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【断罪】逆DV

 ――意識が、ゆっくりと深い泥の底から浮上してきた。


 ミアはまぶたを震わせ、見慣れた天井のシミを見上げた。


 自分の部屋の、古くて薄暗い蛍光灯。

 だが何かがおかしい。


(あれ……わたし、どうやって帰ってきたんだっけ……?)


 記憶が飛んでいた。

 旧校舎のトイレで震えながら、情報端末でホテルの『404号室』を予約した。


 着信があり、水色の髪をした復讐代行者――カーバンクルと名乗る少女の声が、復讐の覚悟を問うてきた。

 そこから先の記憶が、真っ白に霞んでいる。


 身を起こそうとして、ミアは眉をひそめた。

 昼間にジュリアンたちに蹴られ、踏みにじられた全身の痛みが不思議なほどに薄らいでいる。


 そして自分の身体に視線を落とした瞬間、彼女は息を呑んだ。


(……これ、わたしの制服じゃない?)


 ブレザーのサイズが少し大きい。ボタンの形も違う。

 ボロボロに引き裂かれていたはずの自分の制服が、他人のきれいなものに着替えさせられている。


 その時、枕元に投げ出されていた情報端末が微かに震えた。


『404』


「……っ!」


 割れた画面の中央に、あの三桁の数字が明滅している。

 ミアは震える指で、応答ボタンに触れた。


「……もしもし」


 返事は、ワンテンポ遅れて来た。

 ノイズの向こうから昼間と同じ、氷のように冷たく抑揚のない少女の声が届く。


『起きたね』

「……あの、わたし、どうして自分の部屋に……これ、誰の服……?」

『説明する。落ち着いて聞いて』


 声は、感情を排した口調で続いた。


『私は今、あなたの脳に埋め込まれた管理チップを介して、あなたの頭の中にいる。カーバンクルって呼んで』

「カーバン……クル」

『旧校舎のトイレであなたが気を失ってから今まで、あなたの身体は私が借りていた』


 ミアは息を止めた。

 記憶の空白。知らない制服。消えた痛み。

 本当に、自分以外の誰かがこの身体を動かして家に帰ってきたというのか。


「……嘘」

『嘘じゃない。そのブレザーはシエラの取り巻きから剥ぎ取った。あなたの分は破れすぎて使い物にならなかったから』

「……えっ」

『あぁ、安心して。一発入れておいたから』


 カーバンクルの声には自慢も悪意もない。

 ただ「ゴミを片付けた」と報告するような淡々とした響きがあった。

 ミアは混乱で言葉を失う。


『あなたの生身の脳に負担がかかるから、長くは借りない。基本的にあなたが動き、必要な時だけ私が身体の制御を奪って代わりに出る。そういう契約にしたい』

「……なんで、そんなこと」

『依頼を引き受けたから。あなたをいじめた連中、全員始末する』


「……っ」

『ジュリアン・ヴォスとシエラ・レミントンだけじゃない。あと5人くらいだったかな?』


 ミアは言葉を詰まらせた。

 昼間、たしかに絶望の中で復讐を願った。

 しかし、それが実際に「死」を伴う暴力として実行されると聞いた時の生理的な恐怖。


「……殺す、の?」

『場合によるね。死ぬより辛い目に遭わせる場合もある』

「……」

『その代わり、一つ頼みがある』


 カーバンクルは、ほんのわずかに間を置いた。


『あなたに、私の協力者になってほしい。私はこの都市の人間じゃないから、土地勘と情報が要る。手始めに、この都市の支配構造を教えて』

「……わたしが?」

『あなた以外にいない』


 ミアは深く呼吸を整え、ベッドの上で膝を抱えた。

 壁に貼られた古い風景写真を見つめながら、掠れた声で話し始める。


「……ニュー・エデンは、四つの階層に分かれてるの」

『垂直構造の階級社会、だよね。縦長なのを見たよ』

「うん。一番上が『セレスト』。大企業のトップや特権階級しか住めない場所。その下が『アルミナ』。エリート層の街。

 わたしたちが住んでるのが『テラ』っていう労働者の街。そして一番下が……ドームの地下にある『アンダー』。貧民窟。

 みんな、そこには絶対落ちたくないって怯えながら生きてる」


 ミアは、自分自身の絶望的な状況を説明するように続けた。


「市民の頭には『エデン・チップ』が埋め込まれてて、AIのEDENシステムがすべての行動を監視してるの。お金持ちや権力者はスコアが高くて、わたしたち貧乏人はスコアが低い」

『ふーん、スコアにAIね。GAIAみたい』

「GAIA?」

『こっちの話。続けて』


「……それで、上の層の人間は『免責特権』を持ってるの。下の人間を殴っても、最悪殺しても、犯罪にならないって……」

『ジュリアンやシエラは?』

「親がエリートだから、特権を持ってる。だから、誰もあいつらに逆らえない」


 沈黙。

 しかし、カーバンクルの声には一切の動揺がなかった。


『状況は把握した。特権があるなら、その特権が通用しない場所まで引きずり下ろして壊す。それだけのこと』

「……」

『明日以降、私はあなたの脳の奥で休眠する。学校では、今まで通りに過ごして。準備ができ次第、順番に狩るから』

「……わかった」


 通話が途切れる寸前、カーバンクルの声が一度だけ、ほんの少しだけ柔らかくなった気がした。


『今夜はもう寝て。身体が限界のはずだから』


 端末の画面が暗転した。



 ミアは端末を胸に抱え、しばらく動けなかった。

 頭の奥に、自分以外の絶対的な「強者」が棲み着いている感覚。


 本来なら恐ろしいはずなのに、何故か今まで感じたことがないほどの安心感があった。

 独りではない、という温かさ。


 ――その時。

 ドガンッ!!


 部屋のドアが、外から乱暴に蹴られる。


「ミアッ! おいミア、いるんだろ!!」

「……っ!?」


 父親の声だった。

 呂律が回っていない。安い鎮静ドラッグの効果が切れ、禁断症状による狂暴な苛立ちが露骨に滲んだ声。


 夜勤から帰った母親がいない夜に、この声色は最悪のパターンだった。


「……は、はい、父さ――」


 ミアが答える前に、ドアが乱暴に開け放たれた。


 痩せこけた肩、目の下のどす黒い隈。

 かつて真面目な工場員だった父は、今は見る影もないジャンキーの顔をしていた。

 手には半分空になった酒のボトル。


「誰と話してた!」

「え……」

「電話だよ、電話! 男か!? 親父がクビになって苦しんでるってのに、お前は男と遊んでんのか!?」

「違う、そんなんじゃ――」

「口答えすんな!!」


 父が踏み込んできた。

 ミアの体が反射的にビクッと縮み上がる。


 ――この三ヶ月間、父のドラッグが切れるたびに、ミアはサンドバッグにされてきた。


 蹴られ、殴られ、髪を掴まれて引きずり回される。

 家の中でも、学校でも、ミアには逃げ場がなかった。


 父が振り上げた手が、ミアの頬に向かって容赦なく振り下ろされる。

 ミアはギュッと目を閉じ、痛みに耐える準備をした。


 だが。

 ――視界の奥で、何かが起動した。


 こめかみの裏で、高密度の戦闘データが急速に展開されていく感覚。

 ミアの意識が、薄い膜の向こうへ押しやられる。


(――代わるよ)


 脳内で、カーバンクルの冷徹な声が響いた。


 父の拳がミアの顔面に直撃する寸前。

 ミアの右手が――いや、カーバンクルが制御権を奪ったミアの右腕が、下から蛇のように跳ね上がり、父の手首をガシッと掴んで止めた。


「……っ、は?」


 父が困惑した顔をした。

 反撃されるなど、微塵も思っていなかった顔だ。


「おい、離せっ……!」


 父が腕を振り解こうとした瞬間、カーバンクルは容赦なく父の手首を逆方向へ捻り上げ、肘の関節を「折れる寸前」の角度で急激に押し込んだ。


「ぎゃあああっ!?」


 父の口から、無様な悲鳴が上がる。

 激痛に耐えきれず、父の膝が反射的に崩れ床に膝をついた。


「痛ぇっ、痛ぇぇっ……! 何しやがる、このっ、ミア……!」

「静かにして」

「……!?」


 ミアの声だが、ミアのものではない。

 絶対零度の、感情の欠落した死神のような声。

 その人間離れした声色に、父はヒッと喉を鳴らして身をすくめた。


 カーバンクルは父の腕を極めたまま、冷酷な赤い瞳で見下ろした。

 酒のボトルが床に転がり、割れた。


「……反撃されるなんて思わなかった? これまで大人しく殴られてきたから?」

「……っ」

「自分が親だから、子供をどう扱ってもいいとでも思ってたの?」


 静かな声だった。だが、そこには同情心の欠片もない恐るべき響きがあった。


「調子に乗るな」

「ひっ……」

「次、私に指一本でも触れたら……その両腕を切り落とす」

「ひっ……あ、ああ……」

「わかったら、二度とこの部屋に近づかないで」


 カーバンクルが手を離すと、父は後ずさりしながら壁際に崩れ落ちた。


 酔いと薬の霧が完全に晴れ、本能的な恐怖に支配された父は、ヒィヒィと情けなく呻きながら去っていく。


 意識が、静かにミアに戻っていく。

 ミアが瞬きをした時、その瞳の赤い光はすでに消えていた。


 ミアは震えながら、しかし、この三ヶ月で初めて――暴力に怯えることなく呼吸をした。

被害者がPOWERを見せてくるとみんなビックリするよね

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