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【404】ネオ・アルカディア歴・Ⅲ

 地下五十メートルに構築された第一研究所は、文字通り血の海と化していた。


「撃て! 撃ち続けろ! 頭を吹き飛ばせ!」


 レベル5の防衛ラインに築かれたバリケードの裏で、警備部隊の小隊長が絶叫した。

 三十名からなる重武装の兵士たちが、アサルトライフルとライトマシンガンの火線を暗い通路へと注ぎ込み続けている。


 だが、通路の奥から押し寄せる「波」は止まらなかった。


「グゥゥゥ……アアアァァ!」


 彼らが撃っているのは、つい数十分前まで同僚だった研究員や警備兵たちだ。


 彼らの顔面には銀色に輝く節足動物型デバイス——「脳喰い虫」が深く食い込んでいる。

 恐怖も痛覚も失った彼らは、銃弾を何発浴びようと歩みを止めない。


 脚を撃ち抜かれれば腕で這いずり、腹をえぐられて内臓を引きずりながらも、無表情のまま警備部隊へと殺到してくる。


「弾が通じねぇ! 何なんだこいつらッ!」

「リロード! カバー頼む!」


 兵士の一人が弾倉を交換しようとした一瞬の隙だった。

 天井の配管を這って接近していたプロトタイプ零号が、バリケードの真上から降下してきた。


「な!?」

「ヴァアアアアアアアッッ!!」


 鈍い破砕音。

 分厚い防弾ヘルメットごと、兵士の頭蓋骨が素手で粉砕された。


 首から血の噴水を上げる死体を盾にするように、プロトタイプ零号がバリケードの内側で暴れ狂う。


「化け物め、死ねッ!」


 パニックに陥った兵士の一人が、対装甲用のグレネードランチャーを至近距離で発射した。


「ガ――!?」


 爆発の閃光が通路を包み込む。

 プロトタイプ零号の上半身が吹き飛んだが、同時に彼らの背後にそびえ立っていた壁面装甲が致命的なダメージを受けた。


「馬鹿野郎! 室内でそんな……!!」


 ランチャーが破壊したのは、この地下要塞の全電力を賄う「次世代型マイクロ動力炉」の冷却パイプが走る隔壁だった。


 引き裂かれたチタン合金のパイプから、超高圧の冷却材が白い蒸気となって噴き出す。

 そして数秒後、施設全体に新たな警報が鳴り響いた。


『――緊急警告! 緊急警告!』

『主動力炉の冷却システムに致命的な損傷。炉心温度が急速に上昇中』

『――メルトダウンまで残り四分』

『第一次防護壁内に高濃度の放射性物質が漏洩しています』


 赤色のパトランプが回転し、AIの無機質な音声が地獄に拍車をかける。


 バイオハザードに加えて核物質の漏洩。

 地下施設はもはや、生命が存在できる空間ではなくなった。

 放射線と寄生虫が支配する、完全な死の底だ。


「……フン。くだらん」


 その頃、アレクサンダー・クロウはすでに専用の緊急脱出用リニアエレベーターの中にいた。


 透明な強化ガラス越しに、階下で繰り広げられる惨劇が遠ざかっていくのを見下ろしている。

 彼の仕立ての良い黒いスーツには、先ほど主任研究員が殺された際に飛んだ血飛沫が数滴付着していたが、クロウはそれを白いハンカチで静かに拭き取った。


「道具の分際で、主に牙を剥くとは」


 クロウの表情には焦燥も恐怖もなかった。

 あるのは数千億クレジットを投じた実験施設が失われたことに対する、事務的な不快感だけだ。


 リニアエレベーターが地上に到達する。

 扉が開くと同時に、待機していたブラック・リヴァイアサン社の精鋭部隊がクロウを重装甲車へと誘導した。


「CEO、ご無事で! 地下の状況は——」

「施設は放棄する。機械兵器の制御プロトコルが破綻し、さらに動力炉が破損した」


 クロウは装甲車の後部座席に乗り込み、冷徹に命じた。


「ノース区を完全封鎖しろ。他区画へと繋がる『大隔壁』を物理的に降ろせ。ネズミ一匹、この区画から出すな」

「は……だ、大隔壁をですか!? しかし、それではノース区の住民が……!?」


 副官の男が息を呑んだ。

 ノース区は軍事研究区画ではあるが、そこに付随する下請け企業の工場や、軍属の家族たちが暮らす居住エリアが存在する。


 ドーム内の人口の約一割、三十万人の一般市民が、今も何も知らずに生活しているのだ。


「聞こえなかったのか? これは戒厳令だ」


 クロウの底冷えする声が、副官の背筋を凍らせた。


「地下から溢れ出した寄生機械と放射能が他区画に漏れれば、ネオ・アルカディアそのものが終わる。大のためには小を切り捨てろ。全ゲートを閉鎖しろ」

「……りょ、了解しました。直ちに……封鎖プロセスを起動します」


 装甲車がエンジンを唸らせ、セントラル区へと続く専用の地下ハイウェイを猛スピードで走り出す。

 その後方で、ノース区の境界線にそびえ立つ高さ200メートルの巨大な防護壁が、地響きを立てて降下し始めた。



 地上。ノース区、第三居住エリア。


 午後八時。ドームの天井を覆う人工太陽はすでに夜間モードに切り替わり、街は穏やかなネオンの光に包まれていた。


 軍事区画とはいえ、表通りにはカフェやレストランが並び、仕事を終えた労働者たちや週末を楽しむ家族連れで賑わっている。


「……でさ。昨日始まった映画があって……」


 オープンカフェのテラス席で、若い男女がコーヒーを飲みながら笑い合っていた。


 公園では父親と手をつないだ小さな女の子が、ロボット犬を追いかけて無邪気な声を上げている。


 残業明けの疲れた顔をした男が、コンビニエンスストアで買った弁当を提げて帰路を急いでいる。


 誰もが、明日は今日と同じようにやってくると信じていた。

 旧世界の悲惨な歴史など教科書の中だけの話であり、このネオ・アルカディアという揺り籠の中は永遠に安全なのだと。


 ――突如、街の照明がすべて赤色に切り替わった。


『全市民に告ぐ。ノース区においてレベル5の非常事態宣言が発令されました。全交通機関は直ちに運行を停止します。市民の皆様は速やかに最寄りの屋内へ退避し、ドアと窓を密閉してください』


 カフェのBGMがブツリと切れ、街頭の巨大なホログラムビジョンに警告マークが明滅する。

 人々は足を止め、戸惑いの声を上げた。


「おい、レベル5ってなんだよ?」

「火事か? それともテロ……?」


「と、とりあえず地下鉄で避難した方が——」


 だが、その選択肢はすでに奪われていた。


 空を覆うような轟音に人々が見上げると、ノース区と他区画を隔てる大隔壁が、視界を遮るようにゆっくりと降りてくるのが見えた。

 チタンとコンクリートで構成された厚さ十メートルの巨大な壁が、道路を、モノレールの軌道を、容赦なく分断していく。


「お、おい嘘だろ……ゲートが閉まるぞ!」

「待って! 私の子供がセントラル区の学校に……!」


 パニックが伝染するのに時間はかからなかった。

 人々は車を乗り捨て、閉まりゆくゲートに向けて走り出した。


 数万人の群衆が境界線へと殺到し、押し合い、叫び、サイレンの音をかき消すような怒号が飛び交う。

 だが彼らを待ち受けていたのはさらなる絶望だった。


 街の各所にある地下鉄の入り口や、地下道へと通じるマンホールの蓋が、内側から凄まじい力で吹き飛ばされた。

 暗闇の中から這い出してきたのは――血と培養液に塗れた異形の者たちだった。


「――ヴァアアアアアアアッッ!!」


 顔に銀の虫を張り付かせ、焦点の合わない目で群衆を見つめる元・研究員や警備兵たち。

 そして筋力を異様に肥大化させたプロトタイプたち。

 彼らは言葉を発することなく、最も近い市民へと飛びかかった。


「ひっ……なんだこいつ、離せッ!」

「助け……ギャアアアアッ!」


 倒された市民の顔に、銀色の機械的触手が植え付けられる。

 悲鳴は数秒で途絶え、痙攣していた体は不自然に跳ね起きると、新たな仲間を求めて隣の市民へと襲いかかった。


 同時に地下から漏れ出した目に見えない死の灰——放射性物質を含む汚染大気が、空調ダクトを通じて地上へと噴出していく。


 噛みつかれ、引き裂かれ、機械虫を植え付けられる父親たち。

 見えない放射能を肺に吸い込み、血を吐いて倒れ伏す子供たち。

 閉ざされた大隔壁を血まみれの手で叩き、「開けて!」と泣き叫ぶ母親たち。


 ノース区は、完全な密室の屠殺場と化した。



 セントラル区。

 ブラック・リヴァイアサン本社ビル、最上階の特別指令室。


 ガラス越しにノース区の惨状を遠望できるその部屋で、アレクサンダー・クロウは皮張りの椅子に深く腰を沈めていた。


「はぁ……」


 壁面の巨大なモニターには、ノース区の各所に設置された監視カメラの映像が分割表示されている。

 逃げ惑う市民、増殖する寄生体、そしてガイガーカウンターが示す致死量の放射線量。


「まったくもって不可解だ。脳喰い虫に本体を操る機能などなかったというのに……何が起きたというのだ」


 副官が青ざめた顔で、震える報告書を読み上げた。


「CEO……ノース区の地上は完全にパニック状態です。寄生体の数はすでに数千に膨れ上がり、指数関数的に増加中。さらに地下の動力炉が完全にメルトダウンし、放射能汚染が地上全域に拡大しています」

「防護壁の密閉率は」

「99.9パーセント。他区画への物理的な漏洩は防いでいます。しかし……このままではノース区の三十万人は全滅します。政府から、状況説明と救助要請の通信がひっきりなしに入っており……」


「――通信は遮断しろ」


 クロウは傍らのサイドテーブルからクリスタルグラスを手に取り、年代物の赤ワインを注いだ。


「救助など不可能だ。中に入った瞬間に部隊が感染し、汚染される。ノース区はもはや『ネオ・アルカディアの一部』ではなく、『汚染された腫瘍』だ」


 クロウはワインの香りを楽しみながら、極めて事務的な口調で言った。


「消毒する」

「え……?」

「ノース区全域に対して、戦略爆撃を行え」


 副官は自分の耳を疑った。


「ば、爆撃……? お待ちください! 中にはまだ、感染していない市民が多数います! シェルターに隠れている者もいます! それを、ドームの内側で爆撃するだなんて——」

「ただの肉塊だろう」


 クロウの冷たい視線が、副官を射抜いた。

 その目には一欠片の感情も、倫理観の欠如に対する罪悪感すらない。

 あるのは純粋な『計算』だけだ。


「あれはもう人間ではない。すでに汚染され、寄生を待つだけの培養地だ。放っておけば隔壁を破り、他の区画に波及する。そうなればドーム全体……ネオ・アルカディアの数千万人が死滅するのだ」


 クロウはグラスを傾け、芳醇な液体を口に含んだ。


「数千万の全滅と、三十万の損切り。どちらが合理的か、小学生でもわかる計算だ。それに地下の非合法な実験施設が政府に明るみに出れば、我が社は終わりだ。……証拠ごと、すべて焼き払え」

「しかし……! それは大量虐殺です! 歴史に——」


 ドン、と鈍い音が響いた。

 クロウの傍らに立つ巨漢の護衛が、副官の腹部に拳を叩き込んだのだ。副官は胃液を吐き出しながら床にうずくまった。


「歴史を作るのは生き残った者だ。死者の悲鳴など、灰になれば誰の耳にも届かない」


 クロウは冷徹に見下ろした。


「やれ。防衛用の無人爆撃ドローン全機に、ノース区への飽和攻撃を命令しろ。使用する弾頭はサーモバリックと白リン弾だ。酸素を根こそぎ奪い、遺伝子の一つまで残さず炭化させろ」


 床に這いつくばった副官は、もはや逆らう気力を失っていた。


 この男は人間ではない。

 合理性という名の狂気を纏った、純粋な悪だ。


 副官は手元のコンソールを操作し――最終承認コードを入力した。



 ノース区の上空——ドームの天井付近に格納されていた数千機の無人爆撃ドローンが、一斉にハッチを開いて降下を開始した。

 蜂の群れのような羽音が、絶望の街に降り注ぐ。


 大隔壁の前で泣き叫んでいた母親が、上空の異変に気づいて顔を上げた。


 夜空を埋め尽くす黒い点。

 それらが一斉に、腹部から赤い光の尾を引く飛翔体を投下した。


「え――」


 次の瞬間、街の景色が白く飛んだ。


 サーモバリック弾——燃料気化爆弾が空中で炸裂し、可燃性のガスが広範囲に散布される。

 そして一秒遅れて、強烈な着火。


「あ……ギャアアアアアアアアアッ!!!?」


 音よりも速く、数千度の超高温の火球がノース区全域を呑み込んだ。


 爆発の衝撃波が建物を粉々に粉砕し、逃げ惑う人々を木の葉のように吹き飛ばす。だが、真の地獄はその後だった。


「か、は……なに、これ……息がっ」

「あ、が――ィィィィッ」


 大気を燃焼させる爆発は、ノース区の空間から一切の『酸素』を奪い去った。


 運よく爆風から逃れ、地下室や建物の陰に隠れていた市民たちの肺から、強制的に空気が吸い出される。

 気圧の急激な変化により、眼球や内臓が破裂し、人々は声なき悲鳴を上げて血の泡を吹いて倒れていった。


「な、な……次は、なんだっ……」

「ひ……!? アアアアッ、熱い! 熱いぃぃぃ」


 そこへ白リン弾が降り注ぐ。

 一度皮膚に付着すれば、骨の髄まで燃え尽きるまで決して消えない悪魔の炎。


「ギャアアアアア……」

「ヒイイイィィ」


 炎に包まれた子供が走る。

 我が子を抱きしめたまま炭化していく母親。


 脳喰い虫に寄生された異形の者たちも、この圧倒的な破壊の前ではただの可燃物に過ぎなかった。

 機械部品ごと燃え上がり、街全体が巨大な火葬炉と化す。


 ガラスが溶け、アスファルトが沸騰する。

 三十万人の日常と思い出が、たった数分で灰色の塵へと変わっていく。


 ――やがて大隔壁の内側は、完全な『焦土』となった。



 指令室のモニター越しに、クロウはその燃え盛る地獄を静かに眺めていた。

 炎の明かりが、彼の手にあるワイングラスを赤く照らしている。


「見事な火炎だ。これで寄生体も、放射性物質も、目障りな証拠も、すべて綺麗に浄化された」


 クロウはワインを飲み干し、ふっと冷酷な笑みを漏らした。


「……これでネオ・アルカディアは救われた。まったく……危ないところだった」


 三十万人の命を灰に変えておきながら、彼の心には一ミリの揺らぎもなかった。


 かつてドームの外で棄民を撃ち殺し続けた時から、彼の本質は何も変わっていない。


 力なき者は死ぬ。力ある者がすべてを奪い、支配する。

 それがアレクサンダー・クロウの絶対的な真理だった。

こうしてノース区は不毛の地となった…

クリーンゾーンの奴ら、生きてたの結構すごくない?

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