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【断罪】対処不可能

 マコト・アスター。十七歳。

 治安維持組織「メリディアン・ディフェンス社」の下級管理官の長男。


 父親は軍務経験を持つエリート志向の男だった。

 その血統を息子に叩き込むため、マコトは五歳の頃からVRの軍用格闘シミュレーションを毎日欠かさず受けさせられていた。


 家庭内暴力と区別がつかないほどの過酷な訓練の中でマコトが最初に学んだのは、「暴力を恐れない者だけが、暴力を振るう側に回れる」という父の教えだった。


(……懐かしいなぁ、あいつら)


 マコトは太いペンチを指先で弄びながら、過去に自分が壊してきたクラスメイトたちの顔を思い出していた。


 二年前、中等部の頃。

 最初の「玩具」は、気弱な男子生徒のリアムだった。


 父親が工場事故で死に、母親は薬物依存症。家庭の信用スコアがクラス最下位だった少年。

 マコトはリアムを放課後の体育倉庫に呼び出し、毎日毎日殴り続けた。


 理由はなかった。ただ、リアムが顔を腫らして泣き叫ぶのを見るのが面白かっただけだ。


 やがてリアムは不登校になり、三ヶ月後、集合住宅の四十階から身を投げた。


 AIの監視システムはそれを「家庭環境ストレスによる自殺」として処理し、マコトの名前はどこにも残らなかった。


(……ラッキーだと思った。だがあの時、ジュリアンにデカい借りができたんだよな)


 本来なら、アレはマコトが逮捕されていてもおかしくない事件だった。

 それくらい目撃者もいたし、死体から出た傷が露骨すぎた。


 しかしジュリアンの父親が裏から手を回し、すべての通報を握り潰したのだ。

 その時、ジュリアンはマコトに言った。


『お前、これで俺に一生の借りができたな』


 ……それ以来、マコトはジュリアンの前では犬のように尻尾を振るしかなかった。


 腕っぷしなら自分の方が上だ。

 だがこの都市で生き残るために本当に必要なのは、拳の強さではなく、拳を振るった後に「記録を消せる特権」なのだ。


 一年前、中等部の最終学年。

 次の玩具は、エミリーという女子生徒だった。


 ジュリアンに「弱そうな女を潰す動画が見たい」と頼まれ、マコトは喜んで引き受けた。

 シエラ・レミントンが協力者として加わったのはこの時が初めてだ。


 シエラは笑顔でエミリーに近づき、親友のふりをして油断させ、最後はマコトの暴力の前に引き渡した。

 エミリーは拒食症で入院し、二ヶ月後に心不全で死んだ。


 シエラは葬式で嘘泣きをして見せ、AIから「クラスメイトを悼む優しい生徒」として評価スコアのボーナスを獲得した。

 その時、マコトはシエラという人間の底知れなさを理解して震えた。


(シエラには逆らえねぇ。ジュリアンには一生の貸しがある。俺の位置は、ずっとこの二人の下だ)


 マコトはペンチを工具箱に戻し、一番太い結束バンドを取り出した。


(でも、今日は俺だけの時間だ。シエラからは『壊していい』って許可をもらった。ジュリアンは『好きにしろ』って。久しぶりに、他人の目を気にせず全力で調教できる――)



 ――冷たくてカビ臭いコンクリートの感触が、頬骨を伝ってマコトの意識を叩き起こした。


「ん……あ?」


 ゆっくりとまぶたを開くと、自分が床に倒れ伏していることに気付いた。


 口の中に土埃の味が広がる。

 右耳の奥で、キーンという耳鳴りが高く鳴り続けていた。


 頭を持ち上げようとした瞬間、後頭部に焼け付くような痛みが走り、強烈な吐き気が込み上げる。


(……なんだ? 何が起きた……?)


 呻きながら視線を上げる。

 ハンドライトの逆光の中、小柄な少女の影が立っていた。


 ミア・ハーロウだ。

 彼女を縛り付けていたはずのパイプ椅子の拘束は完全に解かれ、床には引きちぎられた太い結束バンドの残骸が散らばっている。


 そして、見下ろしてくるその少女の目が――異常なほど赤く光っていた。


 焦げ茶色の前髪の奥で、左右の瞳孔が幾何学模様に変化し、暗がりの中で静かに明滅している。


 表情はない。

 マコトが期待していた「怯え」も、「怒り」も、「憎しみ」すらない。

 ただの物体を観察するような、絶対的な静けさだけがそこにあった。


「……は、はぁ?」


 マコトは這うようにして起き上がった。


 頭がまだガンガンと揺れている。

 明らかに、背後から肘か何かを後頭部の急所に叩き込まれた衝撃だった。

 一瞬で意識を刈り取られ、そのまま床に崩れていたのだ。


「何、だてめぇ……! 何なんだよその気味悪りぃ目は……!」


 自分の内側から湧き上がる「得体の知れない恐怖」を、怒声で塗り潰そうとした。


 マコトは立ち上がり、反射的に父親仕込みのファイティングスタンスを取った。

 右足を半歩引き、左肩を前に出し、拳を顎の高さに構える。


 軍用近接格闘術「コンバット・サンボ」の変形。

 相手との距離を取り、最終的に組み伏せて関節を極めることを前提とした実戦的な構えだ。


 ミアの身体を借りたカーバンクルは、それを見てわずかに首を傾げた。


「……ふうん。サンボか。なら……」


 彼女の身体が、無造作に動いた。

 左足が一足分前に滑り、両拳が顎の下に集まり、肩が微かに前傾する。


 同じコンバット・サンボだ。まるで鏡に映したような構え。

 しかも、マコトが父親から散々叩き込まれた「最も正統で隙のない基本の型」だった。


「はっ……!? なんでお前がその構えを――クソッ!」


 混乱を振り切るように、マコトは踏み込んだ。


 右脚のローキックで牽制し、続けて左の直突きを顔面に放つ。サンボの基本コンビネーションだ。


 だが、ミアの身体はまるで流れる水のように沈み込んだ。

 ローキックを膝の絶妙な角度で受け流し、左の直突きを首をわずかに捻るだけで完全に見切って躱す。


(な!? なんつー動き……!)


 マコトが知っている「サンボの防御」の中で、最上位の精度を持つ動きだった。ともすれば、彼の父親すらも上回る動き。

 直後、カーバンクルの構えが一瞬で切り替わった。


 左右の足幅が狭くなり、両手が胸の前で水平に交差する。

 重心が前方に預けられ、踵がフワリと浮く。

 明らかに別の流派――ムエタイの前傾型ガード。


「なっ――!?」


 マコトが対応しようとした瞬間、ミアの右膝がマコトの太腿の外側――神経の束が集中する急所を強打した。


「ぐうっ……!」


 ムエタイの「テンカオ」。体重が完全に乗り切った、恐るべき膝蹴り。

 マコトの軸足が、一瞬でビリィッと痺れた。

 膝から下の感覚が鉛のように重くなり、力が抜ける。


「くそっ、このアマ――!!」


 踏ん張り、カウンターの右フックを顔面に打ち込もうとした。

 しかしその瞬間、カーバンクルの構えはまた全く別のものに変化していた。


 両手を腰だめに引き、身体を斜めに開き、背筋を真っ直ぐに伸ばす――中国武術、詠春拳の「正身馬」。


 マコトの力任せのフックは、ミアの胸の前で流れるような円運動(黐手)に絡め取られ、完全に軌道を逸らされた。


 そして、マコトの腕が戻るよりも早く。

 カーバンクルの掌底がマコトの鎖骨の下、肺の真上をハンマーのような重さで正確に突いた。


「ごふっ……!!」


 マコトの呼吸が完全に止まった。

 横隔膜の麻痺ではない。肺そのものに直接衝撃を浸透させ、一時的に呼吸機能を奪う正確無比な一撃。


 詠春の「寸頸」。

 数センチの短距離から最大の破壊力を伝える恐ろしい技法だった。


「あ、が、なん……!? なんだ、こりゃっ……かはっ……!」


 酸欠で視界がチカチカする中、マコトは必死に後退ろうとした。

 しかし床を蹴ろうとした右足が、いつの間にかミアの足に絡め取られている。


 ――今度は、ブラジリアン柔術の「デラヒーバフック」。


 カーバンクルの身体が信じられないほどの低さまで沈み込み、バランスを崩して床に転がったマコトの脚の間から、片袖を掴んで三角絞めの形に入ろうとしている。


「ちょっ、待――やめっ!!」


 マコトは慌てて身体を引き剥がして逃れようとした。

 しかし彼が起き上がった瞬間には、カーバンクルの身体はすでに立ち上がり、次の攻撃姿勢に入っていた。


 マコトが対応しようとした時には、もう「構え」すら存在していなかった。


 流派の切り替えが速すぎる。

 サンボ、ムエタイ、詠春拳、ブラジリアン柔術、カポエラ、システマ、八極拳。


 マコトが血を吐くようなシミュレーション訓練で学んできたあらゆる流派の全てが、ミアの小さな身体の中で、一秒単位で入れ替わり続ける。


 マコトの脳が「今の構えの対策」を引き出そうとした瞬間には、すでに次の流派の攻撃が飛んできている。

 完璧な防御を取る時間など、一秒すら与えられないのだ。


「な、何なんだよこれぇっ……! お前、何者なんだよぉっ!!」


 半狂乱で叫ぶマコトの顔面を、カーバンクルの裏拳が掠めた。


「ぶげっ!!」


 鼻の軟骨が砕け、ドクドクと鼻血が噴き出す。

 次の瞬間、カポエラの低い回し蹴りが脛の骨を容赦なく叩き、マコトの巨体が完全に崩れ落ちる。


「あァッ……!」


 倒れかける身体を、システマの無駄のない「押し」でコンクリートの壁に叩きつける。


 肩。肘。膝。脇腹。

 カーバンクルの打撃は全て「骨を折らない絶妙な角度」で、しかし「最大限の痛覚を引き出す神経の束」だけを正確に破壊していく。


 息ができない。

 立ち上がれない。

 逃げられない。


「がひゅ……ひぶぅっ……」


 三分も経たないうちにマコトの顔は原型を留めないほどに腫れ上がり、両膝は砕けかけている。

 呼吸はヒューヒューと浅く乱れ、両腕は完全に痺れてダラリと垂れ下がっていた。


「あ、がっ……た、助け……て……」


 壁際に座り込み、マコトは涙と血と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。


 そこに見えたのは、微かな息切れ一つしていないミア・ハーロウの無表情な顔だった。


 袖を捲り上げた細い腕。青痣だらけの、どこにでもいる十五歳の女子生徒の小さな身体。

 それが、マコトが十二年かけて叩き込まれた殺傷格闘術の全てを蹂躙したのだ。


「……まだ死なせないよ」


 彼女はマコトの前に膝をつき、マコトの腫れ上がった顔を乱暴にハンドライトの方へ向けさせた。


 幾何学模様に光る赤い瞳と、恐怖で焦点の合わないマコトの黒い瞳が、数十センチの距離で向き合う。


「あなたは、これから過去の罪を清算する」


 カーバンクルは、マコトの顎を軽く持ち上げた。


「シエラとジュリアンに助けを求めることはできない。……だってあなたはもう、無事に帰ることはできないんだから」

「……ひ……あ、ああ……っ」

「私のことを『一から調教し直す』って、さっき言ったね」


 ハンドライトの逆光が、ミアの髪の輪郭を不気味に縁取る。

 赤い瞳の光は、静かにその輝きを強めていた。


「その言葉――そっくりそのまま、あなたに返してあげるよ」

調教の時間だぜ

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