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【404】ネオ・アルカディア歴・Ⅱ

 ショウは咀嚼の動きを完全に止めていた。

 フォークに刺さったままの肉が、ゆっくりと冷めていく。


「……外の人間を殺し続けた、だと?」

「文字通りの意味だ」


 イスラは感情を排した声で続けた。


「棄民たちがネオ・アルカディアに到達するルートは限られていた。当時、地形的に最も接近が容易だったのが北側の外壁だ。

 だからノース区は最初から『居住区』ではなく、防壁に沿って重武装の陣地が敷かれた『最前線基地』として作られたんだよ」


 イスラはテーブルの端末を操作し、小さなホログラムを投影した。


 ドームの断面図。北側の外壁に沿って、赤い点が無数に並んでいる。

 自動防衛システムと砲台の位置だ。


「棄民たちは波のように押し寄せた。最初は数百人、やがて数千、数万。……だが、彼らはただ救いを求めて壁を叩いたわけじゃない」


 イスラの碧い瞳が、冷たい光を帯びた。


「生き残るためには中に入るしかない。彼らの中には、旧世界の軍の残党や、放棄された軍事施設から武器を漁った武装集団が混ざっていた。

 戦車すらないガラクタの寄せ集めとはいえ、数万の武装した暴徒が装甲車や対戦車兵器を持ち出して外壁を破壊しようとしたんだ」

「おいおい、マジかよ……まるっきりゾンビ映画だな」

「ドームに穴が開けば、中の人間も外の汚染大気に晒されて全滅する。文字通り、存亡を懸けた殺し合いだったそうだ」


 ショウの喉が鳴った。唾を飲み込む音だった。


「圧倒的な数の暴力と、女子供まで混ざった暴徒の群れ。当時の防衛軍の上官たちは動揺し、発砲命令を躊躇う者もいた。

 ――だがそんな中で一人だけ、一切の躊躇なく引き金を引き続けた若い兵士がいた」


「……それが、アレクサンダー・クロウか」


「その通りだ。クロウは自ら重機関銃を握り、外壁を登ろうとする者を、爆薬を仕掛けようとする者を、ただ黙々と肉片に変え続けた」

「そんなこと、許されるのか? 法とかよ」

「合法的な大虐殺だよ。当時の法律でも……今でも、『国民』はドーム内の人間だけだからね」


 イスラの声にはいつもの軽薄さが完全に消え、歴史の重圧だけが響いていた。


「クロウはこの防衛戦で『英雄』になった。ネオ・アルカディアの壁を守り抜いた男。……彼にとっては、あの血みどろの日々こそが原点なんだ」

「英雄、ね。胸糞わりぃ響きだぜ」


 ショウが吐き捨てるように呟いた。


「で、その外の連中はどうなったんだ?」

「数年で全員死に絶えたさ」


 イスラは端的に言った。


「外の放射線量と有毒ガスは、どんな防護装備でも長期間生き延びられるレベルじゃなかった。2050年頃には、もう壁の外から人が来ることはなくなった。銃撃も、爆発音も、悲鳴も——全てが止んだ」


 個室を満たしていた極上肉の芳醇な香りが、急にひどく生臭いものに感じられた。


 カーバンクルは水のグラスに視線を落としていた。

 赤い瞳が水面にぼんやりと映っている。


「……それで、ノース区から軍事前線としての役割が消えたのか?」

「いや、消えなかった。それが問題の根だ」


 イスラは首を振った。


「脅威が去った後、ネオ・アルカディアは本格的な都市開発に入った。行政と富裕層のセントラル区、工業のイースト区、一般市民のサウス区、商業のウエスト区。

 ……だがノース区だけは、引き続き『軍事研究区画』として維持された」

「他の区が発展する中で、北だけが軍の管理下ってことか」


 ショウが腕を組む。


「表向きは外壁の防衛システムの維持と、他のシェルター都市との有事に備えた軍事研究。それ自体は合理的な判断だ。……だが、ここでクロウが動いた」


 イスラはホログラムの年表を空中に展開した。


「防衛戦の功績でスピード出世を果たしたクロウは、2052年に政府へ持ちかけた。『脅威が去った今、軍隊を国費で維持するのは無駄だ。軍事機能を民営化すればコストは劇的に下がる』と。

 政府は渡りに船とばかりに飛びついた。

 ……そうして設立されたのが、ブラック・リヴァイアサン社だ」

「なるほどな。国の暴力装置を丸ごと買い取って、私物化したってわけだ」


 ショウが感心したように口笛を吹いた。


「そして2053年。ブラック・リヴァイアサン社がノース区の全施設の管理運営を受託し、クロウは事実上、ノース区という巨大な軍事要塞の『王』になった。

 地上の防衛システムから、地下深くの秘密研究施設に至るまで、全てが彼の支配下に入ったんだ」

「……ノース区の全て……か」


 カーバンクルが低く繰り返した。

 ショウがちらりとカーバンクルの顔を見る。表情は相変わらず無機質だ。


「そうだ。クロウはノース区の全ての鍵を持っていた」


 イスラは一度言葉を切り、二人の顔を見比べた。

 ショウの険しい義眼。カーバンクルの握り込まれた拳。


「……そして2055年。今から25年前のことだ」


 イスラの碧い瞳が、カーバンクルに真っ直ぐに向けられた。


「ノース区の地下研究施設で——ある『事件』が起きた」


 カーバンクルはイスラの目を見つめ返した。赤い瞳と碧い瞳が、テーブル越しに交差する。


「その事件に、クロウがどう関わっていたか。……聞く覚悟はあるかい、カーバンクル」

「……もちろん」


 静かな声だった。だがその短い一言には、重い決意が込められていた。


 イスラは頷き、ワイングラスに残っていた最後の一口を飲み干した。

 グラスを置く乾いた音が、防音の個室に小さく響いた。


「では——25年前の、ある夜の話をしよう」



 2055年、8月16日。

 ネオ・アルカディア、ノース区。


 外壁の直下に位置するブラック・リヴァイアサン社の第一研究所は、地下50メートルにまで掘り下げられた巨大な要塞だった。


 その最下層、レベル7・特別実験区画。


 冷徹な人工照明の下で、アレクサンダー・クロウは強化ガラスの向こう側を無表情で見下ろしていた。


「……生体兵器プロトタイプ零号、バイタル安定しています。筋繊維の強化率は目標値の240パーセントをクリア。痛覚神経の切断手術も成功です」


 白衣を着た主任研究員が、怯えた声でタブレットの数値を読み上げた。


「良い数字だ。だが、まだ足りない」


 クロウは冷たく言い放ち、ガラス越しの実験室を睨んだ。


 手術台の上に拘束されているのは、もはや人間とは呼べない肉塊だった。


 元々はサウス区から「失踪」した身寄りのない若者だが、度重なる遺伝子操作とサイバネティクス手術により、全身の筋肉が異様に肥大化し、皮膚は装甲板のように硬質化している。


「俺が求めているのは、ドーム内の治安維持部隊——ひ弱な警察機構を単機で制圧できる『純粋な暴力』だ。これではまだ、重火器で蜂の巣にされれば止まる」

「しかし、これ以上の負荷は脳神経が耐えられません。前回の実験体のように、脳が破裂して——」

「ふん、ならば失敗だな。アレの実験台にでもしろ」


 クロウの視線が隣の小さな密閉容器に向けられた。

 分厚い鉛ガラスの容器の中で、蠢く銀色の塊があった。


「『脳喰いブレイン・イーター』ですか? あれはまだ制御プロトコルが未完成で……!」

「ちょうどいいじゃないか。まだ使い物にならないモノと、もう使い物にならないモノ。有効に掛け合わせろ」

「……っ」

「もっとだ。もっと有用な兵器が必要なんだ……この国を、支配するためにはな」


 クロウは野心を隠そうともしなかった。


 かつて防衛戦で大量の棄民を殺戮した彼は、理解していた。

 人間の兵士は、たとえどれほど訓練されていようと恐怖や良心、疲労といった『ノイズ』によってパフォーマンスが落ちる。


 彼がネオ・アルカディアを支配し、政府の権力を完全に奪い取るためには、絶対に命令に背かない、恐怖を知らない軍隊が必要だった。


 それが、生体兵器プロトタイプ。

 そして、もう一つのアプローチが――銀色の虫。


 「脳喰い虫」——正式名称「寄生型脳幹破壊デバイス」。


 人間の脳髄に食い込み、中枢神経を物理的に破壊する人工の節足動物型兵器だ。

 これに侵入された者は不定期の激しい頭痛ともに記憶を失い、最終的に死亡する。


「……わかりました。プロトコルを実行します」


 主任研究員は震える指でコンソールを操作した。

 機械アームが密閉容器から一匹の銀虫を摘み上げ、拘束された実験体の頭部へと近づけていく。


「――ゥヴァァァァアアアアアアアアアッッッ!!!!」


 虫が実験体のこめかみに張り付いた瞬間、強化ガラスの向こう側で絶叫が上がった。


 痛覚神経を切断されているはずの実験体が、拘束具を引きちぎらんばかりに暴れ狂う。

 分厚いチタン合金のベルトが、ギリギリと悲鳴を上げた。


「ほう。バイタルが異常に跳ね上がっている……何が起きた?」

「わ、わかりません……!? 脳喰い虫が命令信号を拒絶しています! 逆に、実験体の生存本能と共鳴して——!?」


 バキィッ、という鼓膜を破るような金属音が響いた。

 実験体の肥大化した右腕が、拘束具をへし折ったのだ。


「なんだ……!? 馬鹿な、チタンの拘束具だぞ!」

「脳喰い虫が、筋肉のリミッターを完全に外している……! このままでは自壊——いえ、それよりも先に!」


 実験体は引きちぎった拘束具の破片を握りしめ、自分を閉じ込めている強化ガラスへと振り下ろした。

 対戦車ライフルすら防ぐはずのレベル7防護ガラスに、クモの巣状の亀裂が走る。


「どういうことだ……脳喰い虫は脳を破壊するだけの……」

「警備部隊! 鎮圧ガスを注入しろ!」


 クロウが怒号を飛ばすが、実験体は二度、三度とガラスを殴りつけた。

 己の拳の骨が砕け、肉が弾け飛ぶのも構わず、ただ破壊衝動のままに。


 そして、四撃目。

 強化ガラスが粉々に吹き飛び、実験室の気密が破られた。


「なっ!」

「逃げ――!」


 主任研究員が叫んだ直後、実験体の巨大な腕が彼の上半身を壁に叩きつけた。

 トマトが潰れるような湿った音と共に、血飛沫がクロウのスーツを汚す。


「ヴァァァアアアアアアアアッッッ!!!」

「撃て! 撃て撃て!」


 警備部隊がアサルトライフルを一斉掃射するが、痛覚を失い、脳喰い虫に乗っ取られた肉体は止まらない。

 銃弾を浴びながら警備兵の首をねじ切り、その武器を奪って乱射を始めた。


「……クソが。出来損ないめ」


 クロウは即座に踵を返し、防弾シェルターへと続く緊急退避通路に飛び込んだ。

 背後で、さらに絶望的な事態が起きていた。


『緊急警報! 緊急警報! レベル5ハザード、発生!』


 銃撃の余波が、他の実験体や『脳喰い虫』の培養タンクを破壊したのだ。


 緑色の培養液と共に、無数の銀虫が床に散らばり、パニックに陥って逃げ惑う研究員や警備兵の足元へと這い寄っていく。


「ぎゃああああッ!?」

「顔に! 顔についてるッ! 取れ、取ってくれ!」

「やめろ! 入っ、入ってくるなァァァ!?」


 虫は次々と人間の耳に張り付き、頭蓋骨の隙間から脳髄へと侵入していく。


 倒れた警備兵たちが数秒後には不自然な動きで立ち上がり、かつての仲間に銃口を向け始めた。


 レベル7の特別実験区画は、わずか3分で完全な地獄と化した。


『警告。レベル7にて深刻なバイオハザードが発生。生体兵器の封じ込めに失敗しました。防壁を封鎖します』


 無機質なAIの音声が、地下施設全体に鳴り響く。

 だが、事態はすでに地下だけでは収まらなくなっていた。


 制御を失った「脳喰い虫」に寄生された宿主たちは、施設のセキュリティゲートを物理的に破壊し、あるいはハッキングして、上の階層へと雪崩れ込んでいく。


 研究員、清掃員、事務員——遭遇した全ての人間が新たな宿主となり、ネズミ算式に『軍隊』が増殖していく。


 そして彼らの目指す先は、地下施設の外。

 約三十万人の一般市民が暮らす、ノース区の地上区画だった。

知られざるノース区封鎖の瞬間

そして久々の登場である脳喰い虫くん!

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