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文烈様、勝てなくても帰ってきてくださいませ

劉明珠でございます。


石亭で、文烈様の軍が敗れました。

ええ、負けました。


玉珠へ知らせましたら、


『では、文烈様は帰ってこられるのですね?』


と返ってきました。

どうしてそうなるのですか?

その下には夫君の字で、


『ここで右手が鼻へ向かったので止めた』


とありました。

そちらは相変わらずですね。


和珠は、父上のために残している菓子を今日も数えております。

もっとも、自分でも食べておりますので、着実に減っております。


文烈様、勝てなくても構いません。


娘の菓子がなくなる前に――

どうか、生きて帰ってきてくださいませ。

石亭で、文烈様の軍が敗れました。

その報せを聞いた時、私はすぐには言葉が出ませんでした。

環珠も何も申さず、和珠だけが私と使者の顔を交互に見ています。

「父上は?」

八つの娘に先を越されました。

私は使者を見ました。

「文烈様は?」

「ご無事です。大司馬は軍をまとめ、退いておられます」

そこでようやく息ができました。

敗れはしましたが、文烈様は生きており、軍もまだ動いております。

ならば、終わってはいません。

「父上、帰ってくる?」

和珠が尋ねました。

「帰ってきますよ」

迷わず答えました。

環珠が私を見ています。

十四になった娘ですから、私が本当に安心しているわけではないことくらい分かったでしょう。

それでも何も言わず、妹の方へ目を向けました。

和珠は少し考えてから、棚に置いてある菓子を見ます。

「じゃあ、残しておくね」

まだ残すのですか?

文烈様は、娘が食べ尽くす前に帰ってきてくださいませ。

石亭で何があったのか、寿春にいる私がその場で知ることはできませんでした。

あとになって文烈様や王彦雲殿から聞いた話を合わせると、周魴の偽りが明らかになった時には、すでに呉軍が動いていたそうです。

しかも、その中心にいたのは陸遜でした。

文烈様もそこでようやく、あの七条すべてが自分をここまで引き込むためのものだったと確信したのでしょう。

ですが、十万近い軍勢を率いて深く入ったあとです。

「退くぞ」

そう命じたからといって、すぐに全軍へ背を向けさせるつもりではなかったそうです。

十万近い兵が狭い退路へ一斉に殺到すれば、陸遜に追われるまでもなく軍が崩れます。

「まず受け止める。退路を作ってから下げる」

周囲から、

「呉軍が迫っています」

と告げられても、

「見えている」

と返したそうです。

そのあたりは、いつもの文烈様ですね。

もう少し慌ててもよろしいのでは?

いえ、慌てられても困りますけれど。

陸遜の軍は待ってくれませんでした。

正面から圧力をかけるだけではなく、左右からも兵を進め、魏軍の一部を崩していったそうです。

ここで文烈様が自分だけ先に逃げていたなら、話は簡単だったでしょう。

ですが、あの方がそれをするはずもございません。

「大司馬、ここは危険です!」

「だからいる」

何をおっしゃっているのでしょう?

あとで聞いて、私は頭を抱えました。

危険だから離れるのではなく、危険だからいる。

その理屈を妻に説明していただきたいものです。

とはいえ、大司馬本人が討たれれば軍全体が崩れます。

文烈様もそこは分かっておりますから、一人で剣を振り回して敵陣へ突っ込むような真似はなさいません。

退く順を決め、まだ動ける部隊をまとめながら、押されれば列を作り直し、散りかけた兵まで呼び戻していったそうです。

勝つための指揮ではありません。

生きて帰すための指揮です。

洞口で勝ち、皖にいた呉将を破るなど、文烈様は東の戦場で何度も結果を残してきました。

だからでしょうか。

文烈様自身も、こんな形で大軍を退かせる経験は、ほとんどなかったのだと思います。

ここで求められたのは、どう勝つかではなく、どう退くかでした。

それでも、あの方は大司馬でした。

文烈様は残った軍をまとめながら、石亭から夾石へ向かいます。

ところが陸遜は、そこまで甘くありませんでした。

呉軍は退く魏軍を追い、夾石へ向かう道にまで兵を回していたそうです。

前には敵が待ち、後ろからは追撃が迫る。

進むにも退くにも、道が失われかけていました。

さすがの文烈様も、その報せを聞いた時ばかりは黙ったと、あとで彦雲殿が申しておりました。

「大司馬」

「……梁道はどこだ?」

よりによって、その名前ですか。

賈梁道殿――

文烈様とは、以前からあまり仲がよろしくないと聞いております。

いえ、「あまり」では少し優しすぎるかもしれません。

以前、文烈様は梁道殿について、

「あれは人を見下すところがある」

と申しておりました。

梁道殿の方も、文烈様を前にすると妙に言葉が硬くなります。

仲良くなさいませ。

同じ魏でしょう。

私が何度そう思ったか分かりません。

ですが、その賈梁道殿は、文烈様の敗北を知ると、さらに軍を急がせました。

夾石を塞がれれば、文烈様の軍が帰れなくなる。

後続を待つべきだという声もあったそうですが、梁道殿は待ちませんでした。

水路と陸路を使って二百里を進んできた軍をさらに急がせ、旗を増やし、鼓を鳴らし、実際よりも大軍が迫っているように見せながら夾石へ向かいます。

その頃、文烈様の側でも状況はさらに悪くなっていました。

追撃を受けるうちに武器を捨てる兵が出て、車や馬も失われ、戻ってこない者まで増えていったそうです。

どう言い繕っても、石亭は明らかな敗北です。

それでも文烈様の軍は消えておらず、残った兵をまとめながら、どうにか夾石まで退いてきました。

そこで呉軍とぶつかりました。

そして――

文烈様の周囲まで敵兵が迫ったそうです。

「大司馬、下がってください」

前へ出たのは王彦雲殿でした。

「彦雲」

「ここは私が開けます」

本当に開けたそうです。

言葉のあやではありません。

彦雲殿は兵を率いて押し寄せる呉軍へぶつかり、包囲されかけた文烈様の周囲へ道を作りました。

戦いながら道をこじ開け、その内側から魏軍を抜いていく。

後でその話を聞いた私は、彦雲殿に申しました。

「ずいぶん無茶をなさいましたね」

すると彦雲殿は、

「大司馬を置いて帰ったら、そちらの方が後で怖いでしょう?」

と笑っておりました。

どういう意味でしょうか。

私でしょうか、それとも文烈様でしょうか。

両方という可能性もございますので、聞かないことにいたしました。

夾石の外側に旗が見えた時、魏兵の間には緊張が走ったそうです。

「呉軍か!」

誰かが叫び、文烈様も顔を上げます。旗は一つではなく、さらに鼓の音まで近づいてきました。

やがて、その旗を見分けた者が声を張り上げました。

「魏軍です!」

文烈様はしばらく黙っていたそうです。

「大司馬、賈将軍です!」

「……梁道か」

その声を聞いた彦雲殿は、笑いそうになったと申しておりました。

なぜです?

命を助けに来た相手が梁道殿だったからだそうです。

文烈様……

人は、助けてくれる相手まで選べないようですよ。

夾石を押さえようとしていた呉軍は、急に現れた梁道殿の軍勢を見て退きました。

梁道殿はそのまま夾石を確保し、食糧まで文烈様の軍へ回したそうです。

そこでようやく、崩れかけていた軍が息を吹き返しました。

石亭で勝ったのは、間違いなく呉です。

陸遜は強く、何より周魴には最後までしてやられました。

魏軍は一万を超える兵を討たれるか捕らえられ、車や兵器も大量に失ったと聞きました。

痛いなどという言葉では足りません。

それでも――

文烈様は討たれておりません。

軍も、すべて失ったわけではありません。

彦雲殿が包囲の内側から道を開き、梁道殿が外から退路を確保する間も、文烈様は残った兵をまとめ続けました。

勝つことのできなかった戦で、それでも軍を連れて帰るために。

寿春へ次の報せが届いた時、私は環珠と和珠と一緒におりました。

使者は私の前で膝をつきます。

「大司馬は夾石を抜けられました」

環珠が大きく息を吐きました。

和珠は、すぐに尋ねます。

「父上、帰ってくる?」

私は笑いました。

今度は、ちゃんと笑えたと思います。

「ええ、帰ってきますよ」

和珠は棚を見ました。

菓子は四つになっております。

また食べましたね?

「四つあるから大丈夫」

何が大丈夫なのでしょう。

ですが、その時ばかりは叱る気にもなりませんでした。

石亭で敗れ、陸遜に追われても、文烈様は軍を連れて生きて帰ってきます。

私は、それだけで十分だと思いました。

石亭の戦は終わったのだと。

――その時は、そう思っていたのです。

劉玉珠でございます。


文烈様は負けたそうです。

ですが、生きて帰ってこられるそうです。

では、よかったですね。


夫にそう申しましたら、


「……まあ、そうだな」


と、少し困った顔をされました。

何が困るのでしょう?


「負けても帰ってくれば、また戦えますよね?」

「お前は簡単に言うな」

「では、お菓子を差し上げましょう」

「それも和珠と同じだな」


やはり姪とは気が合うようです。

嬉しくなったので右手を鼻へ――

つかまれました。


「そこまで同じになるな」

「和珠はしませんよ?」

「知ってる」


では、私だけなのですね。

少し特別な気分です。


「喜ぶところじゃない」


難しいですね。

ともかく、文烈様は寿春へ帰ってこられます。

姉上も、これで安心できますね。


……できますよね?

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