文烈様、十五の娘を妻に迎えた方ですよね?
劉明珠でございます。
纂の婚礼が終わったと思いましたら、今度は寧珠に縁談が参りました。
お相手は、あの司馬子初殿です。
文烈様へお知らせしたところ、
「断る」
と即答なさいました。
まだ何も聞いておりません。
玉珠へ話しますと、
『寧珠はまだ十五ですよ? 早くありませんか?』
と申しました。
そうですね。
そうなのですが――
玉珠……
私も十五で文烈様の許へ参りましたよ。
それを文烈様へ申し上げましたら、たいへん不満そうなお顔で、
「それとこれとは違う」
とおっしゃいました。
どこが違うのでしょう?
さて、文烈様――
今夜は私と、「十五」という年齢について少し詳しくお話しいたしましょうか?
洛陽から寿春へ戻る支度をしていたところへ、河内司馬氏の使者が参りました。
用向きを聞いた文烈様は、しばらく何もおっしゃいませんでした。
「文烈様」
「……何だ?」
「息をしてくださいませ」
「しているが?」
しておりませんでした。
使者が持ってきたのは、寧珠への縁談でした。
相手は、先日の纂の婚礼で寧珠を何度も見ていた司馬子初殿――司馬望殿です。
司馬叔達殿の子として生まれ、伯父の司馬伯達殿の家を継いでおられる方でございます。
「断る」
「まだ最後まで聞いておりません」
使者が困っております。
文烈様は咳払いをして、ようやく大司馬らしい顔に戻りました。
「……話は聞く」
その一言が、どうして敵将の降伏条件を聞くような響きになるのでしょう。
肇も纂も黙っています。
先日まで新郎だった纂など、自分の婚礼の余韻を味わう暇もなく、今度は妹の縁談に巻き込まれておりました。
使者が帰ったあと、文烈様は卓の前から動きませんでした。
「司馬子初か……」
「はい」
「寧珠を見ていたな」
「見ておりましたね」
「何度も」
「数えておられたのですか?」
「数えるつもりはなかった」
では、なぜ回数まで覚えているのでしょう。
「子初について調べる」
「何をでございますか?」
「全部だ」
文烈様……
呉の間者を洗っているのではございませんよ。
肇が静かに口を開きました。
「父上、家柄に問題はありません」
「分かっている」
「子初殿ご本人の評判も悪くありません」
「それも分かっている」
「では、何が不満なのです?」
「寧珠を欲しがっている」
そこですか……
纂が顔を伏せました。
笑ったら父上に睨まれると分かっているのでしょう。
肩だけが少し震えております。
「文烈様、寧珠の縁談なのですから、まず寧珠に聞きましょう」
「……聞くのか?」
「聞きます」
「本人に?」
「他に誰へ聞くのでございますか」
大司馬が、まるで想定外の作戦を示されたようなお顔をなさいました。
寧珠を呼ぶと、環珠と和珠までついてきました。
十五になった寧珠は、もう幼い娘ではありません。
十三の環珠の右手をさりげなく鼻から遠ざけながら、七つの和珠が持ってきた菓子を取り上げております。
「姉上、まだ食べられる」
「夕餉が入らなくなるから駄目よ」
「ひとつだけ」
「さっきもひとつだけと言いました」
その横で環珠の右手が上がりました。
「環珠」
「まだ、はいってない」
「今日は何も聞いておりません」
寧珠は慣れたものです。
私は三人を座らせ、縁談の話をしました。
和珠は菓子の方を見ています。
環珠は寧珠を見ています。
文烈様は寧珠だけを見ています。
怖い。
「河内司馬氏より、お前を司馬子初殿の妻に迎えたいというお話が来ています」
寧珠は少し目を丸くしました。
それから、ああ、と小さく声を出しました。
文烈様の眉が動きました。
「ああ、とは何だ」
「文烈様」
「何だ?」
「まだ何も起きておりません」
寧珠は少し考えてから、私を見ました。
「母上……すぐにお返事をしなければいけませんか?」
「いいえ、お前のことですから、まずお前がどう思っているかを聞きたいのです」
「私は……嫌ではありません」
文烈様が固まりました。
肇と纂が同時に父親を見ました。
私は見ませんでした。
見なくても分かります。
「嫌ではない、とはどういう意味だ」
「そのままです、父上」
「いつからだ?」
「いつから、と言われても……この前の婚礼で初めてお見かけしただけです」
「話したのか?」
「ほとんど話していません」
「そうか」
少し安心なさいましたね?
寧珠は続けました。
「ですから、もう少しお話ししてみたいです」
安心が死にました。
「寧珠」
「はい」
「なぜだ?」
「なぜ、と言われましても、縁談のお相手ですから」
正論でございます。
文烈様は戦場でなら、敵の動きを読み、兵の位置を見て、必要なら即座に決断できる方です。
ところが娘が「もう少し話してみたい」と申しただけで、ここまで判断能力を失うとは知りませんでした。
環珠が私の袖を引きました。
「母上……父上、怒ってるの?」
「怒ってはおりません」
「怖いよ?」
「私もそう思います」
和珠が菓子を取り返そうと寧珠の膝へ手を伸ばしました。
「姉上がお嫁に行ったら、このお菓子、和珠の?」
「そこなの?」
寧珠が初めて困った顔をしました。
翌日、司馬子初殿に来ていただくことになりました。
文烈様は朝から落ち着いておられました。
落ち着きすぎておられました。
肇が父上の前に置いた書付が、しばらく上下逆のままだったからです。
「文烈様」
「何だ?」
「それ、逆でございます」
「知っている」
「でしたら直してくださいませ」
黙って直されました。
やがて司馬子初殿が参りました。
二十三の若者です。
先日の婚礼と同じく物腰は穏やかで、文烈様の顔を正面から見ても逃げません。
そこは評価いたします。
ただし、文烈様は評価していないようです。
「子初」
「はい、大司馬」
「なぜ寧珠だ?」
早い……
「文烈様、まずは座っていただきませんか」
「座っている」
「子初殿がまだ立っておられます」
司馬子初殿は、笑いをこらえたように一礼して座りました。
この状況で笑えるのでしたら、なかなか肝が据わっております。
「先日の婚礼で初めて寧珠殿を拝見しました。妹君たちのお世話をなさりながら、周囲にもよく気を配っておられましたので」
「それだけか?」
「お美しいとも思いました」
「文烈様」
睨まないでください。
「ですが、それだけで妻に迎えたいと申したわけではございません。ご家族との接し方を見て、もっとお話ししてみたいと思いました」
今度は私が文烈様を見ました。
先ほど寧珠も、同じことを申しておりましたね。
文烈様は気づいたらしく、さらに機嫌が悪くなりました。
どうしてですか。
「父上」
肇がとうとう口を挟みました。
「子初殿は、まだ何も悪いことをしておりません」
「分かっている」
「では、その顔を」
「これは普通だ」
「普通ではありません」
纂まで加わりました。
「父上は私の婚礼の時より怖いです」
「お前の婚礼には、お前を奪っていく相手はいなかった」
「私は新郎でしたからね」
当たり前です。
その日の話し合いでは、結論を出しませんでした。
代わりに寧珠と司馬子初殿が、私たちの目の届くところで話す時間を設けました。
正確には、私の目の届くところで十分だったのですが。
文烈様もおります。
肇もおります。
纂もおります。
多い。
「文烈様」
「何だ?」
「見張りではございませんよ」
「分かっている」
分かっている方は、あそこまで真正面から見ません。
寧珠と司馬子初殿は、最初こそ少しぎこちなかったものの、やがて普通に話し始めました。
寧珠が笑います。
隣で文烈様の眉間に皺が増えます。
子初殿が笑います。
さらに増えます。
「文烈様……そのままですと、眉間だけ先に老けますよ」
「放っておけ」
放っておけません。
そこへ玉珠が来ました。
「姉上、寧珠がお嫁に行くのですか?」
声が大きい。
「まだ決まっておりません」
「でも、文烈様がずっと見ています」
「それは私も存じております」
「そんなに心配なら、文烈様も一緒に司馬家へ行けばよいのでは?」
大司馬を嫁入り道具にしないでください。
玉珠は何かを考えながら右手を上げました。
隣にいた夫君が、何も言わずその手首をつかみます。
「まだ何もしてません」
「これからするだろ」
「どうして分かるのです?」
「何年一緒にいると思ってる」
こちらの夫婦も、ずいぶん完成されてきましたね。
数日後、寧珠にもう一度尋ねました。
「どうしますか?」
「子初殿のお話、受けたいです」
文烈様が目を閉じました。
「寧珠……本当に?」
「はい、母上」
「嫌だから断れない、ということではありませんね?」
「違います。もっとお話ししたいと思いましたし……一緒にいて嫌ではありませんでした」
文烈様……
そこで胸を押さえないでください。
「父上」
寧珠が今度は父親を見ました。
「駄目ですか?」
それを言われると、この人は弱いのです。
文烈様は長いこと黙っていました。
やがて寧珠の頭へ手を置きます。
「……お前が嫌でないなら、俺が駄目だとは言わん」
「ありがとうございます、父上」
寧珠が笑いました。
文烈様も笑いました。
少しだけ。
その日のうちに、河内司馬氏へ返事を出しました。
話は早く進みました。
早すぎると文烈様は申しましたが、遅らせる理由を尋ねると黙りました。
そして婚礼の日取りまで決まった夜、文烈様は寝台に入ってからも天井を見ております。
「眠れませんか?」
「眠れる」
「目を閉じてからおっしゃってくださいませ」
しばらくして、ぽつりと声がしました。
「寧珠は、まだ十五だぞ」
私は思わず文烈様の方を向きました。
「文烈様」
「何だ?」
「私があなたの許へ参りましたのも、十五の時でございますよ」
沈黙しました。
見事なほどの沈黙です。
「十五の娘を妻に迎えた方が、十五の娘を嫁に出すのは早いとおっしゃるのですか?」
文烈様はしばらく天井を見たまま、答えませんでした。
やがて、たいへん不満そうに口を開きます。
「……それとこれとは違う」
「どこがでございます?」
「お前はお前だ」
「寧珠も寧珠でございます」
また黙りました。
勝ちましたね。
もっとも、勝ったところで、この人が納得するとは思っておりません。
私は十五で文烈様の許へ参りました。
あの頃の私は、父上に置いていかれ、何も分からないまま魏の中で生きるしかなかった娘です。
けれど寧珠は違います。
父にも母にも兄にも妹にも愛され、自分で相手を見て、自分で話し、自分でこの縁談を受けたいと決めました。
十五という同じ歳でも、私とはまるで違う十五です。
そう思えば、寧珠を送り出すことは寂しくても、怖くはありません。
隣を見ると、文烈様はまだ納得していない顔をしております。
「文烈様」
「何だ?」
「寧珠は幸せですよ」
「……分かっている」
「あなたが十五まで大事に育てたのですから」
「分かっている」
今度は少しだけ、声が弱くなりました。
私は夫の手を握りました。
文烈様も、強く握り返してきます。
そして――寧珠の婚礼の日がやって参ります。
この時の私は、まだ少し甘く考えておりました。
十五の私を妻に迎えた文烈様です。
十五の娘を嫁に出すくらいで、そこまで取り乱すことはないでしょう、と。
ええ、まったくの見当違いでございました。
劉玉珠でございます。
寧珠は十五です。
ですから私は、
「お嫁に行くには早くありませんか?」
と申しました。
すると姉上に、
「私も十五で文烈様の許へ参りましたよ」
と言われました。
そうでした。
夫に聞いても、
「文烈様に聞け」
としか言いません。
その文烈様は、
「それとこれとは違う」
とおっしゃったそうです。
何が違うのでしょう?
考えておりますと、右手が鼻へ向かい、夫につかまれました。
「今は関係ないだろ」
「考える時は落ち着くのです」
「鼻で考えるな」
では、どこで考えるのでしょう?
ところで次は、寧珠の婚礼です。
司馬子初殿が寧珠を見ただけで睨み、笑わせただけで眉間に皺を増やす文烈様が、とうとう娘を嫁に出します。
夫は、
「たぶん駄目だな」
と申しております。
私もそう思います。
次回、大司馬の威厳は残っているのでしょうか?




