【断罪】外側を気取る男
廃部室棟、地下倉庫。
マコトが死んだ部屋の真ん中で、カイルは一人床にしゃがみ込んでいた。
淀んだ空気には、湿った塗料の匂いと埃が混じっている。
かつてクローネクス社が試験用に設置したという電磁遮断壁がそのまま放置されているため、エデン・チップの通信も監視カメラも完全に死んでいた。
だからこそマコトは、ここを自分の「処刑場」に選んだのだ。
誰にも見られず、悲鳴も届かない、学校の裏側にある完璧な密室として。
カイルの視線の先には、チョークで引かれたパイプ椅子の輪郭と乾いた血の染みがあった。
(血の量が……ずいぶん少ないな)
喉と舌を潰されて出血性ショックで死んだにしては、床が綺麗すぎた。
犯人が血の拡散を抑え込んだのか。いずれにせよ、その場の感情に任せた素人の仕事ではない。
(ふーん……)
カイルは指先で血の輪郭をなぞった。
飛沫の方向が一定していない。段階を踏んで、別の角度から噴き出している。
喉を潰し、舌を抜く。
それぞれ別の動作をしている間、マコトは生きていたはずだ。
手が震えた様子もない。
淡々と、まるでマニュアルでもなぞるように片付けた人間の痕跡。
「……手慣れてるな」
ポツリと漏らした呟きは、電磁遮断された壁に吸い込まれて消えた。
カイルにとって、このおぞましい現場は恐怖の対象ではなく、上質な「教材」だった。
カイル自身も、これまで何度もターゲットに「罰」を与えてきた。
金属キャップの上での正座、電磁ペンでの刺青、SNSでの徹底的な晒し上げ。
だが、流血沙汰を起こしたことは一度もない。
骨を折ったり歯を飛ばしたりするのは、想像力のない三流のやることだと彼は思っていた。
カイルの「制裁」は、あくまで学校のルールという安全な箱の中で完結する、スマートなゲームでなければならなかった。
だが、この部屋で起きたことは違う。箱の外側の、本物の暴力だ。
(ん……? あの箱は……)
ふと、部屋の隅に転がっている工具箱に目が留まった。マコトが拷問道具として持ち込んでいた私物だ。
(あのマコトを一方的に叩きのめし、そしてヤツの道具でさらに始末をつけた……)
凄まじい手際だ。
VR格闘訓練で図抜けた成績を出していたあのマコトが、一方的に蹂躙されている。
立ち上がり、カイルは顎に手を当てた。ひどく冷静に、人が死んだ現場を眺めている。
それもそのはずだ。カイルは暴力の「設計者」であって、手を汚す「執行者」ではない。
マコトのような野蛮な連中の世界と、自分の賢い世界は交わらない。
そう、タカを括っていた。
もう一度しゃがみ込もうとした、その時だった。
ギイッ……。
「!」
背後で、錆びた鉄の扉が軋む音がした。
カイルの心臓が大きく跳ねた。
ここは電磁遮断エリアだ。通信は届かない。誰かが来るなら、直接歩いてくるしかない。
ゆっくりと内側に開いていく扉。逆光の中に、小柄な制服のシルエットが浮かんだ。
「……誰だ。なんの許可を得て入ってきた?」
強がったつもりだったが、自分の声が情けないほど上ずっているのがわかった。
影が一歩、部屋に足を踏み入れる。薄暗い蛍光灯がその顔を照らし出した。
ミア・ハーロウだった。
「……ハッ」
カイルは、肺に溜まっていた息を長く吐き出した。
なんだ、ミアか。先ほど、生徒会室でを泣きながら出ていったあの小動物のような少女。
腕に「無能」と刻んでやったあの女じゃないか。
本物の殺人鬼でも現れたのかと、一瞬でも怯えた自分が急に馬鹿らしくなった。
「君か。ここに何の用だ?」
余裕を取り戻したカイルの問いに、ミアは答えない。
ただ無言で後ろ手に扉を閉めた。ガチャン、と重い音がして内側から錠がかかる。
カイルは眉をひそめた。
「おい、鍵を閉めるな。開けろ」
いつもの命令口調だった。
学校のヒエラルキーの頂点にいる自分の声なら、この女は震え上がるはずだった。
だが、ミアは微動だにしない。
閉じた扉の前に立ったまま、じっとこちらを見つめている。
「聞こえてないのか? 鍵を開けろって言ってるんだよ」
苛立って一歩踏み出そうとし――カイルの足は、そこで縫い止められた。
何かがおかしい。
立ち方だ。重心の位置、足の開き方。
生徒会室で泣いていた少女と、目の前の人間が同じとは到底思えなかった。
ミアが、ゆっくりと顔を上げる。
瞳が赤く発光していた。
両目の奥で、瞳孔の周りに幾何学模様のような赤い光の紋様が浮かび、チカチカと回転している。
「な……」
喉が引きつり、声が出ない。
カイルは無様に後ずさった。自分の足に引っかかり、よろめく。
得体の知れない恐怖が、足元から急速に這い上がってきた。
(な、なんだ、これは……!?)
カイルが「制裁」を与えるとき、相手は常に自分より圧倒的に弱かった。
安全圏から、抵抗できない人間をチェスの駒のように扱うのがカイルのやり方だった。
自分が狩られる側に回るなど想像したこともない。
その甘い思い込みが今、現実の暴力によって粉砕されようとしていた。
ミアの身体がブレた。
カイルの目には、一歩目の踏み出ししか見えなかった。二歩目から先は認識すらできない。
「……あ!?」
気がついたときには、ミアの手がカイルの首筋に添えられていた。
頸動脈を、ミリ単位の正確さで押さえている。
力任せに絞め落とすのではない。
位置と圧力だけで血流を遮断する、プロの技術。
視界が急速に白く飛んでいく。
「マジ、か……!?」
掠れた声が漏れた。
抵抗しようと腕を振り回すが、空を切るばかりだ。
指先から感覚が消え、脳から急速に酸素が奪われていく。
意識が端の方からドロドロと溶け出していた。
最後にカイルの目に焼き付いたのは、至近距離で覗き込んでくるミアの赤い瞳だった。
回転する幾何学模様の奥に、感情は一切ない。
ただ、機械的な冷たい光だけがあった。
(……ぁ……)
カイルの身体が倉庫の床に崩れ落ちる。
チョークで描かれたパイプ椅子の輪郭の、ちょうど真ん中。
昨日、マコトが拘束されていたまさにその場所へ。
赤い瞳が、這いつくばるカイルを冷徹に見下ろした。
幾何学模様がピントを合わせるように収束し、薄い唇がわずかに開く。
「……手間が省けた。いい場所にいてくれたね」
その声の響きはもう、カイルの知るミアのものではなかった。
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