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【依頼人】耐えきる少女

 カイルが目の前に立った瞬間、ミアの視界が狭くなった。


 電磁ペンの先端が、蛍光灯の光を反射して鈍く光っている。

 アンダー製の安物。皮膚に電流を流しながら色素を注入する道具。


 同じ学校の生徒に使うようなものではない。

 少なくとも、まともな人間が使うものではない。


 ――でも、この部屋にまともな人間はいなかった。


「左腕、出して」


 カイルの声には急ぎがなかった。

 いつものように、淡々と事務的に。それが一番怖かった。


 怒っている人間ならまだ説得の余地がある。

 でもカイルは怒っていない。手続きを進めているだけだ。


「や……やめてください……!」

「出さないならシエラに押さえてもらおう。どっちがいい?」


 シエラがソファから立ち上がった。長い指を組み合わせ、関節をひとつ鳴らす。

 ミアは反射的に左腕を引いた。背中が壁にぶつかった。逃げ場はなかった。


「ねえ、ミア」


 シエラが甘ったるい声を出して、横から肩を抱いてきた。香水の匂いが鼻孔を刺す。


「正直に話せばいいだけよ? マコトが誰に殺されたか、心当たりがあるんでしょう? あなた一人を責めたいわけじゃないの。背後にいる誰かを教えてほしいだけ」

「……知らないんです」

「あら、嘘ねぇ」


 シエラの指がミアの顎を捉え、無理やり顔を上げさせた。


 目と目が合った。

 シエラの瞳には、隠しきれない嗜虐心が滲んでいる。


「ジュリアンに『この子は生かしておく価値がある』って報告したいのよ、私たちは。でもあなたが何も話さないなら、その報告ができないの。わかる?」

「……っ」


 ミアは唾を飲み込んだ。喉が渇き切っていた。


 話せば楽になる。でも話したら、カーバンクルとの約束を破ることになる。

 あの少女はミアにとって今この瞬間、世界でたった一つの逃げ場だった。


「本当に、知らないんです……!」

「ミア」

「マコトに呼び出されて、倉庫に行って、縛られて……そこから先は覚えてないんです……気がついたら、家のベッドにいて……」


 涙がまた溢れた。

 でも今度のミアは、その涙を演技として使うことを意識していた。


 怯えている自分を、外側から眺めるもう一人の自分が静かに観察していた。

 それはきっと、昨日カーバンクルに身体を貸したあの感覚の名残だった。


 シエラが顎から手を離した。


「カイル、進めていいわよ。もう面倒だわ」


 カイルがミアの左腕を掴んだ。

 細い指だった。しかし関節の角度が正確で、抵抗すれば肘から先に痺れが走る握り方だった。


 電磁ペンが袖をまくり上げ、白い前腕が露わになる。

 ミアは目を強く瞑った。


「最後にもう一度聞く。マコトを殺したのは誰」

「……知ら、ない」

「協力者は誰」

「いないっ……」

「嘘をつくと罰が重くなるよ」

「嘘じゃない……!」


 声が掠れた。

 ミアの全身が震えていた。震えは止まらないし、止める必要もなかった。


 電磁ペンの先端が、肘の少し下に触れた。

 針のような痛みが走り、続いて焼けるような熱が広がった。


「ああ……!!」


 ミアは小さな悲鳴を上げ、反射的に身体が硬直する。涙と鼻水が一緒くたに溢れた。


「あ……あぐっ……!」

「動かないで。線がぶれるよ」


 カイルの声は機械的だった。相手を切り刻みながらもなお、ミアの瞳の奥を観察しようとしている。


 ミアは奥歯を噛みしめた。

 痛い。本当に痛い。


 ――でも、これは昨日マコトの軟骨を潰した感触よりずっと、ずっと軽い。

 あの感触に比べたら、自分の腕が焼かれることなんて何でもなかった。その認識が、ミアを支えた。


「お……ねが……やめ……!!」


 声に出すのは弱者の言葉だけ。

 頭の中で考えていることは、絶対に出さない。


「……チッ」


 数分後、カイルが電磁ペンを引いた。

 ミアの前腕には、「無能」の二文字が赤く腫れて浮かび上がっていた。


「う、うう……!」

「で? 誰?」


 カイルの目が、ミアの顔を正面から覗き込んだ。

 ミアは答えなかった。涙でぐしゃぐしゃの顔を、ただ俯けて、首を横に振り続けた。


「知らない……知らない、知らないっ……!」


 壊れた人形のように、同じ言葉を繰り返す。

 それは演技でもあり、本気でもあった。


 長い沈黙が流れた。


「……フー」


 カイルはミアを見つめ続けていた。観察していた。

 視線がミアの顔を上下し、表情の細部、瞳孔の動き、呼吸のリズムを測っている。


 その視線の奥で、何かを計算している。

 何度か口を開きかけ、また閉じた。


 やがて、カイルは電磁ペンを上着のポケットに戻した。


「シエラ」

「何」

「こいつは知らないよ」


 シエラが眉をひそめた。


「は?」

「協力者がいるとしても、こいつはその正体を把握していない。あるいは、本当に意識を失っていて、何も見ていない。どちらにせよ、これ以上聞いても出てこないね」


 カイルはミアから一歩下がった。


「ミアはマコトの実行犯じゃない。別の誰かだろう。ま、アイツはアイツでいろんなところで恨み買ってたしね」


 シエラが舌打ちをした。


「何よ。じゃあ無駄足じゃない」

「無駄じゃないよ。犯人候補が消えたってことは一歩前進だろ」


 カイルの言葉は淡々としていたが、その分析は間違っていた。


「とにかく、今日は帰していい」


 シエラが心底面倒くさそうに手を振った。


「もういいわ。出ていきなさい、グズ女」

「……っ」


 ミアはふらつきながら立ち上がった。

 左腕がじんじんと痛んだ。「無能」の文字が、皮膚の下で脈打っているようだった。


 それでも、足は動いた。一歩、また一歩。

 ドアの取っ手に手をかけたとき、カイルの声が背中に届いた。


「ミア・ハーロウ」


 ミアは振り返った。

 カイルはこちらをじっと見ていた。表情はないが、目の奥に、わずかな探究心のようなものが残っていた。


「また今度、別の罰を考えておいてあげよう」


 ……ミアは答えず、ドアを開けて廊下に出た。



 校舎を出た瞬間、ミアの膝が崩れた。


「……はぁっ、はぁっ!」


 校門の脇の植え込みに座り込み、ミアは深く息を吐いた。

 吸って、吐いて、吸って、吐いて。

 それでも肺の底に引っかかった恐怖は抜けなかった。


 左腕の「無能」の文字が、夕暮れの人工太陽の光を浴びて、赤く滲んでいる。


 でも、勝った。

 あいつらの前で、最後まで、何も言わなかった。


 昨日までの自分なら、きっと泣き崩れて全部喋っていた。

 今日のミアは違った。何が違うのかは、まだうまく言葉にできない。でも確かに違っていた。


 ――ヴヴ。

 端末が震えた。404。


 ミアは通話ボタンを押した。声が震えそうになるのを、必死に堪えた。


「カーバン、クル……」

『お疲れさま。よく耐えたね』


 カーバンクルの声は相変わらず平坦だった。

 でも最初の一言に、ほんのわずかな労いが滲んでいた気がした。


「……見てた?」

『見えてたよ。あなたの視界と私の視界は繋がってるから』

「そっか……」

『……その程度なら一週間で消える。痕は残らない』

「うん……」


 ミアは膝を抱え、植え込みの陰に身を寄せた。

 通行人がちらほらと通り過ぎる。誰もミアに目を留めなかった。


「ねえ、カーバンクル」

『ん?』

「あなた、今、何してたの? 助けてくれなかったよね」

『見てた。言ったでしょ、情報収集してた』

「…………」


 通話の向こうで、短い沈黙が流れた。


『それより、収穫があった』


 カーバンクルの声が、わずかに調子を変える。ミアは耳を澄ませた。


『カイルの様子を、あなたの目を通して観察してた。仕草、視線、判断のクセ。罰の与え方の手順までね』

「観察……」

『あなたの目を介して、私とあいつはお互いに覗き合ってたってことだね』


 カーバンクルの言葉は淡々と続いた。

 でもその奥で、何かが動き始めているのが伝わってきた。


『愉快な処刑を思いついたよ』


 ミアは息を呑んだ。

 カーバンクルの声がわずかに、笑みを含んだのを聞き逃さなかった。


(……楽しそうな、声……)


 ミアの背筋に冷たいものが走った。

 昨日まで、自分はカーバンクルの慈悲深さに救われた人間だった。そのつもりだった。


 でも今、初めて気づいた。

 この少女は慈悲深いんじゃない。ただ、たまたまミアの側に立っているだけだ。


 反対側に立たれた人間が、何を見ることになるのか。それをこれから知ることになる。


『準備するから、家に帰って。今日はもう何もしなくていいよ』

「……うん」

『ミア』

「何?」

『よくやったね』


 通話が切れた。

 ミアは端末を膝の上に置き、空を見上げた。


(……カーバンクル。わたし、あなたのことがわからないよ……)


 どこか親しみやすさもある。切実な願いも感じられる。

 しかし、機械――いや、機械の方がまだマシなほど寒々しい殺意を見せてくる。


(でも、少なくともわたしには……味方でいいんだよね……?)

パンピーのいじめられっ子からするとこえーんすよ、カーバンクルさん

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