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【依頼人】アルミナの要塞

 テラと、その上空に浮かぶ要塞『アルミナ』を結ぶ専用のメインシャフト・エレベーター。


 深夜二時。

 クローネクス社の関係者しか利用を許されない巨大な貨物搬入口の前には、物資を降ろして帰還する数機の自動搬送ドローンが並んでいる。


 その金属の列の最後尾に、フードを深く被った小柄な影が一つ、音もなく紛れ込んでいた。


(……ねえ、本当にこれで通れるの?)


 ミアの不安げな内心の声に、カーバンクルは短く答えた。


(大丈夫。ジュリアンの私室の端末からアクセス・キーを抜いた)

(でも、顔認証とか生体スキャンは……)

(生体スキャンは、乗員が「人間」であると認識された場合だけ作動するんだよ)


 カーバンクルは左手首に巻いたダミーの端末バンドを操作し、偽装プログラムを展開した。


(だから、人間として認識させない。今から私たちは、ただの「空の貨物コンテナ」)


 エレベーターの重厚な防爆扉が開き、ドローンたちが次々と吸い込まれていく。

 カーバンクルはその流れの真ん中に身を置き、呼吸と心拍を極限まで落としたまま、自然な足取りでリフトに乗り込んだ。


『検査します。検査します……』


 搬入ゲートが近づく。

 無数のレーザーセンサーが、通過するドローンと「カーバンクル」の全身をなめ回すようにスキャンした。


 一瞬の、息詰まるような間。


『――認証完了。空の貨物コンテナ3G番。アルミナへのアクセスを許可します』


 緑色のランプが灯り、ゲートが静かに開いた。

 カーバンクルは表情一つ変えずに、天上の楽園へと続くリフトの奥へ歩を進めた。



 アルミナの空気は、テラとは完全に別の惑星のものだった。


 エレベーターを降りた瞬間にミアの肺を満たしたのは、完璧に温度と湿度が管理され、そして花の香りがブレンドされた無菌の空気だった。


 テラでは人工太陽が落ちて薄暗い時間帯のはずなのに、ここでは上空の特殊なホログラムが、柔らかな「永遠の午後」の光を演出している。


(……すごい。なに、ここ……)


 ミアは思わず息を呑んだ。

 大理石と純白の特殊合金で構成された豪奢な邸宅群が、広大な緑の芝生の中に点在している。

 どこからか本物の小鳥のさえずりが聞こえ、噴水が透き通った水を踊らせていた。


 テラの集合住宅とは比較にならない。

 ここは「住む場所」ではなく、「展示される場所」だった。


「観光は後。集中して」


 カーバンクルの冷たい声が、ミアの感傷を断ち切った。


「ここからが本番。アルミナの警備ドローンは――生体反応を検知された時点で、十秒以内に正規のコードを返さないと蜂の巣にされる」

(……じゃあ、見つかったら終わり?)

「大丈夫。見つからなければいいよ」


 カーバンクルは植え込みの影から身を乗り出し、前方の庭園通りを見渡した。


 赤い瞳の中で、幾何学模様が高速回転する。

 視覚データを解析し、目に見えない赤外線センサーの網の目と、ドローンの巡回パターンを完全に読み切っていく。


「二機一組で巡回。間隔は三十秒。死角は……あの彫像の裏側から、噴水の水音を利用して進む。行くよ」


 カーバンクルが庭園の芝生を蹴り、音もなく彫像の裏へ滑り込んだ。

 ミアの体は十五歳の小柄な少女のものだが、カーバンクルが動かすとき、その四肢は野生の獣のように正確で美しい軌道を描く。


 影から影へ。

 アルミナの整然とした街路は、逆説的に死角が少ない。完璧に計算された照明が、あらゆる路地を均等に照らしている。


 隠れる場所がないことがこの街の設計思想だ。

 だがカーバンクルは照明ではなく、カメラの視野角とシステムの「処理遅延」の隙間を縫って進んだ。


 大理石の壁面を這い、生け垣の裏を抜け、監視カメラが首を振るコンマ一秒のタイミングで通路を横断する。


 ――アルミナ、D-12区画。


 ひときわ巨大な門扉の前に差しかかった時、カーバンクルの足が止まった。


「……一機、邪魔なのがいる」


 前方のゲート前に、軍用規格の警備ドローンが浮遊していた。

 定位置で周囲を監視する固定哨戒型だ。機体下部のセンサーが百八十度の弧を描いて回転し、侵入者の生体熱源を常にスキャンしている。


(迂回する?)

「時間がかかりすぎる……それに、あいつの内部回線から「鍵」をもらいたい」


 カーバンクルは音もなく壁面を這い上がり、ドローンの死角である真上のバルコニーへ移動した。

 高さは約四メートル。真下にドローンの装甲が見える。


 跳んだ。

 風の音すらなかった。


 カーバンクルがドローンの機体上部に音もなく着地した瞬間、手首に仕込んだダミー端末から、過剰な負荷のジャミング信号を叩き込む。


『――!』


 ドローンが一瞬硬直し、センサーが異常を検知して中央AIへ警報を送信しようとした。

 だがそのコンマ数秒前に、カーバンクルの指がドローンのメンテナンスポートをこじ開けていた。


 電脳体としての能力が、物理接触を通じてシステムの最深部へ直接ダイブする。

 警報データを送信前に完全消去し、同時にドローンの内部セキュリティを乗っ取る。


「……もらった」


 ドローンの機能が完全に停止するまで、わずか三秒。

 カーバンクルはその重い機体を静かに地面に下ろし、巡回中の一時待機モードに見えるよう偽装を施した。


(何を取ったの?)

「この区画のローカル・セキュリティのマスター権限。これで、ジュリアンの別邸の場所がわかったよ」


 カーバンクルは機能を停止したドローンを一瞥し、白亜の豪邸の内部へと滑り込んでいった。



 アルミナ、D-12区画。ヴォス家別邸。


 アルミナの中でもひときわ広大な面積を占める白亜の邸宅。

 ジュリアン・ヴォスは父の豪華な書斎で、三杯目のデトックス・ウィスキーを喉に流し込んでいた。


「フン……くそったれめ」


 窓の外には、テラでは決して見ることのできない「永遠の午後」が広がっている。

 完璧に管理された秩序。汚れを一切許さない無菌の楽園。

 ここにいる限り、テラの薄汚い虫どもの手は絶対に自分には届かない。


 ジュリアンは深く安堵の息を吐き、デスクの端末を操作した。

 画面には、先ほどテラのレジデンスから転送を済ませた、至高のコレクションフォルダが表示されている。


(……ミア・ハーロウ)


 ジュリアンは、暗号化されたフォルダを見つめながら、歪んだ笑みをこぼした。


 マコトが殺され、カイルが壊され、シエラが消えた。

 自分の手駒は失われた。だが、それは安物の「道具」が壊れただけの話だ。


 道具ならまた揃えればいい。このアルミナにいれば、父のコネクションを通じていくらでも有能な人間を使い捨てにできる。


(あの女はまだ「完成」してない……死ぬか、廃人にするまで追い込んでやらないとな)


 ジュリアンの脳裏に、エレーナたち「完成した作品」の顔が蘇る。

 あの至高の瞬間――獲物の瞳から最後の光が消え、自分だけの完璧な標本が完成する瞬間。


 ミア・ハーロウには、まだその瞬間が訪れていない。


(協力者のバケモノが何者かは知らないが……俺がアルミナの力を使って本気で動けば、ブロンズ層の小娘一人、どうとでもなる。体制を立て直したら、必ずお前を俺の「最高傑作」に仕上げてやる)


 ジュリアンは端末を閉じ、グラスの残りを一息に飲み干した。

 明日は父に改めて話を通し、アルミナ仕様の新しいボディガードの手配を始めなければならない。忙しくなるぞ。


 立ち上がり、寝室に向かおうとした。


 ――その時。

 背後の扉の向こう、ラウンジの方から微かな音がした。


 ジュリアンの足がピタリと止まる。


 別邸のセキュリティは、アルミナ最高水準の生体認証で守られている。

 ボディガードは呼んでいない。自分以外の人間が、この最上階にいるはずがないのだ。


(なん……だ?)


 だが音は確かにした。

 誰かが革張りのソファに座っているような衣擦れの気配。


 ジュリアンは背筋に冷たいものを感じながら、書斎のデスクの引き出しから護身用の高出力スタンガンを掴み取った。

 武器を構え、ゆっくりと、音を立てずにラウンジへの重い扉を開ける。


 薄暗いラウンジの中央。

 最高級の革張りのソファに、小柄な少女が深々と腰掛けていた。


「……ッ!?」


 フードを脱いだ焦げ茶色の髪が、窓から差し込む人工の光を受けて幽霊のように淡く光っている。

 その顔は、見間違えるはずのないよく知った顔だった。


 カラン……。

 ジュリアンの震える手から、スタンガンが床に滑り落ちた。


「……ミア、ハーロウ……!?」


 声が情けなく裏返っていた。

 あり得ない。ここはアルミナだ。テラのブロンズ層のゴミが、どうやってこの絶対の要塞に足を踏み入れられるというのか。


 少女は静かに足を組み替え、呆然とするジュリアンを見上げた。

 その瞳は――怯えきったミア・ハーロウのものではなかった。


 血のような赤い光。

 瞳孔の奥で、無機質な幾何学模様が万華鏡のように回転している。


「こんばんは、ジュリアン」


 氷よりも冷たく重い声が、アルミナの静寂を切り裂いた。


「ちょっとお邪魔してるよ」

礼儀正しい

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