文烈様、私はまだ二十九なのですが?
劉明珠でございます。
昨日まで私は母でした。
本日からは、姑だそうです。
まだ数え二十九なのですが、ずいぶん急に老けさせられた気がいたしますね。
文烈様へ申し上げたところ、
「肇が結婚したのだから仕方ない」
で終わりました。
たいへん冷たい夫です。
なお、玉珠にも話しましたら、
『姉上、もうおばあさまになるのですか?』
と申した直後、鼻へ小指を入れました。
まず、あなたが人の老後を心配する前に右手を何とかしてくださいませ。
さて――
本日は、新婚の息子夫婦とゆっくり話してまいります。
姑らしく振る舞える自信は、まったくございません。
私は、数え二十九で姑になりました。
母になった時とは、まるで違う衝撃でございます。
母はよいのです。
肇や纂に母上と呼ばれ、寧珠、環珠、和珠を産み、具合が悪ければ心配し、食事を抜けば叱る。
気づけば五人の子供に母親らしいことをしてきました。
そこにはもう慣れております。
ですが、姑――
この二文字だけは、どうにもいけません。
急に十年どころか二十年ほど年を取らされた気がいたします。
しかも私は、まだ三十にもなっておりません。
婚礼の翌朝、肇の屋敷へ向かう車の中でも、その事実が頭から離れませんでした。
「文烈様」
「何だ?」
「私は姑なのですね」
「昨日からな」
「そう簡単に認めないでくださいませ」
「事実だろう」
「事実だから困っているのです」
文烈様は、心底分からないという顔をしました。
男の方は気楽でよろしいですね。
父親が舅になっても、たいして響きが変わらないのでしょう。
こちらは違います。
母から姑へ。
一文字増えただけで、急に白髪と杖まで支給されそうな響きではございませんか。
「お前は何を気にしているんだ?」
「数え二十九で姑になったことです」
「肇が結婚したのだから仕方ないだろう」
「では文烈様も舅らしくなさってくださいませ」
「どうしろと?」
「もう少し老けてください」
「無茶を言うな」
そうでしょうね。
私もそう思います。
肇の屋敷へ着くと、新婚夫婦が揃って迎えてくれました。
「父上、母上。昨日はありがとうございました」
肇が頭を下げます。
「ですから肇、母親へ礼を言いすぎです」
「婚礼の翌日くらい言わせてください」
「では、本日までにしておきましょう」
その隣で、肇の妻も丁寧に頭を下げました。
「母上、本日はお越しいただきありがとうございます」
私は反射的に後ろを見ましたが、誰もおりません。
当然です。
呼ばれたのは私なのですから。
「母上?」
「……はい」
困りますね。
肇や纂に呼ばれる「母上」と、この方に呼ばれる「母上」は、どうして同じ二文字なのにこれほど破壊力が違うのでしょう。
前者は母です。
後者は姑です。
私は昨日まで、その差を知りませんでした。
「明珠」
文烈様が笑いをこらえています。
「何です?」
「今、後ろを見ただろう」
「見ておりません」
「見た」
「気のせいでございます」
肇まで笑っています。
新しい娘も困ったように笑っておりました。
私は改めて彼女を見ました。
当然ながら彼女は若く、そして私自身もまだ若いのです。
並んで立てば、とてもではありませんが「姑と嫁」という感じがいたしません。
年の離れた姉妹か、せいぜい若い叔母と姪でしょう。
「母上?」
また呼ばれました。
「何でしょう?」
「私、何か失礼を……」
「いいえ、あなたには何の問題もございません」
問題があるのは、私の年齢と立場の方です。
数え二十九で息子が結婚し、私はめでたく姑になりました。
……やはり納得がいきません。
このまま順調に話が進めば、その次に待っているものまで見えてまいりました。
私が肇を見ると、肇もこちらを見返し、その妻まで不思議そうに私を見ました。
「……肇」
「はい?」
「急がなくて結構ですからね」
「何がです?」
「いろいろです」
「何の話です?」
まだ分かりませんか。
たいへん結構です。
分からないままでいてください。
文烈様だけは気づいたらしく、肩を震わせています。
「明珠」
「何です?」
「祖母になるのが怖いのか」
「言わないでくださいませ!」
肇夫妻が揃って固まりました。
私は顔を覆いたくなりました。
「まだ何も申し上げておりません!」
肇の妻が真っ赤になっております。
「存じております。ですから急がなくてよいと申しているのです」
「母上!」
今度は肇の声でした。
この屋敷、母上が多すぎませんか。
そこへ数え十二の寧珠が私と肇の妻を見比べました。
「母上」
「何です?」
「お姉さんみたい」
私は寧珠へ向き直りました。
「寧珠」
「はい」
「本日はたいへん良いことを言いましたね」
「何が?」
分からなくて結構です。
その横では、数え十の環珠もこちらを見ています。
「環珠もそう思いますか?」
「うん」
素直でよろしい。
「母上のほうが、おおきいけど」
「何がです?」
環珠の視線が少し下へ動きました。
私は即座に遮りました。
「そこから先は新婚夫婦の前で検討する話題ではございません」
文烈様が顔を背けました。
笑っていますね。
あとで覚えておいてくださいませ。
数え四つの和珠だけは、私が姑になろうが祖母候補になろうが興味がないらしく、卓上の菓子を見つめていました。
「たべていい?」
「もちろんですよ」
肇の妻が答えます。
「ふたつ?」
「いいですよ」
「みっつ?」
「和珠」
私が呼ぶと、和珠は少し考え、
「ふたつ」
と自ら譲歩しました。
交渉を覚えたようです。
誰に似たのでしょうね。
席へ着くと、今度は私の方が落ち着かなくなりました。
新婚夫婦の屋敷で、私はとうとう「姑」として座っております。
さて、何を話せば正しいのでしょう。
嫁いびりなど論外ですが、かといって気を遣いすぎるのも妙です。
私は今まで、姑になるための教育など受けておりません。
十三歳で捕虜になった娘へ、誰もそこまで先の人生設計を教えてはくれませんでした。
仕方がないので、いつも通りにすることにしました。
「肇は、きちんと食事をしておりますか?」
「母上」
肇が嫌そうな顔をしました。
「何です?」
「昨日結婚したばかりです」
「存じております」
「もう食事の確認をするのですか?」
「結婚した翌日から食べなくても平気になるのでございますか?」
肇の妻が吹き出しました。
「朝は、きちんと召し上がっておられました」
「それは安心いたしました」
「母上、妻を味方につけないでください」
「あなたの妻である前に、もう私の娘でもございます。誰の味方になるかは本人が決めます」
肇が黙りました。
たいへんよろしい。
姑とは、こういうものでしょうか。
たぶん違いますね。
話してみれば、肇の妻は思っていたよりずっと朗らかな方でした。
話しているうちに、肇が朝早くから動き、書を読み始めると周囲が見えなくなることまで聞かされました。
そこまでは、いかにも肇らしい話です。
ただ、人に心配をかけたくないのか、疲れていても「平気です」と言ってしまうのだと話した時だけ、彼女の声が少し小さくなりました。
私は肇の顔を見ます。
「肇」
「はい?」
「文烈様に似ましたね」
「なぜ俺を見る」
文烈様が不満そうです。
「疲れていても平気だと言うところでございます」
「お前もだろう?」
「私は平気でない時ほど皮肉が増えますから、たいへん分かりやすいですよ」
「いつも多いから分からん」
肇の妻が、今度こそ声を立てて笑いました。
けれど、その笑い方が少しだけ遅れたことに私は気づきました。
ほんのわずかです。
気のせいと言われれば、それまででしょう。
それでも先ほどまでとは違い、彼女の視線が肇の横顔へ向いています。
「母上」
「はい?」
「あの――肇様は、昔から……」
そこで、
「姉上」
と横から声がしました。
玉珠です。
なぜおりますか。
昨日の婚礼に続いて、夫君と数え三つの娘まで一緒です。
「肇の家を見に来ました」
「昨日も見たでしょう」
「昨日は人が多かったので」
妙にもっともらしいことを言いながら、右手が鼻へ向かいます。
夫君が無言で手首をつかみました。
「まだ何もしてません」
「これからするところだっただろう?」
「分かるのですか?」
「何年一緒にいると思っている」
夫婦というものは恐ろしいですね。
すっかり話が逸れてしまいました。
肇の妻も何かを言いかけていたはずなのですが、玉珠が捕まった右手を見ながら、
「姉上を母上と呼ぶの、変な感じですね」
などと始めたせいで、続きを尋ねる機会を失いました。
「玉珠」
「だって姉上、まだ二十九ですよ?」
その通りです。
「あなたもそう思いますか?」
「はい、わたしも姉上も、黙っていれば若くて麗しいですから」
「玉珠」
「はい?」
「今、何か余計な条件を付けませんでしたか?」
玉珠は考えました。
その隙に右手がまた上がりました。
夫君が再び止めます。
「姉上、姑になっても鼻はほじらないのですね」
「姑になる前からほじっておりません!」
何を基準に私を評価しているのです。
その後も話は続きましたが、肇の妻が先ほど何を尋ねようとしたのかは、結局聞けませんでした。
肇本人はいつも通り笑っており、顔色が悪いわけでもありません。
ですから、その時は私も深く考えませんでした。
昼を過ぎる頃、私たちは寿春へ戻る支度を始めました。
肇は洛陽へ残ります。
昨日までと違うのは、その隣に妻がいることでした。
自分の屋敷があり、自分の暮らしがあり、私がいなくても帰れば迎えてくれる人がいる。
それを見ていると、寂しさより先に安心が来ました。
「母上」
肇が声をかけます。
「お気をつけて」
「あなたこそ。無理をしないように」
「はい」
「食事を抜かないこと」
「母上」
「妻を困らせないこと」
「母上」
「疲れた時に平気だと誤魔化さないこと」
肇が一瞬だけ黙りました。
「……母上」
「何です?」
「妻から聞きましたね?」
「ええ」
肇は隣の妻を見ました。
彼女は少し困ったように笑っています。
「大げさですよ」
「その言葉を使う方ほど信用できないのです」
文烈様が横で、
「お前が言うな」
と申しました。
聞こえないことにいたします。
「文はちゃんと書きます」
肇が先回りして言いました。
「それなら結構です」
私も笑いました。
新しい娘も笑っています。
ただ、別れ際に彼女が何か言いたそうに私を見たことだけは、少し気になりました。
家族が増えたというのは、こういうことなのでしょう。
肇の隣に、私の新しい娘がいる。
そう考えると、姑という言葉も少しだけ悪くない気がしてきました。
少しだけですが。
帰りの車には、来た時と同じだけ護衛がおりました。
前にも兵、後ろにも兵がおりますが、行きほど大げさには見えません。
「寂しいか?」
文烈様が尋ねました。
「少しだけでございます」
「少しか」
「母親がいつまでも新婚夫婦の屋敷へ居座る方が問題でしょう」
「お前ならやりかねん」
「文烈様?」
「冗談だ」
最近、本当に遠慮がなくなりましたね。
寧珠は窓の外を見ながら、
「肇兄上のお嫁さん、きれいだったね」
と言いました。
「そうですね」
「母上と姉妹みたいだった」
「寧珠、本日は二度もたいへん良いことを言いましたね」
環珠がすぐに口を挟みました。
「でも母上、おかあさん」
「そうですよ」
「おばあさんにもなる?」
私は固まりました。
文烈様が顔を背けました。
肩が震えております。
「環珠」
「なあに?」
「その話は、まだ早いです」
「いつ?」
「ずっと先です」
数え四つの和珠が眠そうな顔で、
「明日?」
と尋ねました。
「明日ではございません!」
娘たちは笑いました。
文烈様まで笑っています。
私は一人だけ笑えません。
数え二十九。
姑になった翌日に、家族全員から祖母への道を示されるとは思いませんでした。
それでも、笑い声が静かになった頃。
私はふと、肇の妻の顔を思い出しました。
『母上、あの――肇様は、昔から……』
何を聞こうとしたのでしょう。
肇が無理をし、疲れていても平気だと言い張ることなら、私もよく知っています。
文烈様も同じですし、私自身も人のことを言えたものではありません。
ですから、考えすぎだと思うことにしました。
新婚早々、息子の生活へ母親が口を出しすぎるのもよろしくないでしょう。
姑になったからといって、初日から世話を焼きすぎてはなりません。
……そう思ったのですが。
寿春へ着いた、その日の夕方。
洛陽から早馬が参りました。
差し出された文の表には、見慣れない筆跡で、
『母上へ』
とございます。
肇の妻からです。
私は先ほどまでのことを思い出しながら、封を切りました。
最初の一行を読んだ瞬間、笑みが消えました。
『母上、肇様のことで、少しご相談したいことがございます』
「文烈様」
「何だ?」
私は文を閉じました。
「馬を、まだ休ませないでくださいませ」
劉玉珠でございます。
姉上が姑になりました。
まだ二十九なのに大変ですね。
夫に、
「姉上は、そのうちおばあさまにもなるのでしょうか?」
と聞いたところ、
「なるだろうな」
と言われました。
それなら先に練習しておいた方がよいと思い、
「おばあさま」
と呼んでみましたら、姉上にものすごい目で見られました。
まだ早かったようです。
そのあと姉上は寿春へ帰ったのですが、すぐ洛陽から文が来たそうです。
夫が、
「何かあったのかもしれない」
と申しております。
わたしも心配です。
……ところで、心配している時は鼻をほじってもよいのでしょうか?
「駄目だ」
まだ聞いていません。




