさいモン出しやがって。画質クソ悪くてウケたわ〜」
レオンはホログラムを指で弾き、火災の映像をスワイプして消した。
代わりに、自分の公式チャンネルのダッシュボードを呼び出す。
――最新動画の再生数:846万回。
その数字が、ホログラムの青白い光となって彼の整った顔を照らしている。
「いい? あれは完全に逆効果なんだよ。被害者ぶって反論なんかするから、余計に叩かれる。
ネットの有象無象はさ、本当はどっちが正しいかなんてどうでもいいの。ただ『正義面して叩いて気持ちいいサンドバッグ』が欲しいだけ」
レオンはグラスの氷をカラカラと鳴らし、窓の外の夜景を見下ろした。
「だから――的のほうから動いちゃダメなんだよなあ。黙ってサンドバッグになってりゃ、俺もわざわざ火なんかつけなかったのに」
四人の男たちが、また品性下劣に嗤った。
グラスが触れ合う。窓の外で、無数の人工の光が彼らを祝福するように瞬いていた。
――そのとき。
部屋のすべての光が、一瞬だけブラックアウトした。
「ん?」
天井の高級間接照明も、宙のホログラムも。
コンマ数秒の暗転のあと、それらが一斉に灯り直す。
だが、色が違った。
すべての光源が、血液のような不気味な赤みを帯びている。
「……あ? なんだ?」
レオンが不機嫌そうに顔をしかめた。
壁面を覆う百インチの超大型ディスプレイが勝手に起動する。
誰も触れていない。
部屋中のホログラム投影機が強制同期し、空中に一つの巨大な映像を結んだ。
それは、強制割り込みのビデオ通話ウィンドウだった。
『……接続完了』
画面の中に、中性的な子供の影が映っている。
水色の髪。薄闇に沈んだ顔。
そしてこちらを真っ直ぐに見据える、無機質な赤い双眸。
『――レオン・スカイ』
平坦で、ひどく冷たい女の子の声が、部屋の立体音響スピーカーすべてから同時に響いた。
「な、なんだお前。どうやってここのシステムに……! おいカイル、ハッキングだ。これ切れよ!」
「や、やってますけど……ダメっす、消せない!」
カイルが慌てて自分の端末を叩いた。
だが、画面は真っ赤に染まったまま反応しない。
通話ウィンドウは消えるどころか、部屋中のあらゆるモニターやスマート家電のパネルに分裂して増殖していく。
窓ガラスの反射にすら、あの赤い瞳が無数に浮かび上がっていた。
『無駄だよ』
カーバンクルの声が、淡々と続いた。
『あなたがナオミの店でしたことを、私は知ってる。カメラの前だけ聖人を演じたことも。ラーメンを一口で吐き捨てたことも。……そして、店に火を放ったことも』
「……な、に?」
レオンの頬が、わずかに引きつった。
だが、それはほんの一瞬だった。彼は焦りを隠すようにソファに背を預け直し、わざとらしく大きなため息をついてから、口の端を吊り上げた。
「は……ははっ。なんだと思えば、正義のハッカー気取りかよ。ガキのくせに随分な脅しだな」
『脅しじゃないよ。映像もある』
通話ウィンドウの横に、別の画面がポップアップした。
ナオミの店の、天井に設置されていた古い監視カメラの映像だった。日付と時刻のタイムコードが刻まれている。
取材当日。カメラが回っていない時間帯。
レオンが寸胴を覗いて鼻をつまみ、カイルと嗤い合っている。
ナオミの夫の形見の丼を奥に追いやり、口に入れたラーメンを顔をしかめて紙ナプキンに吐き出している。
すべてが、一秒の編集もされていない「生の映像」で記録されていた。
「――ッ」
カイルの顔が、土気色に青ざめた。
「れ、レオンさん……これヤバいですよ。これネットに流されたら、完全に終わ――」
――だが。
レオンは次の瞬間にはもう笑っていた。
声を上げて、腹の底から、心底おかしそうに。
「はははははっ、あー、なるほどね! 監視カメラ映像か。へえ、下層のボロい店にしてはよく撮れてるじゃん」
彼はグラスをテーブルに置き、ゆっくりと立ち上がった。
赤く染まったホログラムの光を背に受けながら、これ見よがしに両手を広げてみせる。
「でもさ、お前バカなの? 今が西暦何年だと思ってんの?」
『……?』
レオンは通話ウィンドウの赤い瞳に顔を近づけ、憐れむような、底意地の悪い笑顔で囁いた。
「AIが映像なんていくらでも生成できる時代だよ? クローンが本人そっくりに法廷で証言できる時代だよ? 物理的な証拠なんて、もう何の意味もないの!」
『……どういうこと?』
「この映像をネットに流したところで、俺は『AIのディープフェイクだ』って一言ポストすれば終わり。信者が勝手に擁護してくれる。
リスナーはね、真実なんか見てないんだよ。信じたいものを信じるだけ。そして奴らは――俺を信じたいの」
自分の構築した狂信的なコミュニティとシステムに、レオンは陶酔していた。
『……なるほど』
カーバンクルは、なにかに納得したような声でつぶやく。
『あなたの言う通り。今の時代、一つの映像じゃ決定打にならない』
「だろ? わかったら、とっととそのハッキング解いて――」
『でも。ボヤはそれで済むけど』
レオンの言葉を、平坦な声が遮った。
画面の向こうの赤い瞳が、わずかに細められる。
『――大火事なら、どうかな』
その瞬間だった。
部屋中のホログラム投影機が、悲鳴のような異音を上げて唸った。
空中に、無数のウィンドウが爆発的に展開する。
「な、なんだ! 今度はなんだっ……」
十、二十、五十、百、五百。
数えきれないほどの映像、音声データ、テキスト文書が部屋の壁という壁、空間という空間を埋め尽くしていった。
「な……なんだ、これ」
レオンの薄ら笑いが、顔に張り付いたまま完全に凍りついた。
展開されたログは、すべて「レオン・スカイ自身のもの」だった。
数年分の、裏の顔。
スポンサー企業に違法なキックバックを要求した通信記録。
下請けの小規模配信者を脅してチャンネルの権利を奪い取った契約データ。
アンダーで違法な「狩り」に参加した日の決済履歴。
裏で共演者の女性を恫喝する音声。違法薬物パーティの招待状。脱税のための二重帳簿。
――そのどれもが、何重にも暗号化された彼のプライベート・サーバーの最深部に隠匿していたデータだった。
「ば、バカな!? なんでこんなものが……っ!?」
『今はこういうのが専門でね。セキュリティなんて全部素通りだよ』
カーバンクルの声が、情報の嵐のど真ん中で響き渡る。
『一つや二つなら、ディープフェイクで押し通せる。
……でも。数年分の、相互に完璧に矛盾なく整合する何千もの記録が、関係者全員の端末から同時に出てきたら? あなたはそれを、全部『捏造だ』って押し通せる?』
「あ……ああっ……」
カイルが、ふらりとよろめいて膝をついた。
残りの二人は声も出せずに、自分たちの破滅を意味するホログラムの滝を見上げている。
レオンの額から、脂汗がどっと噴き出した。
「ま……待て。こんなの、今すぐ消せば――」
『もう遅いよ』
――ヴィーッ!! ヴィーッ!!
その時。レオンの腕にはめられた高級端末が、けたたましいアラート音を鳴らし始めた。
一件ではない。三件、五件、十件。
立て続けに着信が殺到する。一番大きなスポンサー企業からだった。
震える指で、彼は一件を強制的に繋いだ。
『レオン!! どういうことだ、これは!?』
怒号が、スピーカーから部屋中に響き渡った。
「ど、どういう……って?」
『今、うちの広報部に大量のデータが送りつけられてきた! お前が裏でやってたことが全部だ! 他のスポンサーにも同じものが届いてるらしいぞ! メディアにも流れてる! 説明しろ、レオン! いったい何が起きてるんだ!? 違約金だけでお前の首が飛ぶぞ!!』
別の着信が強引に割り込む。また別の企業。さらに別の代理店。
四方八方から鳴り響く着信音が、赤く染まった部屋を狂気のように満たしていく。
レオンは端末を握ったまま、血の気のない顔で立ち尽くしていた。
さっきまでの傲慢な嘲笑は、跡形もなく消え失せている。
『……ネットの炎上は、もうあなたには止められない』
レオンの喉から、ヒュッという引きつったような音が漏れた。
炎上には炎上をぶつけんだよ




