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【断罪】反省してま〜す

「――っ!」


 ジュリアンの心臓が喉元まで跳ね上がった。


 だが、それは一瞬だけだった。


 目の前にいるのはミア・ハーロウ。

 あのミア・ハーロウだ。身長百五十センチ足らず、痩せぎすで、自分が睨めば泣き出していた虫けらのような女。


 ジュリアンは乱れた呼吸を整え、口元に薄い笑みを浮かべた。


「……驚いたよ、ミア。どうやってここに来たのかは知らないが」


 一歩前に出る。声には余裕を乗せた。

 アルミナのセキュリティを突破したことへの驚きは認めよう。だが、それとこれとは別だ。


「まさか一人で来たのか? ん? 僕に何をするつもりだい?」


 嘲りを隠そうともしない声だった。

 テラの教室で、何度もこの女に向けたのと同じトーン。

 「お前は弱い」と教え込むための威圧的な声。


「一人ってことは、君の『協力者』は今日はお留守番かな。その化け物がいなければ、お前はただの――」


 言葉が途切れた。


 ――ミアが、笑っていた。

 正確に言えば、ミアの顔をした何かが笑っていた。


 口角がわずかに持ち上がっているだけの、感情の読めない微笑。

 ジュリアンが知っているミア・ハーロウの表情カタログには存在しないはずの顔だった。


「ただの、なに?」

「ッ!」


 声が違う。

 音域はミアのままだ。だが、抑揚が消えている。

 言葉の一つ一つに氷のような冷たさを感じる。


「この……声。まさか……」


 ジュリアンの笑みが凍りついた。


 空気が変わっていた。

 空調が送り出す22度の空気が、急速に冷えていくような錯覚。


 少女は立ち上がってすらいない。

 ただソファに座ったまま、赤い瞳でジュリアンを見上げている。


 それだけなのに、ジュリアンの本能が一つの事実を叫んでいた。


 ――こいつは、ミア・ハーロウじゃない。


「お前……お前は、誰だ」


 声が掠れた。

 少女の赤い瞳の中で、幾何学模様がゆっくりと回転している。

 マコトが潰され、カイルが刻まれ、シエラが消されたとき、現場にいた何か。


 ジュリアンの頭の中で、全てが繋がった。


(ミアの背後の「協力者」……じゃない。ミア自身の中に、別の何かが棲んでいる!)


 シエラの電話越しに聞こえた、あの氷の声。

 その正体が目の前のこれだ。


「……化け物……ッ! どうなってやがる!? 二重人格……!? いや……」

「へぇ、当たらずとも遠からずだよ。さすが、勘はいいね」


 ジュリアンは咄嗟に足元のスタンガンを拾い上げた。

 護身用とはいえ、アルミナ仕様の高出力モデルだ。成人男性でも一撃で意識を刈り取る。


(なんだか知らんが、とにかく黙らせる! 所詮は女だ!)


 距離は三メートル。ソファに座ったままの相手に、突き出すように飛びかかった。


 スタンガンの先端が青白い電弧を散らす。


 だが――届かなかった。


 気づけばジュリアンの手首が掴まれていた。


「……はっ!?」


 いつ動いたのか、まるでわからなかった。

 少女はソファから立ち上がり、ジュリアンの突進の軌道上に、最初からそこにいたかのように立っている。


 ジュリアンの手首を掴む指の力は、十五歳の少女のものではなかった。

 骨が軋む音が、静かなリビングに響いた。


「ぐっ……!」

「遅いよ」


 一言だけ。

 次の瞬間には手首をひねられ、スタンガンが弾き飛ばされた。

 同時に膝裏を蹴られ、ジュリアンの体が前のめりに崩れる。


「がはっ――」


 床に倒れかけた顔面を、革靴の爪先が下から掬い上げた。


 蹴り上げ。


「ぶぐぉっ……!」


 ジュリアンの体が浮き、背中からガラステーブルに激突した。

 テーブルが砕け、破片が清潔な床に散乱する。


「げっ……ごぉ……!」


 背中の激痛に呻くジュリアンの襟を、細い手が掴んで引き起こした。

 目の前に、赤い万華鏡がある。


「ジュリアン・ヴォス。十五歳。生徒会長。シルバー・タグ保有者の父親を持つ、クローネクス社の御曹司」


 淡々と読み上げる声に、感情は一片もなかった。


「趣味は、自分より弱い人間をいじめ殺して記録すること」


 拳が、ジュリアンの腹部にめり込んだ。


「うぶっ……!」


 胃液が喉元までこみ上げる。

 息を吸う暇もなく、顎に肘が叩き込まれた。歯が欠け、血が飛び散る。


「がはっ……や、やめ――」


 次の一撃が側頭部を捉え、ジュリアンの視界が明滅した。


「あなたの『コレクション』、全部見たよ。なかなかの趣味だね」


 壁に叩きつけられ、ずり落ちたジュリアンの髪をカーバンクルが無造作に掴んだ。

 血と涙でぐしゃぐしゃになった顔を持ち上げ、至近距離で赤い瞳を覗き込ませる。


「安心していいよ。まだ殺さないから」

「ヒ……!」


 頸動脈への圧迫。

 ジュリアンの意識が、泥の底に沈むように消えた。



 最初に感じたのは手首の痛みだった。


 ジュリアンは重い瞼をこじ開けた。

 視界がぼやけている。左目が腫れ上がっているらしく、半分しか開かない。口の中は血の味で満ちていた。


(な……どう、なって……)


 自分の体を確認しようとして、動けないことに気づいた。

 両手首は背中で結束バンドのような硬い素材で固定され、体はパイプ椅子に括りつけられている。


 椅子ごと傾けようにも、椅子の脚が何かに固定されていてびくともしない。


 ここは――書斎だった。

 自分がさっきまでウィスキーを飲んでいた、父の別邸の書斎。


「……起きた、ね」

「ヒィ……!」


 声がした。

 だが、さっきまでの氷のような声ではなかった。


 震えている。

 怒りと、悲しみと、何か名前のつけられない感情で、声そのものが揺れていた。


(え……? この、声……は)


 ジュリアンが片目で前を見ると、デスクの前に立つ少女の姿があった。


 同じ顔。同じ体。

 だが、纏う空気が全く違う。


 先ほどの「化け物」が着ていた仮面が剥がれ、その下から出てきたのは、ジュリアンがよく知る怯えた――いや、怯えてはいない、怒っている顔。


 ミア・ハーロウの瞳は赤い幾何学模様ではなく、涙で濡れた普通の茶色い目だった。

 その目が、まっすぐにジュリアンを射抜いている。


 少女の手には、ジュリアンの端末が握られていた。

 画面には、あの暗号化フォルダの中身が展開されている。エレーナの顔。リンの顔。名前も覚えていない少女たちの顔。


「……なんで」


 ミアの声は、絞り出すように細かった。


「なんであの子たちに、あんなことしたの……!?」


 声が裂けた。

 端末を握る手が震えている。画面の中の動画は停止されたままだが、ミアがその中身を見たことは明らかだった。


「エレーナは……あなたに断っただけでしょ……!? リンは何をしたの……!? この子は……この子は……っ!」


 涙が頬を伝い、顎先から落ちた。

 ミアは端末をジュリアンの顔の前に突きつけた。

 画面には「廃棄済み(自死)」のテロップが映っている。


「答えてよ……!」


 ジュリアンは、腫れた目でミアを見つめていた。


(こいつ……中身が……?)


 恐怖はあった。全身が痛み、手足は拘束され、あの「化け物」がいつ戻ってくるかもわからない。


 だが、今この瞬間。

 目の前にいるのは化け物ではない。


 泣いている。震えている。感情に支配されている。


(――これは、ミアだ。間違いない。あのいじめられっ子のグズだ)


 ジュリアンの頭の中で、計算が再起動した。


 あの化け物は今、表に出ていない。何らかの理由で、ミア本人に主導権を渡しているのだ。


 つまり今、目の前にいるのは交渉可能な人間だ。

 恐怖を知っている。罪悪感を持っている。


 そういう人間は――操れる。


 ジュリアンは顔を歪め、血に塗れた唇を震わせた。


「……ミ、ア」


 声を、意図的にか細くした。

 ここから先は演技だ。テラの教室で何度も披露してきた「理解ある指導者」の仮面を、もう一度被る。


「僕は……間違っていた」


 目を伏せ、嗚咽を混ぜた。


「あの子たちにしたこと……取り返しがつかないのは、わかってる。僕は……父に認められたくて……ストレスで、おかしくなっていたんだ」


 ジュリアンは計算した。

 ミアは優しい人間だ。友人のサラが暴行されたとき、怒りで動くような人間だ。


 正義感があり、共感能力がある。

 そういう人間は、加害者が涙を見せたとき、一瞬だけ刃を収める。


 その一瞬があれば十分だ。


「お、お願いだ、ミア……それを、証拠を持って僕を、警察に突き出してくれ」

「え……!?」

「正式に、裁かれたい。法の裁きを……受けたいんだ」


 ジュリアンは顔を上げた。

 血と涙に濡れた顔で、かつて自分が壊してきた少女たちと同じ表情を、完璧に模倣してみせた。


「反省してる……! か、彼女たちにしたことは決して、許されるとは思ってない……だから」

「……っ」


 迷っている。響いている。

 ジュリアンは口角を上げないように必死にこらえながら演技を続けた。

ほんとにぃ?

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