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【断罪】生き残った者たち・Ⅲ

 ネオ・アルカディア中央裁判所。第三法廷。


 空間に浮かぶ巨大なホログラムモニターが、血の赤を思わせる警告色で点滅していた。

 空調の効きすぎた法廷内に、無機質なAI裁判官の電子音声が反響する。


 冷たい人工照明が、被告人席に立つ男――ダニエル・クロフォードの顔を死人のように白く照らし出していた。


『――以上の事実に基づき、被告人ダニエル・クロフォードを、遺伝子データ詐称罪、児童虐待罪、ならびに公務執行妨害罪により、ネオ・アルカディア刑法第百四条を適用。特級犯罪者として認定し、サウス区地下プラントでの――終身強制労働に処す』


 判決が下された瞬間、ダニエルは肺の空気をすべて吐き出したかのように茫然と立ち尽くした。


「……は、あ……? はぁ……??」


 特注のシルクスーツは逮捕時の抵抗で無惨に引き裂かれ、皺だらけになっている。

 毎朝専属のスタイリストに撫でつけさせていた金髪は、脂と汗にまみれて額に張り付いていた。


「うそだ……うそだ……っ、こんな、こんなバカなことがあるか! 私はネオ・テックの幹部だぞ! 優秀な遺伝子を持つ選ばれた人間だ!!」


 ダニエルの口から漏れた絶叫は、ひどく掠れていた。

 皮肉なことに、それはかつて彼がゴミのように見下し、嘲笑っていた下層民の命乞いとまったく同じ響きを持っていた。


「やめろ、触るな! 私に触るなァッ!」

『妨害行為を検知。それ以上の抵抗は、制裁対象となります』

「ぐっ、う……!」


 二機の警備ドローンがダニエルの両脇を固め、強制的に拘束する。


 彼の身分の象徴であったプラチナ製のIDバンドが無慈悲に切断され、カランと虚しい音を立てて床に転がった。

 代わりにドローンのマニピュレーターがガシャンと音を立てて、灰色の分厚い電子タグを彼の左手首に打ち込む。


「がっ、あああああっ!!」


 骨まで響く鈍痛とともに、皮膚の下にナノマシンが注入された。


 それは、サウス区の底辺で死ぬまで歯車として使い潰される労働者を示す――決して外すことのできない最底辺の刻印だった。


「う、嘘だ……これは、夢だ……!?」



 セントラル区警察署、地下留置場。


 全身を刺すような冷気と、消毒液と錆が混ざったような不快な臭いでアヤノは目を覚ました。

 硬く冷たいコンクリートの床に頬を押し付けられていることに気づき、彼女は慌てて身を起こす。


「な、何よここ……。私を誰だと思ってるの……!」


 抗議の声を上げようとした瞬間、頭の奥で、何かがチリリと焼け焦げるような鋭い痛みが走った。


 思わず後頭部の生え際に触れると、そこには昨日までは絶対になかった、硬い金属の出っ張りが埋め込まれていた。

 縫合の跡すらない、不気味な感触。


「な、何……これ……?」

「接近禁止用のペイン・チップよ」


 鉄格子の向こうから、サイバネティクス義眼を光らせた看守の女が無表情に告げた。


「タカハシ・ケンジ、およびタカハシ・ユウタへの半径500メートル以内の接近を物理的に禁止する措置。境界線を一ミリでも越えれば、あなたの脳髄の痛覚野に直接、高圧電流が流れる仕組みになっているわ」

「そん、な……いつのまに、こんなものを……っ! 人権侵害よ! 弁護士を呼んで!」


 アヤノのヒステリックな叫びを無視し、看守はホロパッドの書類を淡々と読み上げる。


「あなたへの判決は、児童虐待罪と遺伝子データ詐称共謀罪。罰金として全財産の没収、およびセントラル区からの永久追放。ただし、直接的な実行犯ではないため、身柄の拘束については執行猶予付きとする。……以上よ。手続きは終わったわ。さっさと出ていきなさい」

「執行、猶予……?」


 その言葉に、アヤノの表情がパッと明るくなった。


(なんだ、刑務所に入らなくて済むじゃない! 財産なんて、また誰かパトロンを見つければいいわ。私は美しいんだから……!)


 あまりに軽い処分。

 彼女はホッと胸を撫で下ろし、看守を小馬鹿にするような視線を向けた。


 だが、彼女はまだ気づいていない。

 この都市において「保護区を追放され、何の後ろ盾もない女」がいかに無力であるかを。

 彼女の本当の地獄は、ここから始まるのだ。



 一週間後。

 サウス区地下三十階。第十四廃水処理プラント。


 そこは終身強制労働者たちの巨大な墓場だった。


「はぁ……はぁ……あぁ……」


 轟音を立てて稼働する巨大なタービン。

 換気扇はとうの昔に壊れ、空気は油と有毒ガスの臭いで重く淀んでいる。


 天井の錆びたパイプから滴り落ちる毒性の高い廃液が、ダニエルに支給された粗末な作業服を、すでに黒くドロドロに侵食していた。


「ひぃっ……げほっ、ごほっ!」


 ダニエルの白魚のような手には、ずっしりと重たい鉄製の配管工具が握らされていた。


 キーボードと高級グラス以外を持ったことのない彼にとって、それは腕の骨が折れそうなほどの重量だった。


「おい新入り。手が止まってんぞ。さっさとバルブを回せ」


 バチィッ! という爆音とともに、青白い火花を散らす監督官の電撃警棒が、ダニエルの背中を容赦なく打ち据えた。


「ぎゃあぁぁぁっ!?」


 神経を直接焼かれるような激痛に、ダニエルは無様な悲鳴を上げて汚泥の床に這いつくばる。


「わ、私を……誰だと思っている……! 私はかつて、ネオ・テックの最高幹部で……君たちのような下等な人間を使う側だったんだぞ……!」

「知ってるよ。堕ちたエリート様だろ?」


 監督官は鼻で笑い、汚れたブーツでダニエルの頭を踏みつけた。


 そのやり取りを聞きつけ、周囲で作業をしていた労働者たちが、不気味な笑みを浮かべながら集まってくる。

 彼らの腕や脚は粗悪な工業用サイバネティクスに置換されており、その無骨な鋼鉄の塊が鈍い輝きを放っていた。


「ここじゃあな、お前みたいな奴が一番嫌われるんだよ。俺たち本物のサウス区の人間はな、スコアが低いってだけで、お前らみたいな上澄みにずっと虫ケラみたいに踏みつけにされて生きてきたんだ」

「ま、待て……話せばわかる……金なら、隠し口座に……!」

「さあ、どっちが上か下か……その貧弱な身体に、たっぷり教えてやるよ」


 数人の屈強な労働者がダニエルを取り囲んだ。

 彼らの血走った目には、何十年も鬱積した階級へのどす黒い憎悪が滲んでいた――。



 ウエスト区、夕方の裏通り。


「な、んで……どうして、こんな……っ」


 薄汚れた酸性雨の跡が残る路地を、よれた服を着たアヤノが人混みを縫うように歩いていた。


「私は、セレブ……セレブ妻だった、のにっ……」


 友人だと思っていたセレブ仲間からは即座に通信をブロックされ、彼女にはもう帰る場所も、頼る人間も一人としていなかった。


 パトロンを得るなど夢のまた夢。

 元より着飾らなければ平凡でしかない彼女の外見。

 無一文の今、彼女に残ったのは「薄汚い中年女」という評価だけだった。


(……そうだ。あの二人なら……ケンジなら、きっと私を許してくれるわ!)


 ぬかるんだ道をピンヒールで歩きながら、アヤノは都合のいい言い訳を頭の中で組み立てていた。


(私だって被害者なのよ。ダニエルの権力に逆らえなくて、脅されて利用されただけ……。ケンジは底辺の労働者だけど、昔から私の言うことなら何でも聞く優しい男だった。ユウタだって、私が産んであげた可愛い息子なんだから。泣いて謝れば、きっと前のように養ってくれるはず――)


 網膜ディスプレイに表示された安物の地図アプリが、ケンジの新しい住所を示している。


 古びたウエスト区の第三ブロック、薄暗い安アパート。

 それはかつて、アヤノが「ネズミの巣」「人間の住む場所じゃない」と鼻で笑い、唾を吐き捨てた類の底辺の住居だった。


 角を曲がると、ネオンサインの点滅の向こうに、その安アパートが見えた。


 彼女が一歩、また一歩と近づいていく。

 アプリの距離表示がカウントダウンされる。503メートル、502メートル、501メートル。


 あと少し。

 あと少しであの男に泣きついて、この惨めな生活から抜け出せる――。


 その瞬間。


「ぎっ……――あ、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァァッッ!?」


 アヤノの頭蓋骨の中で、青白い稲妻が直接炸裂した。


 眼球が裏返るほどの凄まじい絶痛。

 視界が真っ白に染まり、彼女は悲鳴すらまともに上げられず、泥だらけの地面に無様に崩れ落ちた。


 手足が意思に反して痙攣し、口からはだらしなく泡と涎がこぼれ落ちる。


「あ……がっ……ひゅ……っ!」


 身をよじって苦しむアヤノの横を、ウエスト区の住人たちは冷たい目で見下ろし、まるで道端のゴミでも避けるかのように通り過ぎていった。


 この街では、路地裏で行き倒れるジャンキーなど珍しくもない。

 誰一人として、かつてのセレブ妻に手を差し伸べる者はいなかった。



 地下プラントの奥深く、鈍い殴打音と肉が潰れる音がリズミカルに反響していた。


「がふっ、げっ……!」


 ダニエルが、血だまりの中に這いつくばっている。

 口の端からは赤黒い血と折れた歯がこぼれ落ち、片目は工業用ブーツの踵で蹴り飛ばされ、すでに赤紫色に腫れ上がって完全に塞がっていた。


「オラっ! オラっ、どうだ! どうだ!?」

「エリート様よぉ! 底辺の靴は痛ぇか!」


 労働者たちのサイバネティクス義足が、彼の腹を、背を、顔を、情け容赦なく蹴り上げる。


 かつて高級エステで磨き上げられていた肌は泥と血で汚れ、エリートの面影は完全に消え失せ、ただの哀れな肉の塊と化していた。


「がはっ……や、やめろ……もう、やめてくれ……っ」

「黙れよ! お前の声を聞いてると虫唾が走るんだよオ!」

「お前みたいなのが、安全な高層ビルから俺たちを家畜扱いしてきたんだろ? なぁ!」

「これからは死ぬまで、このクソ溜めで暮らすんだ。せいぜい仲良くやろうぜ、ええ!?」


 ドゴッ! という鈍い音とともに、鉄パイプがダニエルの肋骨を何本かへし折った。


「がぁっ、ああああっ……!!」


 監督官は少し離れた柱に寄りかかり、電子タバコの煙をふかしながら、その光景を見て見ぬふりをしていた。


 ダニエルの首のタグが発する生体モニターの数値は「重傷」を示しているが、まだ「致命傷」には達していない。

 「事故死」のラインを越えない限り、新入りへの凄惨なリンチは、娯楽の少ない古参労働者たちのストレス発散として完全に黙認されているのだ。


 ダニエルの霞む視界に、かつて自分が見下していた者たちの顔がフラッシュバックする。


 ケンジの怒りに満ちた瞳。サウス区の労働者たちの薄汚れた顔。

 彼が「種の劣等者」と呼び、迫害してきた全ての人間たちの幻影が、彼を囲んで嘲笑っているように見えた。


「ち、ちが……私は、特別なんだ……神に選ばれた、優秀な……はず……」

「はっ。神様はな、お前みたいなクズなんぞ最初から選んでねえんだよ」


 労働者の一人が、ダニエルの顔面に思い切り唾を吐きかけた。


 ダニエルの意識が、深い暗闇へと沈んでいく。


 地下プラントの吐き気を催す腐臭と、肌を焼く廃液の中で、神を気取った男の労働日が終わろうとしていた。


 だが、これは終わりの始まりに過ぎない。


 明日も、明後日も、一年後も、十年後も。

 彼の体が動かなくなるまで、永遠にこの地獄が続くのだ。


 彼が老いて、狂い、惨めに死ぬその日まで。



 アヤノは、アパートからちょうど500メートル離れた裏通りの電柱の影に蹲っていた。


 二度目の接近の試み。

 そして、二度目の無慈悲な電気ショック。


 脳の奥に焼き付いた致死レベルの痛みは、もはや理性では抑えきれない本能的な恐怖として、彼女の全身をガタガタと震えさせていた。


 これ以上は絶対に近づけない。一歩でも踏み出せば、脳が焼き切れる。

 彼女に許されたのは、この遠く離れた暗がりからただ惨めに「見ること」だけだった。


 夕暮れ時。安アパートのドアが開き、二つの影が外に出てきた。

 ケンジとユウタだ。


「ケ……!」


 ケンジは油まみれの安物の作業服を着ているが、その表情は、アヤノと一緒にいた頃には決して見せなかったほど穏やかで、力強かった。

 彼はユウタの小さな手をしっかりと握り、何かを楽しげに話しながら通りを歩いていく。


「お父さん、今日のお昼のラーメン屋、すごい混んでたね」

「だろ? あそこ、ウエスト区で一番うまいんだぜ。親父さんがサイバネ腕で湯切りするからな」

「ぼく、チャーシューもっと食べたかったなー。また連れてってよー」


 ユウタが頬を膨らませて拗ねるふりをする。

 ケンジは大きな声を上げて笑い、息子の頭をくしゃりと愛情を込めて撫でた。


「また給料が貯まったらな。にしても、ユウタもよく食うようになったなぁ!」


 優しい、何の変哲もない、親子の仕草。

 それは、アヤノがかつて日常の中で何百回も目にしたはずの光景だった。


(……あ……)


 そして、彼女自身が「平凡で価値のないもの」と冷酷に切り捨て、泥靴で踏みにじってきた仕草でもあった。


「うっ……あ……ぐっ……」


 アヤノの喉から、嗚咽とも呻きともつかない、獣のような音が漏れた。

 泥だらけの彼女の頬を、後悔の熱い涙が止め処なく流れ落ちていく。


(なんで……なんで、あそこに、私がいないの……)

(私だって、本当は……あの輪の中で、笑っているはずだったのに……!)


 ユウタの無邪気な笑顔。ケンジの安らかな横顔。

 それは彼女が自ら手放し、嘲笑い、自らの手で壊してしまった「本当の幸せ」だった。


 そしてその二人は、もう永遠に彼女の手の届かない場所にいる。


 たった500メートル。

 しかしその距離は今の彼女にとっては、広大な宇宙よりも、深い絶望の底よりも遠かった。


「あぁ……あああぁぁぁ……っ! なんで……なんでよぉぉぉっ……!」


 どれだけ泣き叫んでも、その声は街の喧騒にかき消され、彼らに届くことはない。


 崩れ落ちてアスファルトを掻き毟るアヤノの影を、ウエスト区の巨大なホログラム看板が放つ、人工的な夕陽の光が冷たく照らしていた。


 彼女がかつて望み、執着した「上の世界」の住人たちと同じ無関心さで、この底辺の街の人々もまた、彼女という存在を完全に黙殺していた。


 他人を容赦なく踏みつけてきた女の足元には、もはや自分が立つための足場など残されていなかったのだ。

前回範囲から何故か漏れていた人々

なんで入ってなかったんだろこいつら 覚えてません…

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