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【断罪】反省不足

「僕は……本当に、自分が何をしてきたか、今やっとわかったんだ」


 ジュリアンは声を震わせ続けた。

 腫れ上がった唇から紡がれる言葉は、相手の同情を誘うよう揺れている。


「クローネクス社の、後継者ってプレッシャーが僕の精神を蝕んでいた……! 父さんに認められたくて、あの人みたいに冷酷で強くなりたくて……気づいたら、あんなことをしていた。

 僕は、病気だったんだよ! だから……エレーナにも、リンにも、みんなに……心の底から、謝りたい」


 ミアは黙っていた。

 ホログラム端末を握る手の震えが大きくなり、俯いて顔が見えなくなる。

 泣きじゃくるような小さな呼吸音だけが、静かな書斎に響いていた。


 ジュリアンの内心に、暗く冷たい確信が灯った。


(効いてるぜ。馬鹿な女だ!)


 予想通りだ。ミア・ハーロウは他人の痛みに共感してしまう、底辺層特有の無駄な感情に支配された生き物だ。


 加害者の涙と「病気だった」という免罪符にすら反応してしまう、構造的に搾取されやすい人間。

 あと少し押せば、この女は完全に判断を鈍らせる。そうすれば交渉の余地が生まれる。


「だから、お願いだ……僕を外に出して、正式な裁きを受けさせてくれ。僕は逃げない。罪を償う。もう二度と……誰も傷つけないから……」


 長い沈黙が続いた。

 ミアは俯いたまま、微動だにしない。


 ジュリアンは内心でほくそ笑んだ。

 勝った。もう一押しだ。涙をもう一滴だけ絞り出せばいい。


「ミア、君の優しさだけが……僕を人間の心に戻せる――」

「そうやって」


 ミアの声が、低く割り込んだ。


「いつも誤魔化してきたんでしょ」


 俯いていた顔が、ゆっくりと上がった。

 その目は涙で濡れていたが、ジュリアンが期待した「同情の揺らぎ」は存在しなかった。


「……え?」

「そうやって油断させて、色んな人を騙してきたんでしょ」


 ジュリアンの口元から、計算された笑みが消え失せた。

 完璧なはずのシナリオが、空振りをしている?


「その顔……あの動画の中の子たちと、全く同じ顔してる」


 ミアは、ジュリアンの血まみれの顔を真っ直ぐに指差した。


「『お願い、許して』『もう逆らわないから』『なんでもするから』……あの子たちは、あなたの足元でそうやって泣いてた。

 でもあなたは、その顔を見て笑ってたじゃない。あの子たちの尊厳を踏みにじって、ボロボロにして、ただのゴミみたいに捨てたじゃない……!」


 ミアの声は激しく震えていた。だが、芯の強さは崩れていなかった。


 涙は止まらない。鼻をすする音が途切れ途切れに混じる。

 それでも、ジュリアンを射抜く視線は真っ直ぐだった。


「……あの子たちは、もう二度と帰ってこない」


 ミアは端末の電源を切り、静かにデスクに置いた。


「い、いやその……」

「いくらあなたが謝っても、反省するふりをしても、エレーナは帰ってこない。リンも帰ってこない」


 おかしい。こんなはずじゃない。

 これはジュリアンの望む展開から、完全に外れていた。


「自殺を選ぶしかなかったあの子たちの時間は……絶対に、絶対に戻らない!」


 熱い涙が顎から落ち、冷たい床に小さな染みを作った。


「だから……あなたの『ごめんなさい』には、もう何の意味もない」


 ミアの細い手が、デスクの上にあったクリスタルガラス製の重厚な灰皿を掴み上げた。


 父ヴォスの悪趣味な調度品。

 手のひらに収まる程度のサイズだが、純度の高いクリスタルはずっしりとした凶器のような重量感がある。


「な、おい、やめ……!」


 ジュリアンが制止の言葉を叫ぼうとした瞬間、灰皿の角がジュリアンの左頬を強かに打った。


 ゴシャッ、という鈍い音。


「――!!」


 あのカーバンクルの正確無比な拳とは全く違う。

 軌道も何もあったものじゃない、不格好な一撃だった。


 体重も乗っていない。技術もない。

 だが重いクリスタルの角が頬の肉を無惨に裂き、新しい血が空中に飛んだ。


「がっ……! あ、あああっ!」


 ジュリアンに激痛が走る。

 悲鳴を上げる間もなく、二発目が額を打った。


「うっ!!」


 三発目が鼻筋にめり込んだ。

 軟骨がぐしゃりと潰れる嫌な音がして、ジュリアンの鼻の穴から黒っぽい血が噴き出した。


「や、やめ……!」


 プロの暴力ではなかった。

 カーバンクルの攻撃が精密な外科手術だとするなら、ミアの暴力は素人が感情に任せて振り回す鈍器だ。


 狙いは定まらず、振りは不安定で、力の入れ方にムラがある。


 だからこそ、タチが悪かった。


 「終わらない」のだ。

 急所を正確に打てないから、一撃で意識を刈り取ることができない。


 ジュリアンはパイプ椅子にガッチリと拘束されたまま、意識を手放して逃げることすら許されず、何度も何度も生々しい鈍痛を受け続けた。


 四発。五発。六発。


「がぶっ……きっ……やめっ……!」


 灰皿が頬を、こめかみを、顎を、でたらめに殴り続ける。


 ミアの腕は細く、硬い頭蓋骨を殴りつけるたびに、握りしめた自分の手も激しく痛んでいるはずだった。


それでも止まらない。ボロボロと涙を流しながら、歯を食いしばりながら、何かに取り憑かれたように灰皿を振り下ろし続けている。


「やっ……ベッ、やめろ……! やめろッ、痛い、痛いッ!」


 ジュリアンの声が醜く裏返った。

 余裕の演技はとうの昔に消し飛んでいた。

 鼻は潰れ、左の頬骨が陥没し、口の中は折れた歯と血の味でいっぱいだった。


「このっ……ブロンズの、クソ虫がァッ……!」


 底なしの痛みが、恐怖を突き破って激しい怒りと傲慢さを引きずり出した。

 ジュリアンは血の塊を吐き出しながら絶叫した。


「調子に乗るなよ、スラムのネズミが! 俺はジュリアン・ヴォスだぞ! シルバー・タグだ! お前みたいな底辺のゴミが、俺の体に触れていい訳がないだろうがッ!」


 ゴッ! と、容赦のない一撃が唇を裂いた。それでもジュリアンの狂乱は止まらない。


「お前らはただのおもちゃなんだよ! エレーナも、リンも、お前も、全部俺のコレクションを彩るための作品なんだ! 金で買える、俺が好きにしていいただの『素材』なんだよッ!」


 ピタリと。

 ミアの手が一瞬、空中で止まった。


 ジュリアンは荒い息を吐きながら、内心で歪んだ勝利を確信した。


 効いた。この言葉で怯む。

 いつもそうだった。どれだけ抵抗する女も、圧倒的な階級差と現実を突きつければ、最後は絶望して屈服する。


 だが血に濡れた目でミアを見上げたジュリアンは、己の致命的な勘違いに気づいた。


 ミアは、怯んでいなかった。


 止まったのは、ただ単に腕が疲れたからだ。

 血まみれの灰皿を両手でギュッと握り直し、ジュリアンを見下ろす茶色い瞳には、先ほどまで溢れていた涙がなかった。


 代わりにそこにあったのは、冷え切った、不気味なほどの覚悟だった。


「……素材、か」


 ミアは、自分に言い聞かせるように小さく呟いた。


「今の言葉、忘れないよ。一生」


 両手で持たれた灰皿が、高く、高く振り上げられた。


「あ……や、やめろ……オイ、やめろって」


 ミアの目に宿っていたのは、もはや怒りではなかった。

 もっと深い場所にある、決定的な、後戻りのできない何か。


 十五歳の少女が、人を本気で殺そうとするときの目をしていた。


(――――!!)


 ジュリアン・ヴォスの優秀な頭脳が、その瞬間ようやく一つの真実を理解した。


 この女は、泣いているから弱いのではない。

 泣きながら殴り続けられる人間は、泣かずに殴る人間よりもずっと、ずっと厄介だということを。


(あれ? ヤバイ? これ……)


 本能的な恐怖が、腸の底から這い上がってきた。


 あの赤い瞳の「化け物」に対する恐怖とは質が違う。

 化け物はあまりにも強大すぎて、自分の死が単なる事故のように思えていた。


 だが、この少女は違う。


 この目は、ジュリアンを処理するのではない。「殺す」目だ。

 個人的で、生々しくて、理屈の通じない、人間のどす黒い殺意だ。


(ヤバイ。殺される……殺される!!)


 ジョワ……と、股間に生温かい液体が広がった。


「ま……待ってくれ……まってくれ!!」


 演技ではなかった。

 声は無様に引き攣り、涙と鼻血と唾液が混じった、直視できないほど醜い懇願だった。


「殺さないでくれ! 金か!? クレジットならいくらでも払う! 親父の裏帳簿のデータもある! なんでもする、なんでも言うことを聞く……! だから……お願いだ、殺さないで……!」


 灰皿を振り下ろそうとしていたミアの手が、空中で微かに揺れた。


 そのわずかな躊躇の揺れを――ミアの脳内に同居する『もう一つの意識』は見逃さなかった。


「……ミア。よくやったね。ここからは私がやる」


 声の質が、突如として変質した。

 涙の痕が残る茶色い瞳が、一瞬の瞬きの後、無機質な赤い幾何学模様のホログラムを灯した。


 姿勢が変わり、重心が落ち、ミア・ハーロウの体から滲み出ていた生々しい殺意が置き換わる。


 カーバンクルは、ジュリアンの頭蓋骨を砕く寸前だった灰皿を、静かにデスクに置いた。

 ジュリアンの血で汚れたミアの手を一度見下ろし、それから、失禁してガタガタと震える彼へと視線を戻す。


「心拍数の異常上昇、瞳孔散大、括約筋の弛緩……。完全なパニック・フェーズだね」


 氷の刃のような声が、ジュリアンの鼓膜を突き刺した。


「なんでもする、って言ったよね」


 先ほどまでの感情の爆発が嘘のように消え去った静寂の中、赤い万華鏡がジュリアンを覗き込む。


「なら、やってもらいたいことがある」

ん?今

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