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【断罪】耳なし芳一

 意識が戻ったとき、最初に感じたのは背中のぞっとするような冷たさだった。


 コンクリートの床。淀んだ湿気。塗料と埃の匂い。


 まだあの倉庫にいる。

 そう認識した直後、カイルは自分の身体が全く動かないことに気づいた。


「な、なっ……!?」


 両手首と両足首が、金属製のバインディングワイヤーで椅子の脚に固く縛り付けられている。

 結束の位置が絶妙で、わずかにもがけばワイヤーが手足の腱に容赦なく食い込む角度だった。


 自分が座らされているパイプ椅子は、チョークで引かれた輪郭のど真ん中に置かれていた。

 昨日、マコトが被害者を拘束していたのと同じ「処刑場」の中心に。


 カイルは強張る首を必死に動かした。

 薄暗い部屋の隅に、ミアが座っていた。


 床に胡座をかき、手元で何かを弄っている。カイルの上着のポケットから抜き取ったらしい「電磁ペン」だった。


 背面のカバーが外され、精密な基板が露出している。

 ミアの細い指が工具を操り、回路の接点を手品のような手つきで組み替えていた。


 その挙動は、十五歳の少女のそれでは断じてなかった。

 迷いが一切ない。機械の構造を完全に熟知した、熟練のエンジニアの動きだ。


「……あぁ、起きたの?」


 ミアの口からこぼれた声は、ひどく平坦だった。

 昨日までの怯えきった声ではない。喜怒哀楽の全てを削ぎ落とした冷たい声。


「お前は……誰だ……!?」


 カイルの声が情けなく掠れた。喉が砂を噛んだように乾いている。

 頸動脈を押さえられ、意識が白く飛ぶ直前の記憶がフラッシュバックする。


 ミアの赤い瞳。

 発光する幾何学模様。あの理外の速度。


「私は404号室から来た」


 ミアは――いや、ミアの肉体を使っている「何者か」は、電磁ペンの基板を指で弾いた。チッ、と青白い火花が散る。


「よ、404……? 何を言って……?」

「ま、それはともかく。ご自慢の捜査力でも、ミアからは何も引き出せなかったね」

「……ッ。生徒会室で泣いてたのも……全部、演技だったのか……?」

「ああ……あの子は本気で泣いてたよ。でも最後まで喋らなかった。偉いよね」


(あの子……? 偉い……? 何を言ってる。二重人格か……?)


 そんな漫画みたいなことが起こるのか?

 カイルは断片的な情報から、できるだけ事態を整理しようと頭を空転させる。


 カーバンクルは電磁ペンを持ち上げ、カイルの目の前に突きつけた。

 元の基板から二本のバイパス配線が引き抜かれ、本来ならあり得ない接点に直結されている。


「これ、面白いおもちゃだね。ネオ・アルカディアにはなかった」

「……は? ネオ……アルカディア……?」


 次々に現れる「手がかり」にカイルは忙殺されていた。

 ネオ・アルカディアと言うと……たしか、こことは別のドーム都市の名前だ。


「電流で色素を皮膚の浅い層に定着させる。なるほどね……セーフティを外せば、かなり調整幅が広い」


 カイルはカーバンクルの手元から目が離せなかった。

 それは自分の道具だ。多くの生徒に痛みと恥を刻んだ、支配者の杖。


 それが今、正体不明の化け物の手に握られている。


「……何を、する気だ」


 カーバンクルはペンの先端を空中で試射した。

 バチィッ! と鋭い破裂音が鳴り、空気中に肉が焦げるようなオゾン臭が弾けた。


 以前とは明らかに出力が違っている。火花の色が赤黒く変色していた。


「あなたが他の子たちにやってたこと。『制裁』って呼んでたやつ。……ちょっと笑っちゃったよ」


 カーバンクルはゆっくりと立ち上がり、カイルの正面に立った。


「この程度の出力で? 一週間で消えるような落書きで? それで『支配』だの『秩序』だの気取ってたの?」


 声に怒りはなかった。

 子供の拙い工作を大人が見下ろすときの、あの残酷な客観性がある。


「だ、だまれ……っ!」

「そんなあなたのために、出力を変えといた。これで入れれば、皮膚移植でもしない限り一生消えないよ」


 カイルの背筋を、這い回るような悪寒が駆け抜けた。


「待て……待ってくれ! 俺に何を書く気だ!?」

「書くんじゃない。彫るんだよ」


 カーバンクルはカイルの膝の前にしゃがみ込んだ。

 赤い瞳が、至近距離からカイルを見上げている。


 ミアの顔。

 だが、その奥で回転する幾何学模様は完全に別人だった。


「ねえカイル。極東の古い島国にあった『耳なし芳一』っていう怪談、知ってる?」


 唐突な問いだった。

 死の瀬戸際で振られた昔話に、カイルは混乱した。


「……何だそれ。何を言って……」

「目が見えないアーティストがいてね。曲を披露してたら、お客さんが来たんだ。そのお客さん相手に喜んで曲を弾いてたんだけど……実は、そのお客さんっていうのが幽霊だった!」


 急に何を言っているんだ、こいつは。カイルはその言葉を飲み込み、一応話を聞く。


「見かねたお寺の和尚が、幽霊から彼を隠すために、アーティストの全身に『般若心経』っていうお経をびっしり書き記した。顔にも、手足にも、全部ね」


 カーバンクルは、改造された電磁ペンを指先でくるくると回した。


「夜になって幽霊がやってきた。お経が書かれた法師の体は、幽霊の目に見えなかった。でもね、和尚は一つだけミスをした。『両耳』にだけ、お経を書き忘れたんだよ」

「……」

「幽霊には、空中に法師の耳だけが浮かんで見えた。だから幽霊は、その耳だけを引きちぎって自分の世界へ持って帰った」


 カーバンクルはカイルの胸ぐらを掴み、その瞳を覗き込んだ。


「あなたにも全身に書いてあげる。お経じゃなくて、あなたが今まで他人に書いてきたものをね」


 カイルの顔から一気に血の気が引いた。


「やめ……やめろ、ふざけるな……ッ!」


 カイルは恐怖で身をよじり、腕を引きちぎらんばかりに暴れた。

 ワイヤーが手首の肉に食い込み血が滲む。


「動くと線がぶれるよ。静かにしてて」


 その台詞は。

 カイル自身がかつて囁いた言葉と一字一句同じだった。


 電磁ペンの先端が――カイルの左の前腕に押し当てられた。


 バチィィィッ!!

 かつての出力とは比較にならない高圧電流が、肉を焼き焦がしながら色素を叩き込んだ。


 表皮だけではない。

 真皮の深層まで神経を焼き切るような激痛がカイルの全身を貫いた。


「あぎッ……!! う、あ、あああああぁぁぁぁぁッ!!!」


 カイルの口から、聞いたこともないような絶叫が弾け飛んだ。


 全身が痙攣し、椅子ごと後ろに倒れそうになるが、カーバンクルが片手で軽々と押さえつけている。


 これまで罰を与える側にしかいなかったカイルは、圧倒的な痛みの前に何の耐性も持っていなかった。


 肉が焦げ、白煙が上がるたびに脳味噌が沸騰しそうになる。

 自分が他人に使っていた道具が、これほどの地獄を生み出すとは想像すらしていなかったのだ。


「うるさいなぁ」


 カーバンクルは手を止めなかった。

 左の前腕が終わると、右の前腕。上腕、肩、鎖骨。

 制服をナイフで無造作に切り裂き露出した皮膚の上に、一文字ずつ丁寧に、そして深く深く刻み込んでいく。


「やめてくれ……! もうやめ……あひッ、ひぃぃぃ……ごめんなさい、許して……ッ!」

「何人が同じことを言ったかな。あなたに」


 懇願しても、悲鳴を上げても、カーバンクルの冷たい手は止まらない。

 胸に『卑怯者』。背中に『分相応』。腹に『害虫』。脇腹に『裏切り者』。


 カイルが他人に下してきた全ての「判決」が、カイル自身の肉体を埋め尽くしていく。


 あまりの激痛に、カイルは途中から声すら出なくなった。

 声帯が引きつり「ひゅー、ひゅー」と過呼吸の喘ぎだけが漏れる。

 顎からは涎が滴り、恐怖と痛みのあまり下半身は温かい尿で濡れていた。


 どれほどの時間が経ったのか。

 やがて電磁ペンの駆動音が止まった。


「あ……ぎ……ひぃ……!」


 カイルの身体は、首から下が赤黒い文字でびっしりと埋め尽くされていた。


 重度の火傷のように腫れ上がった皮膚の上に、無数の「判決」が刻み込まれている。

 他人に与えた言葉が、一生消えない呪いとなって自分に返ってきていた。


 カーバンクルは出来栄えを確認するように一歩下がり、息も絶え絶えの少年を眺めた。


「なかなかの出来栄えだね。でも耳だけ書き忘れちゃったなぁー。

 ……実際、耳は書きづらいよね。体験してみてわかったよ」

「ひ……ヒュー……?」


 カーバンクルはポケットからナイフを取り出した。刃渡りは短いが、恐ろしくよく研がれている。


「さて。さっきのお話のオチは覚えてる?」


 虚ろだったカイルの目が、限界まで見開かれた。

 再び極限の恐怖が思考を塗り潰す。


「ま、待……う、あ……」

「たくさんの子が泣いて、やめてくれって懇願した。でもあなたは聞こえないふりをした。ミアの声も。全員の痛みの声を聞かなかった」


 カーバンクルは、カイルの左耳をガシッと掴んだ。


「聞かない耳なんて、もう要らないでしょ」


 冷たいナイフの刃が、耳の付け根に当てられた。

 カイルは声にならない声で泣き叫び、首を振ろうとした。


「い゛や゛ぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 ザリッ、と。

 軟骨を断ち切る、短く湿った音が響いた。


 左耳が、ボトリとコンクリートの床に落ちた。

 切断面から鮮血が噴き出し、首筋を伝って、文字だらけの肩を赤く染め上げていく。


「――――!゛!゛」


 カイルの口から、壊れたサイレンのような絶叫が迸った。

 痛みなのか恐怖なのか、もはや人間の発する声ではなかった。


 カーバンクルは血塗れのナイフを持ったまま、右耳に手を伸ばした。


「もう片方もね」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ……!! た゛す゛け゛、い゛や゛だ゛ッ……!!」

「うるさいな……」


 二度目の、ザリッという音。


 右耳が、左耳の隣に転がった。

 カイルの悲鳴がプツンと途切れた。白目を剥き、激しい痙攣ののち、ぐったりと首を垂れる。

 限界を超えたショックで意識が闇に落ちていた。


 カーバンクルはナイフの血をカイルの制服の切れ端で拭い、ポケットに戻した。

 椅子に縛られたカイルを、赤い瞳が冷徹に見下ろす。


 全身を文字の火傷に覆われ、両耳を失い、血と汚物に塗れたかつての「支配者」は、ただの惨めな肉塊と化していた。


「けど、殺しはしないよ。あなたは誰も殺してないから」


 カーバンクルは背を向けた。


「でも明日から、鏡を見るたびに思い出すといい。全身に書いてある言葉、全部あなたが偉そうに選んだものだから」


 鉄の扉が開き、廊下の薄い光が差し込んだ。

 カーバンクルはミアの身体で一歩踏み出し、一度も振り返ることなく倉庫を後にした。


「これで二人目。なかなか順調だよ、ミア。……次はあの女にしようか」

なんかヤンデレみたいな気配あるよね

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