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【404】捕獲

 VIP個室に、イスラの静かな声だけが響いていた。


 ショウもカーバンクルも、もう食事の手を動かしてはいなかった。

 テーブルの上には最高級のデザートが並んでいるが、誰もそれに目を向けない。


「……三十万人、か」


 ショウが喉の奥から絞り出すように呟いた。


「で、三十万人を焼き殺して……そのあとクロウはどうなったんだ? まさかお咎めなしってワケじゃねぇだろ」

「残念ながら、その『まさか』だよ」


 イスラは新しいワインをグラスに注ぎながら、苦い笑みを浮かべた。

 だがその目は全く笑っていない。碧い瞳の奥で、怒りとも嫌悪ともつかない暗い炎が揺れている。


「クロウは事件の直後、政府と市民に対して完璧な『物語』を用意した。ノース区の地下で起きたバイオハザードは『老朽化した旧世界の遺物——埋設された生物兵器の自然漏洩』が原因であり、ブラック・リヴァイアサン社の研究施設はその被害者に過ぎない、とね」

「……んだと? 自分で作った化け物が暴走したくせに、被害者ヅラしたのか!?」


 ショウが義手の拳でテーブルを叩いた。

 グラスが跳ね、ワインが赤い飛沫を白いクロスに散らす。


「それだけじゃない。クロウは自らを『三十万の犠牲を出しながらも、残りのネオ・アルカディア市民を守り抜いた英雄』として演出した。大隔壁による封鎖と焼却爆撃は『他に選択肢のない、究極の苦渋の決断だった』と」


 イスラはグラスの中の赤い液体を見つめた。

 その色が、炎に焼かれたノース区の残光と重なって見える。


「メディアはクロウの筋書き通りに大々的に報道し、政府もその物語に乗った。政府にとっても都合が良かったからね。ノース区の非合法な軍事研究を黙認してきた行政の責任を追及されるよりも、『旧世界の遺物による不可抗力の惨事』の方が、遥かに扱いやすい」


「……証拠は? 地下施設の研究データとか、生き残った研究員の証言とか」


 カーバンクルが静かに問うた。


「全て灰だよ」


 イスラは端的に答えた。


「研究員も警備兵も、一人残らずノース区と共に消えた。現場調査をしようにも、核汚染があまりに激しくて誰も立ち入れなかった」


 カーバンクルの赤い瞳が、わずかに細められた。

 脳内で、かつての軍事参謀の記憶が冷徹に分析を走らせている。


「……全員を殺して、自分だけが『真実を知る唯一の生存者』として、都合のいい歴史に書き換えた」

「その通り。見事なまでに計算された責任逃れだ」


 イスラは椅子の背に深く体を預けた。


「事件後、政府はノース区を永久封鎖区域に指定した。放射能汚染を理由に、立ち入りは一切禁止。復興も再開発も行われず、三十万人が暮らした街は今も焦土のまま放置されている」

「つまり、仮に今から証拠を探そうにも、放射能汚染区域に踏み込むこと自体が不可能ってわけか」

「まぁ、今でもノース区の地下には放射能への『適合者』が一部住み着いているらしいけどね。それでも、証拠らしい証拠なんて灰の下さ」


 イスラは自嘲気味に笑った。

 個室に重い沈黙が降りた。ドームの夜景が、ガラス越しに冷たく輝いている。


 ショウは義手で自分の額を押さえ、ひどく長い息を吐いた。


「……で、そんな大量虐殺者が、今どういう立場でふんぞり返ってやがる」

「表向きは『ネオ・アルカディアの絶対的守護者』さ」


 イスラの声に、隠しきれない毒が混じった。


「ノース区事件で三十万人を焼き殺した男は、罰せられるどころか、むしろ地位を盤石にした。ブラック・リヴァイアサン社はノース区の『汚染監視』という名目で莫大な政府予算を独占し、軍事産業としての規模をさらに拡大させた。焼け野原の管理で暴利を貪る——皮肉が過ぎるだろう?」


 イスラはホログラム端末を操作し、一枚の画像を投影した。


 豪華な式典の壇上に立つ男の姿。仕立ての良い黒いスーツに、銀縁の眼鏡。整えられた白髪。

 五十代後半とは思えないほど隙のない佇まいだが、その鋼色の瞳には人間的な温度が一切ない。


「隠者たちの基本思想は『永遠の閉鎖、永遠の支配』だ。クロウにとって、それは自分の利権と過去の罪を守るための最適解でもある」


 イスラは指を折りながら続けた。


「外界との接続が実現すれば、他のシェルター都市との交流が始まる。そうなれば軍事的脅威は相対化され、ブラック・リヴァイアサン社の存在意義は根底から揺らぐ」

「だからクロウは隠者たちと手を組んで、このドームを永遠に閉ざしておきたいのか」


 ショウが吐き捨てた。


「その通りだ。クロウは隠者たちの中でも最も危険な存在だよ」


 イスラの碧い瞳が、極めて真剣な光を帯びた。


「あの男は『軍隊』を持っている。ブラック・リヴァイアサン社が抱える正規の武装兵力は約五千。非正規の傭兵や工作員を含めれば、一万を超える」

「……あの夜に来た72人は、ほんの先遣隊のお遊びだったってわけだね」


 カーバンクルが低く呟いた。

 その声は平坦だったが、赤い瞳の奥で何かが静かに燃え始めている。


「そういうことだ。クロウは、国家規模の暴力を私物化している男だ。社会的に抹殺しようにも告発できる証拠は焼却済み。物理的に排除しようにも、一万の兵力が壁になる」


 ショウが義手の指を鳴らした。黒いチタンの関節が、乾いた金属音を立てる。


「……要するに、今までで一番タチの悪いクソ野郎ってことだな」

「そして、カーバンクル」


 イスラの視線が、真っ直ぐにカーバンクルへ向けられた。


「クロウは君の正体を知っている。君がノース区の地下で何から『作られた』のか、その詳細を把握している可能性が極めて高い」


 カーバンクルは無言でグラスの水を一口飲んだ。

 赤い瞳が、テーブルの上のナイフの刃に映り込んでいる。


「カーバンクル。君の脳内には、様々な歴戦の兵士たちの戦闘データが組み込まれているらしいね。

 ……では、それを君の生みの親であるヴァイスに提供したのは、果たして『誰』だろう?」


「……なるほど。つまり、私の脳内データは、元々はクロウが収集していた軍事データだったってこと?」

「話が早いね。十中八九、その通りだと思うよ」


 イスラは正直に答えた。


 個室に三度目の沈黙が降りた。

 眼下のセントラル区では、何も知らない市民たちが煌びやかな人工の夜を謳歌している。


 やがて、カーバンクルが口を開いた。


「……まぁ、どうでもいいことだよ」


 その声はひどく静かで、ひどく冷たかった。


「かつてのノース区住人たちの仇。そしてブラック・リヴァイアサンのこれまでの行動すべて。……その代償を払わせる」


 404号室の始末屋は、次の標的を定めた。



 セントラル区、深夜二時。


 ブラック・リヴァイアサン本社ビルは、ネオ・アルカディアの夜空を突き刺す漆黒の尖塔だった。


 外壁は光を一切反射しない軍事用ステルスコーティングで覆われ、周囲のガラスとネオンで着飾ったビル群の中で、ただ一つだけ絶対的な拒絶を纏っている。


 近づく者を無言で威圧する、暴力の城塞。

 その外壁を、一つの小さな影が這い上がっていた。


(…………)


 カーバンクルは磁力吸着グローブを使い、四十六階の排気ダクトの格子に指をかけた。白いパーカーの裾が、高層の気流に煽られてはためく。


 格子のボルトを外し、体を滑り込ませる。

 大人の男なら肩が通らない軍用規格の狭さだが、カーバンクルの小柄な体は蛇のようにすり抜けていく。


 暗闇の中を匍匐前進しながら、彼女は脳内の記憶を走査していた。

 空調システムの配管図。警備シフトのパターン。

 ショウのハックで得られた断片的な情報を組み合わせ、最短ルートを構築する。


 ダクトの分岐点を抜け、カーバンクルは音もなく格子を外し、薄暗い廊下に着地した。


 四十六階、管理部門フロア。

 深夜のオフィスは無人のはずだった。

 非常灯の青白い光だけが、磨き上げられた黒御影石の床を照らしている。


 カーバンクルは足音を殺して廊下を進んだ。

 スニーカーの底が床に触れる音すらしない。


 ――だが、エレベーターホールへと続く通路に差し掛かった時。


「……!」


 赤い瞳が、天井の隅に設置された監視カメラのレンズを捉えた。


 ただのカメラではない。

 赤外線、紫外線、さらにニューラル波動まで検知する軍事グレードの多波長スキャナーだ。


 しかも、カメラは死角が一切存在しない配置で並んでいた。

 まるで彼女の侵入ルートを完全に予測していたかのように。


(……やっぱり)


 カーバンクルは一瞬だけ足を止め、赤い瞳を細めた。

 そして「何事もなかったかのように歩き出す」。


 十歩。二十歩。

 ホールまであと五メートルというところで、ビル全体が鳴動した。


『——侵入者検知。全フロア、コード・ブラック。繰り返す、コード・ブラック』


 非常灯が一斉に赤く切り替わり、警告マークが明滅する。

 同時に、廊下の両端で重厚なセキュリティシャッターが轟音を立てて降下した。退路と進路が完全に遮断される。


 カーバンクルは走らなかった。

 廊下の中央で足を止め、静かに周囲を見回す。


 シャッターが降りきる直前、その隙間から黒い装甲に身を包んだ兵士たちが次々と姿を現した。

 前方から八人、後方から六人。計十四人。


 全員がパワードエクソスケルトン——外骨格型強化装甲を着用している。

 マットブラックの装甲板が全身を覆い、関節部には人工筋肉の束がうねっていた。ヘルメットのバイザーは不透明な漆黒。


 そして彼らが構えているのは、通常のアサルトライフルではなかった。


「……電磁拘束銃、か」


 カーバンクルが呟いた。

 銃口から撃ち出されるのは弾丸ではない。着弾と同時にワイヤーが対象に巻き付き、数万ボルトの電流で神経系を麻痺させる対人制圧兵器だ。


 殺傷ではなく生け捕りを目的とした武装。

 それを見て、カーバンクルは内心ほくそ笑んだ。


「404号室の始末屋。お前が来ることはわかっていた」


 前方の兵士から一人が進み出た。

 音声変調器を通した無機質な声だが、歴戦の指揮官特有の重みがある。


「CEO直々の命令だ。『生きたまま確保せよ』。……素直に膝をつけ。抵抗すれば、痛い思いをするのはお前だ」


 カーバンクルは答えなかった。

 赤い瞳が十四人の兵士を走査する。装甲の厚さ、武器の射程、隊形の間隔。


 脳内の戦闘データベースが自動的に分析を始める。

 だが導き出された結論は厳しいものだった。


 外骨格装甲は生身の打撃では貫通できない。

 関節部を狙えば無力化は可能だが、十四人の連携の前に一人を倒す隙はない。

 しかも電磁拘束銃の回避スペースがゼロだった。


「…………」


 カーバンクルは無言で構えを取った。

 重心を落とし、両腕をゆるく体の前に構える。


 指揮官がバイザー越しにカーバンクルを見据え、右手を振り下ろした。


「撃て!」


 十四発の電磁ワイヤーが一斉に射出された。


 カーバンクルの体が弾かれたように動いた。

 最初の二発を紙一重でかわし、三発目のワイヤーを掌で掴んで引き千切る。


 そのまま身を翻し、最も近い兵士の懐に飛び込んだ。

 外骨格の肘関節。人工筋肉の束が露出するわずか三センチの隙間に指先を差し込み、内部ケーブルを引き抜く。


「ぐおっ!?」


 右腕の機能を失った兵士を盾にしながら、次の兵士の膝裏を蹴り抜く。

 装甲ごと関節が折れ曲がり、二人目が膝をつく。


「がっ……!」


 だが三人目に取りかかろうとした瞬間、背後から伸びたワイヤーがカーバンクルの左足首に絡みついた。


「っ……!」

「調子に乗るなァ!」


 バリバリバリバリ!


 数万ボルトの電流が全身を駆け抜ける。

 通常の人間なら即座に意識を失う電圧だ。

 だが彼女は歯を食いしばり、足首のワイヤーを素手で引きちぎって前方に跳んだ。


 着地の瞬間、右側面から別の兵士が突進してきた。

 外骨格の出力を全開にした体当たり。小型車の衝突に匹敵する衝撃が、カーバンクルの小さな体を壁面に叩きつけた。


「がっ……!」


 黒い壁にクモの巣状の亀裂が走る。


 咳き込みながら体勢を立て直そうとした隙に、さらに三方向から同時にワイヤーが射出された。

 右腕、左肩、腰。三本のワイヤーが体に巻き付き、同時に通電する。


「ぁ……あああっ!」


 電流が三方向から交差し、カーバンクルの全身が激しく痙攣した。膝が折れ、床に片膝をつく。


 だが、彼女はまだ倒れない。

 震える腕でワイヤーを掴み、二本を引き千切る。残る一本を体に巻き付けたまま立ち上がり、最も近い兵士に向かって拳を振るった。


「う……あぁっ!」


 しかし、その動きには普段の彼女らしからぬ鈍さがあった。

 拳はバイザーを掠め、続く蹴りも装甲板に弾かれる。


「フン……あれだけ通電されてよく動けるものだ。だが、もはや立っていることも難しかろう」


 指揮官が冷静に観察しながら呟いた。


「全員、一斉射撃。隙間なく撃ち込め」


 十二人の兵士が残存火力を集中させた。四方八方から電磁ワイヤーの嵐が降り注ぐ。


 カーバンクルは三本を躱し、二本を弾き、一本を掴んで投げ返した。

 だが、七本目が首に巻き付いた。


「……っ、ぐ……!!」


 電撃がスパークし、焦げた匂いが立ち上る。

 さらに八本目、九本目が両腕に絡みつき、カーバンクルの体は十字架のように固定された。


 最大出力の通電。


「あぁっ……ああああ!!」


 全身を貫く電流に、カーバンクルの赤い瞳から光が消えかける。

 両膝が床を打ち、がくりと頭が垂れた。水色の髪が顔を覆い隠す。


 それでもなお、彼女は完全には倒れなかった。

 震える腕で首のワイヤーを引き剥がそうとするが、指先は力を失い、虚しく滑るだけだ。


「……しぶとい」


 指揮官が近づき、カーバンクルの顔を覗き込んだ。

 髪の隙間から見える赤い瞳は、まだ微かに光を保っている。


「だが、もう終わりだ」


 指揮官が腰のホルスターから注射器型の鎮静デバイスを抜いた。

 針先に琥珀色の液体が詰まっている。


「軍用ナノ鎮静剤。象でも三秒で沈む代物だ。お前がどれだけ化け物でも、これには抗えまい」


 針がカーバンクルの首筋に押し当てられ、プシュッという圧縮空気の音と共に琥珀色の液体が注入された。

 その瞬間、カーバンクルの体から完全に力が抜けた。赤い瞳の光が急速に薄れていき、瞼が重く垂れ下がる。


「あ……」


 カーバンクルの体が前のめりに崩れ落ち、指揮官がその小さな体を片手で受け止める。


「軽いな。まったく、ヴァイス前市長もとんでもない怪物を作ったものだ」


 廊下に静寂が戻った。

 赤い非常灯の下で、十四人の兵士たちが荒い息を整えている。

 たった一人の子供を制圧するのに、精鋭部隊が総力を注いだ結果だった。


「……CEOに報告しろ。『404号室の始末屋』、確保した」


 指揮官はカーバンクルの体を抱え上げた。

 腕の中で眠る少女は、人形のように軽い。


「第七拘束室へ運べ。CEOが直接『対面』すると仰っている」


 彼らの重い足音が遠ざかった後、廊下には壁に刻まれた亀裂と、焦げた電磁ワイヤーの残骸だけが残された。

やばいよ〜〜

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