【断罪】石橋を叩いて……
重厚な扉が音もなく開く。
その先は、ヴィクター・ローレンスの王国だった。
広大なリビングルーム。壁に飾られた名画、ペルシャ絨毯。
カーバンクルは充電ステーションで待機していた執事ロボットを無視し、奥の寝室へと向かった。
「ぐごぉぉ……がぁぁ……」
「…………」
キングサイズのベッドに、老人は眠っていた。
ヴィクター・ローレンス。
この都市の支配者の一人。そして、七人の子供を――否、何十人もの子供を弄び殺した殺人鬼。
彼は安らかな顔をしていた。
完璧なセキュリティという揺り籠の中で、何の不安もなく眠る赤子のように。
カーバンクルはベッドサイドに立ち、静かに彼を見下ろした。
赤い瞳が、暗闇の中で明滅する。
彼女は無造作に手を伸ばし、ローレンスの首を鷲掴みにした。
「がっ……!?」
ローレンスの目がカッと開かれた。
状況を理解するよりも早く、カーバンクルは彼をベッドから引きずり出した。
「!?!? げっ、ゲホッゴホッ!?」
「おはよう。驚いたかな?」
「だっ、誰だ貴様……ジェラルドは……警備は……!?」
「全員寝てる。あなたと同じように。……ああ、一人はもう死んだ」
「な――……」
カーバンクルはそのままローレンスの首を絞め上げ、意識を奪った。
抵抗する間もなかった。
絶対的な安全地帯だと思っていた場所で、彼は無力な獲物として捕獲されたのだ。
「ショウ、荷物を回収した。撤収する」
『了解。車を回すぜ』
カーバンクルは老人を引きずり、ペントハウスを後にした。
■
冷たい風が頬を打ち、ローレンスは意識を取り戻した。
土と草の匂い。
「……っ!?」
彼は飛び起きた。見覚えのある場所だった。
森だ。彼の私設の狩場。
「なぜ、私がっ、ここに……?」
混乱する彼の前に、影が落ちた。
白いパーカーを着た少女。その赤い瞳が、夜の闇よりも深く彼を見据えていた。
「お目覚めかな、会長」
「……! き、貴様……やはり……404号室の……!?」
ローレンスは後ずさりながら叫んだ。彼はこの国の悪党の例に漏れず、彼女のことを知っていたのだ。
そう、ヴィクター・ローレンスは慎重な男だった。
それ故に、権力者の多くが殺されていく『404号室の始末屋』を誰より恐れた。
(だから、徹底していたはずだ! ガキどもは、一人も生かして返さなかった。生き延びた誰かが、私に復讐しようなどと思わないように!)
石橋を叩くように、未来の危険を排除する。
自分に恨みを抱くような輩は、全員殺してきた。そのはずなのに、一体なぜ。
「……ご存知のようだけど、私は404号室の始末屋。ある人物から依頼を受けてきた」
「あ、ある人物……?」
「リウとチェン、二人の少年。その死を知っていた、何者か」
「な、なんだ、それは……!?」
カーバンクルはそれ以上の説明はせず、淡々と告げた。
「ルールは知ってるでしょ? この森から逃げて。夜明けまで生き残れば、あなたの勝ち」
ローレンスの顔から血の気が引いた。
それは彼自身が子供たちに強いたルールだった。
ローレンスは怒りと、それ以上の恐怖に身を震わせた。
……次の瞬間、表情を緩めてみせる。
「いやぁ……見事だ、404号室の始末屋よ!」
「……?」
「よく、この街で最高のセキュリティを突破できたものだ。その力は素晴らしい!」
皺の入った手を叩き、人の良さそうな笑みを浮かべる。余裕を演出するために。
「どうだね、その力、私のために使わないか? それだけの力があれば、君はこの都市で一番の金持ちにもなれる!」
「…………」
「手始めに、私の企業のセキュリティ部門長にならないか? 君が殺した、あの役立たずのジェラルドのポストを――」
「10。9。8。7」
カーバンクルの口から、まったくの等間隔で数値がカウントされ始める。
ギクリ、と背筋が跳ねた。
「ま、待て。なあ、話し合おうじゃないか――」
「6。5。4。3」
「ふっ、ふざけるな! 私はヴィクター・ローレンスだぞ! こんなうまい話は――」
「2。1。ゼロ。狩りのはじまり」
カーバンクルは聞く耳を持たず、ハンドガンを抜いた。
そして躊躇なく、ローレンスの足元へ発砲する。
バン!
「うぅっ!!?」
泥が跳ね、ローレンスは悲鳴を上げて尻餅をついた。
「逃げないの? 次は頭を撃つけど」
その瞳に宿る本気の殺意を見て、ローレンスの理性は崩壊した。
「あ、あ――うわああああぁぁっ!!」
彼は悲鳴を上げて走り出した。
プライドも権威もかなぐり捨て、無様に森の奥へと駆け込んでいく。
■
「はぁっ、はぁっ、ぜぇ、ぜぇ……!」
ローレンスは無我夢中で走っていた。
72歳の老体には過酷すぎる運動量だ。心臓が早鐘を打ち、喉の奥から鉄の味が込み上げてくる。
高級革靴は泥にまみれ、オーダーメイドのスーツは茨に裂かれてボロボロになっていた。
「ハァッ、ハァッ……なぜだ……なぜ私がこんな目に……!」
彼は喘ぎながら自問した。
自分はこの都市の王だ。数万人の生殺与奪の権を握り、全てをコントロールしてきた選ばれし者だ。
それがなぜ、薄汚いスラムのガキどものように、泥水を啜って逃げ回らなければならない?
――パン!
乾いた銃声と共に、耳元の木の幹が弾けた。
木片が頬を掠め、鮮血が滲む。
「ひいぃっ!?」
ローレンスは無様に転倒し、這いつくばった。
振り返ると、木々の隙間から赤い光が見えたような気がした。
あの忌々しい義眼だ。
彼女はすぐそこにいる。だが、撃たない。殺さない。
まるで猫が瀕死のネズミを弄ぶように、じわじわと追い詰めてくる。
(弄んでいるのか……私を!)
屈辱と恐怖で、ローレンスの顔が歪んだ。
彼はかつて、子供たちが逃げ惑う様を見てグラスを傾けていた。
その時の子供たちも、今の自分と同じように絶望していたのだろうか?
(いや、違う! 私は彼らとは違う。私は負け犬ではない!)
一時間、二時間。
時間は残酷なほどゆっくりと過ぎていった。
ローレンスは何度も転び、何度も立ち上がり、森の奥へと逃げ続けた。
体力は限界を超え、視界が霞む。思考が恐怖で麻痺しそうになる。
だが、その極限状態で、ふと彼の脳裏にある記憶が蘇った。
(待て、待てよ……ここは……私の森だ)
彼は立ち止まり、周囲を見回した。
見覚えのある巨木。特徴的な岩の配置。
ここは「エリアC」の奥地だ。
(そうだ……! 私は用意していたはずだ!)
ローレンスの瞳に、狂気じみた希望の光が宿った。
彼は慎重な男。「石橋を壊して、チタンで再建してから渡る」男だ。
万が一この狩場でテロリストの襲撃や、予期せぬ反乱が起きた時のために、緊急避難用のバンカーを設置していたのだ。
場所は、ここから北西へ300メートル。
洞窟を模し、隠蔽された武器庫だ。
(あそこに行けば……!)
彼の脳内で、シナリオが急速に組み変わっていく。
バンカーには衛星通信機がある。これで私兵部隊を呼べる。
そして何より、そこには彼の「とっておきのコレクション」が保管されている。
対テロ用強化外骨格『ゴライアス』。
重機関銃にも耐える装甲と、戦車すら粉砕する油圧アームを持つ決戦兵器だ。
(勝てる……! あれさえ着込めば、あの小娘など虫ケラのように捻り潰せる!)
ローレンスの口元が歪に吊り上がった。
絶望の底からの逆転。これぞ王者の物語だ。
彼は残された最後の気力を振り絞り、走り出した。
足取りは先ほどまでとは比べ物にならないほど力強かった。
希望という名の劇薬が、老体に活力を注ぎ込んでいた。
「ハァ、ハァ……見ているがいい……!」
彼は北西へとひた走る。
背後から気配を感じるが、もう怖くはない。むしろ、もっと近づいてくればいい。
武器庫まで誘導して、そこで立場を逆転させてやる。
驚愕に染まるあの女の顔が見ものだ。
命乞いをさせて、じっくりと嬲り殺しにしてやる。
やがて、目的の洞窟が見えてきた。
蔦に覆われた岩場。一見するとただの岩壁だが、特定の位置にある石を押せば、ハッチが現れる。
(くく……思えば、ガキどもの中にこの洞窟まで逃げ込むやつはいたが……)
ローレンスは岩場に滑り込み、震える指でカモフラージュを剥ぎ取った。
現れたハッチのハンドルを掴み、引く。
(この武器庫を見つけられた奴は、ついぞ一人もいなかった。なぜか? それは奴らが無能だからだ)
『認証完了』の緑色のランプが点灯し、プシューッという油圧音と共に、岩壁の一部がスライドして開いた。
「ククク……! 私は違う。私は掴めるのだ、蜘蛛の糸を! 常に備えているのだからな!」
ローレンスは歓喜の声を漏らし、中へと転がり込んだ。
そして内側からロックをかけようとしたが、ふと思い直してやめた。
開けておくべきだ。彼女をここへ誘い込むために。
彼は薄暗い通路を奥へと進んだ。
壁の照明がセンサーに反応して次々と点灯していく。
その先にあるのは、鋼鉄の扉で守られた保管庫だ。
ローレンスは扉の前に立ち、深呼吸をした。
この扉の向こうに、彼の勝利が約束されている。
彼は勝利を確信した笑みを浮かべ、最後のロックを解除した。
「チェックメイトだ、始末屋……!」
彼は高らかに宣言し、扉を押し開けた。
――プシュゥゥゥ。
冷気と共に扉が開く。
部屋の中央には、強化外骨格のハンガーがあるはずだった。
壁にはアサルトライフルやグレネードランチャーが整然と並べられているはずだった。
だが、ローレンスの目に飛び込んできたのは、予想外の光景だった。
「――?」
強化外骨格は、そこにあった。
武器も、そこにあった。
しかし、そのさらに前に――誰かが立っていた。
「……あ……?」
ローレンスの思考が凍りついた。
白いパーカー。赤い瞳。
なぜだ。なぜ彼女がここにいる? 彼女は後ろから追ってきていたはずだ。
私がここへ来ることを読んでいたのか?
それとも、最初からここに誘導されていたのか?
「どうもこんばんは、会長」
カーバンクルは、ローレンスのコレクションである軍用アサルトライフルを手に取り、慣れた手つきでボルトを引いて装填音を響かせた。
ジャキッ、という金属音が、ローレンスの心臓を冷たく突き刺す。
「素敵な隠れ家だね。武器もよりどりみどり」
彼女はゆっくりと銃口を向けた。
その向こうで、ローレンスが頼みの綱としていた強化外骨格は、既に動力パイプを引きちぎられ無惨な鉄屑と化していた。
「な、なぜ……どうして……!」
ローレンスは膝から崩れ落ちた。
希望は幻だった。彼は自分の足で、自分の墓場へと全力疾走してきたのだ。
「いつぞや、あなたはインタビューでこう言っていたらしいね。『私が成功できたのは、あらゆる事態に備えていたからだ』って」
カーバンクルは無機質に告げた。
「だからきちんと備えさせてもらったよ。あなたを殺すために、隅々まで調べておいた――」
彼女の指が引き金にかかる。
今度こそ、威嚇ではない。純粋な処刑の意志が、その瞳に宿っていた。
「うそ、だ」
「これで、ゲームオーバー」
「ウソだぁぁぁぁぁ……!!」
出たぜ カーバンクルさんの先回り芸だ!!




