【断罪】弔いの夜
ローレンスは後ずさりした。
背中が冷たいコンクリートの壁にぶつかる。
逃げ場はなかった。
彼が最後の砦と信じていたこの場所は、今や彼のための棺桶と化していた。
「ま、待て……! 待ってくれ!」
彼は両手を上げ、無様に懇願した。
さっきまでの傲慢な王の面影はどこにもない。
そこには死に怯える、ただの老人がいるだけだった。
「殺さないでくれ! 金ならいくらでも払う! 10億クレジット! いや、100億でもいい!」
「興味ない」
カーバンクルは立ち上がった。
アサルトライフルの銃口が、微動だにせずローレンスの眉間を狙っている。
「じゃあ何だ!? 何が欲しい!? 会社か!? この都市の全電力供給権か!? 言ってくれ! 私に差し出せないものはない!」
唾を飛ばして叫ぶローレンスを、カーバンクルは冷めた目で見下ろした。
「ああ……なら、欲しいものがある」
その声は絶対零度のように冷たく、けれどローレンスにとっては希望の糸に聞こえた。
「は、ハハッ……! そうか、そうだろう! 何だ!? どんな望みでも叶えてやる!」
「リウとチェン。あと5人。そしてあなたが過去に行った狩りの被害者全員、今すぐ生き返らせて」
ローレンスの笑顔が凍りついた。
口がパクパクと動き、意味のない音を漏らす。
「……あ……?」
「それ以外に欲しいものは、今は特にないかな」
カーバンクルの指が引き金にかかる。
ローレンスの顔色が蒼白になり、そして瞬時に激昂の赤へと変わった。
「ふっ、ふざけるな! そんなことができるわけがないだろう! 死んだ人間なんだぞ!」
「へえ、差し出せないものはないんじゃなかったの?」
「待て、待ってくれ! 私には家族がいるんだ! 可愛い孫もいる! 彼らを悲しませたくない!」
なりふり構わず情に訴えるローレンス。
だが、カーバンクルの瞳には憐憫のかけらも浮かばない。
「ああ、そう」
「わ、分かってくれたか!? 彼らは罪のない一般市民だ!」
「彼らが悲しむなら、あなたが殺した子供たちの親や兄弟はどうなるの?」
ローレンスは息を呑んだ。
反論できない。だが、認めれば死ぬ。
「あれは……あれは違うんだ! ただのゲームで――」
「ゲーム?」
カーバンクルの目が、カミソリのように細められた。
「七人の子供をなぶり殺しにすることが、ゲーム?」
「そ、そうだ! 娯楽だ! 誰だって娯楽を楽しむ権利があるッ! 私がこの都市のためにどれだけ尽くしてきたと思っている! 少しくらいのガス抜きは許されるはずだ!」
ローレンスは必死に正当化しようと叫んだ。
自分の行為は悪ではない。必要悪だ。偉大なる指導者への報酬だ。
しかし、カーバンクルは静かに首を横に振った。
「なら、あなたが私のゲームを妨げる権利もない」
カチャリ、と安全装置が外れる音が響く。
「ゲームの賞品のコマはあなたの命。楽しませてもらうよ」
「やめろ! やめてくれ! お願いだ! 私には――私にはまだやるべきことがある! この都市を支えなければならない! 私がいなければ、電力供給が止まって大混乱になるぞ!」
「あなたがいなくても、都市は回る」
カーバンクルは残酷な真実を告げた。
「取締役会が新しい会長を選ぶ。システムは補填される。明日の朝には、あなたの代わりがその椅子に座っているだけ」
「違う! 私は――私は特別なんだ! 代わりなどいない! 私は選ばれた人間なんだ!」
「いいや」
カーバンクルは断言した。
「あなたは、ただの殺人者」
ローレンスの顔が絶望に染まった。
もう言葉が出なかった。膝が震え、失禁し、ただ涙と鼻水を流してカーバンクルを見上げるしかなかった。
「あなたは慎重さが取り柄とか言ってたっけね」
「そ、それが……なんだっ……ひぃっ……!」
「なら撃たれることに備えて、脳みそを防弾仕様にしておけばよかったね」
その皮肉が、彼の最期の言葉となった。
パン。
乾いた銃声が、狭い武器庫の中で反響した。
「うっ……!!」
ローレンスの額に、小さな赤い穴が開いた。
彼の目が見開かれたまま、体がゆっくりと後ろに倒れていく。
背中が壁を擦り、ズズズと音を立てて地面に崩れ落ちた。
カーバンクルは銃を下ろし、冷めやらぬ銃口から立ち上る硝煙を吹く。
「あなたはもう、|どこにも存在しない《404 Not Found》」
血が、コンクリートの床にゆっくりと広がっていった。
ヴィクター・ローレンス。
アルカディア・エネルギー社会長。
この都市の光を支配し、闇の中で子供たちを喰らっていた男。
彼の完璧だった人生は、彼自身が用意した棺桶の中で、誰にも知られることなく幕を閉じた。
■
極彩色のネオンが降り注ぐ、混沌とした繁華街。
カーバンクルとショウの前を、純白のスーツを着た男が歩いていた。
イスラ・テスラ。
この汚れた路地裏には似つかわしくないほど洗練された足取りだが、その表情はどこか晴れやかだった。
「いやあ、素晴らしい仕事だった! 完璧な手際だ」
イスラは芝居がかった仕草で両手を広げた。
「ヴィクター・ローレンスという腫瘍を取り除いてくれたことに感謝する。おかげで私の計画も大きく前進したよ」
「それで? 報酬は?」
ショウが不愛想に切り出す。イスラは悪びれずに頷いた。
「もちろん、約束は守る。50,000クレジット、既に君たちの口座に振り込んである」
ショウが手首の端末を確認し、小さく頷く。相場より遥かに高い額だ。
「それと――今日は私から特別なお礼をさせてほしい」
「お礼?」
「ああ。食事をご馳走しよう。君たちに行ってほしい店があるんだ」
イスラが足を止めたのは、路地裏にある古びた中華料理店だった。
『龍鳳酒楼』。
色褪せた看板を見て、カーバンクルは微かに目を見開いた。
「……ここは」
「私が調べた情報にあった店だ」
イスラは静かに言った。
「二人の少年が、人生で最後の夜に『最高の食事』を楽しんだ場所だそうじゃないか。なら、私たちも同じものを味わってみるべきだと思ってね」
「フーン。旨いんだろうな?」
「さぁ? それは食べてみてのお楽しみさ」
眉をひそめながら、ショウはイスラのあとに店に入る。
店内は閑散としていた。
イスラは迷わず窓際の席を選んだ。
「注文は私に任せてくれ」
イスラはメニューを見ずに、流暢に告げた。
「小籠包、炒飯、青椒肉絲、担々麺。……あと、店で一番高い紹興酒を一本」
「ハイハイ。どうも、ありがとうございます」
愛想のいい店主。やがて料理が運ばれてくる。湯気を立てる小籠包、香ばしい炒飯。
イスラは慣れない手つきで箸を持ち、小籠包を口に運んだ。
しばらく咀嚼し、そして眉をひそめた。
「……ひどいな」
「そう?」
「やっぱアンタ、味音痴だろ」
イスラと同じように眉をひそめるショウに、カーバンクルは首を傾げた。
「皮が厚すぎて粉っぽい。スープは化学調味料の味しかしない。肉も質が悪い。セントラル区なら、犬の餌にもならないレベルだ」
「つーかスープ入ってるかこれ? 小籠包かどうか怪しいぞ……」
「贅沢者ども……」
続いてイスラは紹興酒をグラスに注ぎ、一気に飲み干した。
「酒もひどいな、こりゃ。アルコールの臭いがきつすぎる」
「文句があるなら帰ればいい」
カーバンクルが冷ややかに言うと、イスラは寂しげに笑った。
「違うんだよ、カーバンクル。私が言いたいのは……こんな粗末な料理が、彼らにとっては『人生最高のご馳走』だったという事実だ」
イスラは空になったグラスを見つめた。
「この都市は歪んでいる。壁一枚隔てた向こうでは、一食に10,000クレジットをかける豚がいる一方で、ここではこれが天上の味とされる」
「……格差に反対?」
「いいや。それも人類の営みだ。否定はしない。だが問題は希望さ。急いで、それを提供しなければ」
希望。またしても彼はその言葉を口にした。
「チェン君とリウ君はね。幸せだったと思う」
「……?」
「なぜならこんな場所でも、辛うじて希望を見出していたのだから。多くの人間は持てないものだ」
彼は再び酒を注ぎ、今度はグラスを高く掲げた。
「敬意を表して飲み干そう。彼らにとって『最高』だった、このクソ不味い食事を」
イスラはそれを一滴も残さず飲み干した。
カーバンクルとショウも、無言でそれぞれのグラスを傾けた。
安酒の味は、喉を焼くように辛かった。だが、不思議と嫌な味ではなかった。
「カーッ……辛っ。何がいいんだ、こんな酒」
「ショウって、酒飲めたっけ……」
「固いこと言うなよ。カーバンクルも、年齢なんか気にせず飲みゃいいのに」
「私は酒が好きじゃない」
イスラは二人のやり取りを微笑ましげに見つめ、呟く。
「ドーム都市間の接続が実現すれば、外の風がこの澱んだ空気を吹き飛ばしてくれるはずだ」
「どうだかな。つーか、どこまで本気で喋ってんだ?」
ショウの問いに、イスラは薄く笑った。
「当然本心さ。私は必ず、この世界に希望をもたらしてみせるよ」
……食事が終わり、イスラは紹興酒の瓶を空にした。
彼の碧眼から、酔いの色は完全に消えていた。
そこにあるのは、冷徹な捕食者の光だった。
「さて、次のビジネスの話をしよう」
イスラが指を弾くと、テーブルの上にホログラムが展開された。
十一人の顔写真。ローレンスを除く、『隠者たち』の残党だ。
「次は彼女だ」
一人の女性の写真が拡大される。
五十代半ば、氷のような美貌を持つ女性。
「エリザベス・ヴァンダービルト。ネオ・バンク・アルカディアの頭取だ」
「銀行屋か」
「ああ。彼女はこの都市の金脈を握っている。そして――」
イスラの声が、地獄の底から響くように低くなった。
「彼女の『趣味』は、ローレンスよりもさらに悪質で、広範囲だ。彼女にとって人間は『金融商品』でしかない。臓器、労働力、そして尊厳……全てを担保に取り、骨までしゃぶり尽くす」
カーバンクルの赤い瞳が、微かに揺らめいた。
イスラは満足げに頷く。
「興味を持ったようだね」
「……詳しく聞かせて」
「いいだろう。夜はまだ長い」
イスラは不敵に微笑み、新たな地獄の扉を開いた。
カーバンクルさんの決め台詞は気分によって言ったり言わなかったりする
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