【404】ネオ・アルカディア歴・Ⅰ
セントラル区、地上200メートル。
ネオ・アルカディアの富裕層だけが足を踏み入れることを許される、五つ星ホテルの最上階レストラン。
その最奥に位置する完全防音のVIP個室で、ショウはフォークに突き刺した分厚い肉塊を無遠慮に頬張っていた。
「うおおおぉっ!! この肉マジでヤバいぞ! 合成タンパクじゃねぇ、本物の牛肉なんていつぶりだ!?」
「大いに食べてくれたまえ、ショウ。君たちの働きに見合うだけの席は用意したつもりだよ」
イスラは純白のスーツ姿で、ワイングラスを優雅に傾けながら微笑んだ。
「ネクサス・リンクの防衛、そしてフレデリック・グラントの『処理』。どちらも見事だった。グラントの死でシャドウ・セキュリティは完全に空中分解したし、隠者たちも足並みを乱している。……約束の追加報酬だ」
イスラが手元の端末を操作すると、ショウの義眼に莫大なクレジットの送金完了通知がポップアップした。
「ヒューッ! 気前がいいねぇ。これなら毎日でも襲撃されたい気分だぜ」
「勘弁してくれ。私の心臓が持たない」
イスラは苦笑し、向かいの席に視線を向けた。
カーバンクルは、場違いな白いパーカー姿のまま静かに食事を進めていた。
「……なかなか。おいしい」
ナイフとフォークの扱いは完璧だ。
その小柄な体の中に眠る誰かの記憶が、上流階級のテーブルマナーを彼女に教え込んでいるのだろう。
やがて、カーバンクルはナイフとフォークを皿の上に揃えて置いた。
「イスラ。アレクサンダー・クロウについて、聞きたいことがある」
声は平坦だった。だがその言葉が出た瞬間、個室の空気がわずかに冷えた。
イスラはワイングラスをテーブルに置き、表情を引き締めた。
「……ブラック・リヴァイアサンのCEOが、どうかしたかい?」
「あの夜の、彼らの撤退について」
カーバンクルは赤い瞳でイスラをまっすぐに見つめた。
「クロウは72名の正規兵を投入した。でも私が11人を無力化した時点で、全軍に撤退命令を出した」
「……それがどうかしたか? お前がバケモンみたいに強かったから、ビビって逃げたんだろ?」
肉を咀嚼しながらショウが口を挟むが、カーバンクルは首を横に振った。
「違う。あれは『被害が拡大したから撤退した』んじゃない。『被害が確実に拡大するとわかっていたから、損切りした』動きだった」
カーバンクルの脳内で、かつて戦場を駆け抜けた指揮官の記憶が冷徹に分析していた。
「残りは60人以上いた。彼らの重装甲と火力なら、強行突入を諦めて研究棟を外から包囲し、持久戦に持ち込むこともできたはず。セオリー通りならね」
「……確かに、あいつらの装備なら建物を完全に封鎖し続けることはできたな」
ショウがフォークを止め、義眼を細めた。
「でも、クロウは包囲を選ばなかった」
カーバンクルの声が核心に迫っていく。
「彼は即座に撤退を選んだ。まるで、私がゲリラ戦の専門家『でもある』と見抜いていたように。……それも、一瞬で」
「…………」
「イスラ。クロウは、私の脳に入っている記憶のこと……私の『正体』を知ってるの?」
個室に沈黙が降りた。
眼下に広がるセントラル区の眩い夜景さえも、この部屋の静寂を紛らわすことはできない。
イスラは静かに息を吐き、口元の笑みを完全に消し去った。
碧い瞳に普段の軽薄さは微塵もない。
「……本当に、君の洞察力には恐れ入るよ」
イスラは深く椅子に背を預け、両手で指を組んだ。
「君の推測は合っている。アレクサンダー・クロウは、君の正体を知っている。いや、正確に言えば……『君が何から作られたか』を知っているんだ」
「俺すら知らないことを、あの軍事会社の親玉が知ってるってのか?」
ショウが身を乗り出した。エメラルドグリーンの義眼が険しく明滅している。
「ショウ。君も食事の手を止めて、少し耳を貸してくれないか」
イスラは組んだ手の上に顎を乗せ、二人を交互に見つめた。
「……これから話すのは、このネオ・アルカディアの歴史の授業だよ」
「……はぁ?」
■
「……そもそも、ショウ。君は『旧世界の終わり』について、どれくらい知っているかな?」
イスラがワイングラスを傾けながら、ふいに問いかけた。
ショウはフォークをくわえたまま、面倒くさそうに片眉を上げる。
「あ? そりゃまぁ、大まかなことくらいは知ってるぜ。50年くらい前にドデカい戦争があって、外の空気が吸えなくなったから、偉い連中がこのドームを作って逃げ込んだ……ってとこだろ。スラムのガキでも知ってるおとぎ話だ」
「概ね正解だが、少し大雑把すぎるね」
イスラは苦笑し、グラスをテーブルに置いた。
「事の始まりは2039年——第三次世界大戦だ。発端は枯渇しかけた資源の奪い合いと、軍事用AIの制御権を巡る対立。そこに気候変動による食糧危機が重なり、世界中の国家が文字通り『喰い合い』を始めた」
「……馬鹿な連中だぜ」
ショウが鼻で笑う。
「ただの戦争じゃない。核兵器が局地的に使われ、生物兵器や化学兵器がばら撒かれた。結果として、地表の居住可能地域は急速に消滅していったんだ。人類は、自らの手で地球を殺しかけていた」
イスラの碧い瞳が、眼下のネオ・アルカディアの夜景に注がれる。
この眩い光の海の外には、今も放射能と毒に汚染された死の荒野が広がっている。
「2041年、追い詰められた国連は『人類存続計画』を提案した。世界各地に、外気と完全に遮断された環境制御型のシェルター都市を建設する計画だ」
「それが、このネオ・アルカディアってわけか」
「正確には、ネオ・アルカディアはその中の一つに過ぎない」
イスラが指を一本立てた。
「海上、海底、地下、山岳地帯……環境アプローチの異なるシェルター都市が、世界中に合計20個建設された。
このネオ・アルカディアの建設地に選ばれたのは、カナダのカナナスキスという土地だ。日本の環境制御技術と、当時の最高峰AI『GAIAシステム』の設計最適化を基幹にしてね」
ショウは肉を飲み込み、グラスの水を一気に煽った。
「で? その避難所の歴史と、あの軍事会社の親玉に何の関係があるんだよ。歴史の授業なら学校でやってくれ」
「まぁ、焦らないでくれ。ここからが本題だ」
イスラは両手を組んだ。
「建設が始まった2042年、予想以上の放射能汚染が発覚した。急遽、ロシアの潜水艦技術を応用した二重殻構造が採用され、費用は当初の三倍に跳ね上がった。
……だが、一番の消耗品は『金』ではなかった」
「……人間、か」
ショウが低く呟いた。
「その通り。被曝リスクのせいで、作業員は本来なら一日二時間しか外で働けない。……それでも工事は止まらなかった。人類の存続が懸かっていたからね」
イスラの言葉の端々に、冷ややかな響きが混じる。
「そして2045年。ついにドーム都市が完成し、初期入植が始まった。最初に選ばれたのは、被曝リスクを受け入れてドームを完成させた技術者とその家族。彼らは『功労者』と見なされた」
「へぇ、案外まともな選考基準じゃねぇか」
「最初はね。だが、次はどうだ? 世界各国から厳選された科学者、医療従事者、遺伝子工学者。そして、IQ160以上の子供たちだけが『次世代の希望』として世界中から集められた」
「……!」
「一般市民の入植は『抽選』と発表されたが、明確な足切りがあった。30歳以下、持病なし、高い教育水準、特定の技能保持者。……わかるかい、ショウ?」
「なるほどな。その時入ってきた奴らが、セントラル区の人間ってワケか」
「あぁ。この時の選考基準こそが、今のネオ・アルカディアを支配する『階級社会』の原型になったんだよ」
イスラはそこで言葉を切り、沈黙していたカーバンクルに視線を向けた。
「カーバンクル。君なら、この選考基準の裏にあった『もう一つの事実』に気づいているんじゃないか?」
カーバンクルは赤い瞳を伏せ、テーブルの上のナイフの刃をじっと見つめていた。
やがて、平坦な声で答える。
「……有能な人間だけを選別したってことは、それ以外の人間は『外に捨てられた』ということ」
その一言に、ショウの義眼が大きく見開かれた。
「なに……? 外? どういうことだよ。外は生きていけない場所じゃ……」
「そう、シェルターの収容人数には限界がある。20個の都市が完成しても、当時の世界人口のほんの一握りしか救えなかった。……選ばれなかった数億人は、汚染された地表に置き去りにされた」
カーバンクルの脳内にあるのは歴史の記録だけでない。
かつての戦場で、その悲惨な光景を実際に見た兵士たちの記憶が断片的に存在していた。
「でも捨てられた人たちは、ただ黙って死を待つような真似はしなかった。彼らは生き延びるために、完成したシェルター都市を奪おうとした。……『外』からの襲撃が始まったんだよ」
「……その通りだ」
イスラが重々しく頷いた。
「2045年から数年間、ドーム都市は外壁にすがりつく数億の『棄民』との終わらない防衛戦を強いられることになった。中に入ろうとする暴徒。壁を破壊しようとするテロリスト。……彼らを排除し、壁を守り抜くための『軍隊』が必要だった」
イスラはワイングラスを再び手に取り、その赤い液体を揺らした。
「アレクサンダー・クロウは、その防衛戦の最前線で『外の人間を殺し続けた』部隊の生き残りさ。
旧世界からネオ・アルカディアに至るまでの、最も血塗られた歴史を直接知っている男。……それが、君たちが相手にした軍事会社のCEOだ」
199話にして初めて明かされる世界観…!!
まぁここまで読んでくれた方ならさすがに「世界観説明うぜーよ」で離脱されることもないやろと思って…




