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【404】隠者たち、二人

 意識が浮上するのは、泥の底から水面へとゆっくり引き上げられるような感覚だった。


 最初に感じたのは、手足を締め上げる冷たい金属の圧迫感。

 次に背中に当たる硬い椅子の感触。

 そして鼻腔を刺す消毒液と機械油の匂い。


「……う……」


 カーバンクルは重い瞼を持ち上げた。


 赤い瞳に映ったのは、無影灯の白い光に照らされた無機質な部屋だった。

 壁面は継ぎ目のない一枚板の装甲鋼で覆われている。


 彼女は金属製の拘束椅子に座らされていた。

 両手首、両足首、腰、胸の計六ヶ所をチタン合金のクランプで固定されている。


 指先に力を込めてみるが、微かに軋むだけで外れる気配はない。


 首のチョーカーは焼け焦げて機能を停止し、通信イヤーカフも、隠し持っていた極細のピッキングツールやナノブレードも、全て丁寧に没収されていた。


「お目覚めかね」


 声は正面からだった。

 視線を上げると、五メートルほど離れた位置に男が立っていた。


 アレクサンダー・クロウ。


 仕立ての良い黒いスーツに銀縁の眼鏡。白髪を隙なく整えた五十八歳の男は、両手を背に回して直立していた。


 軍人としての半生が骨格に刻み込まれたような、一分の弛緩もない姿勢。

 鋼色の瞳が、標本を観察するような無温度の視線でカーバンクルを見下ろしている。


「軍用ナノ鎮静剤を投与してから47分。通常の人間なら八時間は目を覚まさない量だったが……予想より遥かに早い」


 クロウは顎に手を当て、独白するように呟いた。


「やはり、普通の子供ではないな」


 カーバンクルは答えず、無表情のまま室内を観察した。


 出入口は背後の防爆扉一つ。換気口は拳一つ通らない大きさ。

 四隅の監視カメラが赤い光を点滅させている。


 そして——クロウの斜め後方に、もう一人の男がいた。


「フン……目覚めたか」


 革張りのソファに深く腰を沈めた老人だ。

 白い口髭を蓄え、高級な紺のスーツを着こなしているが、目の下には深い隈が刻まれ、頬は痩せこけている。


「こいつが……こいつがリチャードを殺した化け物か」


 老人——アーサー・ハミルトンは、カーバンクルを睨みつけながら低く呻いた。


 その声には怒りがあったが、我が子を失った父親の慟哭というより、自分の所有物を壊された地主の不快感に近い響きだった。


「リチャードの遺体がどうなっていたか知っているか? バラバラになって、誰に移植されたかすらわからんのだぞ」


 カーバンクルは老人の顔を見つめ、記憶のデータベースを走査した。


「リチャード……ハミルトン……?」


 平坦な声で繰り返し、数秒の沈黙の後、小さく頷く。

 道端の石ころの名前を思い出したときのような淡白な反応だった。


「……ああ。飲酒運転で、女の子を轢いて笑ってた人」

「貴様……! たかがサウス区のゴミの分際で!」


 ハミルトンの顔が紅潮し、杖を握る指が白くなる。


「ハミルトン」


 クロウの声が鞭のように鋭く遮った。

 ハミルトンは口を噤むが、鼻息の荒さは収まらない。


 クロウは数歩前に進み、カーバンクルの正面に立った。

 銀縁の眼鏡の奥で、鋼色の瞳が赤い瞳と交差する。


「404号室の始末屋。……いや」


 クロウは眼鏡のブリッジを押し上げ、冷徹な弧を描くように口角を持ち上げた。


「……被験体登録番号No.021。そう呼んだ方が正確か?」


 カーバンクルの瞳が、微かに揺れた。


「7年ほど前のあの夜に消えたはずの実験体が、こうして目の前に座っている。……興味深いとは思わないかね、ハミルトン」

「実験体だと? どういうことだ、クロウ」

「この子供の脳には、我が社が収集した戦闘データが埋め込まれている。百人以上の戦闘者の記憶と技能が。それをこの頭に詰め込んだのは、あのヴァイスの研究だ」


 クロウの声には、失った莫大な財産を前にした事業家の執着が滲んでいた。


「戦闘データは全て灰になったと思っていたが……まさか、この頭の中で生き延びていたとはな」

「……私はあなたの持ち物じゃない」


 カーバンクルが初めて口を開いた。声は平坦だが、鉄のような硬さがあった。


「持ち物だよ」


 クロウは即座に否定した。穏やかだが絶対的な確信に満ちた声だった。


「お前の脳の技術も、戦闘能力も、全て我が社の研究成果だ。……お前は歩く軍事機密そのものだ」


 クロウは懐から、赤いボタンが一つだけ付いた銀色のリモコンを取り出した。


「さて。ここからが本題だ」


 クロウはカーバンクルの周囲をゆっくりと歩き始めた。革靴の音が装甲鋼の床を叩く。


「お前を殺すつもりはない。お前の脳の中には、25年前のレベル7の研究データが残っている」

「…………」

「我が社のために、そのデータを再度出力してもらいたい。……お前の戦闘の様子をモニタリングすれば、サルベージも可能なはずだ」


 カーバンクルは答えず、口を固く閉ざした。


「……そうか。では、協力したくなるよう、手助けをしよう」


 クロウが赤いボタンを押した。

 拘束椅子に仕込まれた電極が起動し、数万ボルトの電流がカーバンクルの全身を駆け抜ける。


「……っ!!」


 体が椅子の上で反り、手首のクランプが軋む。

 歯を食いしばり、押し殺した呻き声が喉の奥から漏れた。


 三秒で電撃が止まる。

 カーバンクルの額に汗が浮かび、呼吸がわずかに乱れていた。


「……っ、はぁ、っ……!」

「古典的だが有効な手法だろう? もう一度聞く。我が社のモニタリングに協力しろ」

「……断る……」

「ほう」

「あぁっ、あああああっ……!!」


 再びボタンが押された。今度は五秒。電圧も上がっている。


 カーバンクルの全身が激しく痙攣し、拘束椅子がガタガタと床で跳ねた。


「ぐ、っ……ぁ……!」


 こめかみの血管が浮き出し、目尻に生理的な涙の粒が光る。

 電撃が止まると、彼女はがくりと頭を垂れた。


「いい気味だ。もっとやれ、クロウ」


 ハミルトンがソファから身を乗り出し、冷酷に笑った。


「黙っていろ。これは尋問だ。お前の私怨を晴らす場ではない」


 クロウが冷たく切り捨て、カーバンクルの垂れた頭を指先で持ち上げた。

 汗に濡れた前髪の隙間から、赤い瞳が覗く。


「それにしても興味深い。他の被験体は十名分の記憶を入れた時点で精神が破綻した。だがお前だけが、百を超えてなお意識を保っていたそうだな。なぜだ?」

「……知らない」

「嘘をつくな」


 三度目の電撃。七秒。


「〜〜〜〜……ッ!!」


 顎を噛みしめる力が限界を超え、カーバンクルの唇の端から一筋の血が流れた。

 チタン合金のクランプに、彼女の爪が白い線を刻む。


 電撃が止まると、体から完全に力が抜け、首が折れたように横に垂れた。


「クロウ、回りくどいぞ。脳を直接スキャンすればいいだろう」


 ハミルトンが杖で床を叩きながら言った。


「できるものならそうしている」


 クロウは苛立ちを滲ませた。


「こいつのニューラルストレージは7年前の試作品だ。現行の装置と無理に接続すれば、データごと脳が破壊される。……だから口を割らせるしかない」


 クロウはリモコンのダイヤルを回し、電圧をさらに上げた。


「次は十秒だ。最後のチャンスだ、No.021」


 カーバンクルは重い頭を持ち上げた。

 汗と血に塗れた顔だが、赤い瞳の奥には消えかけた焚き火のような光が残っていた。


「……カーバンクル」

「何?」

「私の、名前……。021、じゃない。……カーバンクル」


 クロウの表情が一瞬だけ変わり、すぐに鋼色の無表情の下に消えた。


「そうか」


 十秒の電撃が放たれた。


「っ……ぁ、ああああ……っ!!」


 声にならない絶叫。

 体が跳ね、首のチョーカーの焼け跡から火花が散る。


 十秒が永遠のように引き延ばされ——止まった。

 カーバンクルの頭が力なく落ち、水色の髪が顔を完全に覆い隠す。


「ほう……まだ意識があるか。やはり、通常の人間とは構造が違うようだな」

「う……ぐ」


 クロウが感心したように呟く。

 ハミルトンがソファから立ち上がり、カーバンクルの前まで歩いてきた。

 革靴のつま先で、彼女の脛を苛立たしげに蹴る。


「おい、ガキ。お前は私の息子を殺した。……モニタリングとやらが終われば、豚の餌にしてやるからな」


 カーバンクルはゆっくりと顔を上げた。


「……あの人は。子供を轢き殺して、笑ってた……」

「知っている」


 ハミルトンの返答は、予想外に冷酷なものだった。


「あの馬鹿息子がハミルトンの名を泥に塗った穀潰しだということくらい、私が一番よく知っておるわ」


 そこに息子を失った悲嘆は欠片もない。

 あるのは『自分の名前に傷がついた』ことへの不快感だけだ。


 ハミルトンはカーバンクルの顎を掴み、乱暴に引き寄せた。


「だがな。あれは私の血だ。私の所有物だ。ポンコツでも、処分する権利があるのは私だけだ。……お前のような野良猫風情が、勝手に壊していい代物ではない」

「……へぇ。息子さんのこと、そんなふうに思ってたんだ。優しいね……」


 カーバンクルの赤い瞳が、深い沼のような静けさで見返した。


「黙れ、小娘!」


 ハミルトンが平手で打った。

 乾いた音が響き、唇の端の血が飛沫となって床に散る。


「ハミルトン……手を出すな」


 クロウが鋭く制し、ハミルトンは舌打ちしてソファに戻った。


 クロウはコンソールを操作し、天井から新たな装置を降下させた。

 蜘蛛の脚のように分岐した金属の触手を持つ機械だ。


「ニューラルプローブ。脳の特定領域に電流を流し、記憶を強制的に想起させる。脳の激痛と、トラウマの刺激を行う」


 冷たい電極がカーバンクルのこめかみに触れた。


「始めるぞ」


 低い電子音と共に、脳に針のような電流が直接流し込まれる。


「……っ、く……!!」


 カーバンクルの顔が歪み、瞳孔が収縮と拡大を繰り返す。


 封印されていた記憶の断片が強制的に引きずり出されていく。

 暗い実験室。培養液の緑色の光。手術台に拘束された子供たちの泣き声——。


「あ……ぁ……っ!」


 呼吸が速くなり、拳を握りこむ。爪が掌に食い込み、指の隙間から血が滴った。


 ――だが数分後、クロウは舌打ちして出力を落とした。


「……チッ、表層の記憶しか引き出せないか。この脳、防壁を構築している。本社研究棟に移送し、完全なマッピングを行うしかない。……三日はかかるな」

「面倒な話だ。私は先に休ませてもらう」


 ハミルトンが立ち上がり、防爆扉へと向かった。


「クロウ、この件が片付いたら私の新しい事業計画も頼むぞ。イスラの奴が手を回して、ウエスト区の再開発がストップしている」

「あぁ……コイツがいない今、奴は丸裸だ。すぐに括り殺してやる」


 扉が開き、老人の背中が消えた。

 室内にクロウとカーバンクルだけが残される。

 クロウは彼女の前にしゃがみ込み、ふと声のトーンを落とした。


「25年前、ノース区で三十万人が死んだ。お前はそれを知っているだろう?」


 クロウの声にはやはり、一片の揺らぎもない。


「私はそうして、この都市を守ったんだ」


 カーバンクルの指先が微かに動いた。


「……守った」


 掠れた、ほとんど聞き取れないほどの声。


「そうだ。そしてこれからも守り続ける。……お前のような規格外の存在が、それを脅かすことは許さない」


 クロウは立ち上がり、防爆扉へ向かった。


「明朝、移送手続きを行う。逃げ出そうなどと考えるな。この壁は戦術核にも耐える装甲だ」


 扉が閉じ、重い電子ロックの音が響く。

 拘束室にカーバンクルだけが残された。


 無影灯の白い光の下。汗と血で汚れたパーカー。焦げた首元。


 カーバンクルは、じっと天井の監視カメラを見上げていた。

 赤い瞳の奥で、決して消えない炎が静かに燃え続けている。


「……、……」


 その唇が微かに動いたが、マイクがその言葉を拾うことはなかった。

記念すべき第一回のヴィランの親父だったんですねこいつは

隠者たちリーダーの息子にしちゃポンコツすぎましたけども

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